仕事の流儀や価値観について取材とコラムの両軸で展開してきたTech Team Journalの人気連載「Professional 7rules」。今回は大河ドラマ『どうする家康』、朝ドラこと連続テレビ小説『なつぞら』、『コンフィデンスマンJP』などのノベライズ本を手掛けてきた私が考える人生戦略7つのルールをお届けします。
目次
裏方の仕事にも誇りを持って
ノベライズという仕事をご存知でしょうか。
この仕事は、世間にあまり周知されていませんが、ノベライズされた作品名ならご存知のかたも多いかと思われます。私の仕事ですと、大河ドラマ『どうする家康』、朝ドラこと連続テレビ小説『なつぞら』、『コンフィデンスマンJP』など。
映画やドラマの脚本を小説の体裁に変換する仕事がノベライズです。小説は小説家が自身の手でゼロから創作するものですが、ノベライズは、脚本家の書いたものありきで、小説や漫画を映像の脚本化(脚色)することや、外国語の作品を日本語に翻訳することとも近いです。
なかには脚本家自らノベライズも手掛けることもあります。脚本を書いた当人の小説は別として、脚色や翻訳よりもノベライズの認知度は低い。
でもそこで自虐的にならず、仕事に誇りと責任をもって、手にとって楽しんでくださるかたのことを思って臨んでいます。
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ドラマや映画の台本は、設計図のようなもので、それをもとに俳優が演じたり、演出家がどんな画にするか、どんな音楽をつけるか……等々工夫したりして完成です。
ノベライズはそれに似て、台本という設計図をもとに小説化するのです。実際に映像化されたものを見て、俳優の演技や風景まで、しっかり再現することもあれば、どんなふうにビジュアル化されるかわからないまま、登場人物の動きや情景描写を考えて書くことがあります(ここが俳優や演出家の仕事における文章バージョンのようなもの)。
ただ、演じる俳優のかたはわかっているので、そのかたたちのビジュアルや動きを想定して書きます。
うれしいのは、台本をもとに想像して書いた描写と映像が合致したときです。台本という設計図をもとに最適解を考えられたことに安堵します。たいていの場合、俳優がとてもいい演技をして、台本から想像もしなかったものが立ち上がることが多いのですが。
たとえば、大河ドラマ『どうする家康』では、主人公の徳川家康が、織田信長に従う意思を見せるための接待の場(富士遊覧)で、海老すくいという踊りを踊るとき、家康役の松本潤さんの踊りがとても切なそうで胸を打ち、このシーンを言葉で再現したかったなあ!と強く思いました。余談ですが、いまは、ビジネス飲み会は避けられる時代。クライアント接待をはじめ、上司と飲みに行かなくてはいけないという習慣のつらさが、ドラマの家康を通して現代にも通じるような気がしたものです。
爪痕を残したい野心に折り合いをつける
話を本題に戻します。私がノベライズの仕事をするにあたり心がけているのは、できるだけ台本や作品に忠実に書くことで、脚本家の書いたセリフはページのゆるすかぎりカットしないようにします。セリフは決して足さないし、いじりません。映像が見られるなら、絵画における写生のように映像を文字化すべく心を砕きます。
そのため、事前に、できるだけの映像資料をもらうようにします。すでに映像があれば見て、ない場合は美術や衣装や小道具の写真などいただきます。
ドラマはノベライズ作業と撮影が同時進行ということもよくあって、映像を見ることがままならないのですが、映画だと、すでに完成したものを見て書けることが多いので、ヘビーローテーションして、映像のリズムに文体を合わせるようにすることもあります。松居大悟監督の『ちょっと思い出しただけ』は、映像を見すぎて、主題歌であるクリープハイプの『ナイトオンザプラネット』が頭にこびりついて離れなくなってしまいました。映画のラスト、この曲の入るタイミングがものすごくいいんです。
一方、台本をもとにまったく違うものを書く作家さんもいます。たとえば、『コンフィデンスマンJP』(16年)のドラマのノベライズは、古沢良太さんの書いた脚本の流れに忠実に書きましたが、映画版のノベライズは小説家の山本幸久さんが、映画の流れとはまったく違った独特の描き方をしています。それは山本さん自身がオリジナルの小説を多く書いているからこそで、山本さんのイマジネーションとスキルによって、別のおもしろさがあります。
ドラマや映画のファンのかたは、その作品を追体験したいかたが多いので、なかには異なる内容に戸惑うこともあるようですが、日頃、小説を読み親しんでいるかたは、小説独自の描写を楽しまれることもありますし、ノベライズの方向性は、書籍を出す編集者や、ノベライズを許可した作家や映像のプロデューサーの考え方次第です。
『マルモのおきて』(11年)のノベライズをしたときは、終わり方をドラマとは違うものにしてほしいというドラマのプロデューサーの要望で、オリジナルの終わり方を考えました。かなりの人気作だったので、ドラマと違う展開を書くことにはものすごくプレッシャーでしたが、想像力を試されるおもしろい体験でした。その逆で、編集者さんはただただ作品に沿ったものを希望していたにもかかわらず、書き始める前に、凝った構成と文体を提案して却下されたこともあります。まだこの仕事をはじめたばかりの、尖っていた頃で、いま思えば、バカだったなあと恥ずかしい。原作を改変しすぎて原作ファンに怒られる映画やドラマみたいなことをしてどうする。
人間、誰しも、仕事において自分の爪痕を残したいという野心を抱くこともあるわけですが、変わったことをしなくても、それなりのしどころがあるもので、それを発見することも大事です。ノベライズでは、感情描写というものがそのひとつです。台本はセリフが中心で、状況や心情はごくシンプルに書いてあるだけのことが多く、その理由は、俳優やスタッフが、台本をもとに、それぞれのイマジネーションを発揮するためです。だからこそ、先述の『どうする家康』のように、えびすくいを踊る と書かれたところを、俳優や演出家のアイデアで、大きく膨らませることができる。ノベライズでも同じく、セリフとセリフの間や1行のト書き(情景描写)をたっぷりめに書くこともあります。主として心情表現です。登場人物の視点で、そのとき、◯◯はこう思った、ということを細かく書くやり方です。
青春ものや、ヒューマンもの、ラブストーリーなどは心情描写を増やすと、共感されやすい。そう思って、小栗旬さんの初監督作をノベライズした『シュアリー・サムデイ』(10年)は心情をせっせと書きました。でも、この心情というものは最も難しいと私は思っています。ともすればナルシスティックになってしまうからです。日常でも自分語りはうざいものですし、心情が、書き手の解釈の披露になってしまわないように、塩梅、あるいは、技がなければならないと自分を律しております。
心情はある種の答え合わせです。でも、答えをすべて決めないで、読者が自由に感じる部分も残したいという気持ちもあります。それも脚本家の個性にもよるのですが、古沢良太さんの『家康』では、心情を補完しすぎないように意識しました。その代わりに行ったことがあります。自然描写に心情を託しました。短歌や俳句のように空や植物の描写で、読む人に想像してもらいたいと考えたのです。そんななかで、最終巻、茶々のある行動の場面は、初稿では彼女の事情や心情を多めに書いたのですが、何度も何度も悩んだすえ、最後の最後で消しました。
作品を分析し、作家の心情をおもんぱかる。そのスキルには、私のノベライズ以外の仕事が生きています。私はドラマや映画の評論や取材などもしていて(そちらのほうが多い)、台本を読み込み小説化するうえで役立っています。あと、映画やドラマや演劇を作っている現場取材によって、表現の試行錯誤をたくさん見てきたことも生きていると思います。
どんな経験も役に立つものです。とはいえ、心情の解釈は、脚本家の考えたものと違うときもあって、つねに緊張の連続です。でもその違いが、作品の可能性を広げることもあると思ってくださるかたもいるし、なかには、脚本家のかたが原稿を見て、指摘してくれることもあります。それは、台本をもとに映像化する俳優やスタッフの仕事と同じ。ノベライズも集団作業だと認識しています。
集団作業を意識する
ノベライズを書くときはたったひとりの孤独な作業ではありますが、決してひとりではなく、たくさんの人達とのチームワークで成り立っていることを忘れてはいけないと肝に銘じています。台本を書いた脚本家や、プロデューサーの思いがあって、それを本にして読者に届けたい編集者がいて、校閲者がいて、印刷屋さんがいて……と。自分の仕事は駅伝のランナーのひとりなので、どこまでの完成度で、いつまでに次の人に託すか、工程をしっかり考えます。そうやって徹底したものの、他者の事情で状況が変わることもあり、そのとき、どう対処するかが、実は最も問われるような気もします。
自分の都合を優先したいけれど、相手は相手で都合があるわけで。かといって、いつも相手に合わせてばかりでは、自分がしんどくなるばかり。請負い側の苦しみがあります。そういうとき、どういうふうに持ちかければ、相手がいやな気持ちにならいだろうかというのも大事だと思っていて。この提案やリクエストが、個人の問題ではなく、このプロジェクト全体のため、あるいは相手のためにもなることを明示するようにしています。
思うようにことが進まず、切羽詰まってくると、イライラしてつい雑な対応になってしまいがち。そういうときこそ、落ち着いて、メールの文章を丁寧に読み返し、いつも以上に丁寧に相手へ接しようと努めます。イライラするとPC にコーヒーをこぼしたり、ホラー映画みたいに電化製品が壊れたりしますから要注意です。なんといってもまず自分が締め切りを守ることが一番大事ですが。
ありきたりになってしまいますけれど、とにかく、感謝の気持ちを忘れない。仕事のうえの良いアイデアは、自分のためよりも、誰かのことを考えたときに生きるような気がしています。どんな仕事も、自分の創造性2割、他者8割くらいでしょうか。
とりわけノベライズは、他者が書いた作品を託してもらっているので、その人がどれだけの力を注いだか思いを馳せています。『なつぞら』では書く前に、舞台になる十勝まで行って、そこがどれだけ広大かこの目で見てきました。脚本家はシナリオハンティングといって、作品の舞台になる場所を見てイマジネーションを沸かせるものなので、同じものを見ることで、脚本家が感じたかもしれないことを想像したいと心がけています。『家康』でも舞台となるさまざまな地を見に行き、歴史資料や歴史小説を読みまくりました。ノベライズに限りませんが、できる範囲で身銭を切ることは、私が尊敬する監督や演出家から聞いた言葉でもあり、意識しています。それをするかしないかで責任感がだいぶ違うものです。他者の意思を引き継いだ仕事ではありますが、自分の実体験として、腹に落とすことで、断然、モチベーションが変わります。
こんなことを思いながら書いています。書店でノベライズを見かけたら、小説じゃないんでしょ? とスルーせずに、ぜひ手にとってみてください。
(文:木俣冬)