わたしは自己啓発本が嫌いだ

「幸せになれる〇〇な方法」とか、「前向きに生きるための〇〇」とか、本屋さんに並んでいるタイトルをみるだけで嫌気が差す。

何もわたしだけに向けて発信しているわけではないのに、放っといてくれと思ってしまう。「社会を生き抜くための攻略方法を見つけました!」とか思いながら書いてそうだな……なんて偏見まである。そして、そういったものを素直に受け取れず、自意識が高い自分のこともあまり好きではない。

そんなわたしだから、「たりないふたり」の言葉は心に響いたのだと思う。

たりないふたりとは

「たりないふたり」という、漫才コンビを知っているだろうか。

「たりないふたり」とは、オードリー・若林正恭(以下、若林)と、南海キャンディーズ・山里亮太(以下、山里)の番組名であり、2人が組んだ漫才コンビのコンビ名でもある。

2012年4月から6月にかけて「たりないふたり-山里亮太と若林正恭- The (without) gentle and The (without) sociability.」が、2014年4月から6月にかけて続編「もっとたりないふたり」が放送された。コンビ自体は2021年に解散してしまったが、現在では2人の人生を描いたテレビドラマ「だが、情熱はある」(日本テレビ系)が放送中。今でも「たりないふたり」の人気は広がり続けている

今となっては、2人とも国民的知名度があるトップ芸人である。だが、それぞれの相方にかなりのインパクトがあるため、以前は春日“じゃないほう”、しずちゃん“じゃないほう”と言われていた2人だった。

そんな2人がタッグを組んだのが「たりないふたり」。番組のトークテーマは飲み会の抜け出し方や、目上の発言に対しての逃げ方など、2人のコンプレックスが爆発したものを展開し、大きな共感を呼んだ

山里と若林。2人のことをさらに深く知ることができるのが、この2冊だ。

『天才はあきらめた』

1冊目は、山里亮太・著の『天才はあきらめた』。

山里は、嫉妬や妬み、復讐という負の感情をすべて燃料に変換し、ひたすらに努力してきた芸人だ。本の中には、ライバル芸人に感じた悔しさや、下積み時代に悪態をついてきた社員への苛立ち、講師や作家が投げかけてきた言葉の理不尽さなど、「よくここまで覚えているな」というくらい、事細かに当時の感情が描かれている。

読み進めていく途中で、たびたび山里の直筆のノートが登場するのだが、そこには当時言われてムカついたことや、復讐リストがつらつらと書き殴られている。

山里は、自分の中で山のように積み上がった負の感情を、余すことなく努力の燃料にしている。「いつかあいつを見返してやる」、「次に会ったらこう言ってやる」。その瞬間のために努力を繰り返していると、気がつけば羨ましいと見上げていた場所に自分自身が上り詰めていたのだ。

誰しも、嫉妬や妬みの感情が生まれることはあると思うが、その感情をすべて努力に変換するのは意外と難しい。どこかで、きっとあの人には追いつけないと諦めたり、言いわけをして逃げてしまうのがふつうだ。だが『天才はあきらめた』には、山里がどのようにして負の感情を逃げることなく努力へ変換していったのかについても書かれている。

自分の一番醜い姿を逆手に取り、なんなら助長させて味方につけてしまう。そんな山里流のぶつかり方を目の当たりにすると、わたしも、“もう1人の醜いわたし”に、「少しは力になれ!」と言いたくなってしまう。

『社会人大学人見知り学部卒業見込』

2冊目は、若林正恭・著の『社会人大学人見知り学部卒業見込』だ。

『社会人大学人見知り学部卒業見込』では、若林が感じた社会と自分の“ズレ”について書かれている。

写真を撮るときは笑顔のほうがいい。積極的にいろんな人と関わったほうがいい。何か趣味を持ったほうがいい。世の中の大半の人が「そのほうがいい!」と言いそうなことに対して、若林は、それってその通りにしたところで本当におもしろいの? と自分の中で問い続けるのだ。

わたしも社会人になり痛感したが、社会には「こうあるべきだ」という目に見えないルールがいくつもある。そのルールを守ったほうが何事も円滑に行くことはわかっているのだが、ときどきそれがとてもつまらなくて、くだらないことだとも感じる。自己啓発本が好きになれないのも、この感情が関係しているような気がする。

『社会人大学人見知り学部卒業見込』は、山里の『天才はあきらめた』とは構成が少し異なり、若林が雑誌に掲載していたコラムを1冊にまとめたものになっている。

連載当初のコラムには、若林が社会の「当たり前」に疑問を持ちつつ、どう向き合っていけばいいのか悩んでいるようすが伝わってくる。だがコラムを読み進めていくと、若林が歳を重ね成長していく中で、不恰好な自分のままでいいと思えるようになっていくまでの精神の変化を感じることができる。

たりない自分に矢印を向ける

南海キャンディーズは2004年のM-1グランプリで凖優勝、オードリーは2008年に準優勝をし、M-1グランプリをきっかけに劇的な環境の変化を体験している。

忙しい中、それぞれ自分の中の“たりない”部分を感じながら、日々を戦い、もがいている2人のようすが、この2冊には詰まっている。

そんな2人の生き様はわたしからすると、矢印を常に自分に向け続け、なんなら自分で矢印を大きくし、突き刺して、「痛って〜」と言いながら歩いているように見える。

それに比べてわたしは、どれだけ自分に矢印を向けられているだろうか。コンプレックスに塗れた自分を受け入れることはとても怖いし、できるなら目を背けて気づかないフリをしたい。だが、怖くて避けている自分や、言いわけをして逃げている自分、そういうものを全部ひっくるめて、まだまだもがいて暴れることはできるんだということを、2人に言われたような気がした。

正直わたしは今でも、スマートに仕事をこなす人を見ると劣等感で押しつぶされるし、どんなシチュエーションでも社交性を発揮して余裕がある人を見ると、惨めなあまり消えたくなる。

2人はそんなわたしの横っ面を叩き、「いつまで眺めてんだ!眺めてたってな、あいつと中身が入れ替わるわけでもないんだから、そのまま歩け!」と言ってくる。

わたしはまだ2人のように、一番見たくない自分をとなりに置いて歩くことはできないけど、そんな自分をチラ見するくらいならできる気がしてきた。そうしてもがきながら歩き続ければ、憧れていた姿ではないかもしれないけど、また違ったかたちで行き着く自分の姿があるのかもしれない。

ダサくてイタくて、不器用な生き方かもしれないが、わたしはこうするしかないのだからしょうがない。相変わらずコンプレックスは消えないままだが、とりあえずこのままもがいてみようと思わせてくれた。

(文:はるまきもえ

― presented by paiza

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