2020年4月、SAPジャパン株式会社(以下、SAPジャパン)で代表取締役社長を務めていた福田さんが富士通へ転職し、IT業界を中心に話題を集めた。新卒でSAPジャパンに入社してから23年間活躍し続けていた福田さんは、なぜ富士通への転職を決断したのか。福田さんのCareer Decisionとは――。
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福田 譲さん
富士通株式会社 執行役員 EVP CDXO、CIO。1997年、SAPジャパンに入社後、ERP導入による業務改革、経営改革、高度情報化の活動に従事。2014年7月、SAPジャパン代表取締役社長に就任。顧客と協働した新たなイノベーション創出に注力し、日本型のデジタル変革に取り組んできた。2020年4月、富士通へ入社、執行役員常務 CIO兼CDXO補佐、2023年4月から現職。
目次
「成り行き」で出会い、入ったIT業界・外資系
1997年、福田さんは新卒でSAPジャパンに入社。化学・石油・製薬などの大手顧客を担当してきた。なぜSAPジャパンへの入社を決断したのだろうか。

「正直に言うと、成り行きで入りました。社会人になるまでとくにこれといった取り柄がなく、なにかをやってきたみたいなものがなかったんですよね。大学生活はごく普通にバイトをして、遊んだり旅行したりする大学生でした。資格もないし英語もできない、中の下くらいの普通の大学生でした。やりたいことが明確でないまま就職活動をして、結果として選んで入社した会社がSAPジャパンです。お世辞にも褒められた入社動機・就職ではありませんね(笑)」
福田さんは、IT業界に入りたいとも外資系企業に入りたいとも思っていなかったそうだ。ただ、SAPジャパンに入社してみると、おもしろくて水が合った。希望したわけではない営業という職種に配属されたなど、自分でキャリアを描いて歩み始めたわけではないという。
「ITってすげえな!」入社1年目での経験
入社してからは、駆け出しの法人営業として、アンケートやセミナーで得たリストに対しての電話営業からスタートした。そのなかの1社が契約をしてくれた。ただ、システム導入を担うパートナーがいない。顧客にも同意を得たうえで、SAPジャパンの入社1年目と2年目のメンバーだけでチームを組み、ERP(基幹業務統合システム)の導入を行った。
「私は営業でしたけど、関心もあったので、同期のコンサルタントに交じって、頻繁にプロジェクトにかかわりました。メンバーは皆、生まれてはじめてのシステム導入です。10人くらいでチームを組んで、それこそ本を読んで勉強しながらのプロジェクトでした。ちゃんとシステムが動いたときには感動ものでした。
そして、ERPを導入したその会社は、原価や収益性が細かく把握できるようになり、会社がどんどん変わっていきました。『ITって、ERPって、すげえな!』と思ったんですよ。これを広めることはお客さまのためにもなるし、世の中のためにもなると、はじめて自分の仕事を理解し、誇りに思いましたね」
顧客に言われたことをやるのではなく、自分から顧客にやるべきことを提言する仕事が福田さんには合っていたという。SAPジャパン時代に記憶に残っているエピソードを話してくれた。

「24歳のとき、何兆円もの売上規模がある企業の担当になりました。その企業では社長肝いりの業務改革プロジェクトが進んでいて、コンサルティング会社や大手SIerがプロジェクトに参加していました。社長は会社を変えたくて仕方ないのに、プロジェクトメンバーは変えられない理由を散々言うんですよ。
『なんだこれは?』と思っていたら、あるときにステアリングコミッティが早めに終わり、お客さま側のリーダーの方が私に意見を求めてくれました。そこで思いの丈をぶちまけたんです。『社長があれだけ会社を変えると言っているのに、皆さんは変えない前提で、変えられない理由を並べ立てている。それで良いのか?』みたいなことを話しました。その場がシーンとなってしまい、『これは終わったな』と思いました。会社に帰り、上司には『出禁になると思います』と謝ったくらいです。
でも、結果的には顧客企業の社長から『プロジェクトを一度止めて、もう一度立ち上げ直すからどうやったらいいか提案してほしい』とおっしゃっていただけました」
福田さんは業務改革専門の組織をつくることや、コンサルに頼らずにその企業自身が勉強し、努力して改革やERP導入を進めるよう提案した。当時、その会社は経営危機にあったが、立ち上げ直したプロジェクトを成功させ、いまでも存続している。
この2つの経験があったからこそ福田さんはSAPジャパンを自分の居場所だと感じ、成り行きで入った会社にもかかわらず、23年にもわたって在籍することになった。
正しいことを正しくやれば、結果はついてくる
福田さんは当時39歳の若さで、SAPジャパンの代表取締役社長に選ばれた。異例のスピード出世だ。それまでの歴代の社長はすべて外部登用だったため、SAPジャパン生え抜きの新卒社員から、はじめての社長となった。
「いまや誰も信じてくれないんですけど、社会人になるまでは人前で話すのが嫌で目立ちたくなかったんですよね。学生時代もキャプテンや委員長などを一度もやったことはありません。そんな自分が大きく変わったのは、仕事での経験や学び・成長を通じてのこと。人は後天的に変われる、と信じているのは、そんな自分自身の体験からです」
福田さんは、社長就任の声が掛かる前から、経営の視点を持って仕事に向き合うようになっていたそうだ。キャリアを歩むなかで、そのような転換期を迎えることになった出来事がある。
「私は立場に関係なく、現場で口うるさく経営を批判していましたが、32歳のときに転換期を迎えました。ある人から『文句を言うのは簡単だ。解決する側に回れ』と言われて、解決する側の視点は、それまでの視点・視野とはまったく違うことに気が付きました。何事もそう単純ではないし、皆が嫌がることでも意思決定してやらなくてはならないこともあります。32歳でVP(バイスプレジデント)になり、自分がもし社長だったらどうするか、という視点に変えて仕事や組織に向き合うようになりました。
39歳で社長になりましたが、正しいことを正しくやると、年齢などに関係なく結果的に応援してもらえるようになるし、結果もついてくる。もちろん苦しいこともありましたが、6年間、楽しく社長をやらせてもらいました。会社は強くなったし数字も伸び、人も成長したから、やりがいがありました」
長年勤めた会社で社長としても楽しく仕事をしているなか、福田さんは2020年4月に富士通への転職を決断する。その理由を聞いたところ、自身のパーパス「日本を、世界を、もっと元気に!」が関係しているという。

「SAPでの23年間、さまざまなお客さまとかかわってきました。ERPを導入するには、経営・業務改革が欠かせないため、その責任者になる方、変革リーダーが極めて鍵になります。過去の成功体験や保守的な風土が強い日本にあって、会社を変えることは簡単ではない。
そんなテーマに向き合い、周囲を鼓舞して会社を動かし、実際に変革を進めるリーダーたちに、おおいに感化されました。
一方で、多くの日本企業が、あるいは日本の社会そのものも、変革にちゅうちょし、うまく変われていません。『日本の失われた30年』というのは、『失われた』のではなく、『自分たちが失っている』だけではないかと。このままでは、私たちの世代は、『いろいろな社会課題があるとわかっているのに、その未来を変えられなかった世代』として教科書に載ってしまうでしょう。
外資系企業で外から日本企業を応援して、自分は幸せに終わっても、それは本当に幸せだと言えるのか。ちょうどそのころに富士通からお声がけをいただいたんです」
なぜ日本の大企業は、どこもかしこも変わらないのだろうと疑問に思っていた福田さん。SAPジャパンを経営していくなかで、もっとこうすれば良いのにという仮説も生まれていた。それを実際に日本企業で実行してみたくなり、転身を決めたとのことだ。
「計画的偶発性理論」がキャリアにおける信条
福田さんには、キャリアにおける信条がある。それが「計画的偶発性理論」だ。
「スタンフォード大学のクランボルツ教授が発表したキャリアに関する理論で、偶然の出来事が起きたときの行動こそが、新たなキャリアにつながるとされている理論です。ただ、偶然の出来事といっても、なにかが起きるのを待つのではありません。意図的に行動するからチャンスが増えるという考え方です。
計画的偶発性を起こすには、好奇心・持続性・楽観性・柔軟性・冒険心という5つの行動特性があります。私は前職の23年間の中盤を過ぎてからこの理論を知り、これら5つの行動に当てはまっていることに気づきました。気づいてからは意識的に取り組むようにしています」
計画的偶発性理論によると、ビジネスパーソンとして成功した人の約8割が、本人の予想していなかった偶然の出来事によってキャリアのターニングポイントを迎えたそうだ。
自身のパーパスの実現に向けて「富士通が元気にならないと」

福田さんが富士通に入社してから4年以上が経った。今後、仕事をしていくなかで実現したいことはなんだろうか。
「私のパーパスである『日本を、世界を、もっと元気に!』を実現したい。まずは富士通ごとき、サッサと元気にならないと、日本と世界を元気にするのなんて無理だと思っています(笑)。幸いにして富士通は、いろいろな新しいことや変革に挑戦するにはとてもいいフィールドです。この挑戦をどのようにやり遂げるかが関心ごとであり、実現したいことです」
「富士通ごとき」と強い表現を使って話した福田さん。それだけ自分のパーパスを本気で実現するといった意思の表れなのだろう。
最後に、キャリアに悩んでいる人に向けてアドバイスをお願いした。まだ社会人になっていない学生には、次のような言葉をもらった。
「古い考えかもしれませんが、『石の上にも三年』と伝えたい。最近は1年くらいで転職する人もいますけど、少なくとも3年くらいは石にかじりついてほしい。そうしないと、自分にできることとできないこと、好きなことと嫌いなことなどが見えてこないと思います。逃げ癖をつけないためにも、一定期間は自分や現実の環境と向き合ってやり遂げてほしい。後から見返せば、無駄な経験などないのではないかと思います」
すでに社会人として働いていて、これからのキャリアに悩んでいる人には、次のような言葉をもらった。
「問いたいのは『あなたは仕事を通じてなにを実現したいのか』ということ。自分自身のパーパスに沿って、自身の成長にこだわることが大事です。そうすれば結果的に、キャリアの終わりを迎えたときに清々しく自身のキャリアを振り返られるのではないでしょうか。まずは自分が何者で、なにをやりたいのかというパーパスを言語化するのが第一歩。9時から17時まで、単に必死に仕事を頑張っているだけではもったいない」
富士通では、フジトラの一環として社員1人ひとりが自分自身のパーパスを言語化する取り組みを行っている。福田さんもキャリアを決断する際には自身のパーパスをもとに考えてきた。キャリアに迷っている方は、まずは自分自身のパーパスを考えてみるところから、はじめてみてはどうだろうか。
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