「長く続けてこられたのはみなさまのおかげだと思うので、これから先の人生がまた輝けるように頑張っていきたいと思います」
日本水泳界で長年にわたって活躍を続けてきた入江 陵介さんが引退会見で語った言葉だ。16歳から34歳までの18年間、日本代表として活躍してきた入江さん。4大会の五輪に出場し、2012年ロンドン五輪では200メートル背泳ぎの銀メダル含め3個のメダルを獲得した。
競技生活を引退し、新しい道を歩みはじめた入江さんのCareer Decisionとは――。

入江 陵介さん プロフィール
イトマン東進所属。0歳から水泳をはじめ、中学のときに種目を背泳ぎ一本に絞る。高
目次
一番下のレベルから努力を重ねて五輪出場へ

入江さんは、0歳からベビースイミングをはじめている。6歳上のお姉さんと3歳上のお兄さんがスイミングスクールに通っていたことがきっかけだ。何歳のころかは定かではないが、プールの底にあるジュースの缶を潜って取りに行くゲームをした記憶が入江さんには残っている。
入江さんが小学校2年生のとき、地元のスイミングスクールからイトマンスイミングスクールの選手コースに入った。しかし、入った当初は年下にも負けるくらいの通用しないレベルだった。
「イトマンスイミングスクールには、全国大会で金メダルを獲得するような選手がたくさんいたんです。レベルがとても高くて、僕は一番下のレベルでした。でも、そうした環境にいたおかげで自分の目標も高くなり、成長していきました」
朝5時台の始発電車でスイミングスクールへ行って朝練をし、その後に小学校に通う。学校が終わったあとは、夜の練習へ向かう生活を入江さんは続けた。努力を重ねた結果、小学校高学年になると全国大会に出場できるまでに成長した。
そして中学生になったころ、今後の人生を決定づける大きな決断をする。
「専門種目をクロールから背泳ぎに変えました。背泳ぎのほうが自分はレベルが高いことに気づきはじめていたので、自分自身での決断です。背泳ぎ一本に絞ってからは世代での全国トップになったり、中学3年生の新記録をつくれたりしました」
中学3年生のときに100メートルと200メートルの背泳ぎで、当時の日本中学新記録を更新した入江さん。高校2年生になると、日本選手権で2位の記録を残して日本代表に選ばれる。夢だった五輪出場が「目標」へと変わった。ここから18年にわたり、日本代表として活躍し続けることになる。
「もともと、日本代表や五輪出場は夢のように遠い存在でした。でも、日々トレーニングをして、全国大会への出場や優勝などの目標達成を積み重ねていくうちに、次のステップとして日本代表や五輪出場が目標として現れました」
2008年、18歳ではじめての五輪を経験した。北京五輪に出場し、200メートル背泳ぎで5位入賞を果たす。10代で五輪に出場して入賞することはすさまじいと思えるが、入江さん本人には悔しさと悲しさがあったという。
「メダルを狙える位置にいたので、5位に終わって悔しかったです。周りからもメダルを期待してもらっていたので、期待にこたえられなかった申し訳なさがありました。国を代表することへのプレッシャーもありましたし、はじめての五輪だったので雰囲気に圧倒された部分はあったと思います」
北京五輪の直前にジャパンオープンで200メートル背泳ぎの日本記録を更新していた入江さんには、メダル獲得の期待もあった。メダルを取れなかったことに罪悪感を抱き、入江さんは一時期、家から出なくなったこともある。それほどまでに大きなプレッシャーだった。
ロンドン五輪でメダルを獲得後、燃え尽き症候群に

北京五輪翌年の2009年には、100メートルと200メートル背泳ぎで日本記録を樹立。15年経った現在も、この記録は破られていない。同年に開催された世界水泳選手権では、200メートル背泳ぎで銀メダルを獲得。2011年に開催された世界水泳選手権でも100メートル背泳ぎで銅メダル、200メートル背泳ぎで銀メダルを獲得し、順調にロンドン五輪出場を決めた。
2012年のロンドン五輪では100メートル背泳ぎで銅メダル、200メートル背泳ぎで銀メダル、400メートルメドレーリレーで銀メダルと3つのメダルを獲得。好成績を残したが、その翌年には燃え尽き症候群のようにやる気を失うこともあった。入江さんは、その状態からどのようにして立ち直れたのだろうか。
「ロンドン五輪でメダルを3つ獲得したので、少しほっとした部分とやりきった部分がありました。燃え尽きたような感じになり、2013年におこなわれた世界水泳選手権の個人種目でメダルを取れなくて悔しい思いをしています。そこから立ち直れたのは、新たな目標を設定したことが大きいと思います。僕の場合は金メダル獲得を目標に設定して、モチベーションを高めました」
モチベーションを取り戻した入江さんは、2014年のパンパシフィック選手権の100メートル背泳ぎで金メダルを獲得。さらに、200メートル背泳ぎと400メートルメドレーリレーで銀メダルを獲得した。
最大の挫折からの復活

2016年、金メダルを目指して挑んだリオデジャネイロ五輪。しかし、100メートル背泳ぎで7位、200メートル背泳ぎで8位、400メートルメドレーリレーで5位という結果に終わる。200メートル背泳ぎのレース後には、本人の口から「自分は賞味期限が切れた人間なのかなと思ったりした」という言葉もあった。入江さんの競技生活のなかで、最大の挫折となった。
「金メダルを目指してしんどい練習に耐えて臨んだ五輪だったので、やりきった気持ちと同時に悔しさがあり、精神的にしんどい時期でした」
このときは本気で競技生活を水泳を止めて引退しようと思ったが、先輩や仲間の励ましのおかげで気持ちを取り戻せた。
リオデジャネイロ五輪の翌年、2017年に入江さんは拠点をアメリカへ移す。期待にこたえられなかった自分を見られるのがしんどく、日本を離れたい気持ちが当時は強かった。
単身でアメリカに拠点を移したことで、さまざまな新しい経験をするようになる。アメリカには、入江さんと同様にさまざまな国から選手が集まっていた。普段のコミュニケーションは英語でおこない、自炊や運転もはじめた。
「大変なこともたくさんありましたが、視野が広がりました。1つひとつが新しい経験で、人として自立できるようになりましたね。たとえば日本では、ほとんど自炊をしていなかったのですが、アメリカではするようになりました。あと、運転免許は持っていたのですが、日本では運転したことがなかったんです。でも、アメリカでは毎日のようにドキドキしながら運転をしていました。
不安や緊張もありましたが、それをクリアしたことで成長を実感しました。アメリカに行ったことは、競技だけではなく人生においても非常によかったです」
アメリカへ拠点を移した翌年の2018年。パンパシフィック選手権で、自身4年ぶりとなるメダルを獲得する。入江さんは2019年までをアメリカで過ごし、完全復活を果たして日本に戻った。
東京で迎えた最後の五輪

2020年に開催予定だった東京五輪に向け、入江さんは練習を重ねてきた。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大により、大会は1年延期された。アスリートにとって、1年の延期はあまりに長い。延期の発表を受け、引退を決断したアスリートもいるくらいだ。
「日本で五輪が開催されるので、楽しみにしていました。でも、コロナ禍で世界中が大変な状況になり、言葉では言い表すことが難しい大会になりましたね……。さまざまな声をたくさんいただき、スポーツが本当に必要なのかが問われた時期でもありました。開催されるかどうかもわからないなか、準備だけは怠らないようにしていました」
コロナ禍にはトレーニングをできない時期もあったが、そのなかでできることをした。自身4度目の五輪出場を果たした東京五輪では、チーム最年長として競泳日本代表の主将を務めた。
100メートル背泳ぎでは準決勝敗退となったが、200メートル背泳ぎでは7位入賞、400メートルメドレーリレーでは日本新記録を達成し、6位入賞を果たす。
入江さんは東京五輪後に現役引退も考えたそうだが、現役続行を決意してパリ五輪出場を目指した。しかし、2024年3月におこなわれた代表選手選考会で派遣標準記録に届かず、代表入りを逃してしまう。日本競泳初となる、5大会連続の五輪出場はならなかった。
そして2024年4月3日、入江さんは現役引退を表明した。
引退を決断し、次のキャリアへ

引退会見では記者の質問に対し、「水泳のないことがうれしい気持ちもあるんですけど、寂しい気持ちもある」と、言葉に詰まり涙を浮かべる場面もあった。会見の終わりに、先輩の北島康介さんがサプライズで駆けつけて入江さんを労った。いかに入江さんが周りから愛される存在だったのかがよくわかる。
この記事を書くための取材は、4月24日におこなわれた。引退から約3週間が経ち、入江さんは自分の人生と向き合い、次に向かってスタートを切ったところだ。
「まだ具体的なことは決まっていませんが、所属するイトマン東進の方と2度ほど打ち合わせをしたところです。後輩たちへの助言や自分の体験談を話すことに加え、スイミング事業として会員数を増やしていくためのイベントを会社と一緒にやっていきたいと思っています。スポーツの楽しさを知ってもらい、スポーツをする人が増えて健康になってほしいです。そして、スポーツを好きになって選手を応援してもらえたらいいなと思っています」
スポーツマネージメントやスポーツ政策を学ぶため、大学院への進学も検討しているという。さらに将来は、日本だけでなく海外でも水泳を広める活動もしたいと考えているそうだ。
引退会見では、小学生時代の夢がアナウンサーだったと明かした入江さん。もしかしたら、伝える立場として、パリの地で活躍する姿が見られるかもしれない。
挫折を経験し、どん底から這い上がるたびに強くなってきた入江さん。新しいキャリアでも輝き続けるだろう。
