より自由に、多様なキャリアを歩めるようになった現在。そこには数多の選択肢があり、そこに明確な正解は用意されていない。では、プロフェッショナルたちはキャリアの岐路に立ったときに何を思い、どのように決断したのだろうか。プロフェッショナルたちにキャリアの決断を聞く「Career Decision」。今回は、ゴールドマン・サックスやREADYFORなどで活躍し、現在株式会社ログラス(以下、ログラス)で開発本部長 / 事業執行役員 VPoEを務める伊藤博志氏に話を聞いた。

伊藤 博志氏
株式会社ログラス 開発本部長 / 事業執行役員VPoE
ゴールドマン・サックスのテクノロジー部に新卒入社後、同社の基幹システムの開発に従事。その後、VP/Senior Engineerとしてプラットフォーム開発に携わり、同社発のJavaのOSSであるEclipse Collectionsのコミッター兼プロジェクトリードやOpenJDKへのコントリビュートを行うなど、OSS戦略を牽引。スタートアップ2社を経て、READYFORに入社し執行役員VPoEに就任。同社のエンジニア組織の10名から30名規模への成長、決済基盤の刷新や、技術的負債の返済、新規プロダクト開発を牽引。2022年10月に株式会社ログラスの開発部へエンジニアとして入社。エンジニアリングマネージャー、VPoEを経て、2024年6月より開発本部長/事業執行役員VPoEに就任。
目次
キャリアの選択の根底にある「ものづくり」への思い

「エジソンになる」
伊藤氏が思い描いた夢であり、ものづくりの原点。それは、小学生のときに図書館で開いた歴史漫画だった。トーマス・エジソンの発明家としての人生に魅了され、いつか自身もものづくりによって、これまで世界になかった新しいものをつくっていきたいと思った。
「私が小学生のときは第一次ミニ四駆世代で、低学年のときからミニ四駆を改造しては大会に出て、負けてはまた改造してより良い機体をつくっていくのに熱中していましたね。昨日までになかったより良いものができていくのが楽しくて、そういった意味では手を動かすものづくりの原点はミニ四駆ですね。一方で、将来のロールモデルになったのはエジソンで、いつか発明家になりたいと憧れていたんです。なので、将来ものづくりを学んでいくことは既定路線で、その思いのまま大学も電気電子工学科に入りました。ただ、そのときはどちらかといえばハードウェアの方に興味があったので、将来もそっちに行くかと思っていました」
大学進学後、伊藤氏はプログラミングに深く携わり始めた。ハードウェア、ソフトウェア両方に触れるうちに、プログラミングを用いたものづくりの深みを知っていった。
「大学4年から大学院にかけては、コンピュテーショナル・ニューロサイエンス(計算論的神経科学)の領域を専攻していました。これは脳の回路をシミュレーションするプログラムを構築するものでした。その他にも研究室のサーバーを管理したり、その情報共有のシステムをつくったりもしていたので、そういった経験がシステムづくりの原点になっていきました」
そして、大学院修了後に伊藤氏はキャリアの出発点を、ゴールドマン・サックスに決めた。新卒入社する企業はキャリアとしても非常に重要なものだが、ここに一つの疑問が生じる。これまでの話を聞くと、伊藤氏のキャリア形成の原点は「ものづくり」がキーワードに思える。なぜ同社への入社を決断したのだろうか。率直な疑問を伊藤氏に投げかけた。
「こう話してもあまり共感されないかもしれませんが、私は『ものづくりがしたいから』ゴールドマン・サックスに入社することを決めたんです。新卒の就活の軸は3つあって、基本は『ものづくり』で、 ソフトウェアでなんらかをつくりたいと思っていました。残り2つが『つくったものが使われて、しっかりとフィードバックを得られる環境』であること。そしてもう1つは『多様な人がいるインターナショナルな環境』でした。これが満たされる環境は当時としてはほとんどありませんでしたが、 唯一見つけたのがゴールドマン・サックスだったんです」
同社の説明会に参加したのは「たまたまだった」と伊藤氏は述懐する。しかし、そこでの話はあまりにも魅力的で、伊藤氏の志向する環境にマッチしていたという。
「ゴールドマン・サックスは、社内システムを自社内ですべて開発しています。当時は8000人ほどの世界各国の優秀なエンジニアが働いていて、社内のトレーディングシステムや会計のオペレーションシステムの開発を担っていました。自社ソフトウェアでものづくりができ、つくったシステムのユーザーが社内にいるので、フィードバックがダイレクトに得られる。しかも職場はインターナショナルな環境です。『もうここしかないじゃん』って思いましたね(笑)」
ゴールドマン・サックスからスタートアップへ。その決断にある思い

ゴールドマン・サックスでの日々は、伊藤氏が当初予感した通り、充実していたという。
「入社して最初につくり始めたのは、トレーディングの管理会計のアプリケーションでした。それがとてもおもしろくて、ものづくりにひたすら没頭していましたね」
伊藤氏は自身を「基本的に飽き性」というが、同社での日々は刺激に溢れていた。配属されたチームは社内でも大規模であり、世界各地に点在する拠点からエンジニアが集まっていた。さまざまな人材と働き、自身としてもいろいろなポジションから開発に携わった。
「はじめは東京、インド、ロンドン、ニューヨークで、年を経るにつれてアジアが拡充されていき、香港やシンガポール、上海もできて。チームのグローバルさがどんどん拡充されていく中で、いろんな国の人たちと一つのシステムをつくっていく。まさに多様性の塊で、とてもおもしろかったんです」
最初の10年は会計管理のアプリケーションの開発に携わり、その後の2年はプラットフォーム開発を担った。転機となったのは、ゴールドマン・サックス初のOSS「GS Collections」など、同社のOSS戦略に携わったことだった。
「ゴールドマン・サックスのOSSを日本のエンジニアに知ってもらうために、そのとき初めて日本のコミュニティに入っていきました。それまでは会社の中でしかエンジニアの交流がなかったので、ある意味『グローバルだけど外の世界は知らない』という状況でした。それで日本人のJavaコミュニティのイベントに登壇したところ、皆さんびっくりするほど優秀だったんです。登壇している人たちのレベルの高さだけではなく、講演を聴いている一般のエンジニアの方々から、非常に深い質問が多数投げかけられたことにも衝撃を受けましたね。ただ、話を聞いてみると、コミュニティではいきいきと活動している一方で、日常の業務の中ではあまり楽しめていない方々も散見されました」
コミュニティでの交流から、日本の優秀なエンジニアが活躍しきれていない状況を、もったいないと思う気持ちが込み上げた。伊藤氏には、キャリアの岐路が生まれていた。
「私にとって、ゴールドマン・サックスの開発組織はとても理想的な組織でした。チャレンジングなこともできるし、世の中の金融を動かすという意味で、とても意味のあることをエンジニアリングの力で実現していて、かつエンジニアリングでさまざまな物事を変えられるというおもしろさがありました。そのような環境でキャリアを5年、10年と積むにつれ、150年という長い歴史が組織に与えている影響の大きさを知り、ゴールドマン・サックスのような強い開発組織を自らの手でつくってみたいという興味がわくようになっていました。そんなとき、日本の技術コミュニティで生き生きと活動する優秀なエンジニアが日常の業務では実はやりがいを持てていないケースも多いことを知り、優秀なエンジニアたちがもっと世の中にインパクトを与えられるような世界観をつくっていければと思うようになったんです。その思いは、現在VPoEを務めるログラスでも変わらず持ち続けている思いです」
伊藤氏はこうして、日本のスタートアップ畑へと向かうことを決めた。しかし、ゴールドマン・サックスはいうまでもなく金融業界で世界を牽引する企業であり、環境や待遇もまた世界随一の水準だろう。その決断には、勇気が必要だったのではないか。率直な疑問を投げかけると、伊藤氏は「そこに迷いはなかった」という。
「勇気というと、私にはあまりそんな気持ちはなかったですね。自分にとって『そろそろ、そんなときがきた』という感覚に従い、思いのままに飛び込みました。ただ、やり始めてからこれまでの環境とは違う刺激にあふれていたので、『やばいところにきたな』と思うこともありましたが(笑)」
ものづくりの原点が、決断の羅針盤となる

その後、伊藤氏はスタートアップ3社にて、FinTech系のサービス立ち上げの開発テックリードや、会計系SaaSの開発組織戦略、クラウドファンディングサービスにおける決済基盤の刷新や新規プロダクトの開発を牽引した。新卒から一貫して「お金の流れ」にまつわる事業やプロダクトの開発に携わってきたことは、伊藤氏にとってはどう言う意味があったのか。
「もともと各転職の際に意識していたわけではなかったのですが、毎回なぜか自然とお金の流れにまつわるサービスにたどり着いていました。お金という存在は、人々がやりたいことを実現する上で根源的なリソースであり、そのリソースが世の中の隅々まで行き渡ることで、誰もがやりたいことを実現できる世の中を作る。キャリアを推し進める中でそんな世界観を実現したいという気持ちに少しずつ自分のビジョンが傾いていった感覚があります」
しかし、お金の流れの仕組みを作るだけでは必ずしも世の中の隅々にそのリソースが行き渡るわけではない。
同時にその実現のためには、入口となるお金の総量も増やすことが重要で、社会全体で「良い景気」をつくる必要も感じた。そのような考えが交錯する中、伊藤氏はログラスの代表取締役CEO布川 友也氏の言葉を聞いた。
「自身としてのネクスト・ステップを考えていたとき、布川が『日本企業の時価総額を10%増やす』と話しているのを聞きました。ログラスが取り組んでいる経営管理というドメインは、まさに私がゴールドマン・サックスで取り組んでいた領域と同じで、その重要性は身にしみて知っています。私はまさにリーマン・ショックのときに同社に在籍していました。当時、社内の管理会計アプリケーションが会社のキャッシュの増減をリアルタイムでしっかりと把握できたため、ゴールドマンサックスは幾重もの危機を生き延びています。経営管理はまさに経営に機動力を与え、危機に強く迅速な意思決定により事業の成長を加速させるものです。そして、日本企業の時価総額を増やし、「良い景気」を作る起点となる。そうなれば、世の中の人々はもっと自由に、やりたい世界観を実現できるのではないかと考えました。そして、それをプロダクトによって実現していくことは、エンジニアとしての私にとって、非常に魅力に感じました」
伊藤氏は、ログラスのミッション「良い景気を作ろう。」に共感し、また同社プロダクト「Loglassシリーズ」の開発によって、社会全体に変革をもたらすことを決意し、入社した。VPoEに就任し、組織づくりを進める現在、見据えるのは「Loglassシリーズ」が世界全体にインパクトをもたらす未来だ。
「ログラスには私が入社した時点で15名のエンジニアが在籍していましたが、現在は倍以上の人数になっています。しかし、私たちのポテンシャルはもっと大きい。ログラスは会社としては1000人を超える規模の会社になるポテンシャルを持っており、エンジニア組織だけで1000人を超えるほどになってもおかしくないビジネスドメインだと思っています。私たちが日本からグローバルにインパクトを与えられるような開発組織になっていくだろうと思っていて、その実現のために、現在組織づくりを進めています」
ものづくりによってこれまでにない世界をつくる。ログラスの未来を見据える伊藤氏の眼差しは、まさに「エジソンになる」と掲げた少年時代のままの輝きを見せていた。キャリアの岐路に立ったとき、その決断の根底には、自身のものづくりの原点が羅針盤となっている。
「キャリアの中で決断を下すときに基準になったのは、やはり自分が思い描く世界が実現できるかどうかだと思います。少年時代からエジソンになりたいと思うくらいなので、『電球を発明したときのような、社会的にインパクトのある何かをつくりたい』という衝動が根源にあると思います」
最後に、まさに今キャリアを形成しようとしている若手エンジニアにとって大事にすべきこと、取り組みべきことは何かを、伊藤氏に聞いた。
「『自分の興味に従って動け』。 私はこれに尽きると思っています。ことエンジニアに関しては、遊ぶようにものをつくっていたら自然とそれをどう良くしていくのかも突き詰めて、そのために何が必要なのかも考えるので、そのプロセスが大切です。『これをやっておけ』というものは、基本的にはないと思っているんです。エンジニアとして根源的な欲求に従っていたら、自然と必要なものはついてくるし、それが一番成長すると考えています」
(取材/文/撮影:川島大雅)
