1997年に松竹に入社、映像部門でライツ、アニメ、邦画の制作・編成に携わり、現在は松竹芸能の常務取締役を務めている小林敬宜さん。20年以上に渡り芸能の変遷を見てきた小林さんは、何を意識し普段の職務に従事しているのか。

これまでの変遷を交えつつ、7つの流儀を紐解きます。

時代の転換期「新しいことに挑むのが楽しくて仕方なかった」

――小林さんは松竹株式会社で映像制作などに携わったあと、松竹芸能事務所に異動されました。前職の経験は活かされていますか。

小林敬宜(以下小林):
大いに活きています。松竹で映画の制作や宣伝をやっていたときに知り合い、長くつきあってきた方々が現役で活躍されていて、弊社の新人タレントやスタッフを紹介すると喜んでくださるんです。気がつくと昔ばなしに花を咲かせてしまうことを戒めつつ、雑談を交えながらつながることで、ネットワークを広げていくことの価値を感じます。

――松竹から松竹芸能、あるいは芸能から松竹に行き来はあるものですか。

小林:
芸能から松竹に行くことはないです。逆はあります。松竹芸能は松竹の100%のグループ会社ということもあって、僕も出向という形です。

――小林さんのキャリアのはじまりは映画ですが、興味があって松竹に入社されたのでしょうか。

小林:
入社試験のときは演劇をやりたいと言ったものの、正直言えば学生時代、演劇も映画もあまり見てこなかったんです。そうは言っても入社したからには、どんな仕事でも楽しく元気でやりますと宣言し、がむしゃらに働きました。最初に配属された部署は映像渉外室の二次利用部です。いわゆるライツビジネスを扱う部署で、自社で制作した映画をテレビ放送のために放送権を販売、俳優やタレントの映像をテレビ番組に販売、社の映像コンテンツを利用して映画の本の出版企画立案、寅さん展のようなイベント開催など、原価がかからない分、利益率も高くてやりがいがありました。今は映画のライツビジネスは当たり前ですが、僕が入社した頃は興行収入に頼っていた時代からの脱却を図った転換期で、新しいことに挑む仕事が楽しくて仕方なかったですね。

――今に至る、作品に付随するソフトやキャラクター商品の盛り上がりのはじまりは2000年前後だったんですね。

小林:
当時、アニメの業界ではファンに向けたライツビジネスが当たり前で、たとえば「カードキャプターさくら」のアシスタントプロデュ−サーをやったとき、海外輸入やキャラクター商品化などを担当。3枚セットで1万円のDVDが10何万枚も売れました。また、ローソンで、ジブリ作品以外ではじめての商品展開を行い、映画公開前に制作費の75%を回収しました。ただ、それには映画館の収益に影響を及ぼすリスクもありましたが。

――新しいことをはじめるときには必ず壁がありますね。

小林:
映画が製作委員会方式(単独出資でなく複数社の出資でリスク分散する)で作られる場合、さまざまな企業の方々がいるから、なぜ映画業界ではこういうことができないんですか? というようにさまざまな意見が出ます。それが変化の後押しになりました。

失敗をおそれず、後悔のないほうへ

――松竹は100年以上の歴史のある企業です。伝統と革新とのせめぎあいはないのでしょうか。

小林:
会社や関わった人たちが、変わることへの挑戦を許容する懐の深さがあったんです。
たとえば、新橋演舞場や歌舞伎座など演劇の劇場は昔ながらのお客様を大切にしていますが、映画館はシネコンになった時点で客層が大きく変化しました。そうすると新しいお客様に向けたサービスが必要になってきます。伝統と変化はあくまでもユーザーの視点に立ったものなのです。

ーー小林さんが新しい仕事にトライするとき、他者をどのように説得しますか。

小林:
僕が命かけてやるからという情熱押しで通してもらったことも多々あります。今の若い方たちは失敗することをおそれ、歩留まりを考えるようですが、僕の若い頃は情熱にまかせて失敗だらけでしたし、逆に失敗させてもらっていたからこそ松竹に25年もいるのかなと思うんです。失敗を取り返し、いつ取り返せるのかわからないけれど、それを許してくれた恩に報いることが僕なりのエンゲージメントなのかなと。

――失敗することも悪くないということですね。

小林:
20〜40代くらいまでは大いに失敗すべきだと思います。今の僕は、若い方たちが失敗をおそれないように気を配ることが上にいる者としての役目と思っています。上司が「全部おれが責任とってやるから思い通りにやれよ」と言ってくれてすごく勇気をもらいましたから。

――勇気をもらった思い出を教えてください。

小林:
映画のプロデューサーをやっていたとき、すでに宣伝用のマスコミ試写がはじまっていたにもかかわらず、上司の提案で、よりよいものにするために本編を編集し直すことになりました。それには莫大な経費がかかりますからちゅうちょしましたが、結果的にやってよかった。進言してくれた上司や、許可してくれた監督や主演の方にも感謝しています。それから、新人のとき、社内秘をうっかり業界紙の記者に話してしまって大問題になったことがありました。寛大に許していただき今があります。今やSNSやYouTubeによる発信が盛んになり、「芸能界の炎上リスク」に関するセミナーで話すほうの僕にも、そんなこともあったのです。

新しいものを軽視した瞬間に、時代に取り残される

――人とコミットするお仕事をされてきて、やがてWebメディアにも関わられます。

小林:
2014年くらいから準備をはじめ、2016年にジョインした映画情報のサイトです(現在は前向きな形で運営を譲渡)。アルファブロガーと呼ばれる方々を招いて、松竹作品だけでない総合的な映画情報を読めるものにしました。最終目的は松竹の映画をより多くの方に見てもらうためとはいえ、松竹マガジンに特化するのではなく、あくまでも映画全般、そのなかで松竹作品を手厚く扱うという発想を貫きました。

――新たなメディアにも積極的に取り組まれているのですね。

小林:
次に来るメディアを軽視してはいけないと思っています。自分の慣れ親しんだものと違うものに出くわすと、おそれから軽視してしまうことがあるものですが、それをやった瞬間に時代から取り残されてしまう。だから必ず新しいものには積極的に関わるように努めています。今ならAIですよね。AIなんか……と背を向けず、今の仕事にどう生かしていけるか日夜考え実戦しています。ケータイがiPhoneになり、誰もがGoogleで検索するようになったことを思うと、ハードの開発のみならず、ソフトウェアの開発が大事だと感じます。

――現在は松竹芸能に出向され、セールスプロモーション、Web事業部、経営管理部を担当されています。小林さんのiPhoneに市川團十郎さんの千社札シールが貼られていますが、團十郎さんのメディア施策、ブランド構築もされています。

小林:
松竹にとって歌舞伎俳優の方々はとても大切な存在です。それこそ時代が変わっていくなかで、昔ながらのお客様のみならず、新しいお客様にも歌舞伎や團十郎さんのブランド訴求を図るため、團十郎さんの襲名(海老蔵から團十郎)に合わせ一大プロジェクトを仕掛けました。

――幅広くチャレンジし結果を出しているんですね。

小林:
いや、すべては僕ひとりでやったことではなく、パートナーや、上司や周囲の方々あってのことです。

――謙虚であることも大事であると。

小林:
昔はおらおらで、ちょっと成功するとふんぞり返るときもありました。でも、はりきり過ぎて失敗し、ゆるしてもらうことを繰り返すごとに、少しずつ考え方や振る舞いに気をつけるようになりました。

――やはり、最終的には人との関わりだということでしょうか。

小林:
僕が仕事をするうえで大事にしていることのひとつにロートの原理というものがあります。最終的な目的に到達するためには一点ゴールを目指すことが最も効率がいいはずです。ところが、一本だと、端から茶々を入れられるとたちまち折れてしまいます。ロートの原理とは、360度、全方向から物事を捉えながら円錐を形づくるようにして一点に向かうことです。いろいろな人を巻き込んでロートを作っていくと、ひとりでは出てこなかった発想が湧き、かつ堅牢になります。とはいえ、人間の器とは小さいもので、いろいろなものを入れるとすぐに溢れます。だからといって、あふれることをおそれると、そこで終了してしまうと思うんです。漏れてもいいからと思い切って迎え入れると、どんどん入ってきて、いつしか器が大きくなっている。またあふれて、また入れて大きくなる。人間の成長はその繰り返しだと思います。そこでやってはいけないことは、新たな経験という水が入ろうとしているのに「僕にはできません」「これは僕がやることですか?」と疑問を呈すること。それをやるともう誰も水を入れなくなります。成長を止めないためには水が入ってくることをおそれないことかなと思います。

――これから先、やりたいことを教えてください。

小林:
松竹芸能から声優を生み出したいですね。芸人さんの仕事を広げるチャンスにもなると思います。それこそアニメを作っていたときの仕事仲間たちと再び出会って協力を仰ぎたい。それと、AIをもっと研究したいです。触れれば触れるほど奥が深くおもしろいです。

(取材/文:木俣冬、撮影:つるたま

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