全国の高専生が競い合う事業創出コンテスト「DCON」で、当時最高額となる7億円の企業評価額を叩き出し、一躍脚光を浴びた株式会社NAGARA。
彼らが開発した『ながらかいご』は、介護士の日常会話からAIが自動で記録をつくる、徹底的な現場主義から生まれたプロダクトです。全国50箇所以上の現場を駆け回り、本選前日まで不具合修正に執念を燃やしました。この無茶とも言える挑戦ができたのは、豊田高専で5年間を共にした最高の仲間がいたからです。
今回は、同社の創業メンバーの 岡田一輝さん、 酒井優聖さん、野崎春太郎さんの3名に、豊田高専に進学した理由や『ながらかいご』の開発秘話、そしてDCON優勝までの舞台裏をお聞きしました。

岡田 一輝さん(中央)
株式会社NAGARA 創業メンバー。2003年生まれ、豊田高専 情報工学科卒。高専時代、祖父の介護を機にボランティア団体を立ち上げ、DCON2025含む4つのビジネスコンテストで優勝。2025年7月にNAGARAを創業し、介護記録を音声AIで支援する「ながらかいご」を全国展開。憧れの人物はスティーブ・ジョブズ。
酒井 優聖さん(左)
株式会社NAGARA 創業メンバー。豊田高専 情報工学科卒。在学中からLLMや自然言語処理を用いたAI研究に取り組み、多数のビジネスコンテストで最優秀賞を受賞。代表取締役CEOの岡田さんらとともに2025年7月にNAGARAを創業。現在は愛知県内を中心に営業・カスタマーサクセス業務に従事。
野崎 春太郎さん(右)
株式会社NAGARA 創業メンバー。名古屋大学情報学部在学中。豊田高専4年時よりインターンを始め、開発や営業に従事。多数のビジネスコンテストで最優秀賞を受賞。高専起業家連合会所属、日本CTO協会会員。代表取締役CEOの岡田さんらとともに2025年7月にNAGARAを創業。現在はバックオフィス業務に従事。
目次
発明家から技術を社会へ届ける起業家へ
──まずは、皆さんがものづくりに興味を持ったきっかけや、豊田高専の情報工学科を選んだ背景から教えてください。
岡田:私は小さいころからものづくりが好きで、発明クラブに入って二足歩行ロボットをつくったりしていました。10歳のときの1/2成人式では、「将来はエジソンを超える発明家になる」と言っていたんです。中学生のころには「これからはITの時代が来る」と感じるようになり、豊田高専の情報工学科への入学を決めました。
ただ、入学後は周りに信じられないくらい優秀な技術者たちがいたので、自分のスキルの限界を感じるようになりましたね。現在は直接何かをつくるよりも、すばらしい技術やプロダクトを社会に届けていきたいと考えています。子どものころの夢とニュアンスは変わりましたが、エジソンの電球やスティーブ・ジョブズのiPhoneのようなインパクトを社会に送り出したい。スタートアップを立ち上げたのも、技術を素早く世に出せる方法だと考えたからです。
野崎:私も子どものころから工作が好きだったのと、自宅が近かったので小学生のころから「豊田高専に行きたい」と考えていました。もともとは木工・金工や自動車に興味があったので、機械工学科に進もうと思っていて。ただ、中学時代にプログラミングに出会い、アプリ開発の面白さに目覚めたんです。そのときから「将来はITエンジニアになりたい」と考えるようになり、進学先は情報工学科を選びました。
酒井:私もものづくりが好きだったのと、昔から周りと違う選択をするのが好きだったんですよね。進学先も、一般的な高校とは異なる豊田高専に魅力を感じていました。最初は土木科に入学したのですが、「IT系のものづくりに挑戦したい」と思い、2年生のときに情報工学科へ転科しました。
──そこから、どのようにしてDCONへの挑戦やNAGARAの創業へとつながっていったのでしょうか。

岡田:2025年のDCON出場を決めたのは、「卒業前に自分たちの力で何かを世の中に残したい」という軽い気持ちからでした。もちろん、どうせ出るなら優勝を目指そうとは考えていましたが。最初は情報工学科の5年生を中心に、総勢8人のチームでスタートしました。
2024年10月に応募した段階では、タクシー向けのアプリという今のプロダクトとは異なるアイデアで考えていたんです。ただ、そのうちに「これでは優勝できないのでは」という限界が見えてきまして。2025年1月からは私がリーダーを交代し、プロダクトのアイデアも私が発案したものに変えて、再スタートを切りました。
『ながらかいご』が介護の現場を変える
──そこで生まれたのが、現在のコアプロダクトである『ながらかいご』なんですね。なぜ介護の領域に着目したのでしょうか。
岡田:理由は大きく2つあります。1つは、豊田高専のすぐ隣に介護施設があったから。もう1つは、私自身がもともと高齢者の領域に関心を持っていたからです。私は経験や知識の豊富な高齢者の方々を尊敬しているのですが、要介護状態になると、社会とのつながりが薄れていくのが寂しいなと感じていました。実際に私の祖父が要介護になったときも、好きだった釣りやゴルフができなくなり、すっかり元気がなくなってしまったんです。ただ、ゲーム機をプレゼントしたら、遊びながら元気を取り戻してくれて。その経験もあり、以前から豊田市内でボランティア団体を立ち上げて、高齢者の方々にスマートフォンやChatGPTなどの使い方を教える講座を開いていたんです。
それで、DCONに挑戦するときも「せっかくなら介護業界の課題を深掘りしたい」と考え、まずは豊田高専の隣にある介護施設を見学させてもらいました。介護の現場は、とにかく事務作業が多いんですよ。そこで実際に使われている業務用のソフトも見せてもらったのですが、Windows 98の時代で止まっているかのような、現代ではなかなか見かけないレベルの古いインターフェースだったんです。そのときに大きな衝撃を受けて、「この業界の課題をテクノロジーの力で解決しよう」と考えました。
──そこから、どのようにしてプロダクトの具体的な要件を固めていったのでしょうか。
岡田:最初から『ながらかいご』に決めていたわけではなく、ロボットを使ったプロダクトなど、複数のアイデアを考えて、再び隣の介護施設に「どれならお金を払ってでも使いたいと思いますか」と聞きに行ったんです。その際、「現場の会話から自動でケア記録を生成する」というコンセプトが施設長に響いていたので、『ながらかいご』の開発をスタートしました。
そこからの2ヶ月は、ビジネス側のメンバー4人で泥臭く介護の現場を回ってヒアリングを進めていきました。愛知県内はもちろん、石川県や北海道など、合計50箇所以上の介護施設を訪問しましたね。
──圧倒的なスピード感の一方で、エンジニアチームとしては1ヶ月でプロトタイプをつくるのは大変だったのではないでしょうか。

野崎:バグにはずっと苦戦し続けていましたね。DCONの規定上、「AIとハードウェアを組み合わせる」という縛りがあったため、当初は腕時計型のハードウェアにプログラムを書き込んでいました。でも、そういった小さなハードウェアはパソコンやスマートフォンに比べると、性能が非常に低いんです。Wi-Fiにつなぐ、文字を見やすく表示するといった基本的な機能すら、すべて微調整が必要でした。
さらに、ビジネスサイドのメンバーが機器を現場に持って行って実証するのですが、先方に見せようとするとうまく動かなかったりして。バグが見つかっては調べ、修正し、次の日にまた現場に持って行ってもらうというサイクルを繰り返していました。なんなら、本選前日まで不具合を潰す作業をしていましたね。
酒井:私は、開発チームと現場をつなぐ一次窓口だったのですが、エンジニアが作ってくれたものを現場へ持っていって、エラーが出たときのプレッシャーは凄まじかったですね。その場で私や岡田が「明日には直してきます!」と大口を叩き(笑)、その夜にオンライン上で集まっては「現場でこういうバグが出た、原因はこの部分かもしれない」などと野崎たちにフィードバックを投げ、試行錯誤して復旧させたりしていました。
野崎:開発チームとしては正直プレッシャーもありましたが、現場でリアルな声をヒアリングしているビジネスサイドのメンバーたちの熱意もわかっていたので、なんとしても直さなければという一心でした。私たちは5年間ずっと一緒に過ごしてきたクラスメイトですから、誰が何を得意としていて、何で苦しんでいるのかなどもお互いにわかっていました。だから全員で一つのゴールに向かって、猛スピードで突き進めたのだと思います。
──現場で実証実験を重ねるなかで、壁にぶつかったことはありましたか。
岡田:最初は、腕に機器を巻き付ける形のプロダクトを目指していました。ただ、途中で現場の方に、介助作業の際に腕に硬い機器があると、利用者を傷つけてしまうリスクがあるという致命的な課題を指摘されたんです。そこで、DCONの審査向けには柔らかい素材を使ったハードウェアを開発するアプローチを取りつつ、実務における本格導入を見据えて、スマートフォンアプリとしての開発も同時に進めていきました。
評価額7億円。DCON優勝という一次ゴールと組織の変革
──迎えたDCONの本選では、7億円の企業評価額で見事優勝を勝ち取りました。その瞬間の気持ちはいかがでしたか。

岡田:当日は、「絶対に勝てる、自分たちが一番だ」という強い気持ちで乗り込んでいました。優勝が決まった瞬間は本当に嬉しかったですし、感動もありましたね。
酒井:印象的だったのは、投資家や審査員の方々全員が札を上げてくださったことです。たまたま1人に深く刺さったわけではなく、皆さんからコンスタントに高く評価していただけたのがありがたかったですね。
5年間を共に過ごした仲間たちと、泥臭く現場を走り抜けて掴み取ったDCON優勝という栄冠。それは、豊田高専の教室から始まった挑戦が、注目のスタートアップへと脱皮した瞬間でした。
しかし、その後の彼らは「学生チーム」から「企業」へと生まれ変わるためにさまざまな決断を迫られることになります。
──優勝の先に待っていた組織の変革。そして、彼らが描く未来のビジョンに迫る後編へ。
