仕事でもプライベートでも「やらなきゃなぁ…」と脳内に居座っているタスクほど、なかなか手をつけられない。

キャリアチェンジを漠然と考えていながら、スキルの棚卸しや応募の準備など、動き出しに億劫さを感じる。そんな人も多いのではないだろうか。

とくに人生を左右するキャリアの悩みは、自分で自分を追い込んでしまうことも少なくないだろう。

かつて、そうした悩みを抱えている一人だった、芸人・バイク川崎バイクさん。

「僕ら(B) 今宵(K) 馬鹿騒ぎしようぜ!(B) B・K・B ヒィーア!」と自身の芸名のイニシャルを盛り込んだフレーズで一気に場を盛り上げ、漫談や一人コントで笑いの渦を巻き起こす。お笑いのプロフェッショナルとしての今の姿からは想像しがたいが、実はバイクさんの最初のキャリアは美容師だ。

幼少期の話から美容師を目指したきっかけ、芸人になってから感じた壁など、キャリアへの向き合い方について伺った。

バイク川崎バイクさん プロフィール

兵庫県加古川市出身。お笑い芸人・小説家。美容師として3年間勤務したのち、友人とNSC大阪へ入学。コンビ活動を経て、2007年からピン芸人として活動を開始。ピン芸を競い合う賞レース「R-1ぐらんぷり2014」では決勝進出を果たす。2020年にはnoteで発表した超短編小説が話題を呼び、『BKBショートショート小説集 電話をしてるふり』として書籍化。メディアや舞台、YouTubeなど幅広く活躍している。

前に出ることは好きだった、インドアな少年期

「わたし演劇部やったから、その血を引いてるんやろな」と話す、明るくしっかり者の母と、シャイで真面目な父親の元で育ったバイクさん。

小学生のころは、近所の友人が皆ソフトボールクラブに入るなか「漫画クラブ」を選択。文学少年というより、ゲーム・漫画が大好きなインドアを好む少年だった。当時、多くの作品から触れた名言や遊び心が、バイク少年のベースを形成していく。

圧倒的に漫画を読んできました。今でも、実家と合わせたらコミックは4000冊くらい持っています。ただ、インドアといっても大人しいわけではなかったですね。

覚えているのが、小学校5年のときにクラスで狂言の『附子』を発表する機会があったんです。メインの演じ手が5・6人の中、そのうちの一人に入っていました。すゑひろがりずのネタじゃないですけど『よぉ〜う!』と全力で元気に演じて。みんなが笑ってくれたり、先生も『よかったよ』と言ってくれたりして、嬉しかったですね」

体は小さめだったが健全にすくすく育ったと、自身の成長を語るバイクさん。ただこの「健全さ・普通さ」に対して、数年後にコンプレックスを抱くことになる

美容師の理想と現実

美容師を目指したきっかけは、軽い気持ちからだった。中学卒業後に美容師になった同級生の姿や、幼少期の思い出から「美容師はかっこいい」というイメージを抱く。

「小学校のときに夫婦で営んでる散髪屋に行ってて、なんかいいなと思ってたんですよ。夫婦で店を構えて、これで一生食べていけたら幸せやなって。高3の子どもながら、おぼろげに考えていました」

進学した美容学校では、自由で楽しい2年間を過ごす。「今でも美容学校時代の仲間とは、時折連絡をとりあう」と話すバイクさんの笑顔から充実した日々だったことが伺える。

しかし卒業して、いざ美容師として働き始めると想像以上にハードな日々が待っていた。講習にボランティアに、自主勉強…。休みもどんどん潰れていく。

「美容師の仕事はやりがいがありました。あっという間に時間が流れるんですよ。本当に退屈な日なんてない。ただ途中から『なんとなくかっこいいから』という理由だけで美容師を続けるのは無理や…と思い始めたんです。

最初、美容師は『切ればできる仕事』と思っていました。ですが、そんなわけない。接客技術の向上、日々進化するカラーやパーマ、縮毛矯正の勉強、店を円滑に営業するための勉強など無限にあります。「これ、ほんまに美容が好きな人しか続かない仕事だな」と感じていました」

ハードな仕事だったが、決して手は抜かない。無遅刻無欠勤の真面目な姿勢は、美容室のオーナーやお客さんにも認められていた。美容師としてのキャリアに悩みつつも「仕事ってこういうもの」と折り合いをつけながら働き続ける。しかし、美容師3年目に大きな転機を迎えることに。

「一緒にNSC、入ってくれへん?」

地元の友人から、思いもよらない誘いが舞い込んだ。

芸人になったあとの“普通”コンプレックス

「NSCって何やったっけ?」

お笑いは大好きでも、自分が芸人になるなんて一度も考えたことがない。そのため友人から言われた「NSC」という言葉も最初はピンとこなかった。ただ美容師としてのキャリアに悩んでいたことと友人による説得が重なり、まずは3年お笑い芸人としてやってみようと決意する。

「3年、お笑い芸人をやってみて無理だったら、美容師に戻るから。」

両親を説得し、芸人・タレントの養成所である、大阪NSC26期生として入学。入学時に800人ほどいた同期のなかには「かまいたち」「藤崎マーケット」「アインシュタイン・河井ゆずるさん」など、そうそうたるメンバーもいた。

ただ、芸人としてデビュー後、バイクさんが感じたのは自分の生い立ちに対するコンプレックスだった。

「普通に育ったことに対するコンプレックスが、芸人になってからめっちゃあります。貧乏だったとか、すごいヤンキーだったとか、波万丈な人生を送っている芸人が本当に多いんです。

壮絶なエピソードや経験なんて、ないほうがいいに決まっているのに。そうした部分がフィーチャーされた芸人の特集とかをみると、自分はすごく普通に育ったんだなと。

ハードな人生を送ってきた芸人に対してちょっとだけ『いいな』と複雑な気持ちを持ったこともあります」

「自分には、人に語れるようなものがない」と普通に対するコンプレックスは、いまだに感じると語るバイクさん。しかし、普通ならではの戦い方や持つべきマインドも見出した。

「普通だからこそ、想像で戦いたいと思いました。そうした想いが小説執筆とかに表れたのかもしれないですね。やっぱり、壮絶な人生を送っている人のほうが『すごい』とか言われがちじゃないですか。すごいことは分かってるんですけど『普通は普通で頑張ってるよ』『普通も舐めんな』ということも言いたいですね」

コンビからピン芸人へ

バイクさんが芸人デビューしたときに話を戻そう。お笑いの世界に誘ってくれた友人は、半年ほどでNSCを辞めてしまう。誘った側が辞めるのは、芸人の世界ではよくあることだという。

その後バイクさんは、NSCで仲良くなった別の同期とコンビを組んで活動をスタート。

インディーズライブで優勝し、1年目からM-1グランプリの3回戦に進出するなど、若手コンビとしては順調に見える日々だった。しかし、コンビ間ではネタ作り担当の相方とぶつかることが多くなる。

「相方がストイックで『俺がネタ考えてるとき、何してんの?』『ネタを考えている俺が遅刻していないのに、なんでお前が遅刻すんの?』といった、売れてない若手が必ずぶち当たるやりとりが増えていました。当時の相方が嫌な奴というわけじゃなくて、売れてないときほど、どのコンビも言うんですよね。俺がネタを書いてるとき、お前は何の努力を…って」

その後、相方から「次のM-1が無理やったら、もう解散するか」と告げられ、二人はそれぞれの道へ。バイクさんは、再びキャリアの岐路に立った。しかし、当初考えていた美容師に戻る道は選ばずに「ピン芸人」の道を選ぶ。

「売れてなくても、芸人の日々が圧倒的に楽しかったんです。会社員の方とは違う部分かもしれないですが『急に売れることがある世界』です。賞レースで結果を残せば、昨日まで一般の人だったのに急に知名度が上がるとか『続けてたら、いつか』と思わせる世界ですから」

このころには芸歴を重ね、芸人仲間とのつながりも増えていた。ある日、コンビ解散のことを知った先輩芸人から、こんなアドバイスが届く。

「芸人を続けるんだったら『絶対休まないほうがいい』って言われました。『相方を探すにしても、休むと芸人として復帰するのが怖くなるで』って。

確かに今まで二人で舞台に出ていて、解散して一人で舞台に立つって、めっちゃ怖いんですよ。当たり前ですが、コンビ時代とは全然変わります。スベりまくりましたね。そこからはまわりに相談して無理やりネタを作って、試行錯誤の日々です」

ピン芸人としてスタートを切ったタイミングで、現在の芸名「バイク川崎バイク」を名乗り始める。このインパクトある芸名の名付け親は、意外な人物だった。

「『バイク川崎バイク』って芸名は、解散するときに相方がつけてくれたんですよ。

苗字が川崎なんですけど『川崎と言えばバイクやな。バイク川崎バイクでいいんちゃう?』って言われて。ふざけんなよって(笑)。バイク片方いらんやん。そんな名前の奴おれへん、意味わからんと思ったんですけど。まあでも、どうせ失うものは何もないから、その名前でいくわって。

今思うと、この芸名で得したことが多かったんで、元相方には感謝してます」

30歳直前にぶち当たった壁

バイクさんの話には「人に恵まれている」「⚪︎⚪︎のおかげ」といったフレーズが多く登場する。相手が誰であろうと、常に誠実さと謙虚さを持って接する人柄がのぞいているように思う。

そんなまわりへの気遣いあふれるバイクさんが、30歳を前に壁にぶち当たる。

「29歳のときに、一回しんどすぎて仕事を長期的に休んだことがありました売れないまま30歳を迎えるんかな…と不安になったんです。そのときは、辞めるとは言わずに『休む』ということにして、ライブを全部キャンセルしました。

その休養中に、名言や自分を救ってくれるような言葉をひたすら調べていましたね」

「このままだと、メンタルが持たない」、当時そう感じたバイクさんは、貪るようにたくさんの言葉たちを読みあさった。

「自分が笑わん限り、鏡は笑えへんからという意味の『鏡は先に笑わない』も、そのころに出会った好きな言葉です。誰の言葉か知りませんが、自分に刺さる言葉であれば誰の言葉でもいいんですよ。言葉の力が好きなんで」

当時、支えられた多くの言葉たち。そのなかのひとつ、韓国語のことわざである「始まりは半分」についても教えてくれた。

「掃除しよう、勉強しようと思っているけどスイッチがなかなか入らないって、人間の天敵じゃないですか。自分の場合、ネタを考える際に『ネタを仕上げなあかん』という頭になり、腰が重くなる。でも、ノートを開いてペンを持って机に座ったら『ちょっとだけやるか』ってなります。

実は、はじめの『ノートを開く』までが、しんどいんですよね。掃除をするのも、掃除機のところへ行くまでがしんどい。でも、やり始めたらずっと掃除をしちゃうときもあるじゃないですか。『始まりは半分』は『初動さえ動けば、半分終わったようなもん』という意味で…。

この言葉に出会ったとき、思ったんです。お笑いをやってるだけで、俺はゼロよりはやれているんじゃないかって。一歩だけ動ければ5割もいったようなもん、ってすごい楽になれる言葉だなと思いました」

悶々と悩みながら迎えた30歳の誕生日は、家から出ず、ヒゲも生やしっぱなしの最悪の状態だったとバイクさんは振り返る。しかし、こうした言葉の力や芸人仲間たちからの声かけによって、ゆっくりと時間をかけてバイクさんのメンタルは回復していった。

こうした経験を経たバイクさんは、現在キャリアに悩む人たちに向けて、どのような想いを抱いているのだろうか。

「人に優しく、自分にはもっと優しくしてほしいなって常々思いますね。結局優しくされたら優しくしようと思えますし。

追い込んで頑張るのも、もちろん大事です。でも、メンタルを常に健康に保っておかないと、人って動く気にならないので。自分には絶対優しくいてほしい」

単に自分を甘やかすのではなく「一歩踏み出した上で、無理だったら辞めてもいい」というスタンスでいることが、心を軽くする上で大事だという。

「きっと、みんなすごく大きなゴールを決めた上で動き出そうとするから、一歩踏み出しづらくなるんですよね。『まず一歩目をやってみよう』『無理だったら無理でいい』そして『無理をしすぎない』ことを心がけてます。自分に続けられる範囲のチャレンジをしてみて、無理なら辞める。かといって荒いものではなく、ていねいな仕事を意識していますね」

まわりにも自分にも優しくをモットーに、一歩ずつ自分の道を切り拓いてきたバイクさん。この考えこそが、さまざまなルートを楽しく走る秘けつなのかもしれない。

「仕事も成果も小さなステップの繰り返しの先にあるものだと思うので、地続きを意識してほしいですね。どんな経験も無駄にならないことが多いので。

美容師の経験も、結局そうです。美容師は辞めたけど、今は芸人仲間のヘアカット動画をYouTubeで配信して、わりと多くの人にみてもらっています。急な結果は出ずとも、できる範囲の積み重ねをやっていけば、何かにつながることは多いですよね」

忙しい日々の中ではつい忘れがちだが、誰しも昔の経験や経歴が、レイヤーのように重なり今につながっている。このレイヤーを新たにつくるのも、ていねいに重ねるのも自分しだいだ。

最後にさまざまな場で活躍を見せるバイクさんに、今後力を入れていきたいことについて伺った。

「活動全体の底上げを目指しています。芸人をやってる以上、ネタはおろそかにしたくないんで、単独ライブは毎年力を入れていますね。

ただ“普通”が嫌で、普通じゃない芸風を選んだくせに、今は『この芸風(BKB)だけの人』と思われるのが、嫌になってきて…。なので『俺、こんな一面もあるんですよ。いろんな顔をいっぱいみてくださいよ』という種を、最近はずっと蒔いてる感じですね」

自分のコンプレックスや、キャリアの悩みに対しての対処法はひとつではない。

自分の武器を増やすこと、人の言葉に耳を傾けること、自分が踏み出した一歩はどんな形でも今につながっていると意識すること、バイクさんの話はいろいろな気づきをもたらしてくれた。今年は東京・大阪の2か所で単独ライブを開催予定のバイクさん。芸歴20周年を記念した、プレミアムな公演にも注目したい。

(取材/文:ふじい、撮影:渡会春加

― presented by paiza

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