日本と北米を中心に、ハードテックに特化したスタートアップ投資をおこなうベンチャーキャピタル「Monozukuri Ventures(モノヅクリベンチャーズ)」。
“Hardware is hard”(ハードウェアは難しい)という言葉があるように、試作から量産化、設計、調達、物流といった制約条件が多く、外的要因に影響を受けやすいハードウェア領域は、スタートアップ界隈では非常にチャレンジングだとされています。
「それでもなお、私たちは『モノづくりは、簡単だ。』と伝えたいし、スタートアップがハードウェアに挑戦できる世界をつくりたいのです」
そう語るのは、Monozukuri Ventures CEOの牧野成将(まきの なりまさ)さんです。モノづくりで世界を変えることに挑む牧野さんに、大切にしている仕事のルールを聞きました。
目次
Rule1.「人生に無駄はない」と考える
「人生に無駄はない」は、私の母の口ぐせで、自分自身の考えを構成する大きな軸になっている言葉です。私の人生は思い通りにいかないことの連続でしたが、母はいつも「人生に無駄なことなんて何もないから、今できることを一所懸命やりなさい」と言ってくれました。
「こんなことをやっていて本当に意味があるのかな」と思ってしまうときもあるけれど、先々何が役に立つかはわからないから、前向きに一所懸命やることを大事にしています。
「Connecting The Dots(点と点をつなぐ)」
これはAppleの創業者スティーブ・ジョブズ氏がスタンフォード大学の卒業式でおこなったスピーチの有名な言葉です。さまざまな出来事はそのときは独立した点にすぎないけれど、後から振り返ったときに初めて無数の点がつながって線になっていることがわかります。
私はベンチャーキャピタルに入ったあとにリーマン・ショックがあったり、会社がつぶれそうになったり、困難に直面するたびに「自分は人生で何が成せるんだろうか」と悩んでばかりでした。でも、振り返ってみると、やってきたことは全部つながっていると思うし、無駄なことなんて何ひとつなかったんです(今後もそうだと信じています)。
うまくいっていないときでも、この点が線を描いていくのだと信じて、一所懸命やることが大事だと思っています。
Rule2.「何によって憶えられたいか」を自問し続ける
「何によって憶えられたいか」は、ピーター F. ドラッカーが13歳のときに宗教の先生から聞かれて答えられず、その後の人生においてずっと自身に問いかけてきた言葉だそうです。前職の社長がこの言葉を教えてくれたのですが、私は「死ぬときに何に挑戦したかを答えられるか?」という意味だと捉えています。
20代から30代にかけて仕事をしていく中で、自分は何に命を使うのかをすごく考えるようになりました。挑戦したい気持ちはあっても、自分にはいったい何ができるのか。何に命を使い、何によって憶えられたいのか。
考え抜いた末に、私自身にできることは「社会に役立つ起業家を生み出すこと」ではないかと気づいたんです。
自分自身が社会にインパクトを生み出す起業家になるのは難しそうだったし、正直そのことに引け目を感じていた時期もあります。しかし、支援者として彼らを世に出していく役割を担えたら、自分の人生には意義があると思えるようになりました。
リーマン・ショックはひたすらお金を追求していった結果の事象です。ああいった社会になっていって不幸が起きたのが資本主義のひとつの限界だとすれば、私はそれとは異なる新しい社会をつくるために命を使いたい。そう思っています。
投資判断をするときに、その人/スタートアップがどういった想いや使命感を持って事業を興そうとしているのかを重視するのも、そうした考えがあるからです。
Rule3.行動から夢が見つかるから、まず一歩を踏み出す
私はずっと野球をやってきたのですが、あるとき野球を諦めて、何を目標にこの先の人生を生きたらいいのかわからなくなってしまったんです。
それまでは、あの高校に入りたい、あの大学に入りたいといった目標があって、それに向かって努力をする人生でした。でも、目標を見失ってしまったら、どっちに向かって進んだらいいかわからないし、努力する方法もわからなくなってしまって。
しょうもない話なんですが、大学のゼミすら自分で決められなかったんです。やりたいことがないからゼミを選べない、ゼミは卒業必須科目だから何か取らなくてはいけないけれど、どうしたらいいかさっぱりわからず、悶々としていました。
二次募集が終わっても決められなくて、悩みに悩んだ末にゼミの指導教官に聞きに行ったんです。たくさんある研究室の中から明かりのついている部屋を見つけ、とんとんとノックして、「私はいま大学の2年生で、これからゼミに入らないといけないんですが、何をしたらいいかわからなくて、ゼミを決められないんです。どうしたらいいでしょうか」と尋ねました。
すると、その先生は「人生ってそんなもんだ」と言うんです。「人生は最初から目標があるほうが珍しくて、ほとんどの場合は、目標なんてない中で選ばなくちゃいけない。だから、何でもいいから一歩を踏み出しなさい。そうすれば、見える景色が変わり、だんだん自分がやりたいことや夢が見つかってくるから」と。
この恩師の言葉によって、私の人生は変わったと思います。それまでは目標を見つけてから努力するものだと思っていたけれど、目標がなくてもとにかく一歩を踏み出せばいいんだと聞いて、気がラクになりました。
「わからないことでも、とにかく行動してみよう」というのが人生の指針になっています。
Rule4.できるかぎり大きな夢を描く
神戸大学大学院にいるとき、大学の経営学の教科書を執筆するような高名な教授の授業を履修していました。当時ご年配だった先生が、退任する前の最後の授業で「自分は夢が小さかった」と仰ったんです。
驚きました。神戸大学の教授といえば誰もが憧れるポジションだろうに、そこまで上りつめてなお、夢が小さいなんてことがあるのか、と。でも、先生は最後にこう言いました。
「もっと大きな夢を描いていればよかった。夢というのは、どうせ一部しか叶わない。だったらできるかぎり大きな夢を描いたほうが、実現するのがたった一部だったとしても、それは大きなことになるだろう」
ストンと腑に落ちました。夢がかなうか、かなわないかは、実力だけじゃなく、運もあり、不確定要素が多いけれど、夢を描くことは誰でも自由にできます。夢の大きさだけは自分しだい。それならば大きい夢を描こうと思ったんです。
だから、会社を立ち上げたときも、最初から世界をターゲットにしました。世界に通用するベンチャーキャピタルになるには、GoogleやTeslaのように社会を変えられる海外スタートアップに投資できるようにならなくては、と思ったからです。
ハードテックに特化したベンチャーキャピタルは世界的にも珍しいから、モノづくりという強みを打ち出していければ、世界のベンチャーキャピタルの人たちと対等に渡り合えると信じています。
そして、それはあくまでも短期的な目標です。長期的にはひとりの人や小さな企業の想いが社会を変えられる未来をつくりたい。そんな大きな夢を描いています。
Rule5.人間として正しいことを追求する
「人間として正しいことを追求する」は、現代日本を代表する経営者であり、京都セラミック株式会社(現 京セラ株式会社)創業者の稲盛和夫氏の言葉です。
さきほどの「何によって憶えられたいか」につながるのですが、「人道的社会の構築」というと大げさかもしれませんが、正しいことをやっている人たちを応援できる人でありたいし、そういう会社にしたいと思っています。すぐお金になるかどうかよりも、人間として正しいかどうかを見極めたいのです。
人間として正しいこととは何か? 稲盛氏は公正、公平、正義、努力、勇気、博愛、謙虚、誠実というような言葉で表現しています。まだ私にはすぐに判断できるほどの力は備わっておらず、常に考え続けないといけない問いだと思っています。
経営判断や投資判断といった意思決定をするときに、最後はこの問いに戻ってくるんです。「この選択をすることで周りの人が幸せになれるかどうか」が決断の指標になります。
Rule6.人生は死ぬまでの暇つぶしだと割り切る
「人生は死ぬまでの暇つぶし」は、Darma Tech Labs(現Monozukuri Ventures)の共同創業者が私に教えてくれた「佐賀のがばいばあちゃん」の名言です。
悩むことも多いけれど、人生においてすべてはささいなこと。だから最後は思い切ってやればいい。全部がうまくいくわけないのだから、ある意味割り切ってやっていくことが大事だと教えてくれる言葉だと思っています。
会社を設立した頃はささいな決断にも勇気が必要でしたし、いつも「これで失敗したらどうしよう」と考えていました。そんなときに共同創業者が何気なく発した言葉がすごく心に刺さりました。
うまくいったことも、いかなかったことも、所詮は人生という旅路のささいな出来事です。失敗は怖いことですが、失敗すら無駄ではないと思えば「そういうこともある」と割り切れるのではないでしょうか。
今死にそうな思いをしているとしても、10年後から見たらプロセスの一つに過ぎません。
Rule7.「10年後より10歳若い」と思い続ける
これは佐山展生氏の言葉です。いくつになっても10年後より10歳若い。言葉にすれば当たり前ですが、何をするにしても今から始めて遅いことはないし、無駄なこともないと教えてくれる言葉だと思います。
過去のことは変えられません。変えられるのは未来だけ。決断をずるずる先延ばしして、10年後に「あのときやっていれば」と後悔したくないなら、今挑戦するしかありません。そして、それはいつまで経っても同じで、何歳になっても新しいことは始められます。
私は35歳で会社設立の準備を始めて、45歳までの10年間を一つの区切りと考えていました。今44歳で、その区切りまであと1年ですが、35歳のときに描いていた夢はまだかなえられていないもののほうが多いです。
次の45歳から55歳までの10年間、引き続きモノヅクリベンチャーズとして挑戦をしていきますが、もしかしたら新しい夢も見つかるかもしれません。いくつになっても10年後より10歳若いのだから、何をするとしても未来を見ていきたい。そう思っています。
モノヅクリベンチャーズ公式サイト:
Monozukuri Ventures
(取材/文/撮影:ayan)