ハードウェア・ソフトウェア両面のアプローチから、身体障がい者に必要な行動の支援や情報サービスへのアクセス、活用を支援する「アシスティブテクノロジー」を主事業とするテクノツール。2021年に同社の2代目代表取締役に就任したのが、島田真太郎さんだ。島田さんの父が創業した同社の経緯、事業承継の想い、今後の展望から導きだされる、島田さんの仕事の流儀とは。



島田 真太郎(しまだ しんたろう)さん:
大学卒業後、電子部品メーカーで3年間法人営業を担当。2012年にテクノツールへ入社、2013年に取締役就任。経営企画、営業を担当し、2021年から代表取締役を務める。2020年「第1回スタ★アトピッチJapan」アトツギベンチャー部門賞、野村ホールディングス賞、2022年「Industry Co-Creation(以下ICC)サミット KYOTO 2022」のピッチイベント「ソーシャルグッド・カタパルト – 社会課題の解決への挑戦 – 」で2位入賞、2023年「第3回アトツギ甲子園」優秀賞など、ピッチイベントへも積極的に参加。

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亡き姉のために父が創った会社 事業承継への想い


「当社の設立のきっかけは、わたしの姉です。父はもともと、まったく違う分野のエンジニアで、航空機の内装品の設計をおこなう会社で働いていました。僕の姉は父にとって初めての子でしたが、生まれつき知的にも身体的にも重い障害がありました。それで、4歳のときに亡くなってしまったんです。僕が生まれた半年後ぐらいのことでした。そのようなことがあって、父のなかである想いが芽生えたと聞いています。

もちろん亡くなったことへの衝撃は大きかったのですが、姉が生きている間に、福祉業界の方々にたくさんお世話になったことが印象に残ったそうです。自分のものづくりの力や設計ができる能力を使い、福祉業界に貢献できないかと考え、当社を設立しました」

テクノツール本社の一室で、島田さんは設立の経緯を説明する。インタビューをおこなった部屋は、島田さんの父、努さんの作業スペースも兼ねている。努さんは代表を譲った現在も一社員としてテクノツールで働き、現在も製品の設計や試作品の製作をおこなっている。整然と並ぶ工具に、ものづくりへのこだわりを感じた。

2021年、島田さんはテクノツールの代表取締役に就任。2代目の社長として、事業承継をおこなった。しかし、努さんから「後を継いでほしい」とは一言もいわれたことはなかった。

「家業に入ろうと決意したのは、2011年。東日本大震災の直後です。父は事業を継がせようとはまったく思っていなかったようでした。収益を出すことが難しい事業なので、自分の代で会社をたたむか、誰かに譲って終わらすかのいずれかと考えていたようです。なので、それまでは家業を継ぐという話は一切していませんでした。

しかし、わたしとしては姉のことで始まった会社であり、母も姉のことがあってから大学に入り直して、特別支援学校の先生になりました。そんな家庭で育ってきたので、なんとなく事業を継ぐことは意識していました。そのようななかで震災が起きて、いつ人生どうなるかわからないと思ったとき、事業承継を決心できたんです。それで父と話をして、1年後の2012年の4月に テクノツールに入社しました」

入社以前の島田さんは、電子部品メーカーで営業として働いていた。ナショナルカンパニーを取引先とし、競合優位性の高い製品もある安定企業だった。一方で、アシスティブテクノロジーを取り巻く市場環境についても理解していたという。

「アシスティブテクノロジーのニーズのある方々は、あまり収入のない方が多いのが現状です。一方で、わたしたちのつくるデバイスは、生産台数が非常に少ないので、当然単価が高くなります。本来ならば買うことができない可能性もありますが、日本のすばらしい点は社会福祉制度が確立されていることで、購入には補助金が出るため問題なく購入できます。

しかし、誤解を恐れずにいえば、この社会福祉制度そのものが市場の足かせになっていることも事実です。障がい者福祉はどうしても行政側で管理する傾向が強いように感じます。たとえば障害の程度によって購入してよいものが決まっていたり、個人の意思決定権がない場合もあります。社会保障とマーケットの機能については非常に悩ましい問題です。そういった業界としての難しさ、そして震災後の業績の厳しさにもあり、父は本当に悩んでいたようでした」

返答は2か月ほど保留されたという。そののち、島田さんは家業に入ることを許された。努さんからは一言、「覚悟しとけよ」といわれた。

決意のピッチイベント出場 事業への想い社会に響く

「第3回アトツギ甲子園」でピッチをおこなう島田さん(提供:ベンチャー型事業承継)

入社後、島田さんは営業の経験を活かした仕事を任された。現在テクノツールの主力製品の1つである、アームサポートデバイスの営業と販路開拓だった。

「当時、当社には外に出て製品を売る人がいなかったので、まずはそこからでしたね。ちょうど父が何人かと一緒につくった別会社でアームサポートの製品ができたので、営業をしたり販売店をつくったりしていました。それに加えて、現場のデータやフィードバックを会社に持ち帰って改良してもらったりと、ユーザーと会社をつなげるマーケティング的な役割も担当していました」

テクノツールの営業部門の立ち上げ、そして販路開拓も1からおこない、現在ではアームサポートデバイスが同社の看板製品となり、販路も確立し他のスタッフに任せられるほどになったという。島田さんが次に任されたのは、海外のプロダクトの輸入だった。これまで、同社では一部製品の輸入はおこなっていたものの、本格的な輸入を主導したのも島田さんだった。

「最初はフィンランドの会社から輸入をはじめて、そこからさまざまな国のデバイスを輸入するようになりました。Bluetooth接続のデバイスなどは電波法の申請などはありますが、その他には説明書の日本語翻訳などのローカライズなどを進めつつ、こちらも着実に取引先を増やしていきましたね」

営業先の開拓や輸入の本格化と並行して、少しずつ事業承継の準備を進めていた。

しかし、悩ましい部分もあった。事業の再編だ。

当時、テクノツールではアシスティブテクノロジーのほかに、ソフトウェアの受託開発事業や障がい者のコールセンター業務も請け負っていた。しかし、それらの事業は属人性が高く、採算性も悪い。事業を継続するか、意見は割れた。島田さんは社内で議論を重ねた結果、受託開発とコールセンター業務からの撤退を決意した。アシスティブテクノロジーにリソースを集中し、よりよい製品の開発や販売に注力するために舵を切ったのだ。こうして経営にも参画し、徐々に代表取締役への就任が見え始めたころに出会ったのが、家業の後継者が集まるコミュニティだった。

「一般社団法人ベンチャー型事業承継が運営している『アトツギファースト(当時の名称:アトツギU34)』という、全国にいる家業の後継者が集まるコミュニティに参加したんです。当時は事業承継前で同世代の跡継ぎの人たちと会う機会がなかったので、とても刺激的でした。夜に開催されるミートアップでは事業アイデアの壁打ち会やメンタリングなどをやってもらえるので、自身としても内面の整理ができました」

島田さんの経営者としての決意を強める出来事もあった。ピッチイベントへの参加だ。

「ピッチイベントはスタートアップを対象とするものだと思っていたので、正直自分とは一生関係のないものだと思っていました(笑)。しかし、ベンチャー型事業承継の代表理事を務める山野千枝さんが背中を押してくれたんです。同法人では、家業を継承しながら新規事業などにチャレンジする後継者のことを『アトツギベンチャー』と呼んでいますが、アトツギベンチャーたちが想いをぶつける場としてのピッチイベントを用意してくれています。

初めて参加した時期は、ちょうど「Flex Controller」(詳細は関連記事を参照)のプロジェクトを進めているときでした。『福祉業界だけにとどまっていてはいけない』という考えを持ってコミュニティに入ったので、製品開発と自身の事業にかける想いをぶつけてみたいと考えて、参加を決意したんです」

結果として、島田さんの想いはイベントを突き抜け、社会的に大きな反響を呼んだ。出場したイベントでは軒並み賞を受賞し、さまざまな企業やメディアから問い合わせが相次いだ。ピッチで島田さんが紡いだ言葉は、アシスティブテクノロジーの認知にも大きく貢献している。

福祉の社会課題を、福祉の世界に閉じてはいけない

テクノツール公式Webサイト(提供:テクノツール)

2021年、島田さんは正式に代表取締役に就任。2代目社長として歩みだした。現在、同社では新規事業への準備のかたわら、アシスティブテクノロジーに関する積極的な情報発信をおこなっている。島田さん自身もnoteでメッセージを投稿しているが、そのなかで気になるタイトルを見つけた。

『儲けることが最大の社会貢献』

その真意を島田さんに聞いた。

「わたしはあまり器用な人間ではないので、自分なりの正義を持つことや矛盾したことはやりたくないというのは大事なことだと考えています。そういった意味では、当社のソーシャルグッドな事業というのは、すごく自分の性に合っていると思います。一方で、わたしがやらなければいけないのは利益を出すことであり、事業を継続させていくことです。もちろん福祉の現場ではボランティアからのアプローチは必要です。しかし、ボランティアありきで考えるのも、少し違うと思っています。そういった趣旨で投稿しました」

実際、アシスティブテクノロジーをはじめとする福祉器具の分野は、景気に左右されることが多い。福祉器具に参入する大手企業の多くはCSR(企業の社会的責任)の文脈から参入することが多いためだ。多くの場合あくまで「社会貢献」の一環として参入するため、採算性を考慮せずにプロダクトを提供する。

しかし、景気後退による業績悪化は事業からの撤退を呼ぶ。結果として大手企業が提供した「社会貢献」は市場の伸長にはつながらず、採算性が悪化した中小企業の担い手は倒産や後継者不在により廃業するケースもあるという。テクノツールも当初は努さんの1代での廃業を検討していた。

「だからこそ、わたしたちは採算性を意識し、適正価格での販売をおこなっています。批判の声もありますが、当社が事業継続させ、幅広い選択肢を提供することこそが、当社ができる最大限の社会貢献だと考えているのです」

事業承継をおこなってから1年後となる2022年9月、テクノツールはリブランディングを実施した。ロゴやWebサイトのデザインはもちろん、同社のコンセプトメッセージを新設した。

「本当の可能性にアクセスする。」

最後に、今回のリブランディングの意図について、島田さんに聞いた。

「当社では2023年度内に就労支援事業の開始を予定しています。さきほどの通り、わたしは『福祉の世界だけに閉じていてはいけない』と考えています。それは業績的成長を見込めないこともありますが、なにより福祉の世界だけに閉じていたら、社会課題の解決にはならないと感じているからです。福祉制度にもとづき、福祉用具を販売しているだけのビジネスモデルでは経営が苦しいままで、デバイスによる個人のエンパワーメントだけでは、根本的に社会参加を支援できていないという課題感を覚えています。

しかし、Flex Controllerは、コンシューマー用ゲームコントローラの老舗であるHORIさん、そして当事者の人とのコラボレーションにより生まれました。わたしとしては、そこに手応えを感じました。『もっと外の現場に出たい。異業種の世界とも関わっていきたい』と思ったんです。そういった想いを込めて、リブランディングを決意しました。

『本当の可能性にアクセスする。』というメッセージはコピーライターの方に考えていただいたのですが、これは全社員と当事者、そしてステークホルダーに綿密なインタビューをしていただいたうえで出された案でした。すごく広がりのある言葉であると同時に、父の代、そしてわたしが引き継いでからも実現したことの本質をついていると思っています」

島田さんの7 Rules

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(取材/文/撮影:川島大雅

presented by paiza

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