順調にキャリアを積み重ねていたのに、思いも寄らないことからキャリアが180度変わってしまった経験はありますか?
わたしは介護作家でブロガーの工藤広伸です。この仕事をする前はコンサルティングファームで基幹システム導入のプロジェクトに参加したり、消費財を扱う会社で需要予測や在庫管理の仕事をしたりしていました。
しかし親の介護がきっかけで、40歳のとき突然フリーランスの物書きとして独立。文章の仕事をした経験はゼロでしたが、自作のKindle本を上梓し、商業出版の本を6作品書き上げました。
年齢に関係なく、突然始まる親の介護。34歳で脂が乗っていた会社員時代のわたしが、突然キャリアも収入も失ってしまった話から始めます。
目次
南国の楽園から地獄へ突き落された!
商品部のマネジャーに昇進して、丸1年。仕事は充実し年収も右肩上がりで、人生のピークを迎えていました。仕事の疲れを癒すために向かった先は、南国の楽園フィジー。インド系住民が多く、偶然立ち寄ったお土産店の店員もインド系の人でした。

不思議な日本語を使って話しかけてきた彼は、左手の甲をわたしに向け、2本の指でピースの形を作り、右手でそのピースから肘に向かってスッとなぞりながら、うっすら笑みを浮かべてこう言いました。
「2本(日本)から肘(フィジー)」
透き通った海の青さを上書きするほどつまらないギャグの洗礼を受け、日本へ帰国。空港で携帯の電源を入れると、岩手に居た妹から1通のメールが届きました。
「お父さんが脳梗塞で倒れた!」
わたしは荷物をまとめてすぐ、東京から岩手の病院へ駆けつけました。車いすに座っていた父に「どう、調子は?」と声をかけると、
「アガガ、アー」
言語障害でろれつが回らず、言葉が出ません。それならば文字で意思を伝えてもらおうと紙とペンを父に渡すと、今度は手が震えて字が書けず、意思疎通が全くできない状態になっていました。
65歳で何もできなくなった父の姿はショックでしたが、これまで積み上げてきた12年分の自分のキャリアが一瞬にして消えてしまう現実も目の前にありました。これから仕事が楽しくなる時期なのに、なんで今?
わたしは会社に辞表を提出、突然ニートになってしまいました。34歳、まさかこんなに早く親の介護が始まるとは!
本当の退職理由は誰にも言えなかった
30代で親の介護をしている人は、自分の周りには1人もいませんでした。
自分だけが社会のレールから外れ、ニートに転落する。なのに同僚はキャリアアップして、これからもバリバリ働き続ける。ニートになる恥ずかしさが勝ったわたしは、父のことは誰にも言わず、他にやりたいことがあると嘘をついて退職しました。
実は伯父も脳梗塞で倒れたので、介護の大変さは予測できました。当時父と母は別居中で、母は介護ができません。わたしの妹も2人の小学生の子育てが忙しいので、自分が岩手に帰るしかないと思い、会社を辞めたのです。
何を言っているのか分からない父の姿は絶望しかありませんでしたが、懸命のリハビリでみるみる回復。若干後遺症は残ったものの、倒れてから1年後にはひとりで生活できるまでになりました。
それに併せて、わたしも1年のブランクを経て転職活動を開始。最終的には2社から内定をもらい、正社員として復活しました。
その後、元上司が在籍していた会社から声がかかって転職したのですが、入社9か月目に今度は祖母が子宮頸がんで倒れ、同時に母の認知症が見つかったのです。
わたしは40歳で再び、介護離職しなければならなくなりました。
紆余曲折のキャリアでも大丈夫!
1度目の介護離職からまだ6年しか経っていないのに!と思いましたが、再就職後に始めた副業のブログで収入を得ながら、いつ介護が始まってもいいように貯金を蓄えていたので、一応準備も覚悟もできていました。
退社後は副業中のノウハウを生かして、2013年に介護ブログ『40歳からの遠距離介護』を立ち上げました。なかなか成果は出ませんでしたが、粘り強く週3回の更新を続けていたところ本の執筆や講演依頼、メディア出演などの仕事が増えていき、開設から10年以上経った今も継続して運営しています。

会社の業績悪化や職場の人間関係、わたしのように親の介護がきっかけで、予期していなかったキャリアの挫折は起こるものです。仮に思い描いていたキャリアとは違う方向へ進み、紆余曲折の道を歩んだとしても、そこで得られた経験は必ず糧に変えられます。
わたしもコンサル時代のプレゼンスキルは介護の講演会に活用していますし、マネジメント経験は、認知症の母の介護体制作りに役立てています。
地獄の入口とも思えた介護をきっかけにキャリアチェンジしたら、介護作家という天職が見つかったのだから、人生分かりませんよね。これまでの人生経験やスキルを使って、大好きな仕事ができている50歳の今が、実はキャリアのピークなのかもしれません。
(文:工藤広伸)