伝統的な酒造文化は世界中に分布し、それぞれの風土や文化に根づいた独自の発展を遂げてきた。その中でも、日本酒ほど複雑なプロセスをとる酒づくりは珍しい。その土地の風土や水質、それによって育まれた米の質だけでなく、造り手の技術にも味が左右される精緻な製法は「國酒(こくしゅ)」と呼ぶにふさわしい、日本が誇る伝統産業だろう。

しかし、その複雑かつ精緻な製法が産業そのものの衰退の原因となっている。マンパワーに依存した過酷な労働環境、季節雇用を主体とした就労形態から、人手不足が深刻になっている。海外への輸出は増加しているものの、飲酒文化の多様化や健康志向トレンドから国内需要は縮小。その生産本数も減少傾向にある。

製造からマーケティングを含めた、包括的な構造改革が求められているなかで、日本酒のあり方に変革をもたらそうとしている酒蔵が、栃木県小山市にある。創業明治5年(1872年)、150年以上の歴史を持つ西堀酒造だ。同社の変革を担う6代目西堀哲也さんに、酒づくりDXのプロセスを聞いた。

関連記事
ITエンジニアが酒蔵を継承!西堀酒造6代目のキャリアとは<Professional 7rules>

【西堀哲也(にしぼり・てつや)さん】

1990年生。栃木県小山市出身。2013年東京大学文学部哲学科(思想文化学科哲学専修課程)卒業。東京大学硬式野球部所属(2009~2012)。2013年、ERPシステム開発会社ワークスアプリケーションズにエンジニア職として入社。その後フリーランスを経て、2016年末、西堀酒造株式会社に入社。

デジタル化の障壁となる地方中小企業の実情

2016年、骨身に染み渡るような関東平野の12月。西堀さんは家業である西堀酒造に入社するため、地元・小山市と戻ってきた。その契機は突然訪れた。同社で蔵人をしていた幼馴染が、腰痛により現場を離脱。西堀さんは当時、3年間働いたERPシステム開発の国内大手ワークスアプリケーションズを退職し、春にITエンジニアとして独立したばかり。家業とはいえ、そのノウハウはまったくない状態だった。それほどまでに、西堀酒造の人員はひっ迫していた。

「これは当社だけでなく、全国にある中小の酒蔵の人員は平均して4、5人程度。どこも人手不足で苦しんでいます。実際、県内の酒蔵に聞くと、どの蔵でも求人を出していますが、以前と比べるとまったく人が集まらない状況です。これは、酒づくりは基本的に冬季におこなうため、季節雇用を前提とした就労慣習があるためでもあります。しかし、夏場になれば生産量は落ちるので、通年雇用をすると人員余剰に陥り、経営を圧迫してしまう。スポット派遣で賄える作業でもない。そのため、最盛期であっても最低限の人数で回すしかない。実情として、人手不足はとても悩ましい問題なんです」

当時、同社は幼馴染を含む3人で酒づくりを回していた。1人抜けただけでも、立ち行かなくなることは明白だった。一方で、西堀さんは家業を継ぐことを「宿命」と考えていた。「もう少し先のことかと思っていた」というが、同時に肯定的に捉える自分もいた。

「冬場の酒づくりは、休みなくおこなわなければなりません。そのため、冬に入ってからの数か月間、蔵人は本当に疲弊している。そこで人手不足という喫緊の問題が出た。きっと不平不満の声もあることだろう。そういったことも含めて、いろいろな話が聞けるだろうと思いました」

こうして、西堀さんは幼馴染の仕事を引き継ぐかたちで酒づくりの現場に入り、ほぼ半年休みなく働いた。家業に入ってみると、これまでのキャリアとは大きなギャップがあった。

「とにかくアナログで、マンパワーに依存している状態でした。帳簿づけも日報も手書きで、注文もファックスを使っている。また、酒づくりは基本的に製造業ですので、瓶の単価も1円単位で交渉するような世界です。それなのに、米の計量はアナログな量りを使っている。時間がかかるうえに正確性もない。このような不毛な作業プロセスが多くありました」

同時に、構造的な問題も見えてきた。近年では純米酒や吟醸酒といった「特定名称酒」という、手間とコストをかけたこだわりの日本酒は人気になり伸びているが、日本酒全体の生産本数は減り続けている。品質の高い日本酒でなければ売れない。しかし、その価格は昭和からほとんど変わっていない。酒蔵の採算性は悪化しているのだ。

「昭和の頃の日本酒醸造は、大量生産がもてはやされていた時代でした。それだけ消費が旺盛だったこともありますが、現在に比べれば安価である分、生産量も多かった。その価格感覚が現代にまで引きずられている。当社だけでなく、多くの酒蔵では非常にコストかけて、よい酒をつくろうと努力しています。本来であれば2,000円から3,000円が妥当な品質なのですが、それが価格に反映されていない。市場価格とコストのギャップが酒蔵を特に苦しめています。業界全体として、報われない構造になっているんです」

収益性の低さは人手不足の原因でもあった。また、潤沢なキャッシュを持たない中小企業にとって、設備投資に割ける予算を持っていない。目先の課題がわかっていても、改善に踏み込めない現状があったのだ。

アジャイル開発により低予算・高速実装を実現

家業、そして酒づくりの実情を知った西堀さんは、まずはお金をかけずにおこなえる範囲で改革に着手した。少しずつ、社内のデジタル化を進めていったのだ。しかし「考え方が甘かった」と振り返るように、アナログからの脱却は簡単なものではなかった。

「地方の中小企業の実態として、従業員の多くがメールがちゃんと使えない状態から始めなければなりません。父である社長を『将来絶対にパソコンは必要になる』と説得して、まずは格安パソコンを購入し、日報を書いてもらうことにしました。しかし、数か月もすると、パソコンが埃をかぶっている」

これまでアナログで成立していたビジネスモデルからデジタルへと一挙に方法論を変えることは不可能だった。なによりも、慣れないパソコン作業や格安パソコンの立ち上がりの遅さは、生産性の低下にもつながる。そこで、西堀さんは方針を変更、全社最適は長期的に考えることとし、まずは個別最適を進めた。つまり、西堀さん自身ができることからデジタルによる効率化を図り、社内に利便性を説明しながら浸透を図ったのだ。

デバイスについても再考を重ねた。従業員はパソコンには触れたことがなくともスマートフォンであれば使いこなせるため、メールからChatworkに切り替えた。LINE感覚で使えるため、抵抗なく運用できた。経理や事務などのバックオフィス業務、社内コミュニケーションといった運営面から、着実にデジタル化を浸透させていった。

「社内のデジタル化と同時に、WebサイトやECサイトも構築していきました。サイトは既存のものが存在していましたが、90年代につくったきりで放置されていましたね(笑)。とにかくお金のかからない範囲で、自身のスキルを活用しながら一つひとつ進めていきました」

こうしたなか、西堀酒造のデジタル化を後押しする出来事があった。クラウドファンディングの実施だ。

「2017年1月に取引先の銀行からすすめられて、当社が10数年にわたって開発してきた古代米100%の純米酒『愛米魅 I MY ME(アイマイミー)』をリターンとしたクラウドファンディングを開始しました。結果は目標を達成し、当社と商品の認知度を高めることができました。商品開発、販売方法ともに従来にはなかったものなので、デジタル化の効果は社内に驚きをもって迎えられました」

こうして、段階的に社内のデジタル化を進めた西堀さんは、ついに酒づくりDXに乗り出す。マンパワーに依存した酒づくりからの脱却を目指して、酒蔵のIoT化を図ったのだ。しかし、そこに立ち塞がるのは、やはりコストの問題だ。中小規模の酒蔵でIoT化をおこなった先行事例は少ない。もしフルオーダーでシステム構築を依頼すれば、莫大なコストがかかることは目に見えていた。そこで、西堀さんは自身のエンジニアとしての技術を活用して、IoTシステムを自身で構築することを決めた。

西堀さんが開発した醪の遠隔温度管理システム

「当然、コストはかかるものですので、そこは補助金事業を活用することによって資金を調達しました。ただし、補助金が出るとはいえ、持ち出しのコストはあるので、そこは最低限に抑えたい。そこで、制御システム自体は電気信号なので、システム構築自体は絶対できるはずだと思って調べてみたんです。自分でRaspberry Pi(ラズベリーパイ)を購入し、基礎的な部分を組み上げていきました」

意識したのは、可及的速やかな実装。アジャイル開発により可能な限り稼働を早めることで早期のコスト回収を図ったのだ。

「実装のスピードを第一に考え、基本的にはありあわせのIoTプラットフォームを使い、細やかな構築にはオープンソースのコードを組み合わせていきました。とにかく動くものをつくって、ブラッシュアップは順次おこなっていく方針にしたのです」

実際にタンクに接続する際には、ハード面や細やかなノウハウが求められる。それを西堀さん自身がキャッチアップするには時間がかかりすぎてしまうため、そこは地元の製作所の技術とクラウドソーシングで依頼した専門家の知識に頼ることにした。そうすることで、西堀さんのIoTシステムは早期開発・実装に成功した。

「できあがったシステムは、これまで24時間体制で人間による温度管理が必要だった醪(もろみ)の発酵過程を、スマートフォンによる遠隔操作で管理を可能にしたものです。これにより酒づくりのプロセスの負担はかなり軽減されました。また、このシステムは取り外しも可能で軽量です。使い回しができることも意識しました」

醪の温度はリアルタイムで記録され、スマートフォンやパソコンで逐一確認、温度管理が可能だ

業界の常識を覆す「LED照射の日本酒」を開発

西堀酒造の取り組みは、大きな話題を呼んだ。西堀さんがおこなった酒造のIoT化は、酒づくりの構造を変える、まさにトランスフォーメーションをもたらすものだった。同業だけでなく、異業種からも問い合わせが舞い込んだ。西堀酒造はこのシステムで特許を取得し、現在は異業種間の協働により、醸造試験プロジェクトを進めているという。

しかし、西堀さんの酒造DXは、IoT化に留まらなかった。次なる一手は、酒づくりの常識を覆す「醪に光を当てる」というものだった。着想を得たのは、「植物や微生物が光の色(波長)によって反応する」という事例。そこで、従来のタンクから特注のアクリルタンクに、その周辺にはLEDを設置。異なる色を照射し、その差異を実験したところ、麹菌が特定の波長に反応し、コントロール可能であることを発見。LED光を利用した酒づくりを確立したのだ。この技術も「色光照射醗酵による日本酒の醸造方法及び製造装置」として特許を取得。同技術で醸造した日本酒は「ILLUMINA(イルミナ、ラテン語で「光に照らされたもの」)の名で発売された。

「この技術の開発とILLUMINAの発売にも、補助金とクラウドファンディングによって資金調達をおこないました。ILLUMINAは発売当初から話題となり、多くのメディアにもご紹介いただきました。『透過性素材を用いた醸造装置』は発明としても評価され、令和4年度関東地方発明表彰では関東経済産業局長賞をいただくこともできました」

ILLUMINAは現在、青色・赤色・緑色で照射された3種類がシリーズとして展開されている。それぞれの波長により発酵の度合いが変わり、それは辛口度合いや味わいに変化をもたらしている。

左から、ILLUMINA(青光 BLUE LIGHT、赤光 RED LIGHT)、愛米魅 I MY ME(アイマイミー)、夢日光 ウォッカ NIKKO DREAM VODKA、門外不出(純米大吟醸 CLEAR BREW、純米吟醸)

新たな価値訴求をもたらす酒づくりを模索

酒づくりに変革の狼煙を上げた西堀酒造が次に見据えるのが、持続可能な酒づくりの実現だ。前述の通り、日本酒は冬季醸造が基本ではあるものの、冷房技術の発達した現在では、夏季でも酒づくりは可能といえば可能だ。しかし、西堀さんは「より持続可能な酒づくりを追求したい」と語る。

「伝統的な酒づくりを担ってきたプロフェッショナルである杜氏は、高齢化によりその数は激減しています。そのことからも、季節雇用は現代に則さない雇用慣習です。しかし、雇用を維持するために無理な醸造をおこなっても、結局コスト高になり採算が取れません。そうであれば、視点を変えて季節に適した酒をつくればいい」

そこで選んだのが、ジャパニーズ・ウイスキーへの参入だ。冬は日本酒に専念し、夏場にはウイスキーづくりと、季節に適した酒を集中してつくることによって、人的リソースの適正化と製造コストの削減を狙うためだ。しかし、醸造酒と蒸留酒とでは仕込み方も違えば、ウイスキーは長期間の熟成を要する。なぜウイスキーなのか。

「事業のきっかけには、やはり構造的な課題を解決したいという気持ちがありました。あとは、ウイスキーを選択した理由には、ジャパニーズウイスキーが世界的なブームとなっていることに加え、マーケットとしても発達しニーズが高い一方で、原酒が枯渇しつつあるという問題もあります。そして、何よりも造るのが面白そう。アンテナはもともと張ってましたが、今が参入すべきときだと思ったんです」

西堀酒造の敷地内でウイスキー、スピリッツを製造する「日光街道 小山蒸溜所」

ただ参入するだけではない。西堀酒造らしいウイスキーをつくろうと考えた。そこで、西堀さんは酵母に工夫を加えることにした。ウイスキー酵母を使わない「世界的にほとんど例のない日本酒酵母」でのウイスキーづくりを決意したのだ。

「ウイスキー酵母は基本的に輸入品で、その種類は十種類ほどしかありません。一方で、日本酒の酵母は全国各地で独自の開発改良が加えられているので、選択肢が無限にあります。しかし、ただでさえウイスキーづくりを初めておこなうのに、先行事例が無い試みをするわけです。産業技術センターの方や微生物学の専門家に教えを仰ぎながら試行していきましたが、案の定最初は失敗して、大量の原料を無駄にしました。さすがに心が折れそうになり、普通のウイスキー酵母でつくろうかと悩みましたね(笑)」

ウイスキーづくりのため、西堀さんは今回も補助金事業を活用したが、これまで物置状態であった蔵の改装や蒸留タンクへの導入は、大きな設備投資となった。早期のコスト償却のため、熟成を必要としないウォッカも販売し、試行錯誤を重ねた。その結果、見事アルコール発酵に成功。蒸留を済ませた第一弾のウイスキーは現在樽の中で熟成中だ。

2023年3月末、西堀酒造は新たなクラウドファンディングをREADYFORでスタートさせた。リターン品の目玉は、現在熟成中のウイスキーだ。

「今回は原料の一部に穀物を使うグレーン・ウイスキーです。こちらでも、日本の酒蔵らしさを出すために、吟醸酒をつくる際に酒米を削って生まれた米粉を使っています。たとえばアメリカのバーボンではトウモロコシを使用しますが、米粉になったことでより日本らしい味わいになると思います」

クラウドファンディングで得た資金は、ウイスキー蒸留所の運営資金に充てられる。この事業が成功すれば、西堀酒造では持続可能な経営体制が確立し、雇用創出も期待できる。

READYFORでのクラウドファンディングプロジェクト「栃木発。日本酒蔵よりこだわりのジャパニーズ・ウイスキーを

酒づくりに新たな視点を与え、変革をリードする西堀さん。西堀さんは現在、日本酒の新たな価値創出にも取り組んでいる。そのひとつが、業界横断で取り組む持続可能な酒づくりプロジェクト「SAKE RE100」だ。これは酒づくりに必要なエネルギーを太陽光発電などの再生可能エネルギーで補い、売上の一部を環境保護に還元するプロジェクトだ。実際、西堀酒造では前述のILLUMINAのLED照射のエネルギー源を太陽光発電で補うなど、醸造工程の一部を再生可能エネルギーに切り替えている。

このような取り組みは、西堀さんのように家業を継承する若手蔵元にも呼応し始めている。業界、なにより日本酒の未来のために、西堀さんは挑みつづける。

「日本酒は同じ醸造酒のワインとよく比較されますが、その製法はかなり異なり、米と水だけではなく、その後の人の技術力にも大きく依存しているものです。日本酒は風土と水、そして人のひとつが欠けても成り立たないものです。そう考えるなら、環境やエネルギー、そしてステークホルダーへの配慮は欠かせないものです。そして、忘れてはいけないのが日本酒という文化と歴史です。それをいかに繋いでいくかが私の役目です。だからこそ、新たな価値訴求や製造のあり方、持続可能性は今後も探求すべきことだと思っています」

関連記事
ITエンジニアが酒蔵を継承!西堀酒造6代目のキャリアとは<Professional 7rules>

(取材・文・撮影:川島大雅

presented by paiza

Share