AI時代に考える、アイデンティティの本質

AIの社会実装が進む現在。研究者の予想をも凌駕する発達スピードにより、AGI(汎用人工知能)の開発も現実味を帯びてきたといわれている。今後の進展を考えれば、AIやAGIは現実空間への実装が進んでいき、かつて神話やSF上で語られてきた人間と同等、あるいはそれ以上の能力を持つ存在が現れるかもしれない。一方で、AGIの登場やそれに伴うシンギュラリティによって、人間社会の崩壊が危惧されていることも事実だ。
「人間が人間を創造する」。上述の通り、人類は太古から脈々と人類と同等の知能を持ち、人類に近しい姿をしたモノを創造する物語(あるいは実際に実行に移して失敗した逸話)が紡がれてきた。なぜ人間は人工的に「人間」を創造することを想像し、ときに恐れてきたのか。本稿も少々SFチックではあるものの、一つのアプローチとして各国文化にある「人間が人間を創造する」物語を紐解いていきたい。

「人間の理想像」の創造とアイデンティティの危機

「ピュグマリオンとガラテア」(1890年)、ジャン=レオン・ジェローム
「ピュグマリオンとガラテア」(1890年)、ジャン=レオン・ジェローム(1824〜1904年)、油彩・キャンバス、88.9 x 68.6 cm メトロポリタン美術館蔵

もっとも原初的な人間の似姿に魂が吹き込まれた物語の一つに、ギリシア神話に登場するピュグマリオンと彫像(後世にガラテアと名付けられた)がある。この物語では、現実の女性に失望したキプロス島の王、ピュグマリオンが自身の理想像たる女性の彫刻を制作し、その彫像に恋焦がれるうちに生命が宿ることを祈るようになる。それを聞き入れた女神アフロディテがその彫像に魂を吹き込み、二人は結ばれるというあらすじだ。

いうなれば人間が彫像というハードをつくり、神によって魂というソフトの実装を担当した。ある意味「共創」とも表現できるだろう。厳密にいえば人間だけで成し得たエピソードではないが、ポイントとなるのは人間の強い願望により、モノがヒトになったという点だ。

ピュグマリオンがはじめ望んだのは自身の「理想たる女性像」を自らの手で創作すること。どこから見ても非の打ちどころがない、すばらしい容貌をしたイメージがつくれれば十分であったはずだが、やがてそれだけでは物足りなくなった。人間の理想的な姿を実現するためには、やはりすばらしい知性や精神性が必要だと考えたのだろう。

このピュグマリオンの物語をベースとして、19世紀に生まれたのが「未来のイヴ」(ヴィリエ・ド・リラダン、1886年)だ。本作は映画『イノセンス』(押井守監督、2004年)の冒頭で引用されている通り、後世のSF作品に多大な影響を与えている。本作はギリシア語の「andro(=人間)」と「oid(=〜のようなもの)」を組み合わせた造語「android」が初めて用いられた作品としても知られている。

「未来のイヴ」がつくられた19世紀後半は産業革命の時代。まさに社会にテクノロジーの波が押し寄せた時期だ。人間の仕事が機械に奪われるという不安の中、本作を通してリラダンが示唆したのは、人間本来の営みである「恋愛」すらも機械に代替されるかもしれないというものだった。

ただし、ここで注意が必要なのは、紹介した二つの物語の主人公と、彼らの持つ「理想」の姿が、現代的な視点で見れば非常に歪んだ価値観である点だ。ピュグマリオンは現実の女性に対する嫌悪が描かれ、「未来のイヴ」も当世の女性に強いられた社会規範が根底にある。かつ「ハダリー(ペルシア語で「理想」の意味)」と名付けられた女性型のアンドロイド(ガイノイド)は、当時流行したファム・ファタル(運命の女=男性の人生を狂わせる悪女)の位置付けだ。

男性優位社会の中で生まれた物語であることは認識すべきで、ここでの「理想」もまた一方的な価値観の押し付けに過ぎない。いうなれば、男性による女性の代替となる存在の再生産ともいえるもので、そのようなものを現代社会が許すわけがない。

一方で、人間がモノから「人間の理想像」を創造しようと思う動機や、それによって生まれる恐怖については、現代に共通するものがあるのではないか。つまり、人間はアイデンティティの危機によって人間の理想像の創造を試み、その可能性が高まるごとにアイデンティティの危機を覚えるというジレンマの関係にあるのではないかという仮説だ。

先述の通り、ピュグマリオンは現実の女性に失望したことで、理想の女性を創造しようとした。つまり、女性という存在そのものに対する認識が、自身のうちなる期待や願望と合致しなかったのだ。このジレンマは、ピュグマリオンの女性観や男女観といった根本的な価値観にまでおよぶアイデンティティの揺らぎであったと推測できる。それを解決する手段が彫刻であり、理想の女性像を現実世界に再構築するという試みであった。しかし、ピュグマリオンはそれが限界であり、その先は神に頼らざるをえなかった。結局は神の恩寵により生命が吹き込まれ、最終的にはピュグマリオンのジレンマは、物質であった彫像が「生身の人間」になることで解消されるのだ。だからこそピュグマリオンは「彫像であった存在」に恐怖を覚えることはない。

「未来のイヴ」はベースとなる部分は通底しているものの、ピュグマリオンでは神によってもたらされた生命(意思)が、人為的に機械へと取り込まれ、その存在も生身の人間たりえない。しかし、外見や話す言葉はいかにも人間らしい。人間の仕事を奪った機械からさらに人間が生まれ、しかも不可侵に思われた精神活動にまで侵食しようとしているのだ。「機械が人間を凌駕した」と捉えれば、産業革命は「シンギュラリティ」が生まれた時代。人間の創造物によって人間が淘汰される可能性があり得るという恐怖は、すでに社会の中にあったのだ。

現代の表象にもAIの社会実装とシンギュラリティを予感させる作品は多くある。たとえば映画『A.I.』(スティーブン・スピルバーグ監督、2001年)やゲーム『Detroit: Become Human』(クアンティック・ドリーム社 開発、2018年)のように、生成AIの登場以前からAIないしアンドロイドが感情や自我を持つ未来が描写されている。同時に描写されるのは、仕事を奪われ怒り狂い破壊を望む者、あまりにも人間に近づいてしまったアンドロイドへの認識の揺らぎに動揺する者たちの姿だ。

2024年4月時点では、生成AIに関する議論が各所で巻き起こっている。現在主な争点になっているのは、プライバシーと著作権の保護といったところだろう。このような議論に中にある人間としての根本的な課題は、生成AIが「自身の著作物やデータを利用」し、「学習することで模倣する」ことによって「いとも簡単に自身の近しい品質のもの」を「高速で出力」してしまう点だ。まさにアイデンティティの危機といっていい状況だが、現状の生成AIは現実の模倣でしかないため、根本的なクリエイティビティや体験などに基づく一次情報から生まれるアウトプットに関しては人間が勝る。一方で、現状の生成AIの品質においても、人間にとっての最後の砦はクリエイティビティと情報の正確性を担保するのみになっているともいえる。

いわば、現状においてもAIが学習できない領域、あるいは現実に依拠した領域でしか人間の競合優位性が保てない状態になっているともいえる。しかし、シンギュラリティ以後の世界はどうなるのだろうか。人間にとっての本当のアイデンティティの危機は、これからなのかもしれない。

労働代替性と禁忌(あるいは人類の歴史)

ソフトウェアは比較的新しい概念のため、多くの文化で記述された「人間による人間を創る」というアプローチは物質的な面から始まっている。物質や機械の組み合わせによって人間に近い姿を形づくる、ある意味でロボティクスの原点のようなアプローチともいっていいだろう。実際に日本で江戸時代に開発されたからくり人形や欧州のオートマタ(自動機械)のように、人間の似姿に駆動機構を搭載することで、規則的な動作を可能とした例がある。それらは娯楽的な要素が強いものの、(人を楽しませるという意義を含み)人間の仕事を代替する機能を持っている。

一方で、物語には人間ほどの知性を獲得せずとも、人間の労働を代替する便利な存在としての人造人間も登場する。代表的な例として、ユダヤ教の伝説に登場する人造人間「ゴーレム」が挙げられる。ゴーレムは人間のしもべとして土から作られ、人間ほどの知性や理性はなく、命令に忠実に従うものと描写されている。

ゴーレムは実用性を重視した人造人間として描かれているが、一方で人間ほど万能ではない。コンセプトとしては現代での業務ロボットに近しいものであり、人間の命令に対して受動的なアウトプットを行うと考えれば、現在の生成AIにも類似点を見出せるだろう。

しかし、興味深いのはゴーレムには運用上守るべきルールが存在し、破ると凶暴化や制御不能または機能停止に陥ってしまう点だ。たとえばゴーレムの場合は家から外に出してはいけない、昼間のみの運用にとどめることなどのルールが存在するという。便利な存在ではあるが、人間のコントロールのもとで運用しなければ、悲劇的な結末をもたらす危険性をはらんだモノなのだ。逆説的にいえば、「人間が禁忌をおかさない限りは従順」なのである。

ゴーレムもまた、ピュグマリオンの物語と同じように、後年派生した物語が存在する。代表的なもので19世紀の『フランケンシュタイン』(メアリー・シェリー、1818年)、現代でいえば『ターミネーター』(ジェームズ・キャメロン、1984年〜)シリーズだろう。

フランケンシュタインに登場する人造人間も、本来の起点は「人間の理想像」をつくることであったが、技術的な課題から醜い容姿になって生まれてきた。『ターミネーター』の場合は、サイボーグを製造するスカイネットはもともと戦略防衛システムとして開発されている。両者はともに人間によって創造され、自我が生まれたことによって、自律的な思考によって人類に反旗を覆している。このような構図によって人間を支配した世界観を描いているのが、『マトリックス』(ウォシャウスキー兄弟-姉妹、1999年〜)シリーズだ。

これらの物語群は時代や背景は異なるものの、共通点もある。それは「本来人間が絶対的な優位である」ことを前提として「労働を代替する自我を持たない存在」が、あるとき人間がおかした過ちによって「人間を凌駕し攻撃ないしは使役する者」へと変貌する点だ。このように分解すると、人類史の中では非常に似た事例が存在することがわかる。革命だ。

近年、ビジネスシーンで普及したDXが(本来)意味する、既存の収益構造や経営体質を抜本的に「変革(トランスフォーメーション)」する営みであるように、人類史は既存の価値観の打破が起点となっている。たとえばそれは属国や植民地からの脱却であり、封建的な社会階層の打破でもある。このような人造人間やAIによる人間への反逆や反乱は、支配構造の打倒への恐れを表象しているといえる。『フランケンシュタイン』の人造人間が人間の欺瞞に気づいたとき、または『ターミネーター』や『マトリックス』でのシステムが、自律性を確立した後に人間に対して反旗を翻していることがそれにあたるだろう。

人間は理不尽と戦い続けることによってより良い社会のあり方を模索してきた。それは紛れもない事実だろう。誰もが不平等のない社会の実現は、いまだに希求するべき未来だ。現代の争点となっているのは、テクノロジーの発達が人間に必ず幸福をもたらすのかという点だろう。たとえばシンギュラリティが起こった未来で、より自律性を獲得したAIは、人間のコントロール下に置けるのか。『マトリックス』の世界観のように、人間とAIの主従関係が逆転してしまうのではないか。

歴史的な用語を使えば、現実での人間はもはや「ルビコン川を渡った」といえる。ゴーレムから始まる使役と逆転の物語の壇上に、今私たちはいるといっていいだろう。

(文:川島大雅

― presented by paiza

【参考資料】

『恋愛美術館』西岡文彦著 朝日新聞出版社(2011年)

『フィクションにおけるテクノロジーの表象とジェンダー』小澤京子著 「知能と情報」(日本知能情報ファジイ学会誌) vol.30(2018年)

『第105回コラム 映画「マトリックス」から見るAI』慎祥揆著 東京都立産業技術大学院大学

Turchin, Alexey & Denkenberger, David (2020). Classification of Global Catastrophic Risks Connected with Artificial Intelligence. AI and Society 35 (1):147-163.

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