2020年にお笑い賞レース「R-1グランプリ」と「M-1グランプリ」の二冠に輝いた、マヂカルラブリー・野田クリスタルさん。
お笑い芸人以外にも「ゲームクリエイター」「クリスタルジム・ジム長」といった、さまざまな肩書きを持つ。今回は、そんな野田さんの小学生時代の話やプログラミングをはじめてからの気づき、仕事に取り組む際の姿勢などについてお話を伺った。
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流行りものが大好きだった小学生時代
──『マヂカルラブリーのオールナイトニッポン0』を拝聴していると、幼少期からさまざまなエンターテインメントに触れて、今の野田さんが形成された印象があります。小さいころはどんなお子さんでしたか?
野田クリスタル(以下・野田):
小学生のころが一番ポップな人間でした。とにかく流行りのものは何でも見たり、やったりしていたんじゃないかな…。当時、流行っていた「たまごっち」も真っ先にやり、ポケモン、デジモン、ミニ四駆、ハイパーヨーヨーなど全部やっていましたね。完全に今とは真逆の人間です。
あと、小6で麻雀やギターもやっていて、今では触らないようなものも、一時的にやっていました。なんか目立ちたかったんですかね(笑)。
──小学生のころに触れたものが、今の野田さんの基盤になっている気がします。
野田:
たしかに基盤ですね。この前ロケで訪れた場所に、たまたまヨーヨーがあったのでやってみたら当時と同じようにできたんですよ。30年振りくらいに触ったのに、技まで覚えていたんです。自分で引いちゃいました。どれだけあのころ、好きだったんだろうって…。
人を笑わせたい気持ちは「生まれたときから」
──お笑いに対する興味は、小学生のころからあったのでしょうか?
野田:
ありました。誰よりもウケたいっていう欲がありました。
──その「ウケたい欲」が芽生えたのは、いつからですか?
野田:
生まれたときから笑わせたいっていう思いがありました。そこから中学生までは非常に明るい少年でしたね。元気ハツラツで、髪も短髪。学校が終わったら外でみんなと遊ぶ。僕、中2の秋くらいまで木登りしてましたもん。
当時は「お笑いをやりたい」というより「(芸人に)なるんだろうな」と思いながら過ごしていて。「芸人にならないと自分自身が終わるぞ」というぐらい、全部の方向で「どれだけウケるか」を考えて生活していたんです。テストの点数は悪いほうがウケるし、勉強しているとウケないのでしませんでした。全部「笑い」に振り切っていましたね。
──明るかった野田少年の転機は、高校生のときに「学校へ行こう!※」の「お笑いインターハイ」に出演したことでしょうか?
野田:
そうですね。出演後、友人と楽しんでいた遊びは一切やらなくなって。人とほぼ喋らなくなりましたね。まわりの同級生と自分は違うと尖っていて、心に余裕がなかった感じです。芸人としてなかなか認められないからこそ、ツンケンしていたのかもしれないですね。
※「学校へ行こう!」
1997年10月より約11年間TBSで放送されたバラエティ番組。V6が全国の中学生や高校生を応援する人気番組だった。
プログラミングも筋トレも、自身でやり方を見出したい
──尖りを見せながらも芸人としてのキャリアを積み上げ、2020年の「R-1グランプリ」では自作のゲームを使ったネタで見事優勝されました。そもそもプログラミングに興味を持ったきっかけは、なんだったのでしょうか?
野田:
プログラミング自体に興味が湧いたわけではなくて「ゲームをつくりたい」という気持ちが最初ですね。ゲームをつくる手段を探したときにプログラミングが一番良いんじゃないかと思い、つくり方を調べていった感じです。
──さまざまな選択肢がある中で、独学でプログラミングを学んだ理由は?
野田:
筋トレもそうなんですけど「人に教わりたくない」っていう気持ちがあるんです。
独学をしたいというより、人に教わるのが苦手というか…。自分で見つけていかないと、何が楽しいんだろうって思っちゃうので、基本的には独学ですね。
完璧なものを完成させたいわけではなかったので、やりながら覚えていくことに意味を感じていました。
──プログラミングを学ぶ中で「これ、分かんないな」となった場合は、どうされていたんですか?
野田:
当時の掲示板で質問攻めです。「ggrks(ググレカス)」と書かれても負けない覚悟を持って、戦っていました。むしろ「ggrks」と言われてからが勝負です! 作りたいゲームを思いついたら、作らないわけにはいかないですから。
──ちなみに、プログラミングを始めてから野田さんの生活に変化はありましたか?
野田:
ありましたね。具体的にいうとプログラミングを進めるやり方は2つあるんです。
「行き当たりばったりでつくるパターン」と「最初から全部決めてつくるパターン」です。プログラミングを通して「最初から全部決めてつくるパターン」の成功率は半端ないと気づきました。これまで、なんでやってこなかったんだと思うくらい。
それまでは何をやるにしても、基本行き当たりばったりだったんです。この気づきをきっかけに、計画的に何かを進めることが多くなったかもしれないですね。
仕事に対する姿勢は「ポジティブな省エネモード」から入る
──ある日はゲーム配信を行い、ある日は賞レースの審査員をしたり…と、ジャンルや求められることも異なる仕事の連続かと思います。そうした仕事に対して、どのように気持ちを切り替えていますか?
野田:
切り替えは、つまずくこともありますよ。以前、笑い重視の仕事の間にマジメな仕事が入っていて、ごちゃごちゃになったことがあります。その日は、マッチョキャラで全力でふざけるロケをした後に、優秀な社員の方ばかりの企業で講演会をし、さらにその後にクリスタルジムのバカみたいな企画の仕事があったんです。
笑いが求められるマッチョキャラのロケで栄養素についてガチで語り出し、すごい変な空気になっちゃいまして…。反対にマジメな講演会の冒頭で「お願いしマッチョ!」とボケてしまい、みんな反応に困るということがありましたね。
はじめは、うまくいかないこともありますが、だんだんチューニングを合わせていく感じです。自分に何が求められているのか、現場でわかることもありますから。なので、最初は「(マジメ系もバカ系も)どっちにも行けますよ」というニュートラルな状態にして挑むことが多いです。
──ニュートラルな状態で仕事に向き合うことが、さまざまな仕事に対応するコツなのでしょうか。
野田:
より具体的にいうと「省エネモード」くらいの気持ちで仕事に入ると、調子いいことが多いですね。省エネといってもやる気がないとか、何もしないというネガティブな意味ではなく「ポジティブな省エネ」です。
もともとどの現場でも「頑張るぞ」と気持ちをつくってたんですけど、自分の気持ちに反して空回りしたり、思うような結果が得られなかったりと大概うまくいかないんです。そうした仕事を振り返ってみたときに「じゃあ最初から気負わず、省エネで良かったんじゃないか」と思ったんですよ。
自分の中で「この仕事は頑張る。頑張らない」と一個一個考えていたら非効率だと思ったので、仕事の入りは省エネ思考で向き合うようにしていますね。
「マッチョ芸人」として永遠に生きていく方法
──「野田ゲー」や「クリスタルジム」など0から1にする仕事を進める際に、一番大切にされてることってありますか?
野田:
「芸人」という枠から外れないようにしています。すでにビジネスになっちゃってる部分はしょうがないと思うんですけど、ビジネスっぽくなったら身を引くし、若手企業家みたいにならないように頑張ってます。
経営とかに関しては「賢い人がやってくれよ」という気持ちが強いです。僕はあくまで、思いついたことをただ提案してるだけなので。「これはめちゃめちゃ儲かるかも」と考えてやったことって、あまりないですね。
クリスタルジムの発案も、これだけマッチョ芸人がいる今、この先もいなくなることはないだろうと思ったんです。セコい考え方かもしれないですが、マッチョ芸人がどんどん増える中で、自分は「マッチョ芸人」として埋もれるだろうなって思ったんですよ。じゃあ、僕が永遠にマッチョ芸人として仕事をしていく方法を考えた際、さすがに「ジムを作られちゃおしまいだろう」と思ったんです。
吉本の社長に「吉本興業が運営するジムをつくり、マッチョ芸人が教えますというシステムどうですか?」と提案したら「ええやん」という返事をもらいました。また、その際に「ジムの名前をクリスタルジムにしていいですか?」という提案にも了承してもらいました。自分の手からジムが離れたとしても「クリスタルジム」という名前さえ残っていれば、僕は十分なんです。会社として「クリスタルジム」をめっちゃ大きくしたいということは一切考えていないですね。
ゲームをしたい気持ちが生んだ、効率化の姿勢
──少しさかのぼりますが、昨年11月に放送された「ドラフトコント2022※」では野田さんの推進力・企画力のすごさを感じました。スケジュールが非常にタイトかつ、ネタ作成者に指名された厳しい条件の中、何を一番に考えて動かれたのでしょうか?
野田:
あれは本当にしんどかったです。でも自分の得意なことのひとつに「効率化」がありまして。ものすごく効率良く、ものごとを進められる自信があるんですよ。
それは僕が1日10時間以上、ひたすらゲームをやっていた時期が大きく影響しています。当時は、1秒でも長くゲームをやりたかったんです。でもゲームにあてる時間以外に、バイトやネタ作りもしなくてはいけなかったので、とくにバイトの時間をどれだけ短くできるかが勝負でした。
当時、郵便局でバイトをしていたのですが、決められた1日の配達量を配達し終えれば業務終了だったんです。とにかくゲームをやりたい気持ちから、バイトではひたすら効率を求めていました。せっかくならゲームをやる時間も効率よく進めたいと思い、今考えるとめっちゃ暇なのに、謎に時間に追われている時期でしたね。
※ドラフトコント2022
フジテレビ系列で放送されたユニットコント番組。5人のキャプテンが一緒にコントをやりたい芸人をドラフト制で指名。野田さんはオードリー・春日キャプテンに指名され、ネタ作りも担当した。
──野田さんの著書『野田の日記』内に、郵便物を扱う際の手首のスナップについて記載があったので「効率化」のお話を聞いて納得しました。
野田:
今じゃ怒られますけど、郵便物の仕分けとか独自の方法を取り入れていたんですよ。僕にしかできない方法で、従来のやり方よりも結果的に2時間短縮しました。説明が難しいのですが「この工程いらないよね」とか「これは同時にできるよね」と全部詰め込みまくった結果、短縮できましたね。
──なるほど。郵便局では効率化の鬼だったのですね。
野田:
話をドラフトコントに戻すと、ネタを考えるスケジュールに余裕がないことに加え、一緒にコントをするメンバーと事前に一回も集まれない可能性があるなど、条件が過酷すぎたんです。
自分がネタを書くとなって、一番避けたかったのは「こいつ、すげぇ負担かけさせるじゃん」とチームメンバーの芸人に思われることでした。僕がどんなにおもしろいネタを書いても、負担をかけたらマイナスでしかないじゃないですか。メンバー(芸人)に負担をかけてウケて、「いや、僕がネタ書いたんですよ」という結末は、結果的に「俺、得しないんだろうな」と思ったんです。
まず目指すべきゴールとして「ウケること」と「(チームの芸人たちが)楽だと感じること」の2つを設定しました。この2つをクリアしないことには、ゴールではないと思ったので。じゃあ、どうしようと考えた結果「台本を覚えなくていいコント」にしなくちゃいけないなと思ったんです。
ゴールという名の条件を設定して、効率性を重視して組み立てていった感じです。じゃないと、間に合わなかったでしょうね。
──「ドラフトコント2022」以外でも、条件が厳しい仕事は同じようなやり方をされていますか?
野田:
そうですね。基本的にすべてゴールを設定し、それに向かっていかに効率的に進めていくか…というやり方をしています。
「ゲームをする時間を少しでも長く捻出したい」と考えて10年ほど過ごしたら、こういう性格になっちゃった感じです。昔はそんな人間じゃなかったんですけどね(笑)。何も考えていなかった小中学生時代と何が変わったかといったら、効率性を追求するようになった部分かもしれないですね。
(取材/文:ふじい、撮影:渡会春加)