伝統産業を担う家業の後継者に、どのようなイメージを持っているだろうか。学校教育は早々に切り上げ、後継ぎとして事業承継のために家業に入る。または家業に関連する学問を収め、場合によっては金融機関などで経営や金融について学ぶ、という選択肢もあるだろう。しかし、西堀酒造の6代目蔵元を担う西堀哲也さんのキャリアは、そういったものとはまったく異なるルートを歩んだ。

東京大学哲学科、そしてITエンジニアというキャリアを歩み、家業へと戻った西堀さんが持つキャリア観、そこから得た仕事の流儀とは。

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西堀哲也(にしぼり・てつや)さん

1990年生。栃木県小山市出身。2013年東京大学文学部哲学科(思想文化学科哲学専修課程)卒業。東京大学硬式野球部所属(2009~2012)。2013年、ERPシステム開発会社ワークスアプリケーションズに入社、エンジニア。2016年末、西堀酒造株式会社に入社。

逆境の中に見出す希望 没頭が道を拓く

「予定通りに物事が進むことほどつまらないものはない。全部先が見通せてしまって、それで満足して終わりなんて、面白くないじゃないですか。偶然性を許容しつつ行動していくとき、気づきもしなかった面白いこと、化学反応というか、フュージョンというか。そういったものが生まれてくると思うんです」

かつて物置状態だった蔵を改装してできたウイスキー蒸留所「日光街道 小山蒸溜所」。熟成のときを待つウイスキーが収められた樽の前で、西堀さんはこう語った。酒蔵のIoT化、クラウドファンディングによるマーケティング戦略や異業種を巻き込んだ持続可能な酒づくり「SAKE RE100」の構築、そしてウイスキー事業への参入。西堀酒造の数々の改革を主導した若きリーダーの言葉を紐解くには、その生い立ちに言及しなければならない。

西堀さんは小山市に生まれ育ち、小中までは地元の公立校に通っていた。勉学では優秀な成績を残しつつも、野球を愛する少年だった。転機となったのは高校受験の時期、通っていた塾講師のすすめで、模試を受けたときだった。

「それは全国でも難関といわれる進学校を受験する中学生に向けたもので、県内での模試と違った手応えでした。全然うまくいかなかったんです。『なんだこれは』と衝撃を受けましたね。ただ、同時に県外の高校に行けば、もっとおもしろい人がいっぱいいるとも思ったんです」

挫折感よりも、ワクワクする。その衝動のままに、西堀さんは県外受験を決意した。そして、東京の名門校・巣鴨高校に合格。電車を乗り継ぎ、実家から学校に通った。この長い通学時間は、西堀さんに選択を迫った。

「やはり、高校野球もやりたかったんです。しかし、仮入部期間中に通学の時間帯を考えて、成り立たないことがわかりました。それで、野球を泣く泣く諦め、帰宅部になるしかなったんです。そうなるからには、打ち込むことの選択肢は勉強しかありませんでした」

部活の代わりに、予備校へと通うことにした。学びは着実に結果を出した。西堀さんは東京大学に合格。そこで心に再燃したのが、野球への情熱だった。六大学野球の一角、東京大学野球部の門を叩いた。高校野球の未経験者は、西堀さんだけだった。

「小中では軟式野球でしたから、硬式野球も初めて。しかも3年間もブランクがありましから『練習自体についていけないで、すぐやめるだろう』と思われてました。それでも、なんとか食らいついていきました」

ブランクは、努力によって埋まっていった。そして、徐々に選手として活躍の機会が見出されつつあった。そんな矢先、不断の努力で積み重なった負担に、身体が悲鳴をあげた。

「ようやく兆しが見えてきたときに、肘を壊して野球ができなくなってしまったんです。続けることを模索しましたが、結局できることといえば、プレイヤーではなく学生コーチになることくらいしかありませんでした」

2012年、西堀さんは悩んだ末に大学野球に別れを告げた。しかし、そこには新しい没頭の道があった。大学入学後、西堀さんが興味をひかれたのが、哲学の講義だった。暗記の多い受験勉強とはまったく違い、講義中に教授自身も考え込んでしまうほど正解がない。その学びのあり方に衝撃を受けた。

「一方的に教えるのではなくて。その正解のなさをみんなで議論し合うところ。他の授業とは違っていました。これはおもしろいなと思って哲学科に進み、思想関係の書物を読むことにどんどんはまっていったんです」

井の中の蛙であることを知った高校受験、野球をあきらめた高校時代、野球との再会と別れを経験した大学時代。西堀さんは学生時代を通して、幾重もの逆境を経験したが、それは新たな世界を切り拓く契機にもなっていた。そして、西堀さんは没頭することで新たな世界を切り拓いていったのだ。こうして冒頭の言葉の礎は、学生時代につくられていった。

ITエンジニア時代に培った「酒蔵DX」の素地

大学3年生、就職を考えるときに、西堀さんは自身を内省していた。今後のキャリアを考えたとき、西堀さんには家業という「宿命」があった。いずれは家業に戻り、酒蔵を継がなければならないという現実があった。

「大学に入り、毎日本を読み学ぶことができるのは、家業があってこそ。そのような自身に置かれた環境や事実は必ず受け止めなければならない。だからこそ、自分が家業を継ぐことを宿命と捉えて、それまでの有限な時間の中でなにをすべきかを考えていきました」

将来の事業承継を肯定的に考えることで、反対に選択に捉われることがなくなった。それまでの間に「もっといろんな世界を見てみたい」と思った。就職活動中に多くの企業に行き、話を聞いた。マンションの一室を事務所にするようなスタートアップにも足を運び、経営者と直接会話した。そこでもっとも興味をひいたのが、IT業界だった。

「『変化のある現代において、時代を動かしているものとはなにか』ということを軸に、就職活動をしていました。そのなかで、今の時代をアグレッシブに動かしていると感じたのが、IT系の企業でした」

一方で、家業の後継者の場合、大学卒業後には「後継ぎ修行」のようなかたちで、金融機関などに就職し、資金繰りなどのノウハウを学ぶ場合が多いが、西堀さんにはそのような選択肢はなかったのか。

「将来を見越して経営コンサルティング会社でフレームワークなどの手法を学ぶというものもありました。しかし、あるITベンチャー企業の経営者にいわれたのが『経営コンサルは経営者ではない。自分で手を動かして実行力を磨くことのほうが重要だ』ということでした。“哲学学者は哲学者ではない“という当時の確信ともリンクしました。だったら実際にものを作るリアル感というか、実行者としての力を培うほうがいいと思ったんです」

こうして、西堀さんは業界をIT企業に絞った。なかでも「よい意味で一番変わった人が多い」と思った、ERPシステム開発の国内大手ワークスアプリケーションズにエンジニアとして採用された。同じ学科の同窓生でエンジニアになったのは、西堀さんだけだった。

しかし、エンジニアとして採用されたものの、プログラミングに触れたことはまったくなかった。そのような西堀さんに待っていたのは、ワークスアプリケーションズの「教えない研修」だった。

「『教えない、調べてもいけない』というので、非常に苦労しました。何もできない、自力で理解もできない状態でいたずらに時間が過ぎていって、『今日一日何をやったんだろう……』と嫌悪感に苛まれる日々が続きました。朝の8時から夜の11時頃までずっとやって、途中はコンビニに行くぐらい。最初はソースコードを英文のような言語かと思って読んでいたのですが、パズルのようなものだと気づくのにもかなり時間がかかりました」

「まるで精神修行のようだった」と振り返る6か月の研修の効果は、配属後に実感した。研修の意図は、システム開発の基礎を教えると同時に、問題解決能力を高めることだったのだ。まずは諦めずに手を動かして解決方法を探る。そのうえでわからないことがあれば、先輩にすぐに聞くことができ、スムーズに解決できる。自らが問題点と解決への障壁を理解できているためだ。

「原価管理システムなどの開発をしている部署に配属されて、会計系のシステムアーキテクチャの一部モジュールを、SQLとjavaで組み上げていくことを担当していました。この時期に培われた問題解決のロジックは今にも通じていて、『わからないから誰かに丸投げする』という発想はありません。まずは自ら手を動かし、調べ、解決方法を理解する。そうすることで、環境的な制約や危機的な状況でも問題のスコープが明確になり、創意工夫が生まれます」

エンジニア気質はクラフトマンシップに通ずる

2016年、西堀さんは家業へと戻った。酒づくりの仕事を覚えながら、社内のデジタル化をおこないつつ、酒蔵のIoT化を実現した。その過程では、伝統産業を守る酒蔵にDXという新しい風を吹き込んだ西堀さんは、どのようなマインドセットを持っているのだろうか。

「自身のキャリアを振り返ると、やはりIT業界に入ったのはよかったと思っています。ある意味で、酒造りという伝統産業とは対極にある存在。振り切っていたからこそ、私がおこなう改革にある種の免罪符が生まれたと思っています。たとえば、当社では発酵タンクを透明なアクリルタンクを採用し、発酵中の醪(もろみ)にLEDを照射することで発酵をコントロールできることを突き止めました。このような発想は、旧来の発想でしたら醸造文化の冒涜といわれていたでしょう」

酒造りにおける改革とは、果たして文化の破壊にあたるのだろうかという疑問を持つ。西堀さんは「伝統」と「革新」は対義的に語るものではなく、表裏一体なものだと語る。そこには、西堀さんが仕事に持つ哲学がある。

「『伝統を守る』の『守る』とはなにか。剣の理論ではないですが、攻めがあっての守りがあります。そういった意味では、これまでの伝統に異を共存させること、融合させることは、文化の発展には必要なものです。そういったクリエイティビティを持つことこそ、伝統を守ることにつながると考えています」

西堀酒造のWebサイトでは「酒造哲学」を掲げている。その筆頭に掲げるのは「伝統と革新の酒造り」。それを支える思想は、茶道や武道、能楽などの伝統芸能にある「守・破・離」の考え方だという。クラシックとモダン、さらにイノベーティブな酒づくりの共存・融合こそが、西堀さんが目指す酒蔵のあり方だ。しかし、それは非常にチャレンジングで、勇気の必要な取り組みだ。西堀さんの不断の挑戦には、どのような行動原理があるのだろうか。

「『暫定解を不断生成する』ということをとても重要視しています。確たる解を求めて延々と悩んでいてはなにも行動はできませんので、『暫定』という仮説的な解を一度定めてしまう。暫定というからには、後に変わる可能性も許容している。どんな哲学者であれ、研究のなかで解は変わっていくものです。時代が変われば、人も思想も変わる。この世に確たる正解は存在しないのであれば、自身がまず暫定解を定め、行動のエンジンにしていくことが、可能性を狭めずに挑戦しつづける原理になると考えています」

いっぽうで、家業で働くなかで西堀さんが見出したのは、エンジニアが持つ「自身でシステムをつくり上げる」気質と酒づくりにおけるクラフトマンシップの共通点だった。

「限られた環境、制約のなかで創意工夫してつくり上げていく行為は、クラフト精神の本質だと思います。ITエンジニアも工夫してシステムを組み上げていったり、どういった仕組みになっているかを、自分で手を動かしたりして解決していく。両者の基本的な心意気はDIY精神というか、『動かなくなったからやめる』というのではなく、工夫してつくり上げていきたいというマインドだと思うんです」

2016年に家業へと戻った西堀さんだが、同年春にワークスアプリケーションズを退職し、フリーランスのエンジニアとなっていた。その理由も、より幅広い技術を身につけたいと思ったからだった。Webサイトの制作から始まり、クライアントの要望に応じるため技術をキャッチアップしていったところ、サーバ保守やセキュリティに関するスキルを習得した。そこで得たノウハウが、家業に入った後にサイト制作やメルマガの配信、ECサイトの運営に役立った。実は、西堀さんは現在も家業のかたわら、パラレルワークで受託開発を請け負っている。最後に、その真意を聞いた。

「今の時代、技術的な面でいえば、できないことはほぼなくなりつつあります。諦めることなく、絶対にできるはずだと思って物事に取り組めば、必ずやり方が見つかるものです。可能性を狭めるのはすごくもったいない。だからこそ、今後もIT業界に接していきたいと考えています」

西堀さんのProfessional 7 Rules

(取材/文/撮影:川島大雅

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