私はフリーランス20年目に突入した40代のライターです。フリーとしてのキャリアが長いので経験豊富で自信もあると思われがちですが、いまだに恥ずかしい思いをすることは少なくありません。

欧米人がキリスト教的な考え方をベースにした「罪の文化」を持っているのに対して、日本人は他人の目が行動の基準となった「恥の文化」を持っているといわれます。正しいか正しくないかより、恥ずかしいか恥ずかしくないかでふるまいを決めるわけです。

子どものころに「そんなことをすると人様に笑われますよ」「恥ずかしいからやめなさい」と祖父母や両親から言われた経験がある人もいるでしょう。この「恥ずかしい」という感情はけっこうやっかいです。

SNSが普及し、良くも悪くも他人の評価が見えすぎる現代。「こんなことを言ったら身のほど知らずって思われるかな」「そんなことも知らないのって笑われるかな」。発言や挙手をして恥をかくくらいなら、下を向いてやり過ごしたいと思うのも無理はありません。

しかし、そうした無難な行動が自分のチャンスを奪ってしまっているのだとしたら? 私がそう考えるようになったのは、「恥はチャンスの目印になる」と持論を展開する中川諒さんの著書『いくつになっても恥をかける人になる』を読んだからでした。

恥がチャンスを奪っている?


誰だって、自分の能力やセンスのなさ、浅学さを白日の下にさらされたくはありません。好んで恥をかきたい人はいないでしょう。しかし、『いくつになっても恥をかける人になる』の著者である中川さんは「迷ったら、恥ずかしいほうを選ぶ」というルールを自分に課しているといいます。

“あなたの前に2つの分かれ道があるとしよう。一方はこれまでのやり方で乗り切れそうな、無難な道。もう一方は、「うまくいかなかったら恥ずかしい」と感じる道だ。迷ったら、後者を選んでみよう。あなたはたったそれだけで、新しい経験を得ることができる。そう、恥は誰でも無料でできる「投資」なのだ。”

たいした能力もないのに自分をアピールするのはかっこ悪いこと。錚々たるメンバーの中で自分なんかが意見を言うのは恥ずかしいこと。そんな感情は「人にこう思われたい」という理想の自分と、リアルな自分とのギャップから生まれるようです。

私自身のことをいうなら、私は編集プロダクションや出版社に勤務した経験がありません。ライタースクールに通ったこともなければ、誰かに師事したこともなく、なりゆきでライターになったため、「プロのライター」を名乗るのはいまだに気恥ずかしいです。

そのため、「プロ限定でライターを募集」という告知を見つけて、内容に興味があり条件もよかったとしても、「私なんかでいいのかな(「そのレベルでよく応募してきましたね」と思われたら恥ずかしいな)」と躊躇していました。

しかし、やりたい気持ちが恥ずかしさを上回ったとき、勇気を出して自己アピールとともに応募したところ、見事採用され、好条件で憧れの仕事に取り組めたのです。もし「恥ずかしいから応募するのはやめておこう」と思っていたら、チャンスは掴めなかったでしょう。

自分の恥に向きあってみる


「バッターボックスに立たないとホームランは打てない」は、たしかにそのとおりですが、バッターボックスに立たなければ三振するところを人に見られずに済むのもまた事実です。「俺はまだ本気出してないだけ」といっていれば、本気を出したけれどダメだった事実を人に知られずに済みます。

つまり、チャンスも、得がたい経験も、すばらしい人との出会いも、「しなくてもいいことをわざわざして、恥ずかしい思いをするかもしれない」を乗りこえたご褒美のようなもの。無難なことだけしていれば、恥はかかないかもしれないけれど、成長もできません。

本書では、恥の要因を6つの視点で分類しています。まずは、恥が自分の外側にあるか、内側にあるか。そして、経験の熟練度による3つのフェーズです。

  • 「周りからこう見られたい」という理想の自分から外れたときに感じる「外的恥」
  • 「自分はこうあるべき」という自分の美学から外れたときに感じる「内的恥」

外的恥と内的恥の両方に、初歩期の恥・研鑽機の恥・熟練期の恥があります。初歩期の恥は新しいことを始めたばかりのときにかく恥、研鑽期の恥は上達しようと努力しているときにかく恥、熟練期の恥は周りよりできるようになったときにかく恥だそうです。

外的恥と内的恥のどちらを強く感じるかはその人の気質によります。私自身の恥に向きあってみると、他人に「こう見られたい」という理想から自分が外れたときに恥ずかしさを強く感じるので、外的恥タイプのようです。

私は、共働きで忙しい両親の代わりに古い価値観を持つ祖母に「長男の長女」として過剰な期待をされて育ちました。「○○ちゃんなら宿題を終わらせず遊びに行ったりしないはず」「悪い成績を取っておばあちゃんをがっかりさせたりしないはず」といわれれば、「当たり前だよ」と応える子どもだったのです。

それは呪いとなり、相手の期待に応えられないことに恐怖感を持つようになりました。期待以上の成果を出そうと頑張れるのは仕事をする上での長所になっていますが、根底にあるのは「がっかりされたくない」「自分の実力を知られて恥をかきたくない」気持ちなのです。

「無難な自分」からの脱却


恥をかきたくない、大人なのだからスマートにふるまいたい、ずっとそう思っていました。

しかし、「人生100年時代」といわれ、ワークスタイルの変化だけでなく、働き方に対する価値観の変化も進んでいる現代。テクノロジーは急速に発展しており、もはや、ひとつのキャリアやスキル(昔取った杵柄)だけでは通用しなくなるのも時間の問題です。

新時代をサバイブするには、フリーランスであれ、会社員であれ、未経験のことにもチャレンジしていけるほうがいいに決まっています。年齢にかかわらず、新しいことを始めれば、たくさん恥をかくでしょう。そんなこともできないのかと笑われたり、自分よりずっと若い人に(ときには呆れられながら)教えてもらったりすることもあるかもしれません。

いまできることをやっている限りは恥をかかずに済みます。しかし、本書には「恥をかくことは、無料でできる投資だ」と書かれています。

“今恥をかいているということは、チャレンジできている証拠だ。チャレンジには、恥はつきものだ。つまり恥は、新しい経験とスキルを手にするための「コスト」ともいうことができるだろう。何事も自分の想いを実現するには、恥というコストが発生する。”

たとえば、自分よりもずっと”デキる”先輩たちが参加している会議で、「こんな質問/提案をしたら、バカだと思われるかな」と思っても、あえて手を挙げてみること。笑われて恥ずかしい思いをするかもしれませんが、もしかしたらそれがプロジェクトとして採用されて、リーダーを任される未来だってあるかもしれません。

手を挙げて発言したことで、未来は確実に変わります。先輩の意見と真逆でも発言してみる、素直に知らないといって教えてもらう、準備ができていなくても始めてみる……。恥というコストを先に払った人の前だけにあらわれるチャンスがあるのではないでしょうか。

ほとんどの人が恥をかきたくないために避けていることを勇気を出しておこなえば、無難な自分から脱却できます。自分をアップデートしていきたいなら、もう「恥をかきたくない」なんて言ってる場合ではないのです。

(文:ayan

presented by paiza

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