イノベーションを起こし、新しいビジネスモデルを構築していくスタートアップといえば、SaaSを扱うテック企業を連想する人が多いだろう。しかし、スタートアップはソフトウェアに限った話ではない。ロボットやウェアラブルデバイスといったハードウェアに挑戦するスタートアップも存在する。
“Hardware is hard”(ハードウェアは難しい)。スタートアップ界隈でよくいわれる、ハードテック領域ならではの難しさをあらわした言葉だ。
「ハードウェア、すなわちモノづくりは、試作から量産化、設計、調達、物流など制約条件が多く、外的な影響も受けやすいため、決して簡単ではありません。
それでもなお、私たちは『モノづくりは、簡単だ。』と伝えたいし、スタートアップがハードウェアに挑戦できる世界をつくりたいのです」
そう語るのは、京都にあるハードテックに特化したベンチャーキャピタル「Monozukuri Ventures(モノヅクリベンチャーズ)」CEOの牧野成将(まきの なりまさ)さんだ。
日本と北米を中心に製造業に特化したスタートアップ投資をおこない、モノづくりを支援する牧野さんに、ハードテックスタートアップを取り巻く環境や可能性、目指す未来について、お話をうかがった。
目次
次の社会をつくるのはベンチャー企業

牧野さんは愛知県豊橋市に生まれ育ち、東京の創価大学に進学、卒業後は神戸大学大学院に進み経営学を学んだ。院での研究テーマを決めかねていたとき、指導教員から「大学発ベンチャーに興味がないか?」と聞かれたことが、その後の人生を変える。
折しも、世はベンチャーブーム。2001年に経済産業省がバブル崩壊から低迷していた日本経済を活性化させるべく、「大学発ベンチャー1000社計画」を打ち出したためだ。これは2002〜2004年の3年間に大学発ベンチャーを1,000社設立するという計画だったが、本当に経済的なインパクトがあるのかを調べてみなさい、というのが指導教員の話だった。
そこで、神戸大学発ベンチャーを立ち上げた教授に「研究者は研究が第一のはずなのに、なぜあえて起業したのですか?」と聞きに回った。ある教授から返ってきた答えは「製薬会社は希少疾患の薬は創りたがりません。だったら自分で創るしかない、そう思って起業しました」。牧野さんは、教授を突き動かした純粋な使命感に感銘を受ける。
「話を聞くうちに、次の社会や未来をつくるのはベンチャー企業のような人たちだろうと思うようになりました。とはいえ、私自身は技術者でもなければ、科学者でもありません。
自分自身がベンチャーを興していくことはできないけれど、ベンチャーを支援していける仕事がしたい。そう思ってベンチャーキャピタルをキャリアに選びました」
2005年、新卒で、京都市にある「フューチャーベンチャーキャピタル株式会社」に入社。当時は「ヒルズ族」が一世を風靡し、ITベンチャーやベンチャーキャピタルは東京に一極集中していたが、牧野さんがあえて京都の会社を選んだのには理由があった。
「豊橋市に帰省するたびに、駅前から店が消え、どんどんさびれていくんです。大学進学で東京や関西に出た同級生たちは、Uターンしたくても地元には職がないから帰れません。
ベンチャーを研究する中でベンチャーには雇用の創出効果があると学んでいたので、地方でスタートアップが増えれば、地方に戻りたい人が戻れる環境をつくれるのではないかと思ったんです」
豊橋市が地元であれば、同じ愛知県内の名古屋市が真っ先に候補に挙がりそうなものだが、名古屋市のある愛知県はトヨタ自動車の「お膝元」で、レガシーな企業が強い。それに対して、京都市は京セラ株式会社や任天堂株式会社を生んだ“ベンチャーの都”だ。
「大学があり、文化的自由度が高く、グローバルな大企業もある」という、スタートアップが生まれる要素をすべてクリアしていたことから、牧野さんは京都の会社を選んだ。
挑戦者やイノベーションを応援するカルチャー

牧野さんが入社後に担当した京都・奈良・滋賀エリアでは、ヒルズ族のような華やかな経営者を見ることはなかった。製造現場で油まみれになってモノを作っているような人たちばかりで、メディアで見る東京と地方の差があまりにも大きいことを痛感したという。
そのころブログが流行りはじめ、東京やアメリカの経営者たちがブログで情報発信をするようになった。それを読んだ牧野さんは、「東京はすごいって思っていたけれど、アメリカのほうがもっとすごいんじゃないか」と思うようになり、2007年初めに有休を使ってシリコンバレーに飛ぶ。わずか3日間の滞在だったが、現地でビジネスをする日本人に会えた。
「『シリコンバレーと日本ってどうしてこんなに違うのか教えてください』と聞いたら、『アホか。そんなの、30分やそこらで答えられるもんじゃない。5月にもう一回ここに来たら教えてやる』と言われたんです。それで、会社の上司を説き伏せて、再度渡米しました」
5月に再訪した牧野さんを連れて、その人はシリコンバレーのあちこちを巡り、いろいろな人に会わせてくれた。そして、最後に「この1週間に体験したものが答えだ」と言った。
「つまり、シリコンバレーは、ベンチャーキャピタルだけが頑張っているのではなく、地域・社会全体が挑戦者やイノベーションを応援するカルチャーができあがっているんです。環境そのものをつくるところからやっていかないとだめなんだな、と実感しました」
このとき、牧野さんがとくに着目したのは0→1の部分だった。ベンチャーキャピタルが1を10、10を100にする役割だとしても、0→1の部分がないと、1は10にも100にもならない。まずは0→1の部分をつくっていく必要がある、と考えた。
その後、社内で0→1となる新規事業を提案しようとしたが、しだいにリーマン・ショックの影響で外部環境が悪化し始めた。それまで年間200社上場していた企業が、1/10となる20社にまで低迷。回収の手段がなくなり、2009年から「ベンチャーキャピタル冬の時代」が始まる。新規事業展開どころではなかった。
「でも、私がこの業界に入ったのは、ベンチャーへのリスペクトもありましたが、やっぱり自分の地元や地域に対して環境づくりができないかっていう強い気持ちからだったので、リーマン・ショックごときで諦められませんでした」
なんとしてもスタートアップの0→1に携わりたい。会う人会う人にそう言っていた牧野さんに、京都市の外郭団体「京都高度技術研究所アステム(ASTEM)」から声がかかる。
京都大学など大学の技術シーズを社会実装するため、スタートアップを生み出すインキュベーション機関を立ち上げるから来てよいという内容だった。2年契約だったため、牧野さんは2009年からフューチャーベンチャーキャピタルと複業という形でアステムに入ることになる。
裾野を広げないと、頂点は高くならない
「私は0→1をやるには3つの要素が必要だと思っています。スタートアップの人たちが活動できる『場所』、助言や指導をする『メンター』、そして『シードマネー(種銭)』です」
牧野さんはコワーキングスペースを立ち上げて環境づくりをし、京都市内の著名なメンターに支援を依頼して活動を始めるが、しだいに利用者の層にジレンマを感じるようになった。グローバルに通用するスタートアップを生み出したいと思っているのに、集まるのは趣味の延長でハンドメイド作品を売りたいというような人ばかりだったからだ。
「こんなことをしていてもダメなのではないか」そんな焦りを感じたときに知ったのが、エフェクチュエーションという理論。今あるもの、今できることに集中し、目の前の課題解決をするなかで自己成長して、だんだん大きなことができるようになるという考え方だ。
「その考え方を知って、私は間違っていたかもしれないと思いました。
今までは、生態系でいえば上位に君臨するようなトラやライオン、つまり未来のHONDAやSONYをどう育てようかと思っていたのですが、裾野を広げないと、頂点となるような存在も出てこないんじゃないかと考えるようになったんです」
そこで、裾野にいる人たちに向けた長期的な支援ができる環境と、グローバルに活躍できるスタートアップ同士が集まれる拠点を分けて、それぞれ別のアプローチをするようにした。前者は人に任せ、牧野さんは後者に主体的に関わっていくようになる。
ハードテックに特化したベンチャーキャピタル

2015年8月、牧野さんはパートナーと共同でMonozukuri Venturesの前身となるDarma Tech Labsを立ち上げる。スタートアップが抱える量産試作の課題と、関西の強みの一つである製造業とを組み合わせれば、世界的にも強みのあるベンチャーキャピタルになれると考えたという。
“Hardware is hard”といわれるのに、あえてハードテックに特化した理由を尋ねた。
「スタートアップの人たちはみんな東京に行っちゃいます。資金調達しやすいし、お客さんも多いから。でも、シリコンバレーの人たちは別に東京に行きたいと思っていないんです。
前に、シリコンバレーのスタートアップがおもしろいなと思って投資をしたいと持ちかけたら、先方から『自分たちに投資したいというベンチャーキャピタルは多いけれど、あなたたちは何ができるんですか?』と逆に質問されました。
つまり、スタートアップ側がベンチャーキャピタルを選んでいるんです」
金余りといわれる時代。お金を持っている人が強い時代から、アイデアや技術を持っている人が強い時代に変わりつつある。だとしたら、ベンチャーキャピタル自身が差別化をしないと生き残れないと強く感じたという。
さらに、日本はGDPは大きいが、成長率は高くないので、アメリカのスタートアップから見たら魅力的とはいえない。世界で知られているのはTOYOTAやHONDA、SONYといったレガシーな日本であり、あくまでの日本のイメージは「モノづくりの国」だ。
「私が日本人という事実は変えられません。それなら、日本人としての特徴や強み、すなわち“モノづくり”を生かした事業をしなくては、と思ったんです。
ハードテックに特化したベンチャーキャピタルは珍しいから、わざわざ京都に行く理由になります。モノづくりという軸があれば、アメリカだけでなく、世界中のスタートアップが私たちに会いに来てくれると思ったんです」
牧野さんの読みは当たり、試作支援したスタートアップが順調に試作から量産化に進み資金調達に成功。より迅速に資金ニーズに応えるため、2017年には世界的にも珍しい試作支援と投資を組み合わせたベンチャーファンド(1号ファンド)を立ち上げ、2018年7月に約20億円でファイナルクローズをおこない、日本16社、アメリカ18社の計34社に出資をした。
2020年には、よりグローバルな展開を進めるために経営統合をし、Monozukuri Venturesとしてのスタートを切る。2021年1月に設立した2号ファンドでは、IoT領域に加えて、材料やソフトウェア領域を含む製造業技術にも投資エリアを拡大。アメリカ発スタートアップの日本での展開を支援する体制も整えた。
ハードテックでも成長曲線を描けるという仮説
制約条件が多いハードテックのビジネスのスケールアップは、ソフトウェアとは異なる。
「スタートアップも、ベンチャーキャピタルも、リスクファクターは避けたいから、ハードテックに挑戦したがりません。
でも、私たちは、そのリスクをコントロールできたら、ハードウェアの世界でもソフトウェアのような形で成長曲線を描けるのではないかという仮説を立てたんです」
参入障壁が高い分、いったん地位を確立させれば、一人勝ちできる可能性が高い。さらに、既存のハードウェアの枠に制限されず、本当に人々から求められているものをつくれる。
「“Hardware is hard”に対するアンチテーゼとして、『モノづくりは、簡単だ。』という社会をつくりたい。社会を変えるのは、大企業でも政府でもなく、ひとりの人や小さな企業の想いだと私は信じています。モノづくりは簡単ではないけれど、モノづくりが簡単になる未来をつくっていきたいんです」
スタートアップがハードウェアに挑戦できる世界をつくるには、オープンイノベーションの促進が必要だ。Monozukuri Venturesは、大企業と海外スタートアップの相互理解を深め、外部連携の仕組みづくりをサポートすることを2023年からの中長期計画に入れている。
大きな夢を描く人たちが、日本の未来をつくる

本来ベンチャーキャピタルはハイリターンを狙ったアグレッシブな投資をおこなう投資会社だが、Monozukuri Venturesがやっていることは、もはや投資にとどまらない。
スタートアップの成長を第一に考えたグローバルなコミュニティ(エコシステム)を構築し、「モノづくりは、簡単だ。」といえる社会に必要なファンクションをそろえることで、スタートアップの人たちが夢を実現できる世界をつくりたいと牧野さんは語る。
「夢の大きさは自分しだいです。日本からグローバルなスタートアップがなかなか出ない理由は、大きな夢を描けていないからじゃないかなと思います。
スタートアップはお金もないし、人もいないし、ないものだらけ。大企業に勝てるものといったら、夢の大きさくらいしかありません。だからこそ、できるかぎり大きな夢を描いてほしいです」
地方から夢を実現させる人が増えれば、それが日本の未来をつくっていく道筋になる。牧野さんを突き動かしているものは、かつて質問をした教授と同じ、純粋な使命感に違いない。
モノヅクリベンチャーズ公式サイト:
Monozukuri Ventures
(取材/文:ayan)
