高校生のとき、私は4人組グループに属していた。そのグループでいつもお昼ご飯を一緒に食べ、プリクラを撮り、修学旅行もまわった。

そのグループの一人に、片親の子がいた。母と祖母に育てられたその子は私たちのなかで一番自分を持っていて、ときにわがままで、周りのことをよく見ていて、メイクに詳しく、甘えん坊で、良くも悪くも気分屋だった。

その子の母は精神が不安定なときがあり、よくそのことを人ごとのように話していた。当たり前のように話し、何も気にしていないような顔をしていた。

いつものように4人で遊んでいたら、その子の携帯に電話がかかってきた。電話を切ったその子は、「お母さん死んだって。ちょっと行ってくるわ」といつものトーンで言い残し、その場を離れた。

何も言えなかった私たちは、何秒か遅れてその子の後を追い、親戚が待っているところまでその子を送った。そして、その子が学校に戻ってきてから、私たちのグループに戻ってくることはなかった。

あのとき、私は何を言えばよかったのか。30歳になったいまでもわからない。

言葉はきらきらした魔物

今回紹介する小説「本日は、お日柄もよく」では、言葉のことを“きらきらした魔物”と表現している。たしかに言葉は、ときに人の人生も簡単に変えてしまうくらいの力が秘められている。

実際に私たちも生きているなかで、言葉の力を実感したことは何度もあるだろう。

人生に絶望しているときに聴いていたあの曲のあの歌詞、いつか見返してやろうと心に決めたあいつのあの一言、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら読んだ漫画のあのセリフ、これだけで1年は頑張れます!と思うくらい褒められて嬉しかったあの言葉。

言葉を“魔物”と表現するのも頷ける。また、そんな魔物である言葉を操る仕事が、この物語の軸となる『スピーチライター』だ。スピーチライターは結婚式や選挙演説など、人前でスピーチをするクライアントの原稿づくりをするのが仕事である。

主人公・こと葉は、ひょんなことから伝説のスピーチライター・久遠久美(くおんくみ)に弟子入りをすることになる。普通のOLだったこと葉がスピーチライターの世界に足を踏み入れたきっかけも、言葉の力にあてられたからだ。そして、スピーチライターという仕事の本質である、誰かに何かを伝えるためには、何が必要なのか?ということを身をもって学んでいくのだ。

言葉を操るってどういうこと?

言葉は書くものでも読むものでもない。操るものだ。
「どんなに一生懸命書いても読んでも、広く一般に受け入れられない限り、言葉の効力って限定的なもんだろ。言葉っていうのは、操れなくちゃだめなんだって、おれも最近ようやくわかってきた」

これは主人公の幼馴染・厚志のセリフだ。言葉の効力が限られているというのは、SNSが発達したいま、よくわかる。たとえば一般人がXにつぶやいた言葉と同じ言葉を、何百万人のフォロワーがいる著名人がつぶやいたとき、世間の反応はまったく違う。言葉を発する“スピーカー”によって、その言葉の持つ力は大きく変わる。

では、その力を操るというのはどういうことなのだろうか? 本書では、操るために何をしたらいいのかについて、こと葉の視点から描かれている。

  • 「聞くことは、話すことよりもずっとエネルギーがいる。だけどその分、話すための勇気を得られるんだ、と思います」

これは、こと葉のライバルであるコピーライター・和田のセリフである。こと葉が言葉を操るために最初に教わったのは、なんと話すことではなく“聞くこと”なのだ。スピーチライターはあくまでスピーチをつくる側であって、実際スピーチをする人は別に存在する。だから、まずはスピーカーのことを知り尽くすことから始まるのだ。

社内のプレゼン、取引先との飲み会、合コン、友だちの恋愛相談、スピーチでなくても、日常のあらゆる状況において、聞くことの重要性は共通しているように感じる。話すことばかりに重きをおくのではなく、自分はどんな相手に向かって話しているのかを深く知ることが、言葉を伝えることにつながるのだ。

  • 「もしも私があなただったら」
    もとはといえばそれは私たち国民の財布から出ているものだ。私たち国民の痛みを考えもせずに。私たちは怒っていると。

こと葉の師匠である久美は、民主党党首・小山田のスピーチづくりをしている。上記のセリフは党首討論で小山田党首が総理に対し発言したスピーチの抜粋だ。

ここでポイントとなっているのは、小山田が“自分は国民のうちの一人である”ということをアピールしているところだ。スピーチは、聴衆の心をどこまで動かせるかが鍵を握っている。小山田は国民の一人として、総理に意見を申し立てた。そして最後に、「私があなたなら、正々堂々、まっすぐに向き合います」とスピーチを締めくくる。

何かを伝えるとき、自分がどの立場から発言をしているのかを示すのも、言葉を操る方法のひとつだ。どんな立場にいる人の言葉であれば、その相手に一番響くのか。それを見極めるには、やはり最初に述べた“相手を知ること”が必要となってくる。

  • 「困難に向かい合ったとき、もうだめだ、と思ったとき、想像してみるといい。三時間後の君、涙がとまっている。二十四時間後の君、涙は乾いている。二日後の君、顔を上げている。三日後の君、歩き出している」

つらつらと言葉について考えてみたが、何を言えばいいのか迷ったら、これだけ考えればいいのではないかと思ったシーンがある。

このセリフは、こと葉がとある場面でパニックに陥ったときに、久美が発したセリフである。実はこの言葉は久美が考えたものではない。以前、久美がある大事な人から言われた言葉である。

もし何を言えばいいのか迷ったら、自分が言われて嬉しかった言葉や大切にしている言葉を、そのまま相手に伝える、という選択もあるのではないだろうか。自分という一人の人間の心を動かした言葉は、相手の心も動かすことができると私は思う。それは、その言葉を伝えてくれた人を、言葉ごと信じているからだ。

そして久美は続ける。

「ほんとうに弱っている人には、誰かがただそばにいて抱きしめるだけで、幾千の言葉の代わりになる。そして、本当に歩き出そうとしている人には、誰かにかけてもらった言葉が何よりの励みになるんだな、って」

おわりに

もう一度、あの子のことを考えてみる。

あのとき私は何を言えばよかったんだろう。

結局答えはわからないし、正解があるわけでもない。もしかしたら言葉なんてかけられたくなかったかもしれない。

あの瞬間、私は「片親じゃない私に言われたら嫌かな」とか、「いままで家族のことを踏み込んで聞いてこなかったし」とか、「同情してるだけみたいになっちゃうかな」とか、いろいろな言いわけが頭のなかをぐるぐるして、結局何も言えなかった。何もしないことが、あの子にとって一番寂しいことだったのかもしれないのに。

でも言葉の持つ力を知ったいまなら、大人になって何度も誰かの言葉に救われてきたいまなら、あの子にかける言葉が私のなかのどこかに絶対あるはずだ。

私の言葉だけであのときのあの子を救えるなんて思っていないけど、少なくともいまは口をひらく勇気はある。これからだって同じだ。私の言葉で誰かの人生を変えたり救ったりすることまではできないかもしれないけど、それでも私は言葉をかけ続ける。13年前と同じ後悔は絶対にしないように。

(取材・文:はるまきもえ)

― presented by paiza

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