「幽霊や呪いより人のほうが怖い」っていうのは、映画でも小説でも使い古されたクリシェですけれども、現実世界も同じで、物怪や怪異の類なんかより人間がずうっと怖い。これは社会人経験のある人なら、おわかりいただけるんじゃあないでしょうか。

私自身もフリーランスのグラフィックデザイナー・ライターとして、かれこれ20年弱活動しているわけですが、そりゃあ頭の血管がブチ切れそうになるほどの怒……もとい背筋が凍るほど恐ろしい話は神社に奉納するほどありまして、おっかない出来事をたくさん経験してきました。

その経験を思い出すたびに「あの野郎、生涯『こちら側のどこからでも切れます』が切れなくなっちまえ」とか「家のWi-Fiが終日平均120Mbps遅くなれや」など、微笑ましくも細やかな呪いをかけているのですが、呪いっちゅうのは少し間違えると自分に返ってくるもので、先ほどもキーボードの調子がおかしくなり、Googleドキュメント上でずっとああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああみたいな感じで「あ」が止まらなくなっちゃって、ようやっと復旧して本コラムを書いています。

昔から「人を呪わば穴二つ」とはよく言ったもので、他人に呪いをかけるのはよくない。では、自分が過去に味わった屈じょ……もとい怖い話を成仏させるには、この経験を他人に話して笑い話(と原稿料)に昇華させれば過去の自分も浮かばれるのではないかと考え、今回はフリーランスの怖い話を、本メディアに掲載できる程度のライトな案件から一掴みしてお話しします。

「7人居る!」

10年前くらいの話なんですがね、フリーランスのグラフィックデザイナーの、仮にAくんとしておきましょうかね。当時、そろそろ自力で食えるようになってきかなってくらいの、若手のデザイナーだったんですけど。

かといって月々の収入は安定しているわけじゃないから、単発じゃなくて継続的にもらえる案件がほしいわけです。そんなとき、取引先のBさんから「セミナーのチラシを作ってほしい」っていう依頼が来たんですね。よくよく聞いてみると、発注元の身元は固くて、定期的に発注してくれるときたので「ぜひお請けします」となった。

で、制作をするのはいいんですがね、やっぱり出てくるのはギャラの問題で。
「セミナーは東京・名古屋・仙台・福岡・大阪で行うから、5種類のチラシがほしい。デザインは同じでいいから地図だけ変えてくれればいい。サイズはA4で、デザイン料は20,000円」と提示されて、まぁ安いんですけど、継続してもらえる案件っていうことでね、引き請けちゃったわけだ。

それでまず初稿を先方の担当者、仮にBさんとしましょう。Bさんに出して、軽い戻しがあって、2稿で「OKです」となった。まあスムーズな仕事だといえるでしょう。「このくらいの作業量なら20,000円でも悪くないかな」と一息ついていたら、担当者から電話があったんですね。

「OK出したデザインですけど、これから各地区の部署で確認してもらいます」って。

そのときAくんは「はてな」と思った。

「変だな、おい」

デザインはOKをもらっているはずなんだ。修正があったとしても地図の微調整くらいなんだ。でも、どうやらBさんはデザインを各部署で確認してもらうと言っている。

「どうもこれ、地雷案件だぞ」

Aくんはそう思ったんだけど「確認するな」とは言えませんから、修正が来ないのを祈ってBさんからの連絡を待つしかなかった。でもやっぱり「何か言って仕事をした気分になる人」っていうのはいるもので、東京・名古屋・仙台・福岡・大阪それぞれで言っていることが違う修正指示がBさんから届いた。

Aくんは背筋がゾクーッとして。もう目の前も真っ白になっちゃったんだけど、決裁者が後から登場するのはよくあることだから、「まあ仕方ねぇな」と思って、Bさんと擦り合わせて、なんとかデザインを仕上げたんです。

Bさんは「じゃあこれからもう一度各地区の部署に戻して、確認してもらいます。また連絡します」って言うもんで、Aくんは「これで終わればいいなあ」と思って、再び一息ついたんですね。これまでBさんだけだと思ってたのが、各地区の決済者まで出てきちゃって、6人は流石にめんどうくさかったけど、まぁもう、さすがにOK出るだろうって。

翌朝、Aくんが寝ているとどこからか音がする。

ブーン

ブーンブーン

ブーンブーンブーン・・・

Aくんは仕事柄生活リズムがバラバラなもんだから、遮光カーテンでね、いつでも部屋が暗いわけです。その今何時かもわからないくらーい部屋の中でね、スマホがぼおっと光ながら、ブルブルと震えてたんだな。

スマホのディスプレイを見ると、着信元はBさん。Aくんは感覚で「嫌だなー怖いなー」と思ったけど、出ないわけにはいかない。電話に出ると「デザインOK出ました。それで」とBさんが切り出したあと、こう続けた。

「本案件を統括している部長に最終的なデザイン確認をしてもらいますんで」

その後、Aくんは仕事をなんとか終えたんですが、次の依頼は請けなかったそうです。

「減額老婆」

これは東京での話なんですがね、フリーランスのデザイナーの、仮にCくんとしておきましょうか。Cくんの知り合いの、Dさんっていう高齢の女性社長から来た依頼の話です。

Dさんはファッション関係の仕事をしていて、彼女からCくんに「パンフレットを作りたい」って話が来たんですね。

「どんなパンフレットですか?」って聞いたら、Dさんが立ち上げる新しい会社のパンフレットで「クリエイティブな業種だから、フレッシュで洗練した感じがいい」って。

この時点でCくんは「嫌だなー怖いなー」と、ちょっと地雷な予感がしたんだけど、昔お世話になった人の依頼だから断るわけにはいかないんですね。で、請けちゃったわけだ。

それで制作するのはいいんですが、ここでも出てくるのがギャラの問題で「変形A3で8ページ、諸経費込みで30,000円」って言われて、Cくんは「安いな、おい」と思った。けど「Cくんのセンスはいいから、全面的にお任せする」っていう言葉を信用して、長い付き合いもあるし、請けちゃったわけだ。

で、初稿を出したんだけど、お任せって言ってた割にはDさんは「もっとフレッシュな赤がほしい」とか「今より驚きがあるデザイン」とか「シンプルだけど単純過ぎない感じで」とか、抽象的なことを言うんですよ。

この時点でCくんは「これ、地雷案件だぞ」と確信したんですが、お世話になった人だし、しっかり仕事をしようと思って、抽象的な内容を具体的に詰めてね、8時間くらい話して、イメージをまとめて、それでやっと「じゃあこれでいきましょう」って言質までとって、結構な時間をかけて2稿を作成して提出したわけだ。

デザインを出してから3日後くらいに、Dさんから「ちょっといろいろ考えて変更したいところがあるから、打ち合わせをしたい」と連絡がきた。

Cくんは思わず「はてな」と口に出してしまった。

「変だな、おい」

あれだけ話を詰めて、言質をとって、2稿を提出した。間違いなく要求を反映したデザインをしたんだ。もし修正があったとしても細かなものなんだ。

「考えたんだけど、もっとなんかこう、インパクトない? 今のままじゃちょっと弱い気がして」

Cくんはサァーーーッと血の気が引いちゃって、意識が飛びそうになっちゃったんだけど

「この前の打ち合わせのとき、ここはこんな感じで、あそこはこういうテイストでって決定しましたよね?」って、震える声で伝えたんだけど、Dさんは

「そんなこと話したっけ? 覚えてないんだけど」と返してくる。こうなるともう言った言わないの押し問答で、どちらかが譲歩するしかないんですね。そうこうしているうちにDさんが

「じゃあ事務所に来て、一緒に確認しながら作業しよう」と提案してきた。

Cくんは「嫌だな、おい」と思った。出張校正っていうのは、往々にしてろくなことにならないんです。ギャラが10倍でも割に合わない。でも、Cくんも疲れ果てていたんでしょうね。「でもまあ、見せながらやれば納得するだろう」と考えて、事務所に行くことにしたんです。

当然ながら、Dさんはうしろでモニタを観ながら「ここ、もうちょっとシャープな感じにできない?」とか「シンプルだけど、ラグジュアリーな感じもほしい」とか、思いつきで抽象的な意見を言ってくる。Cくんが修正してみせると「あ、やっぱり違うから戻して」と、その繰り返しなわけだ。

思いつきの修正を繰り返していると、当たり前だけどデザインはどんどんぐちゃぐちゃになっちゃう。それでもDさんは「やってる感」があったんでしょうねえ。やがて納得したのか

「これでいいんじゃない? やっぱり確認しながらやったほうがよくなるでしょ?」って言ったんです。デザイン、とんでもないことになっているのに。

Cくんはもう反論する力も残ってないんで「デザインもOK出たし」って、帰宅して入稿作業をすることにしたんです。

そしたら深夜、丑三つ時ですよ。どこからか音がする。

ブーン

ブーンブーン

ブーンブーンブーン・・・

電話が鳴ったんだな。

スマホのディスプレイを見ると、着信元はDさん。Aくんは「よせよ、おい」と祈るような気持ちで電話に出たんだ。そしたらDさんが

「1箇所差し替えたい画像があるんだけど」

「おえっ、ゔぉえっ」

Cくんはもう気持ちが悪くなっちゃって、もう「じゃあデータ送ってください」としか言えなかった。

電話の向こうでチャカチャカー、チャカチャカーって音が聞こえて、Dさんが送信してたんでしょうね、いやーな音で。その直後に「今送ったから」って言われて、メールに添付された画像を確認したら、GIF画像だったんだ。

「おえっ、ゔぉえっ」

再び吐きそうになりながら「これじゃ荒れちゃいますけど、元の写真はありませんか?」って聞いたら「ないからそれ使って」の一点張り。もう背筋もゾクーッとして、手もブルブル震えちゃって、ずいぶんとジャギった写真に差し替えて送ったんだ。もう入稿データできてんのに。

そしたらまた

ブーン

ブーンブーン

ブーンブーンブーン・・・

電話が鳴ったんだな。

「もう、かんべんしてくれよ、かんべんしてくれよ」

そう思ってCくんが電話に出ると

「うーん、やっぱりなしの方向で」って言われたもんだから、当然Cくんは倒れそうなくらい怒りが込み上げてきたんだけど、まあここで怒っても仕方ないから、飲み込んで入稿作業を完了させたんだ。

入稿して上がりも確認したあと、Cくんは「やっと終わったな」って、ほとほと疲れ果てて、最後の仕事として請求書を出したんです。

そしたら2週間後、こんなメールが届いた。

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Cさま
¥30,000でお話し、口頭で双方了承したデザイン代についてですが、デザイン面でのダメ出しが重なり、納期が1か月ほどずれこみました。

ダメ出しの理由としては、当方の一方的な理由では無く、明らかに私の頭の中のビジュアルとCくんのグラフィックの具現化に相違があったからだと認識しています。

いずれにせよ、パンフレット制作遅延により約1か月の損失が出たのは事実です。

Cくんには実感の湧かないことかも知れませんが、1か月の損失は弊社営業にとって死活問題になる打撃なのです。

よって、上記結果に鑑みて以下の金額をお支払いしますので、ご了承下さい。

株式会社◯◯パンフレット制作費 ¥13,000

ご理解のほどよろしくお願いします。
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それから少し後に聞いたんですがね、Dさんの会社は立ち上げまもなく潰れたそうですよ。

(文:加藤広大

― presented by paiza

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