漫才コンビ・カベポスターの浜田順平さんは、とてもにこやかで話しやすい人だ。
「会社員のころのくせでしょうね。芸人になったから、ビジネスパーソンのような振る舞いはやめようと思っているんですけど」
いえいえ、そんなこと、と私は言った。友好的な浜田さんの雰囲気は、取材する私の心も解きほぐしてくれた。関西のお笑い賞レースで連覇を果たし、国民的な賞レースであるM-1グランプリでも二度決勝に進んでいるカベポスター。順風満帆な芸人人生かと思いきや、浜田さんには日本一の大企業・トヨタ自動車の社員として働いていて、安定した道を捨てて芸人になったという過去があった。
安定した収入、しっかりとした福利厚生……。私は会社員として働き退職して、フリーライターになってからもいつも「会社員の自分」を想像する。会社員のままならもっと貯金できたかな、と通帳を見てため息をつくこともある。もはや関西で知らない人はいないカベポスターさんと自分を比べるのは申し訳ないが、どうして浜田さんはキャリアチェンジをしたのか、今はそのことをどのように思っているのか、とことん聞いてみることにした。
浜田 順平さん プロフィール
1987年大阪府生まれ。NSC大阪校36期生。同期の永見大吾と2014年5月にカベポスター結成。2022年「ytv漫才新人賞決定戦」、「第43回ABCお笑いグランプリ」で優勝。2022年、2023年と続けて「M-1グランプリ」決勝に出場し、2023年「第58回上方漫才大賞」で新人賞を受賞。ラジオの冠番組に「カベポスターのMBSヤングタウン」がある。テレビ「せやねん」では準レギュラーとして活躍中。
目次
一度は挫折した、芸人になる夢

ーーもともと漫才師になるのが夢だったのですか?
僕の出身は大阪で、大阪はお笑いがすごく身近な存在なんです。祖父母はお笑いのビデオをよく見ていたし、毎週テレビで吉本新喜劇が流れていました。その影響もあって「お笑い芸人っていいな」とぼんやり思っていました。
そんな中、衝撃を受けたのは2001年に始まった「M-1グランプリ」(以降、M-1)です。僕は中学生でした。それから毎年、M-1を第1回、第2回、第3回と見ていくにつれて、「こんなに漫才師ってかっこいいのか!」と憧れるようになりました。
あと中学生までは「僕が一番おもしろい」と思ってたんです。テレビ番組のMCの芸人さんを見て「これは僕もいけるぞ」とか、大阪に吉本総合芸能学院(略称NSC)があるのも知っていたし、家で若手芸人のお笑いライブも見られる環境です。
一方で両親が教師だった影響もあって、芸人か教師になろうと思い始めたのがきっかけですね。
ーーそのまま芸人になる道を選ばなかったのはどうしてですか?
高校生になって大喜利のテレビ番組を見ていたときに、「僕、いけるぞ」とテレビを見ながら自分で答えを考えていたんですけど、まったく思いつかなかったんですよ。どんどん時間が過ぎても答えられないし、出演している芸人さんはめちゃくちゃおもしろいしで、「あ、僕、しゃべったりつっこんだりはできるけど、大喜利できへんのや」と実感しました。
後々「大喜利のできる人とコンビを組みたい」と思うようになるんですけど、そのときはお笑いに関して完璧でありたいと思っていたので……そこで一度、芸人は無理やなとあきらめました。そこからは、お先真っ暗というか。とりあえず大学は行っとこうかなと思って大阪市立大学に進学しました。

夢を追って会社員になったけれど
ーー関西人ならわかると思うのですが「行っとこうかな」で行ける大学じゃないですよね。すごく優秀だったんですね。
いえいえ。高校が進学校だったからかな。ただ、まだ芸人になりたい気持ちはまだ8%くらいあって、お笑いの番組を見ては「楽しもう」じゃなくて「自分やったらどう答えるかな」って感じてました。
入った部活で「おもろいやつ」みたいな扱いを受けて自信を取り戻したのも大きかったですね。お笑い以外でも世界を広げたかったので、テントを持って日本列島を一周したり、他の人と違うことをしたくてフィジーに留学をしたりしていました。結果、5年に渡りさまざま経験しました。
結果的にそれが就活にも影響しました。途上国とか、何かを開発できるような国で働きたい。そこで就活のときにトヨタを選んだんです。
ーーなるほど。浜田さんのご年齢と5年間さまざまご経験されたことを踏まえると、ちょうどリーマンショックの影響を受けた世代ではないですか? 私もメーカー出身の同世代ですが、その世代は配属前の研修なども長かったのでは?
そうなんです。東日本大震災も重なって、研修後11月に配属になったんですけど、仕事についていけなくて、自分の能力のなさを思い知らされて。上司や同僚はやさしかったのですが、「海外に行ってみんなを笑顔にしたい」という夢の前段階で挫折したんです。車関係のアプリ開発とかも考えたんですけど、ある日、食事の味がしなくなって軽いうつ状態になりました。

そんな中、大学のサークル仲間が山登りに誘ってくれたんです。そこできれいな景色を見ていたら「もう辞めよう」という気持ちが湧き上がってきて、新しい道を歩こうと決めました。入社して1年半のことで、本当にトヨタはすばらしい企業だったので、申し訳ないと今でも思っています。
根本にあるのは「つらい人を笑顔にしたい」思い
ーー辞めてからは、すぐに芸人になろうと?
いえ、高校教師になる道も考えました。自分の高校生活が苦しかったので、「つらい生徒を笑顔にしたい」と思ったんです。自分の高校時代、起業しながらおもしろい授業をしている先生がいて、ああいうふうになりたいという気持ちもありました。
ただすぐ思い切れなくて、会社を辞める前、友達に電話して苦しいことを吐き出したんです。その友達はすごく明るいタイプで、悩みなんてないと思っていたら、実は深刻な悩みを抱えていることを知って。
僕もその人も、誰か一人でも話聞いてくれる人とか、手を差し伸べてくれたら助かるんやろうなっていうのを思いながら、心ではわかっているのにふたをしていた。そのことに気づいたのは大きかったですね。「教師になってつらい生徒を笑顔にしたい」とあらためて思ったし。
ーーなるほど。教師にならずに芸人の道を進んだのは?
当時はまだ25歳だったのでもっと考えようと思ったんです。会社の同期に自分の車をあげて2週間居候しながら、起業も考えつつ街を歩いたり、何もせずに貯金をはたいて同期の家にこもったりしてると、テレビでお笑い番組を見ることが増えて。そうしたらまた芸人になる夢が湧いてきて、NSCに入って、1,2年経ってダメなら、そこからまた教師としてスタートできると思って入学を決めました。
「会社員のままなら良かったかな」
ーーそれが転機になったんですね。
はい。NSCは同期の能力別にクラス分けがあるんですけど、そこで上のクラスに入れてもらったり、若手のお笑いグランプリで、僕と当時の相方だけ呼んでもらったりして、手ごたえを感じたんです。入ったときはモチベーションはそんなになかったけど、評価を受けて楽しくて、辞めたくないと思えるようになって。カベポスターを組むまでは相方も変わることがあったんですけど、僕のコンプレックスである大喜利の強い永見と組んだときは「しめしめ」とも思いましたね。
ただNSCは卒業後、何度もバトルライブで競い合って、若手芸人の劇場(現在は大阪なら「漫才劇場」)に所属するのが最初の目標なんです。30歳までに所属するぞって新たな目標もできました。
ーーカベポスターさんはすぐに所属できたんですか?
いやいや、3年目まで無理でめちゃくちゃ遅かったですよ。ただ1年目でバトルライブを受けられるようになって、2年目でバトルライブ常連になって……一つひとつクリアして、ようやく続けられた。
親は公務員試験の案内を送ってきました。心配させましたね。30になる直前の29でようやく漫才劇場に所属できました。

ただその後も、お笑いの賞レースに挑戦しては負けるの連続で。ふと、まだトヨタにいたら、と考えることもありました。同期は貯金もたまって自分よりいい暮らししてるし、結婚して家庭を築いた人もいるし……。「トヨタにいれば良かったかな」って気持ちは、初めて関西の賞レースで優勝したときまで続きました。
成果を出した瞬間、漫才師人生を歩もうと決めた
ーー2022年の「ytv漫才新人賞決定戦」ですね。
そうです。「これで3年はお笑いで食べていけるぞ!」と安心しました。その前の年、M-1準決勝にようやく進めてからは、舞台で漫才をしながらアルバイトもしてましたし。もう30代半ばになっていましたし、その優勝でようやく漫才師になって良かったと思えました。今は後悔することもないし、会社員に戻りたいと思うこともないですね。ただ、トヨタには自分が退職したことで迷惑もたくさんかけたので、そのことはずっと謝罪したい、なんらかのかたちで恩返ししたいと思っています。
ーー今まで聞いてきて、浜田さんはたとえ教師になっていたとしても、「つらい人を笑顔にしたい」という強い軸があり、その軸が今、漫才師として、実際にたくさんの人を笑顔にしているのではないかと思いました。
たまに「すごくつらいことがあったけど、カベポスターの漫才を見て励まされた」とお客さんからメッセージをもらいます。そういうときは本当にうれしい。軸というほどかたいものではないかもしれませんけど、そういう気持ちが自分の中で強かったから、転職できたのかもしれませんね。

したいことに挑戦して良かった
ーーキャリアチェンジをした今、思っていることは?
つらいときも緊張感ももちろんあって、将来が安定している職業でもないのですが、お客さんが笑っているのを見ると、楽しいことの方が多いなと実感します。今は、迷いながらでもしたいことに挑戦して良かった。そう思っています。
(取材/文:若林理央、撮影:合田慎二)
