三菱ケミカルグループのデジタル化を推し進める市村雄二さんは、NEC、コニカミノルタといった各業界のリーディングカンパニーを中心にキャリアを築いてきた。
「現場が大好きなんですよ」と笑顔で語る市村さんのキャリアの軸は、どのように定まったのだろうか。その歩みについて話を聞いた。
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市村 雄二さん
三菱ケミカルグループ
執行役シニアバイスプレジデント
チーフデジタルオフィサー
NECで国内外の営業・企画・事業開発・ベンチャー投資に携わった後、2012年にコニカミノルタへ入社。M&Aやトランスフォーメーションを進め、デジタル技術とデータを活用した業務プロセス、IT、事業のオペレーションおよび働き方変革などの「DX改革」をグローバルに統括した。
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辞退したのに内定をもらいNECに入社

「頭を坊主にして体育会系の部活に熱中していたので、就職のことはあまり真面目に考えていなかったんですよ」
笑顔で学生時代を振り返る市村さんが就職活動を行っていたのは1983年。第2次オイルショックが終わり、日本経済が回復に向かう時期に、「グローバルで働くのがなんとなく楽しそうでカッコイイ」と思ったという。そこで、海外でビジネスを展開する企業と業界を中心に就職活動を進め、商社から内定をもらった。
しかし、商社には就職せず、NECに就職することになる。それは、たまたま手に取った本との出合いがきっかけだった。
「NECの事業について書かれていたんです。通信系のエンジニアが書いた本でした。通信用のケーブルを引けないジャングルで、マイクロ波を飛ばすために鉄塔を建てるシーンを読んで、おもしろい事業をしている会社だと思ったんです」
未開の他を開拓していく場面に心を惹かれた市村さんは、この事業を手がけているNECの就職試験を受けると決意する。ただ、選考は思ったよりもハードだった。
「選考は1日かかりました。論文を書いて、その合間に面接をするのですが、その面接の質問が失礼だったんです。フラストレーションがたまっていたこともあり、面接相手の人事部長に『この選考を辞退します』と告げたんですよ。席を立って、そのまま会場を後にしました」
辞退した以上、試験に落ちることはほぼ決まっている。面接を終えた後、その日のストレスを解消しようと友人の家でお酒を飲んでいたら、母親から「NECから選考の件で連絡があった」と電話がかかってきた。その内容は合格の連絡。「悪態をついた自分に内定を出すなんておもしろい企業だ」と思い、NECへの入社を決めた。
入社3年目でオーストラリアへ赴任するも、どん底

NECに入社するとメインフレームの営業を担当した。2年が経ったころには、営業で上位に入る実績を上げられるようになった。
そして、3年目に転機が訪れる。メインフレームの実績のないオーストラリア市場の開拓を命じられたのだ。当時、海外出向は5年目からと定められていたが、ルールの例外として海外へ行くことになった。
営業で結果を残せていたため、自信を持って海外赴任に臨む市村さんだったが、最初の1年間はまったく結果が出なかった。37社連続で断られ、メンタルも落ち込み、身体にもストレスの症状が現れた。
「日本に戻してほしいとお願いしたんですよ。でも、断られたんですよね(笑)」
どん底の状態だったが、ある日、40億円の大型案件の受注に成功する。1件受注ができてからは、憑きものが取れたように受注できるようになり、最終的には年間で数百億円の売上を上げることにつながった。
この必死にもがいていた20代後半の時期に、人生観が固まったという。
「江戸時代にお金持ちの屋敷から金銭を盗み、それを乏しい家に投げ込む鼠小僧という義賊がいましたよね。オーストラリアにも同じような義賊がいまして。最後は絞首刑となったんですが、最後にニコッと笑って一言発したんですよね。その言葉が何だったのか、その義賊が最後にどちらを言ったのか。『人生は楽なもの』なのか、もしくは『大変なもの』なのか。
私が思うにその結論はどちらも正解なんですよ。楽でもあり、大変でもある。大変な時期であっても、自分の捉え方しだいでポジティブに人生を進められる。自分がどう思うかが重要だと思えるようになりました」
経営に関するプロジェクトに携わりアメリカへ

製造業の工場や研究所に行って、メインフレームの営業に没頭する日々を過ごしていたところ、ある日、本社から異動の辞令が届いた。異動先は経営企画。現場で働きたいという思いから断りたいと思ったというが、会社の規則で認められなかったため、戦略を立案する業務に就くことになった。
「現場が大好きな人間でしたから、企画職に対して抵抗感がありました。異動すると周りはMBAホルダーばかり。最初は馴染めないとも思いました(笑)。ただ、結果として、ここでは多くのことを学ばせてもらったんです。中期計画や経営戦略の立案、M&Aの推進などを通じて、企業の仕組みについて理解を深めることができました」
現場で培った営業力に加えて、経営に必要なスキルと経験を積むと、アメリカへ赴任。新規事業の開発、ITベンダーや半導体などのベンチャー企業に対する投資、企業の買収などに携わるようになった。
アメリカで起こるイノベーションに肩までつかり、新しい技術に関する議論を繰り返しているうちに日本の会社が持つポテンシャルの高さに気づいた市村さん。「事業会社の価値が上がるようなソリューションに携わりたいと思った」と振り返る。
三菱ケミカルグループをよくすることしか考えていない

「アメリカで10年ほど過ごした後、当時コニカミノルタの専務で、後々社長になる方の相談に乗るようになったんですね。そうこうしているうちに、誘っていただきました。ただ、進めているプロジェクトがあったので、すぐには転職できないとお返事したんですよ。1年後だったら大丈夫ですと。断られるだろうなと思っていたら、待ちますと言われてしまいました。約束通り1年後にコニカミノルタに入社しました」
コニカミノルタではM&Aやトランスフォーメーションに携わり、新しい事業をつくるイノベーションの領域を担当。デジタル領域の改革を推し進めた。
10年ほど働き、役割を後任にバトンタッチしてコニカミノルタの卒業を考えていたときに、三菱ケミカルグループからのオファーが届く。そのオファーを受け、現在は三菱ケミカルグループのチーフデジタルオフィサーを務めるようになった。
「入社して現場を見てみたら、三菱ケミカルグループが持つポテンシャルの高さに気づきました。一人ひとりが自分の業務について考えを深めて、課題を解決していく能力があります。それが文化として根づいています。現場が優秀ですよね。ただ、他の工程や部門と相談をしながら課題を解決するという点には、改善の余地があります。その連携を深めながら課題解決に取り組む文化が育てば、もっと成長すると思います」
就任から2年が経ち、デジタル化の推進により、企業にも変化が訪れ始めている。最後に、今後のキャリアの目標について質問すると「三菱ケミカルグループをよくすることしか考えていません」という答えが返ってきた。
「三菱ケミカルグループの企業価値が上がるような変革を成し遂げ、これからの未来の礎をつくることに貢献したいです」
現場を大切にしながら改革を進める市村さんは、これからもテクノロジーを中心に戦略の策定から実装まで取り組み、企業の新たな姿を生み出していくだろう。そして、技術力とデジタルが融合した三菱ケミカルグループはグローバルでより一層の存在感を示すはずだ。
