学費が完全に無料で、ITのトレンドに即した最新のカリキュラムを学べるエンジニア養成機関がある。それが、フランス発の42(フォーティーツー)だ。日本では2020年6月から東京・六本木で「42 Tokyo」を展開。六本木のキャンパスに通える18歳以上なら誰でも無料で入学試験を受けられ、合格すれば無料で最新のIT技術を学べる。
ITに関する技術力だけでなく、仕事としてITを選択する際に役立つ「体系的知識」「対人スキル」「問題解決力」を伸ばせる42 Tokyoは、どのような教育機関なのか。運営する一般社団法人42 Tokyoの佐藤大吾 副理事長 兼 事務局長に話を伺った。
目次
42のコンセプトと42 Tokyo
世界で最も革新的な大学ランキング「WURI」(The World University Rankings for Innovation)において、フランスの42本部は総合6位、倫理的価値部門ではハーバード大学やペンシルバニア大学を抑えて1位にランキングされている。42および42 Tokyoはどのように運営されているのだろうか。
「多くの企業の支援で支えられ、学費の完全無料化を実現しています。企業からの支援は金銭的なものだけではありません。スタッフやイベント実施の形で提供されたり、ビジネスの最先端で発生した技術的課題がテーマとして提供されたりすることがあるのも特徴で、学習内容が古くなりません」
日本でもIT・インフラ・マスメディア・Eコマースなど、これまでさまざまな業種から数十社のパートナー企業が支援をおこなっている。42を日本に誘致したのはDMM.comで、日本の運営スタッフもDMM.comから派遣するなどしている。
42には3つの大きな特徴がある。
- 4週間かけておこなわれる入学試験「Piscine」(ピシン)
- 学生同士が教え合うことで技術力を高める「ピアラーニング」
- これらの試験や学習が完全無料でおこなわれる
入学試験Piscineで試されること
Piscineの仕組みはユニークだ。4週間かけてキャンパスに通い、課題をクリアしなければならない過酷なものだ。
「エンジニアとしての、その時点での実力は見ていません。細かい内容は述べられませんが、自分の課題とグループの課題をそれぞれクリアする必要があります。ITの素人でもクリアはできるのですが、そのためには近くにいる人に教えてもらったり、隣に座っている人に相談したりして課題をクリアしなければなりません。ほかの人の力を借りること自体は認めていて、むしろコミュニケーションを取れない人は課題がクリアできない難易度になっています」
ITは、個々の技術は個人がコツコツと学んだり、インターネットを駆使して調べたりして力を伸ばしていくイメージがある。しかし、ビジネスの現場におけるITは、同僚や顧客とコミュニケーションを取って課題の原点を把握し、解決への道筋を立てていかなければならないものだ。
「将来、エンジニアとして頑張っていけるかどうかを判断する入学試験ですね。わからないときにしっかり調べられるかどうか、人に相談できるかどうかが大切ですから」
Piscineに合格した学生たちは、一人ひとりの学習状況に応じて提供されるカリキュラムをこなして技術を身につけていく。成果に応じて付与されるポイントを蓄積することで「Level」を上げていくのが、技術向上の目安となる。
学生が学生を教える「ピアラーニング」
42のもう一つの大きな特徴は、学生が互いに協力してIT技術を学ぶ「ピアラーニング(
Peer Learning)」を取り入れていることだ。与えられた課題について講師に教えてもらうのではなく、学生同士で話し合い、試行錯誤し、自分なりの回答を導く。
その過程が学生同士のコミュニケーションを生み、モチベーションを維持した学習の継続につながる。また、課題に対してチームワークで解決する体験も同時にできることが大きなメリットだ。
42 Tokyoにサポートスタッフは在籍しているが、学生に対して技術面を指導することはない。進路や考え方などアドバイスする役割を担っている。学生を指導するのは、あくまでほかの学生なのだ。
「上位レベルの学生は下位レベルの学生の取組みをレビューすることが多くあります。優秀な先生がいることはすばらしいことです。しかし、先生の力量に依存した教育になってしまう一面もあります。さらに、今ITの世界で起こっているさまざまな技術テーマについて、一人の先生が熟知して学生に指導するのはさすがに無理があるでしょう」
六本木のキャンパスは24時間・365日オープンしている。
「フランスの42本部からカリキュラムが提供されており、課題のための作業や学習状況の管理は本部が使用しているツールを用います。そのイントラネットに接続できる環境として、24時間利用可能な東京キャンパスを解放し、学生は好きなときにキャンパスを訪れ、それぞれが学習できるようになっています」
コロナ禍以降、リモートワークに舵を切ったIT企業は少なくないが、42 Tokyoではリアルに人とコミュニケーションを取りながら課題解決をする環境が整っている。これからの時代、これは大きな強みになるかもしれない。
まずLevel9を目指す
入学後の学び方も独特だ。大学や専門学校のように教師は基本的におらず、学生同士の教え合いが技術向上の鍵となっている。学習内容に応じて、Levelといわれる指標が0から最大21まで上昇する仕組みだ。
「学び始めの初期は、基礎技術を徹底的に習得してもらうようになっています。プログラミングではC言語をベースにアルゴリズムを理解してもらうような内容で、言語だけでなくITの基礎技術を一通り習得するLevel9が、大学でいう一般教養の履修が終わったような状態といえます。この状態をファーストサークルといって、入学して1年半以内にファーストサークルをクリア、すなわちLevel9に到達しなければ退学になるのが数少ないルールです」
Levelは21まで設定されており、Level10以降は、ビジネスの実践に近づいたり、実際のニーズに基づいたりした課題になる。
1年でLevel9に到達するためには、週当たり35時間程度、課題に取り組まなければならない想定だ。42 Tokyoで学ぶために退学した大学生、IT業界への転職を志し、前の企業を退職して42 Tokyoで学ぶ時間を作った商社マンもいたという。
2020年に始まった42 Tokyoは、2023年6月時点で320人の学生が在籍し、そのうちの40人程度がLevel9に到達。途中で就職が決まって学習を終えた学生もいるが、中途半端な気持ちでは続かない真剣さが求められそうだ。
Level9は一般教養と語っていたが、具体的にはどのようなレベルなのか。
「Level9まで到達した学生は、就職して新しい技術に直面したときに自分で何とかできるレベルに到達しています。たとえばLevel9時点ではC言語を学んでいますが、Cをしっかり理解していれば、JavaScriptやPython、PHPといった言語へ考え方を応用できます。応用を利かせられるレベルになっているといえます」
受験料・学費ともに完全無料
これらの試験・学習に関して、学生側が一切費用を支払わずに学べるのが、3つめの特徴だ。42 Tokyoではこれまで数十社のパートナー企業のサポートを受けて無料化を実現している。
「韓国では政府の助成金が出ているそうで、奨学金も充実しています。日本では、DMM.comが42 Tokyoを誘致した経緯から、人的・費用的なサポートをしてくれているほか、他のパートナー企業によるイベントもおこなわれるんですよ」
2022年・23年にはパートナー企業の株式会社ドリーム・アーツが、架空のシステムのパフォーマンス低下トラブルを学生の手で42時間以内に解決してもらう、コンテスト形式の特別カリキュラムを提供した。環境構築や運営・学生へのサポートもボランティアでおこない、Levelの上昇には直接つながらないが、コミュニケーションやトラブル対応力の向上に貢献した。
こうした企業のサポートが42 Tokyoの教育レベルの底上げにつながり、レベルの上がった学生には、パートナー企業をはじめとしたIT関連企業への就職の道ができている。
好循環が生まれているのだ。
42 Tokyoがエンジニアとして歩むきっかけに
C++やTCP/IP、アルゴリズム関連など、根本的な技術を学ぶ書籍が多く揃っていた
日本発で世界を席巻しているITプロダクトは多くない。42 Tokyoは日本のIT社会をどのように捉え、どのような存在になろうとしているのだろうか。
「国もIT人材の育成に力を入れているようですし、42のやりたいことと方向性が一致しているように思います。わたしたちとしては、エンジニアを目指す人が学ぶ進路として選ばれるようになりたいと考えています」
2023年時点で、42 Tokyoは日本の学校教育法が定める教育機関ではない。しかし佐藤事務局長は以下のように語る。
「高校生の進路選択として、大学・専門学校と42 Tokyoが並ぶポジションになってほしいですね。受験も学費も無料なので、理系・文系関係なく、エンジニアに向いているかどうかの適性を確認していただく機会になればよいと思っています。その結果、向いていないと思われた方はそれでいいですし、やってみて楽しかったのであれば、42 Tokyoをエンジニアとして歩むきっかけにしていただきたいと願っています。
また、42でLevel9を修了すれば学歴を聞かなくなる企業もありますので、実力の世界であるエンジニアとして企業の即戦力になれるでしょう。実践的な内容に集中したカリキュラムをクリアしていることが認められているところは、大学や専門学校に勝るとも劣りません」
となれば、企業が採用対象としての認知度、および進路を決める前の高校生に対する認知度を高めることが大切になりそうだ。
企業からの認知については、パートナー企業から高評価を受ける循環も生まれている。
「42と付き合いの長い企業であれば、42でこのLevelであればこのくらいのことはわかるよね、という理解を得られています。企業のビジョンや文化に合うかどうかの確認は省略できませんが、少なくとも技術レベルのチェックが必要なくなるのは大きな強みでしょう」
42 Tokyoは2020年開校だが、ここで学び、パートナー企業へ就職したエンジニアもすでに存在する。
「そのためには、高校で進路を指導する先生や親世代への認知を高めていく必要性があると考えています。これからの課題ですね」
日本のIT力を高める起爆剤として42 Tokyoがこれからどのような存在感を示すか、楽しみが尽きない。
(取材/文/撮影:奥野 大児)