はじめに、筆者は人に自慢できるようなキャリアは持ち合わせていない。新卒入社で入った不動産屋は1年弱で辞めて、ワインのインポーターで飲食店向けの営業でも鳴かず飛ばずで、毎日のようにマネージャーに詰められて2年で辞めた。その後小さな広告制作会社に入り、一応取締役までになったが、結局プレーヤーの方が向いていると思って、独立し今に至る。
本コラムでは、今春入社を控える新社会人に向けて、主に筆者の会社員生活での失敗を元に、映画を紹介したい。
今後社会に出ると、良くも悪くもさまざまな経験をする。そういった折々で筆者が観た映画を5作品選んだ。有名な映画も含まれるが、それぞれ社会で生きていく際の心の持ちようとして役立つものになると思う。慌ただしい日々が始まる前に、または仕事で悩みごとが生まれたときに、ぜひ一度鑑賞してみるのはいかがだろうか。
目次
「正しさ」に悩んだときに(『グリーン・マイル』)
監督:フランク・ダラボン
出演:トム・ハンクス、デヴィッド・モース、ジェームズ・クロムウェル他
配信:U-NEXT、TELASAで見放題配信、Amazonプライムでレンタル配信(※2023年3月31日現在)
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「正しさ」は時折、正誤の二元論的に語ることはできない。とくに会社という組織に入ってからというもの、その流動性に辟易することが何度かあった。それは、組織というのは人間の集合体であることに起因しているためで、定性的な「正しさ」は明確な判定基準が存在しないことが多いためだ。そのような葛藤はきっと一生続いていくことだろうし、それによって生まれる後悔もきっと増えていくことだろう。
前述の通り、筆者は小さな広告制作会社で取締役をしていた。前任であり、筆者にイロハのイから仕事を教えてくれた前任の先輩が辞めたため、その後釜として就任した。そのころは社長との反りが合わなかったことが理由と考えていたが、それだけが原因でないことを、就任後に理解した。コロナ禍全盛に就任し、少なからず会社の立て直しを行った。幸いなことに、その後の広告需要のより戻しもあり、一定の成果も上げることができた。しかし、社内に根本的な変化をもたらすことはできなかった。
今では就職活動のスキームにインターンが組み込まれているので、このようなことを思うことは少ないかもしれないが、会社に入ってみると明らかに陳腐化している制度やシステムがまかり通っていることがある。
そして、皆それに気づいていて、愚痴を言い合いながらも、非効率なルールに甘んじている。その理由は大抵「前からやっているから」や「この仕組みを作ったのが○○(役員や上長)だから」、「とりあえずこれで仕事が回っているから」といったもので、大した合理性はない。どちらかといえば、変化することへの心理的抵抗のほうが大きいのだ。
結局、筆者は組織に何の変革をもたらすこともできずに退職する。新しいことへに積極的な機運を醸成しようと筆者が採用に関与した、新卒社員を含む若手人材の多くは、筆者が辞める前に辞めていった。
2つの方向に、申し訳ないと思った。1つは筆者の先輩に。同じ立場になって、初めて分かった。愚痴や不平不満を吐いていた割に、自分自身ではなんのアクションもとっていなかったこと、それがいかにストレスになっていたか、辞めるときに振り返って気がついた。
2つ目は、社員に対して。自身の至らなさのせいで、社内には本当に迷惑をかけていたし、結局誰も得しない施策しか行えなかった。辞めていった社員にとっては、自身の経歴に何らプラスにならない期間を過ごさせてしまったかもしれない。
働くということ、極論をいえばアクションを起こすということは、人に影響を与えることである。そして、それは時折、相反する結果を招くこともある。そういった「正しさ」の揺らぎに悩んだときには、ぜひ本作を観てほしい。
この映画は世界恐慌時のアメリカを舞台にした「処刑人の立場から見た救世主の受難」といえる。刑を処すことを職務とする主人公であるが、受刑者は救世主であり、数々の奇跡を目の当たりにする。
しかし、そのような奇跡を見たのは自分とその関係者のみで、世間の目は幼い姉妹を殺めた殺人鬼として、憎悪の対象としている。主人公の葛藤、そしてその選択の先にある結末は、社会人として生きていくこと、「正しさ」に悩み続けることへの内省を深めるきっかけになるに違いない。
仕事に依存し始めたときに(『ポンヌフの恋人』)
監督:レオス・カラックス
出演:ドニ・ラヴァン、ジュリエット・ビノシュ他
配信:Amazonプライム、FOD Premiumでレンタル配信(※2023年3月31日現在)
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もしかすると、このような悩みを持つことは、数年先になるかもしれない。筆者は職を転々としているものの、仕事は好きだ。だからこそ、会社を辞めて独立することにした。業務を覚えていくにつれて、あるときから成功体験が飛躍的に増えていく時期がある。おもしろいように結果が出て、社内外からの評価も高まっていき、これまで悩んでいたことに即座に答えが出せるようになる。
そういった段階になったときに、今までのキャリアで結果が出せずに苦労した人間ほど、仕事に依存しやすい。筆者がそうだからだ。だからこそ、原稿がすでに遅れている午前5時に、書き慣れない映画コラムというお題を提案した自分自身に文句を言いつつ、粘り腰で原稿を書くことができているのだろう(すみません)。
ただし自身の経験則からも注意すべきことは、会社という組織における「仕事依存系人材」は、結果を出していても人に迷惑をかけることが多い。依存状態というのはある意味で視野狭窄に陥っている。そして、自身の視野を狭めているものこそ、これまで築いてきた成功体験と自信にほかならない。
前述の通り、率直にいって筆者は取締役としては能力不足であったし、自身のマネジメント能力も低かった。好きだからこそ、自分の仕事を手放せない。そして、心の底では「自分の仕事は自分しかできない」とも思っていたし、成功体験が新たな成功体験を呼ぶような状態を、みすみす人に譲りたくなかった。かなり困ったムーブをしていたと内省している。
1つだけ安心してほしい。「ポンヌフの恋人」には、そのようなワーカホリックな人間は出てこないし、主人公はパリの橋の下で生活するホームレスの男性だ。本作品は、自暴自棄な生活を送る主人公が、眼病を患い人生に絶望した画学生の女性と恋に落ちるラブ・ストーリー。内容はフランス映画よろしく難解な心理描写とゆったりとしたストーリー進行であるものの、芸術性の高い情景描写は素晴らしいの一言に尽きる。
なぜこのような映画を紹介したのかといえば、恋愛も仕事も、過剰な依存は当事者だけではなく、周囲も傷つけてしまうことに自覚すべきということを伝えるためだ。とくに「好き」を仕事にした人は注意されたい。ライフワークといえる仕事に出会えることは幸福で、寝食を忘れるほど打ち込めるものを持つことも、人生を豊かにする1要素となるだろう。
しかし、愛情はときに人を蝕み、自身のエゴが人の可能性をつぶすこともある。そういった意味で、愛情とは呪縛となってしまう。社内の六条御息所になる前に、少しだけ休みを取って仕事から離れてみてもいいかもしれない。
そして、まとまった休日の2日目に、本作を鑑賞してみてもらいたい(エンタメ性より芸術性を追求しているため、少し根気がいる作品だから)。
立ち位置に悩んだときに(『ロード・オブ・ザ・リング』3部作)
『ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔』(2002、ニュージーランド・アメリカ)
『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』(2003、ニュージーランド・アメリカ)
監督:ピーター・ジャクソン
出演:イライジャ・ウッド、ヴィゴ・モーテンセン他
配信:Amazonプライム、huru、U-NEXTで見放題配信、dTV、TELASA、ひかりTVでレンタル(※2023年3月31日現在)
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筆者が今の立場でこのようなことを書くのは説得力がないかもしれないが、会社という組織で働くことは多くのメリットがあると思う。人が集まり、共に1つの目標に取り組むからこそ、大きな規模で仕事ができ、歯車の噛み合った状態でそれぞれが機能しているとき、思いもよらない相乗効果が生まれることがあるためだ。
しかし会社に入ったばかりのころは、そのような組織のダイナミクスを感じることも少ない。どちらかといえば最初はできることが少ない、貢献できていない自分の立ち位置に辟易してしまうこともあるだろう。とくに人的リソースの少ない中小企業やスタートアップに入った場合、自分の仕事を自ら見つけにいかなければならない場合もある。
ここでもわかる通り、社会人になってから仕事を覚えるまでの時期が、ある意味会社員として一番大変な時期なのだ。今やっているプロジェクトの全容もわからない、自分がどれほど役立っているかもわからず、しかも何かと怒られる。自身の能力と立ち位置の不明瞭さは、非常にストレスになる。
筆者が広告制作会社に入社した当時、案件の詳細も知らされないまま取材の仕切りを任され、案の定なにもできずにライターとカメラマンにしこたま怒られたこともあった。今ではいい思い出だが、当時は本当に心が折れかけていた。
そういったときによく観ていたのが、「ロード・オブ・ザ・リング」3部作だった。かなり知名度も高い冒険ファンタジーなので詳細は省くが、本シリーズの着目すべき点は「主人公の弱さ」にあると筆者は考えている。
ホビットという小柄で純朴な種族である主人公は、戦うことも得意でなければ、強い精神力を持ち合わせているわけでもない。ことあるごとに心は折れるし、誘惑にも負ける。それでも旅の仲間が支え、最後には旅の目的を完遂する姿が、現実社会にいる人間像を克明に描写しているように思えるのだ。
組織のなかで、私たちは本シリーズの主人公でもあり、旅の仲間でもある。どんなに優秀な人でも弱いところはあり、一方でどんなにできることが少なくとも、なにかしら支えることもできるのだ。
そのためには、タスク単位ではなく、自身がすべきロールをベースにプロジェクトを観察し、折を見て上長に相談してみるとよいかもしれない。そういったアクションがきっかけとなり、思いもよらない相乗効果が生まれることもあるからだ。
本当に理不尽なことあったときに(『ハンニバル』)
監督: リドリー・スコット
出演:アンソニー・ホプキンズ、ジュリアン・ムーア他
配信:dTV、Netflix、huru、U-NEXTで見放題配信、Amazonプライム、TELASAでレンタル配信(※2023年3月31日現在)
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残念だが、働いている中で理不尽と出会うことはある。ここでのエピソードは機密情報にあたる可能性があるので詳細は語れないが、これだけコンプライアンスやガバナンスの重要性が叫ばれている現代でも「保身のために明らかに矛盾した言行をする人」とたまに出会うことがあるのだ。
「そこは、どこでも見られるように、大きな世界の小さい縮図であった。(中略)鼻息の荒い尊大さと、愚鈍な軽率さとが、ずいぶんたびたび同じ屋根の下でいざこざを起こしていたので、私たちの生活は、人間性の奥底と喜劇をうかがわせるに十分な場所となった。」
『郷愁(ペーター・カーメンツィント)』(1956年、ヘルマン・ヘッセ著、高橋健二訳、新潮社)※原文初版は1904年
100年以上前にドイツで刊行された小説の一節を唐突に引用したのは、人間の集団がどのようなものかが如実に表現されていると思ったからだ。我ながらひねくれた考え方だとは思うが、いくらテクノロジーが進歩し、会社や組織のあり方がスマートになったところで、その組織を形成する人間のそもそもの機能はアップデートできない。
人間関係の上で起こる理不尽なことは、マクロな見方をすれば、紀元前から始まる人類の歴史であまりにもありふれた話だ。法律や制度を整備し、テクノロジーによる監視などを強めたところで、理不尽を完全に駆逐することなどできない。
ただし理不尽なことをされたときに腸が煮えくりかえることもまた、人類史上で変わることのない心理的作用だろう。いくらその出来事が丸く収まっても(揉み消されても)、自身のなかで生じた激情を鎮火するには時間がかかる。そんなときこそ、筆者は「ハンニバル」を激奨したい。Netflixのドラマではなく、2001年公開の映画だ。
事前情報として、本作は猟奇殺人鬼でありながら精神科医という表の顔を持つ、ハンニバル・レクター博士という人物を主人公としたサイコ・ホラー映画「羊たちの沈黙」(1991)の続編だ。アンソニー・ホプキンズ演じるレクター博士は非常に紳士的で、高い知能と教養を兼ね備えているが、世にはびこる無礼な人間を殺し、その肉を喰らうという異常性を持つ人物だ。
本作は全体を通して、人間の悪意を詰め込んだような内容になっている。グロテスクな描写もあるため苦手な方には視聴をおすすめしないが、だからこそ、レクター博士の猟奇性が不思議とスカッとしてしまう。理不尽に対して、あまりにも苛烈な仕返しをする一方で、知性と品位を失わない非常にスマートなサイコパスであることも魅力だ。
基本的に、人々は善良であるし、その行動は自身の良心に基づくものだ。腹立たしいことに、理不尽なことをしてきた人間であっても、100%悪意を持って行うものは意外と少ない。少なからずの事情は持ち合わせているからこそ、泣き寝入りせざるをえない状況にしているため、心の処理としては、非常に質が悪いのだ。
そんなときこそ、極端な映画を観ることをおすすめしたい。本作もかなり極端な構図でストーリーが進んでいくが、私たちはそういったストーリーによって自身の感情を整理し、気持ちの落としどころを見出すのだろう。
自分が想像以上に無能だと気づいたときに(『学校Ⅱ』)
監督:山田洋次
出演:西田敏行、吉岡秀隆他
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元イギリス首相のウィンストン・チャーチルは「成功とは、失敗を重ねても、やる気を失わないでいられる才能である」といった。しかし、失敗や挫折というものは、堪えるものだ。失敗は、始めたときほど起こすもので、挫折感は前向きに捉えれば、成長の糧になる。
しかし、それは挫折を乗り越えた人々の語る経験則であり、客観的に語られる話だ。主観的には、挫折感はつらいし、自尊心もひどく傷つけられるだろう。
筆者は3回会社に入り、3度とも挫折感を覚えたが、なかでも一番強かったのは、やはり広告制作会社に入ったときだった。好きなことを仕事にしたいと思って入ったが、入ってみると仕事のやり方もわからず、文を書かせてもらってもダメ出しの連続だった。前述の通り、ライターやカメラマンに怒られることも多々あった。入社してから1年半ほどは、自分の至らなさに、悔しさを通り越して悲しささえ覚えていた。そんなときに思い出したのが、「学校Ⅱ」だった。
山田洋次監督が教育問題の現状に切り込んだ「学校」シリーズの2作目である本作は、養護学校を取り上げている。障がいを抱えながら、自立を目指す生徒たちの努力と葛藤、そして社会から向けられる障がい者への眼差しをシビアに描いた作品だ。
なかでも、筆者の印象に残るセリフがある。本作の主要人物の1人で、軽度の知的障がいを持つ高志(吉岡秀隆)が、実習先のクリーニング工場で職場に馴染めずに戻ってきたシーンで発した言葉だ。
「先生、俺もっとバカだったらよかったなぁ。だってわかるんだ。バカだからなかなか仕事が覚えられなくて、計量も間違ってばかりいて、みんなが俺のことをバカにしているのが。」
この映画を初めて見たのも小学生のときで、たしか夏休みか冬休みのころの「午後のロードショー」だった。当時は咀嚼しきれなかったが、大人になり、あらためて見返して涙が出た。
高志の抱える苦悩と、当時の筆者のつらさは違うものだろう。しかし、そのときにはあまりにも自信をなくしていたので、自分の一挙手一投足が間違っているように感じていた。そして、だんだんと人が自分を見る目や、掛けてくれる言葉が皮肉じみているように思えるのだ。
誰にでもスランプはあるし、本当に卑屈になってしまうこともある。しかし、人は思った以上に親身に手助けをしてくれるもので、なんとか立て直すことができた。長い人生のなかで、つまずいたり、脇道にそれてしまうことは、決して無駄な経験ではないだろう。むしろそうやって再び立ち上がったという経験が、後の人生で大きな自信ともなる。
「無知の知」という言葉がある。自分自身が思った以上に無能だと思えたときこそが、人にとっての出発点なのかもしれない。その瞬間から築き上げたものこそが、本当の意味での自信となるのだろう。
フィクションから得られる示唆
今回、筆者はあえてビジネスを舞台にした映画は選ばなかったし、なかにはかなりニッチな作品も取り上げている。ただし、これらの映画は筆者自身が社会に出て、困ったときに観て、なにかしら救いになった映画だ。
自身と似たような立場にある人が奮闘する映画に共感を覚え、自身も奮い立たされることもあるだろう。現に自身も不動産会社で(ポンコツ)営業をしていたころは、「ウルフ・オブ・ウォールストリート」(2013、アメリカ)や「幸せのちから」(2006、アメリカ)をよく観ていたものだ。
しかし、休日やプライベートな時間で仕事と近いものを観て、仕事のことを考えることが嫌になるときがある。「仕事がうまくいっていないときほど遊べ」と言われたことがある。挫折感を味わっているときほど、視野が狭くなっていることが多い。仕事から離れてみる時間も必要だということだ。だからこそ、今回はあえて仕事から離れつつも、「示唆」を得られる映画という趣旨で選んだ。
どんな映画であっても、正解や方法論を与えることはないと筆者は考えている。しかし、映画を含めた芸術作品は、現実社会を抽出し1つのストーリーとして昇華させたものであるといえる。
作品は解決策を与えない、その代わりに示唆を与える。そこから何を感じえるのか、何を学びとるのかは、観る側に委ねられている。ただし、そこから得られたインスピレーションや感動が、背中を押してくれることもある。行き詰まりを感じたときこそ、映画に身を投じてみるのもよいかもしれない。
(文:川島大雅)