株式会社タイムインターメディア(以下、タイムインターメディア)でアーキテクトを務める千秋 修子さん。1991年、バブルが弾け始めた年にITエンジニアとしてのキャリアをスタートさせ、間もなく定年を迎える。 その30年以上にわたるキャリアの中では、家庭の事情でベルギーへ渡り、6年間現場を離れた時期もあった。しかし彼女は「ITエンジニアは、人生のさまざまな転機に柔軟に対応できる、手に職をつけられる仕事」だと語る。
現場の第一線からマネジメントまでを経験し、キャリアのブランクを乗り越えてきたベテランエンジニアは、何を考え、どう技術と向き合ってきたのか。その軌跡に迫る。

千秋 修子さん プロフィール
株式会社タイムインターメディア システムライフソリューション事業部 システムサポート部 アーキテクト。
目次
IT黎明期に飛び込んだ、男女の壁を越える「手に職」という選択
1991年、バブル経済が終わりかけていた時期。千秋さんは大手企業のグループ会社へ新卒で入社した。当時から将来のIT人材不足が予測され、多くの企業でIT人材の育成が活発におこなわれていた。千秋さんも入社後にITエンジニアになるための研修を受けた。
「大学では文学部を卒業し、手に職をつけたくてITの研修をしてくれる会社に入社しました。当時はインターネットの黎明期で、コンピューターを使える人を育成することが盛り上がっていました。まだ、オフコン(オフィスコンピューター)を使っていた時代でしたね。オフコンでCOBOLを書いていました。1つのシステムをつくり上げ、それが動くことで社会に貢献できるのが面白かったです」
なぜ、手に職をつけたかったのかを聞くと、時代背景が関係することがわかった。
「1980年代はまだ女性が男性と肩を並べて働くという社会ではなく、寿退社という言葉もあった。女性は男性の補助役という見方もあったが、私が就職する少し前に男女雇用機会均等法が制定されて、これからはそういう時代ではなくなるという機運が高まっていて、手に職をつければ一生仕事ができると考え、エンジニアリングの世界に飛び込みました」
エンジニアとして技術を磨いていた千秋さん。2002年にタイムインターメディアで働いていた友人の紹介で同社への転職を決めた。タイムインターメディアは自分のペースで仕事ができる環境で、当時からリモートワークが可能だったという。
「通信がADSLの時代からリモートワークをしていました。子どもが小さいころや、体調が悪いときなどは自宅から仕事をしていましたね。こうした働き方ができたから、仕事を続けてこられたのだと思います」
働く時間を変更し、子どもが寝静まった夜中に仕事をすることもあったと話す千秋さん。子育てと仕事を両立しながら忙しい日々を送っていたが、それでも仕事を続けられることに喜びを感じていた。
仕事を離れた「ベルギーでの6年間」:キャリアのブランクを恐れない働き方

キャリアを順調に重ねていた千秋さんに転機が訪れる。配偶者のベルギーへの転勤が決まり、まだ小さかったお子さんと一緒に同行した。これを理由に、2009年にタイムインターメディアを退職した。
ワークパーミット(労働許可証)を持っていなかった千秋さんはベルギーで仕事ができず、キャリアを中断することになる。そのような状況でも、これまで培ってきた技術力を活かし、日本人幼稚園のWebサイトをボランティアで制作するなどの活動をしていた。ベルギーで過ごすなか、日本とは仕事への考え方が違うと感じる機会が多くあったという。
「ベルギーは仕事よりも家庭を優先することが多い国です。学校の先生が自分の子どもの体調が悪いからと当日休むのも普通ですし、それに対して誰も文句を言いません。むしろ、『先生の子どもの体調は大丈夫かな』と心配します。ほかにも、子育て世代の人たちが男女関係なく週4日勤務にしたり、1日6時間の時短勤務にしたりと、個々の状況にあわせて契約を変えている社会です。お互いに助け合っているのを感じたので、日本もそういう社会になってほしいと思います」
お子さんは現地の学校に通い、いまではバイリンガルだ。「自分の子どもながら、本当にすごいと思います」と千秋さんは笑う。
6年に及んだベルギーでの生活。配偶者の転勤が終了し、日本に戻ることとなった。
アルムナイ制度が拓いた新たな道
2015年に日本へ帰国し、しばらくはアルバイトをしながら過ごしていた千秋さん。ある日、かつての職場であるタイムインターメディアの社内パーティーに誘われた。
「うちの会社は以前から、社内パーティーを開催していました。9年ぶりにパーティーへ呼ばれて、ふらっと顔を出したら『人手が足りないから、また一緒に仕事しない?』と誘ってもらい、復職を決めました」
最初はパートタイマーとしてテスター業務を担当していたが、慣れたころに裁量労働制の正社員に切り替えた。タイムインターメディアに戻ったことで、あらためてITエンジニアの道を選んで良かったと感じたそうだ。
「ITエンジニアとして手に職を身につけていたからこそ、また仕事に誘ってもらえました。あらためて、この仕事を選んで良かったと思いましたね。ほかの職業と比べて、自分のペースで仕事をできる点も魅力に感じています」
千秋さんが所属するシステムサポート部はリモートで仕事をしており、Slack、Zoom、Backlogなどのツールを活用しながら業務を進めている。必ず出勤しなければならない仕事もあるなかで、ITエンジニアは比較的自分のペースで仕事ができると言える。
運用・保守業務の「面白さ」とベテランの矜持

現在、千秋さんは7人が在籍するシステムサポート部でアーキテクトという肩書を持つ。社内プロダクトであるeラーニングプロダクトのシステム運用・保守を主業務としつつ、営業活動やチームのマネージメントなど、多様な業務を担っている。現在の業務には、これまでの経験が活きている。
「営業的な動きやマネージメントなど、自分にできることはなんでもやります。そのなかでも運用・保守の仕事が多いですね。いまの仕事は、長年の経験が発揮できると思っています。たとえば、CLIしかなかった時代を知っているので、データセンター内の作業でGUIがなくても問題ありません。また、トラブルが発生した場合でも、長年の経験を活かして解決できます」
千秋さんが現在、最も情熱を注いでいるのは「システムの安心安全な運用」だ。 彼女の言葉からは、単なるルーティンワークではない、技術者としての深い洞察が垣間見える。
「どんなに小さな異変でも見逃しません。システムのログを細かくチェックし、トラブルの芽はすぐに摘みます。何かが起きたとき、その原因を究明するのが本当に好きなんです。まるで探偵のように、原因がわかるまで徹底的に追及します」
複雑なログの海の中からわずかな異変を読み解く力は、GUIが当たり前になる前のCLI(コマンドラインインターフェース)時代から、長年培ってきた経験と勘によるものだという。
トラブル解決をゲームのように楽しむ姿勢こそ、ベテランエンジニアの真骨頂と言えるだろう。
プライベートでは、オーケストラ活動に情熱を注いでいると。打楽器全般を担当し、なかでもティンパニをメインに扱うことが多い。ベルギーに住んでいたときも現地のオーケストラに所属していた。
「オーケストラの活動はストレスも多いので、必ずしもリフレッシュにはなりませんが、仕事と音楽に人生を捧げています」

複数のオーケストラに所属もしており、毎年5〜6回ほどのコンサートに参加し、仕事をしながら、趣味にも全力で取り組んでいる。
「女の人か…」キャリアを揺るがす壁との向き合い方
ITエンジニアの仕事をはじめて数十年。これまでのキャリアで感じた大きな壁はあるのだろうか。苦労はすぐに忘れるタイプだと千秋さんは笑うが、嫌な思いをしたこともあるという。
「ITエンジニアとしてお客さんのところへ打ち合わせに行くと、『ああ、女の人か…』という反応をされることもあります。それで、一時期は白髪染めをやめてみたり、派手なシャツを着たりしていました。そうすると、相手も少し怯むじゃないですか。まるで動物が自分の身を守るために威嚇するようなものですね」
女性だからという理由で、理不尽な対応をされたこともあると話す千秋さん。そのような経験をしてきたなかで、尊敬するロールモデルもいたという。
「いまは私が社内の女性最年長ですが、以前は女性の先輩も数多くいらっしゃいました。彼女たちはバブル期に就職し、男性社会のなかで私と同じような経験をしてきたと思います。そういう先輩方を尊敬しています」
そうした先輩たちがいたからこそ、千秋さんも仕事を続けてこられたのだろう。
AI時代に必要な力は、生成AIに「任せるべきこと」と「人間が考えるべきこと」
多くの会社で使用されはじめている生成AI。タイムインターメディアではGoogle Geminiをはじめ、GitHub Copilot、ChatGPT、Claude Codeなど、社員が希望する多様なAIツールを利用できる環境を整備し、積極的な活用を推進している。
千秋さんに、これらの生成AIを使用する際に大事にしていることを聞いた。
「どのようにデータを学習させ、どのようなプロンプトを設計するかが大きな鍵だと思います。日々、いろいろと試しているのですが、ときには自分で作業したほうが早いなと思うこともあります。でも、生成AIでできることが増えれば仕事の効率化につながるので、改善するために考え続けています」
多くの若者が生成AIを使用するようになってきた。生成AIに慣れ親しんだ若者が増えるなか、ITエンジニアとして長年活躍してきた千秋さんは、生成AIの使い方について次のようなアドバイスをくれた。
「真実と嘘を見分ける能力を身につけてほしいですね。つねに学び、考える力を身につけることが大切です。たとえば、生成AIの出力したコードが、少し間違っていただけでも動作しない可能性があります。そのときに、なぜ動作しないのか考えられる能力を身につけてほしいです」
千秋さんは、この「自分の頭で考える力」を、大学生になったお子さんにも伝えているという。
ツールに頼り切るのではなく、原理を理解し、思考を巡らせる。これこそが、AI時代を生き抜くエンジニアに求められる資質だと、千秋さんは静かに語る。
次世代ITエンジニアへ託す、キャリアを継続する「たった一つの秘訣」

数十年にわたり、さまざまなライフステージの変化を経験しながらもITエンジニアとして活動を続けてきた千秋さん。これからITエンジニアを目指す若者たちへ、メッセージをくれた。
「私は『継続は力なり』という言葉を大切にしています。人にはさまざまな人生の分かれ道があります。私の場合だと、結婚、出産、移住など。そのような人生のさまざまな転機に柔軟に対応できる、継続をしていくと必ず結果を得られるのがITエンジニアの仕事だと思います。手に職をつければ自分のペースで仕事ができるので、女性におすすめの職業です」
最後に、千秋さんが考える「理想のITエンジニア像」を聞いた。
「いろいろな壁を乗り越えていく人が理想のITエンジニアです。技術や役職、男女の壁などを軽快に乗り越えていけるITエンジニアになりたいと思います。そのために、しっかりと情報収集をし、考え続けていきたいですね」
人生の転機を経てなお、技術者としての輝きを放ち続ける千秋さんの背中は、次の世代にとっての道しるべになるだろう。

