嫉妬は自惚れから始まる。

なぜならば、相手に対して「自分のほうが」という無意識な対抗心から生まれるからだ。つまるところ、相手の優位性が顕著な場合、同じフィールドにいる場合でも何一つ嫉妬は生まれない。

今回の取材はまさにそんな時間であった。それは考え方や実績だけでなく、取材の1時間で感じた人柄の良さも影響しているのは間違いないだろう。

大手メガベンチャーで編集責任者をしているまむし氏は、編集・執筆業界では名の知れた有名編集者だ。本業で圧倒的な成果を出しながら、編集や執筆に関する講座などにも登壇し、その信頼は厚い。

まむし氏の編集論などはTwitterでも確認できるが、今回は彼の今日までの生き方や考え方に迫ってみた。

編集者のルーツは幼少期に

まむし氏は医療系IT企業に勤めている。2つのメディアの編集責任者、ほか編集者として、複数媒体に携わっている。

編集長業務は10年ほどしており、一児の父親でもある。オフ活動としては編集講座の開催や編集組織に悩む人の相談にも応じる忙しない日々を送っているが、その表情は明るい。

「会社がほぼフルリモートなので、基本的に毎日保育園と家の往復です。毎朝私が保育園に送って、奥さんが迎えに行ってます。仕事が終わったアフターシックスくらいから、子どもと過ごして、21時以降くらいから個人的な活動として講座をしたり、noteを書いたりしています。土日は子どもと公園に行ったり、のんびり過ごしていますね」

現在第一線で活躍し、同業の私からしても尊敬の念を抱くまむし氏だが、編集者のルーツは幼少期にあった。

「私の母はライター/編集者と市民団体の代表をやっていて、取材を受けることも多い人でした。

大手の新聞社や雑誌の取材を受ける機会も多かったのですが、事前のチェックなく載った掲載物を見て、今回の記者はあんまりだったとか、言いたかったことがまったく伝わらなかったとか、そういったことを家で話していました。

あんなに頑張っているのに、こんな記事になっちゃうんだ……と落胆していたこともあって……」

もちろんよいこともたくさんあったとは思うが、幼少期に見た親の苦悩は私も脳裏に残っているので、非常によくわかるエピソードであった。

「本来伝えたいことじゃないことでメッセージングされちゃったりして。そういうのを横目で見ていて、編集ってすごく難しい仕事というか、担当者によって質のばらつきの大きい仕事だなと思っていました」

こう聞くと、逆に編集者になんてなりたくなくなるのではとも思い、それも伺ってみた。

「興味はありましたが、自分にできる気がしなかったです。影響力が大きい仕事だから、自分ごときがやっちゃいけない仕事みたいに思っていて。でも、新卒で入社した会社で偶然、記者職(ライター)になりました。日報が褒められて異動になったんです。

その後、編集者に移り今にいたっています」

運命の歯車とはまさにこのことか。偶然巡ってきた仕事が記者でその後編集者へ。母親の経験を見ていたからこそ腹をくくったわけだ。

楽しさと息詰まりを感じた記者時代

医療系の記者となったまむし氏は、毎日のように厚生労働省で記者会見に参加した。会見記事を書いたり、病院に取材しに行ったり、現場で起こっていることを毎日記事にする仕事を3年ほど経験した。

「結果としてはすごく楽しかったです。2010年当時はネットニュースなんて、伝統的メディアの人たちからすればB級の極みみたいな、下に見られている時期でした。

でも逆に、その時期にネットの可能性を感じていた新聞記者たちがネットニュースにもいまして。先輩たちは今考えても優秀な人たちで、医療トピックについても詳しいし、執筆も速い。

あの取材からこう原稿になるんだといういい意味での驚きも多い日々で。僕にとって記者として過ごした最初の2年くらいは、とても充実した日々でした」

しかし、3年目からまむし氏は行き詰まる。それはよい意味でも悪い意味でも経験による判断が影響していた。

「こういうネタが跳ねるとか、こういう記事がヤフトピに載るだろうなみたいな肌感が付いてしまい、仕事をこなせるようになっていたんです。

一方で、『PVが高いからってなんなの?』と思う自分もいて。PVは稼げないけど、いいこと言っている記事もあるよなと。その間で揺れ動いて悩む時期に突入しました」

合わせて、尊敬する優秀な先輩たちが転職していった。媒体の価値判断や問題意識に関して、経営陣との認識のズレなども重なった。

そんな中で、問題意識をもっと活かせるような環境で働いてみないかと誘われ、今の会社への転職を決めた。しかし、転職時は決断に迷った。

「もともといた会社に退職意向を伝えた際、他社から声をかけられていることを上司にぶっちゃけまして。

そしたら、今の会社でできることがあるだろうとか、経営コンサルをつけるからその人から学んでみたらどうかとか、提案もしてもらえました。

たしかになと思った部分もありましたが、とはいえ当時3年目で、僕ができることや、この環境で学んで伸びる伸びしろってそんなに大きくないなと思いました。

あとは、既存の編集メンバーたちがあまり変化を望んでないというか。総合して考えると、正直この会社ってこれでいいんじゃないかなと思って。

その環境でやるよりは、歓迎してくれる環境でやったほうがみんなハッピーでしょと最終的に思って、今の会社に決めました」

0からのメディアスタートと外部に頼るまで

晴れて転職したまむし氏、と言いたいところだが。なんとメディアがない状態からのスタートだったそうだ。

「メディアというか、コンテンツを載せる場所が一切ありませんでした。記事を作ったことすらない会社だったので。

まずそれを作らなきゃいけなくて、すごく大変でした。

そもそも載せる場所がないから、取材をしようにも、掲載のイメージを取材相手に伝えられない。「どう載るんですか」と言われて口で説明する、みたいな(笑)。

かつROIに厳しい会社なので、記事を載せる場所を会社に認めさせるのにも苦労しました」

一社目での経験が豊富と言ってもまだ社会人3年目であるため、ビジネスモデルを描いたり、マネジメントしたりするには相当の苦労があったことは容易に想像ができる。

また元記者という手前、校閲力が身についているので人の原稿に対して目についてしまった。この気持ちは同業者あるあるでとても共感する。

すべてを0から築き上げる奮闘は3年にも及んだ。

「0から築き上げる仕事はつらいこともありましたが、なんだかんだ言って会社には優しくしてもらえていて。上司も理解があって、徐々に編集者も増えていきチームができあがっていきました」

しかし、このチームづくりも未経験だったため、正社員の登用という一本打法となっていた。つまり外部に頼るということをしていなかった。

「当時は人が増えたら部署が大きくなって、媒体も大きくなってハッピーくらいに考えていました。最初の3年くらいは正社員をいかに増やすかばかりを考えて、いかに自分の仕事が大変かをアピールして、『人手不足』を理由に正社員を増やしまくっていました。でもだんだん内部人員だけでなくて、外部の人にどう頼ることも考え始めたのが4年目以降ですね」

メディア運営者であるならば、コストコントロールとは切っても切れない間柄である。月により記事の納品数が変動する企業のメディアならば、リソースの過多・不足ともにリスクに直面する。

「営業部門が、記事広告の受注を取ってくるのですが、いきなり来月何十本みたいなのがバーンと飛んできたりとかして、そのたびに内部が疲弊する事態が何度もありました。逆に毎月何十本もつくれる体制を正社員でつくろうと思ったら、結構な人数が必要ですが、一方で閑散期もある。

そうすると契約ライターさんを増やして、変動する本数に対応できる体制をつくったほうが合理的だと。これに気づくのに時間がかかりました。内外それぞれの強み・弱みもあるので、その采配も日々の業務で学んでいきました」

経験に培われた今の組織

さまざまな経験の上に成り立つ現組織についても伺った。まむし氏の指示系統にあるのは約20名。その20名を経由して個々のライターとやり取りをしている。

合わせて組織の意思統一、価値観統一を図るため、定期的に自社ライター向け講座を開催している。

「こういうタイトルが響くよとか、向こう3か月間、うちの媒体の読者ではこういうことが毎年トレンドになっているとか。そういうのはマス向けに講座をしたり、YouTubeで共有したりして、契約しているライター全体と、個別のライターへの発信を分けてやっています」

初期の苦労の甲斐もあり、非常にスリムで健康的な組織になったことが伺える。

では、現在のメディア運営は何を目標として未来へ歩みを進めているのだろうか。

「会社からは、昨対比130%成長くらいを常に達成し続けなければいけないという目標が当たり前のように課せられます。純粋に、それにかじりつくのは大変です。媒体の図体が大きくなってくると、とくに。

あと媒体が盛り上がってくると、単にPVを稼げばOKじゃなくて、自社事業それぞれへどうシナジーを利かせていくかも考えなくてはいけません。どう事業に貢献させるのかも求められますね」

では、昨対比130%成長を目指す上で、まむし氏自身はどう学びや情報のアップデートをしているのだろうか。具体的に仕事のためにしている学びがあるかについても伺った。

「そのために何かを学んでいるというのは、あまりないです。と言いながら、学んでいるほうだろうなとは思いますが(笑)。

日々意識しているのは、『メディア業界じゃないところからいかに知見を取ってくるか』です。

経営大学院に通い直すとか、あと読者理解をいかにするかは大事なので、自分でコミュニティに参加して、読者の感覚に触れてみたり。

また、最先端のテクノロジーでなにが解決できるのかは常に意識しています。最近はAIですね。『そのテクノロジーを使えば一発じゃん』みたいなハックがないかは、すごく目を光らせているところです。その辺はダイレクトに媒体の数字に効いています」

コロナ禍を通してのメディア運営とこれからの医療

医療業界に身をおくまむし氏なので、コロナ禍のメディア運営においてさまざまな変化があったに違いない。どのメディアでもオンライン取材が一般化した今、その辺りの恩恵はやはり受けている。

「医療業界では、地方にある病院がすごく優れた取り組みをしているケースも多いんです。オンライン取材が一般的になり、そういうところにも話しを聞きやすくなりました。

また、医療系の媒体なのでアクセス数はやはり相対的に増えました。コロナ禍において直接的に必要な事業をおこなっている企業として、メディアも攻めの投資をおこない必要な情報発信に尽力しました」

また、取材対象者も医療業界、医療従事者が多く、そこに仕事の意義、誇りを感じることも多かった。

「医療従事者の方々は、高校生の段階で医療業界に行こうって決めて医学部や看護学部など専門の学部に入ります。それ以降ずっと医療をしている、すごくピュアな方々です。

みなさん問題意識があるし、専門性の高いことをやっています。そこに携われているのは誇りであり、今の媒体の好きなところです。

しかも彼らは24時間、人の生き死にに携わっているので、取材して記事にならないわけがない。こんなに人生かけて仕事をしている人たちが記事にならないなら、こちら側の責任です。厳しい世界ですが、そこまで取材相手や読者を信じられるというのが、やりがいにもつながっています」

また、今の医療制度の課題とそれに対するメディアの使命についても伺った。

「今の医療業界の仕組みは、戦後間もなく作られたものなんです。当時は結核とか、治療すれば治るような病気を『いかに効率的に治すか』という視点で制度が組み立てられていて、それがある意味正解だったのだと思います。

しかし現代は、がんや認知症といった『必ずしも治せない病気』をいかに軟着陸させるかも大きなテーマになってきています。その人が望む最期をどう実現させるか。すべてを治せない中でどう付き合える状態にしていくかに、医療のあり方自体が変わってきています。

そうすると、病院のあり方や医師のキャリア形成も変わってくる。

患者さん側としては、『どうしても治してくれ』と言うけれど、現実問題として治せない病気もたくさんあるわけです。そういった中で、今まで通りではいけない部分が前提としてあって。とはいえ変われないのが人情として、一方ではあって。

急性期信仰というのですが、治せる医師が格好いい、治せない医師は格好悪いとか。在宅医療をやっている医師は心優しいけど、第一線からは逸れているとか、そういった業界ならではのイメージもあります。

本当はあるべき姿はわかっているけれど、変えられない人たちもたくさんいる。しかし、そこに向かって努力している人たちも一方でたくさんいる。そのギャップを埋める仕事というか、正しいことを伝えていく使命があると思っています」

本業以外の活動と編集者として大切にしたいこと

最後にまむし氏の本業以外の活動と今後について伺った。

編集に携わってきた経験やスキルを外に伝えていくという決断に、どう行き着いたのだろうか。

「これまでの経験で、誰かに役立つような内容があるなら、もっと広く還元していきたいと思いました。

それこそ今の会社に入社した最初3年に知っていたら全然違ったなと思うことは、もっとオープンにしていったほうが業界全体がよくなります。自分自身も人脈が広がって楽しいんじゃないかなと思い始めて。

細々とできればいいかなとTwitterを始めて、なにも考えずにハンドルネームを考えて。

……もっと格好いい名前にすればよかったと思うんですけど……(笑)」

そして「ライターマガジン」というライター向け雑誌から声がかかり、オンライン講座を実施することとなった。10〜20人集まれば、と思っていた初回は、結果260人も集まった。

「ライターにとってクライアントが何を考えているかを知る機会は重要だと思うんです。私はクライアント側もライター側も経験してきたので、それを言語化しようと。2回目以降の講座も100人ほどの方々が参加してくれるようになって、今に至る感じです」

まむし氏の講座における要素として、ただライティングスキルを伝えるのではなく、MBAや経営学、哲学などを盛り込んでいる点が特徴だ。

それこそクラウドソーシングからライターデビューする人も多い昨今において、リアルな経験を培ってきたまむし氏の言葉の説得力は相当なものである。

また、最後にまむし氏は編集者として誰しもが忘れてはいけないことを語ってくれた。これはライターにも通ずるものだ。

「編集者にありがちなのは、忙しい病みたいな。

忙しいって、編集者にとってある意味、麻薬的な魅力があって。忙しいほど自分の仕事が多くて、必要とされている感も得られる。

あと、本来考えなければいけないことから逃げられるというか、どうありたいのかみたいなところから逃げる口実として、忙しさってすごくよくて。

なんのためにこの仕事をしているっていうことから逃げちゃう人が多いと思うんです。ここから逃げないというのは、仕事をする上で大事だと思います」

エピローグ

やはり嫉妬はしない。

するくらいにはイチ編集者として努力しなければならないのだが、しないものはしない。

レベルが違うとあらためて思った。同時に学びとモチベーション醸成までされてしまい、恐縮しきりだ。

文字を通して人の使命や物語、主義・主張・情報を伝えるメディアであるが、ときに事業において優先度が低いと認識されてしまうこともある。私もそれに直面したことがある。

しかし、組織がない文字通り0ベースから、まむし氏は今のメディアを築いた。

その実績を振り返っていただいたことで、メディアに関わる編集者/ライターとして、あらためてこの仕事を誇りに思った。

これからもまむし氏は、医療業界ではメディアを通して彼らに誇りを、個人活動を通して編集者/ライターへ仕事の誇りを再認識させてくれることだろう。

いつか嫉妬する域に達したいと、心に願いながらこの記事をおしまいとする。

(取材/文:柳下修平

presented by paiza

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