道路を歩いていくと、左に曲がるタイミングで靴に装着したデバイスがブルブルと震える。方向転換をして、さらに歩いていくと、右に曲がるタイミングでまた靴から振動が伝わってくる。右折し、目的の店舗に近づくと、今度は両足の靴が同時に震える。

視覚障がい者のガイドナビゲーションのデバイスである「あしらせ」は、両足の靴に装着し、スマートフォンと連携することで、振動によるナビゲーションを行う。左折するときは、左側のデバイスが振動し、右折するときには右側のデバイスが震える。振動するテンポは曲がる場所までの距離感によって変わり、距離が近くなるほど、振動のテンポが速くなる。

「あしらせ」は、視覚障がい者が家族やガイドヘルパーのサポートなしの安全な単独歩行を実現する。このプロダクトが開発された背景は、「あしらせ」開発元の「Ashirase」で代表を務める千野 歩氏の「親族が川のそばを歩いているときに足を滑らせて亡くなった」という経験があった。

そして、この「あしらせ」にはユーザーファーストで設計されたシステムも備わっている。

「複数の試作を経て、約4年かけて完成しました」

こう語るのは「あしらせ」のナビゲーションシステムのソフトウェア開発を創業前から担っているCTOの田中裕介さんだ。視覚障がい者向けのモビリティ「あしらせ」はどのように開発されたのだろうか。その背景を聞いた。

田中裕介氏 株式会社Ashirase 創業CTO
東京理科大学院 応用生物化学科 卒。 SCSK株式会社にて、RTOS開発・自動運転制御開発等に従事。その後、CTOとしてETC株式会社へ。様々なプロジェクトで上流から下流工程まで従事。Ashiraseでは主にソフトウェア開発を担当する。

HONDAでの出会いが製品開発のスタートに繋がる

提供:Ashirase

田中さんが「あしらせ」に携わるようになったのは、2019年。本田技研工業株式会社(以下、HONDA)で千野さんと出会ったことがきっかけだった。田中さんは、大学を卒業後、システムインテグレーターの会社に入社。HONDAに派遣され自動運転の研究部門で働いていたところ、同じ部署に千野さんが異動し、交流を重ねるようになった。

ある日、田中さんは、千野さんの親族で視覚障がいを持つ方が川で足を滑らせる事故で亡くなってしまったという話を聞いた。

当時、自動運転や電気自動車の制御エンジニアとして働いていた千野さんは、その事件をきっかけに「単独で死亡事故が起きてしまう“歩行”は、概念的にはモビリティではないか」「もしモビリティなのであれば、もっとテクノロジーの入る余地があるのではないか」と考えるようになった。そして、新しいナビゲーションシステムの構想に考えを巡らすようになったという。

その活動を聞いて胸が高鳴った田中さんは、「自分も携わりたい」とプロジェクトメンバーに立候補。千野さんが設立したSensinGood Lab.という団体で、業務外の時間を使い、ハンドメイドで試作品を検討していった。

「最初は、粘土で製品モデルを作っていました。そこに配線を通して、モーターと小型コンピュータであるラズベリーパイを繋げて製品開発のアイデアを試していましたね」

千野さんと出会って半年後、「将来的に独立したい」と考えた田中さんは転職を決意。エンジニアとしてのスキルを磨くために、ETC株式会社のCTOへ転職し、船舶のエンジンバルブ制御の研究や開発などの業務に従事した。

「自動運転の研究に携わっていたときにユーザーの声をシステムに落とし込んで開発する手法を学んだのですが、この考え方は今の『あしらせ』開発にも活きています」

最初の転機が訪れたのは、2019年の11月だった。内閣府が主催する宇宙ビジネスコンテストで、優秀賞を受賞し、1000万円の賞金を獲得したのだ。

このときのビジネスモデルは、「日本版GPS」と呼ばれ、自動運転にも活用されている衛星測位システム「みちびき」を使ってルート案内をするというもの。この賞金により3Dプリンターを購入し、製品形状の試作品を作れるようになり、製品の検討を加速させていった。

「ソニーのボードコンピュータ Spresenseを使って、開発に入る前の検証として『あしらせ』のPoC(概念実証)を行いました」

「あしらせ」は、ハードウェアとソフトウェアの両方を協調させて使用するデバイスだ。ソフトウェアだけではなく、ハードウェアの開発が伴うため、一般的なソフトウェア開発よりも多くの資金と時間が必要になる。ビジネスコンテストで得られた賞金は、活動を進めていく上で心強い後ろ盾になった。

2021年にはHONDAの新規事業創出プログラム「IGNITION」の第1号案件に採択され、数か月の活動を経て、会社からカーブアウトする形で「あしらせ」を開発する「Ashirase」が創立。

創業メンバーは、HONDAで出会ったCEOの千野さん、ソフトウェアの開発を担うCTOの田中さん、ハードウェアの開発を担うCDOの徳田さんの3名。資金調達を行い、本格的な製品開発へと乗り出した。

ユーザーファーストで開発を進める

提供:Ashirase

「Ashirase」が創業した2021年。製品開発は、視覚障がい者のスマートフォンの使い方を調査するところから始まった。

「iPhoneには読み上げ機能であるボイスオーバーが備わっています。その使い方を当事者からヒアリングするところから始めました。使い方を聞きながら、ボタンの配置をどの画面でも同じようになるように工夫しています」

また、ユーザー調査をした結果、視覚障がい者が使用しているスマートフォンの約9割がiPhoneで、その中でも物理的なホームボタンがついているiPhoneのSEシリーズの使用者が多数を占めると判明。そこでSEシリーズを含むIPhoneで快適な動作をするようにシステムの開発を進めたが、SEシリーズならではの課題もあった。

「iPhoneのSEシリーズは、通常のiPhoneよりも複数衛星群による衛星測位システム(GNSS)の精度がよくないことがあります。その精度の誤差をアプリで埋めるようなシステム開発を心がけながら、現在もアップデートを重ねています」

あしらせのアプリでは、地図情報をGoogle MapのAPIから取得している。ただ、Google Mapは視覚障がいのない人を基準にしてシステムが構築されているため、視覚障がい者にとって使いにくい部分もあるという。

「Googleマップの案内では、スマートフォンがどの方向を向いているかわからないので、『西/東に進んでください』と知らせることがあります。でも、地図や周辺位置を視覚で把握するのが難しい視覚障がい者にとって、そのような伝え方をされると混乱を招く可能性があるんです。『あしらせ』は、靴に装着して向きが固定されているので、ユーザーの身体の向きに対して、具体的に「左」や「右」と方向を伝えるようにしています」

こうした「あしらせ」のユーザーファーストの姿勢は、公式サイトのアクセシビリティにもよく表れている。視野や視力が残っているロービジョンの方が情報を読み取れるように、コントラストを強めるために黒色の背景に白色の文字が使われており、文字のサイズも大きくなっている。

提供:Ashirase

また、他にもユーザーにとっての使いやすさを考えた機能が備わっている。

たとえば、全盲の人がすぐに電池残量を認識できるようにデバイスのボタンを押すと音で電池残量を伝える機能があり、ロービジョンの人が認識できるように、バッテリーの残量はLEDで見えるようにしている。

「ユーザーの声を聞いて追加した機能もあります。たとえば、よくいく場所のルートを登録できる『マイルート機能』もその一つです」

「あしらせ」は150人の視覚障がい者にデバイスを体験してもらいながら開発を進めた。その中で、ユーザーから「歩行が楽しくなった」など好意的な声が挙がることもあり、製品開発への手応えを感じる機会は多かった。

会社を設立して2年、少しずつ改良を重ねた新しいモビリティは2022年に製品化の目処が立つ。2023年の3月には市場に投入する前のチャレンジとしてクラウドファンディングを行った。

クラウドファンディングで759万円の支援を達成

提供:Ashirase

2023年に挑戦したクラウドファンディングは、大きな成功を収めた。目標額の100万円に対して、759万円の支援を獲得したのだ。支援者の多くが視覚障がいのある人たちだったことからも、製品にかかる期待の大きさが見える。

「全国各地から支援をいただき、その後、120台のファーストロットの販売も行いました」

今後は、先行販売モデルで得られた知見やユーザーからのフィードバックを活かし、ニーズやご期待により応えるためのサービス品質向上を目指していくという。

最後に、今後の意気込みについて聞くと、開発時から変わらない姿勢を語ってくれた。

「視覚障がい者の方に寄り添いつつ、生活に溶け込みすぎて、つけていることすら忘れてしまうようなデバイスを目指していきたい。そして、そこから得られるデータを活用してもっと使いやすいサービスにしていきたいです」

(取材/文:中 たんぺい

― presented by paiza

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