わたしはフリーランス20年目に突入した40代のライターです。フリーとしてのキャリアが長いので、ちょっとのことでは動じないメンタルの強さがあると思われるかもしれません。しかし、実際のわたしはかなりいろいろなことが気になってしまうタイプです。

「こんなにいろいろなことが気にならなかったら、もっと目の前の仕事に集中できるのに。でも、気にしすぎちゃう面倒くさい性質は、きっと一生変わらないんだろうな」

そんなふうに半ば諦めていたのですが、2023年2月に発売された吉本ユータヌキさんの『「気にしすぎな人クラブ」へようこそ 僕の心を軽くしてくれた40の考え方』を読んで、「ああ、わたしはこう考えるからクヨクヨしちゃってたんだなあ」「別の考え方もあると知ったらモヤモヤしなくなるかも」と思えるようになりました。

性質を変える必要はなく(そう簡単には変えられませんよね?)、やるべきは「クヨクヨ」「モヤモヤ」といった感情の正体を知り、自分の考え方のクセを少し変えること。それだけで面倒くさい感情が手放せて、きっと仕事のパフォーマンスも上がることでしょう。

相手の反応が気になりすぎる面倒くさい自分


「あの人はどういうつもりであんなことを言ったんだろう?」
「〇〇さんが最近やけに冷たく感じるけど、わたし、何かしちゃったかな?」

誰かの言動が気になってずっとモヤモヤしてしまうこともあれば、ひとりで勝手に不安を膨らませて落ち込んでしまうこともあります。もともと日本語はハイコンテクスト文化(文脈や背景に依存する文化)ですが、とくに、相手の顔の見えないオンラインのやりとりはそれが顕著です。

「何か気に障ることを言っちゃったのかも」「わたしの仕事が相手の求めるクオリティに達していなくて失望されたのかも」そう思うと、いろいろなことが手につかなくなります。何も言われないのは、相手が満足しているからではなく、「どうせ言っても無駄」と思われているのだとしたら……。

考えても仕方がないことに脳のリソースを使ってしまっている自覚はありますが、考え始めたら止まりません。「気になりすぎるモード」に入ると臆病になってしまい、仕事においても「こんな企画を提案したところで、どうせ……」と消極的になってしまいます。

面倒くさい感情の「正体」を知る

本書には、気にしすぎな人が「気にならない自分」「気にはなるけど、しんどくはない自分」になるには、モヤモヤした感情の「正体」を知ることが大切と書かれています。部分的に引用しつつ、自分がどうしてそう感じてしまうのかを振り返ってみました。

否定されて「クヨクヨ」してしまう

“アイデアを否定されたり、資料にダメ出しされたり、ほかの人の意見が採用されたり、自分の発言でシーンとなったり。自分って仕事ができない人間なんだなと落ち込んでしまう。”

最近は考え方のクセを変えられるようになりましたが、ライターになりたてのころは、原稿を否定されると自分自身を否定されているような気持ちになりました。原稿がつまらない=わたしがつまらなくて無価値な人間だ、といわれているように感じたのです。

あるいは、言葉の誤用を指摘されたときに、相手は「単にその言葉の用法が違っている」と訂正してくれただけなのに、「ライターなのにそんなことも知らないなんてダメ人間だと思われただろうな」と(勝手に!)クヨクヨしてしまったこともあります。

逆の立場で考えてみれば、わたしが誰かから「うーん、これはダメだな」と思うような提案をもらっても、相手を「ダメ人間だ」と断ずることはありません。自分は相手の「提案」や「原稿」だけを評価しているのに、立場が逆になると「人」への評価だと受けとってしまう考え方のクセがあったのだと思います。

つまり、「クヨクヨ」という感情は、否定されているモノのすり替えから起こっているわけです。「仕事を任され続けるために、私が実践している7つのルール」にも書いたように、成果物と人格を分けて考えることで、仕事を否定されてもモヤモヤしにくくなりました。

手を挙げられなくて「ウジウジ」してしまう

“立候補したり、自己アピールしたりするのがどうしても苦手。周りの人の積極的で自信たっぷりな姿に胸がざわざわして、落ち込んじゃう。”

仕事がある程度できるようになってタスクの難易度や求められているレベルがわかるようになると、やってみたい仕事があっても「わたしじゃ力不足だしな」「迷惑かけちゃうかもしれないし」と二の足を踏んでしまうことがあります。要は、自信がないのです。

そんなとき、自分よりも明らかに経験もスキルも劣る人が「やりたいです!」と手を挙げるのを見たらモヤモヤするし、ウジウジしている自分が嫌になります。もっと正直に書くと、「なんでそのレベルでやりたいっていえるの?(無責任じゃない?/図々しくない?)」と思ったこともあります。

でも、本書を読んで、わたしは「完璧にできる自信がない限り、手を挙げるべきではない」という考え方のクセがあるんだな、と気づきました。そして、「できるかどうかわかんないけど、やってみたいでーす!」と考える人がいることも理解できたのです。

本書には、「できる」と「自信」は無関係だと書かれています。自信がある人が「できる」わけでも、自信がない人が「できない」わけでもない、と。だとしたら、「ウジウジ」という感情の正体は、気軽に「やりたいです!」と手を挙げられる人をうらやましく思う気持ちなのかもしれません。

性質を変えなくていい、考え方のクセを自覚する


本書に漫画とともに掲載されている40の「気にしすぎ」には「これ、わたしと同じだ」と思えるものがいくつもあり、自分の考え方に一定のクセがあることに気づきました。

「あの人、怒っているみたいだけど、わたし何かしちゃったかな」とモヤモヤしそうになったら、「それはわたしが勝手にそう思っているだけ」「本当のところはわかんないし、人には人の事情がある」とつぶやいてみようと思います。不機嫌な理由は提出した企画書のせいではなく、家族とけんかしたのかもしれないし、頭痛がしているだけかもしれません。

「ふつう、そんなことを人に軽々しく頼まなくない?」と思うようなお願いごとを人からされたとき、わたしは即座に「失礼だな。この人、わたしのことをバカにしてるのかも」とモヤモヤしてしまうのですが、「ちゅうちょなく人にものを頼める人もいる」と知れば、少なくともバカにされているとは感じずに済みそうです

何かをいただいたら即日にお礼の電話をするべしという信念がある人は、自分が贈り物をした相手から3日後にお礼のメールが来たら、「あんまり喜んでもらえなかったのかな」とモヤモヤするかもしれませんが、実際は「日にち感覚と使い慣れているツールが違うだけ」かもしれません。

何かが気になって仕方ないとき、「それってわたしが勝手に思っているだけじゃない?」「ふつうこうでしょって思うけど、あの人は違うかもしれないしな」と考えられれば、少しラクに生きられそうです。持って生まれた性質を変えなくても、自分の考え方のクセを自覚して、視点の持ち方を少し変えるだけで、心は軽くなります

本書には「正解」は書かれておらず、「こういう視点もあるよ」「こんなふうに考えてみたらいいかも」といったアドバイスがたくさん載っています。「モヤモヤ」「クヨクヨ」を手放せるヒントや自分なりの答えが見つかると思うので、気にしすぎな自分をなんとかしたい人や、心を軽くして仕事のパフォーマンスを上げたい人はぜひ読んでみてください

(文:ayan

presented by paiza

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