企業における人材の確保は、いわば生命線。人がいなければ会社に未来はない。現場から「人を増やしてほしい」という突き上げがある一方で、「応募が来ない」「採用してもすぐに辞めてしまう」といった悩みを抱える企業は少なくないだろう。

福岡県柳川市にある株式会社乗富鉄工所は、2019年当時、若手の集団離職により崩壊の危機に立たされていた。そこで、待遇改善、ITツール導入、事業整理など、労働環境を整備。また、職人の技術力の高さを生かして、新たなプロダクトを生み出す「ノリノリプロジェクト」を立ち上げた。自社の活動や製品が注目されるきっかけをつくったことで、社員が誇りを持って仕事に取り組めるようになった。中心となって改革を進めた、取締役副社長の乘冨賢蔵氏(現社長の後継者/3代目)に話を聞いた。

【プロフィール】
乘冨賢蔵(のりどみ けんぞう)氏

福岡県柳川市出身。九州大学大学院工学府修了後、住友重機械マリンエンジニアリング株式会社入社。オイルタンカーの生産計画・管理業務に7年従事。2017年、株式会社乗富鉄工所入社。工程管理の属人化、ITツールによる業務効率化、職人の働き方改革など思い切った経営改革を実施。2020年にデザイナーや大学生と職人技を生かした商品開発活動「ノリノリプロジェクト」をスタート。地域のさまざまなプレイヤーを巻き込みながら九州のモノづくりを盛り上げるべく奔走中。

退職者が相次いだ原因とは?

乗富鉄工所は、創業から70年以上続く老舗水門メーカー。洪水被害を防ぐ「治水」、水をうまく利用する「利水」を目的に、水門をオーダーメイドで製造している。乘冨氏が大手造船会社を退職し、家業に就いたのは2017年。それから2年間で、職人の3分の1にあたる10人以上が退職してしまった。原因は、なんだったのだろうか?

「夏は暑くて冬は寒い、給料が安いといった、待遇面・環境面の不満が大きかったです。また、水門事業がいずれ減っていくのではないかという未来への不安もありました。社員同士や会社に対する信頼関係も希薄で、とにかく社内の空気がよくなかったですね。長年蓄積されてきた不満が、限界を迎えたという感じでした」

一例を挙げると、乗富鉄工所では水門以外の工事も請け負っている。そのなかに、ゴミ処理場のメンテナンス工事があった。その工事をめぐって、職人同士がいがみ合っていたという。

「現場が遠方だったため、工期中は帰ることができません。家族にも会えないし、夜勤もあるしで、誰が行くかで毎回もめていました。また、10人単位での長期出張となるため、水門事業にも影響が出ていて…。『この事業やる意味あるのか?』という疑問の声が、職人の間で出てていました」

退職者の給料の8割を職人に分配

退職者が出た原因を洗い出した乘冨氏は、さっそく、改革に取りかかった。

「当時の弊社では、『一人前になるまでは給料が低くて当たり前』というのが、慣例化していました。そのため、若手の給料はとても低いんです。でも、それではいまの時代一人暮らしもできません。そこで、退職者の労務費を残ってくれた職人さんに分配しました」

そのほか、家賃手当や移動手当など、社員から要望が挙がっていた手当を見直し、福利厚生の充実を図った。さらに、問題となっていた遠方工事からは、撤退を決める。

「年間約3,000万円の売上があったのですが、会社全体のことを考えて環境改善を優先しました」

また、乘冨氏は退職希望者一人ひとりと面談をするなかで、「そもそも、モノづくりが好きではない人が辞めている」ということに気づく。

「当時は採用の際、厳しい職人の世界に耐えられるか? 根性があるか? といった点を重視していました。そのため、鉄工業に興味があって入社した人ばかりではなかったのです。そこで、本当にモノづくりが好きな人を採用する方針に変えました

新しいことをするために、成果を見せる

公共工事の手続きに必要な書類が、毎日山のようにデスクに置かれているのを見た乘冨氏は、ITツールの導入を検討する。しかし、関係者に有用性を説明し、稟議を通して検証を重ね…としているうちに、うやむやになるのが目に見えていた。そこで、30日間のお試し期間を利用して、誰もが納得する成果を出そうと考えた。着手したのは、工程情報の見える化だ。

「生産管理は複雑で、工場長に属人化していました。工場長は人望が厚く、職人同士の対立があるなかで、唯一誰とでも話せる存在。みんな工場長に情報を入れるのですが、それをオープンにできてなくて…。すべての情報を把握できている人が、工場長だけだったのです。工場長が役職定年を迎えるまでに、これを引き継げるようにすることも大きな課題でした」

そこで乘冨氏は、ITツールを活用し工程管理表を作成。毎回2時間かかっていた工程会議の資料作成時間がわずか1分に短縮され、ITツールの導入は役員会で満場一致で決定した。その後、属人化していた情報が見える化され、誰もがアクセスできるようになった。

「工場長も無事役職定年を迎え、いい形で新しい工場長にバトンを渡すことができました。『新しいことをするためには、わかりやすく成果を示せ』と、前職でたたき込まれてきました。稟議1枚書いただけでは、人はやる気になってくれません。こうやって、成果を見せるのが一番です」

モノづくりの面白さを体現する「ノリノリプロジェクト」

乘冨氏は労働環境の改善と並行して、2020年に新規事業「ノリノリプロジェクト」を立ち上げる。「ノリノリプロジェクト」とは、職人の技術力とデザイナーのユーザー視点をもとに、地域のさまざまなプレイヤーとつながって、新たなプロダクトを生み出す事業だ。

「家業に就いて1年間は現場で働いていたのですが、職人の技術力の高さに驚いたんです。前職の造船業では、生産工程がすべて分業化されていました。ところが、乗富鉄工所の職人さんたちは、最初から最後まで全部1人でつくってしまうんです。図面がなくてもさまざまなものを形作ることができる技術力。これは価値なんじゃないかなと思いました。そこで始めたのが『ノリノリプロジェクト』です」

最初は、地元の海苔漁師さんや味噌屋さんの困りごとを解決する製品をつくって販売しようとするも、これが大苦戦。評判はいいものの、ほとんど売れず苦い思いをしたという。

「売れなかった原因は、ニッチかつ高額だったことです。これだけモノがあふれる現代において、市場に存在しない商品には理由があることを、肌で感じました」

この失敗からマーケティングやデザインの重要性に気づいた乘冨氏は、勉強会で知り合ったプロダクトデザイナーや大学の先生を通じて知り合った商学部のゼミ生と共同で、商品開発に乗り出した。

自分を開くことで、気づくことがある

最初に開発に取りかかった商品は、グリル料理とオーブン料理が同時に楽しめる「アップダウングリル」だ。


ウッドフレームを採用したポータブルオーブングリル「アップダウングリル」

「ピザ窯、うちでもつくれるんじゃないか?」という、上司の声から検討を開始。前回の経験から「言われたものをそのままつくっても売れない」とわかっていた乘冨氏は、市場調査を進めるなかで「ピザがおいしい」と評判のイタリアンレストランを訪ねて、プロの意見を聞いた。

「『アウトドアで使えるプロ仕様のものだったら、需要があるのではないか』というアドバイスをいただいて、光が見えた気がしました。インターネットでの調査ではたどり着けなかった数々の情報をいただいて、大事なのは勇気を出して人に会いにいくことなんだと知りました」

その後も、アウトドアショップや耐熱煉瓦メーカーなどを訪れて話を聞いたり、職人や町工場仲間、デザイナーに協力を依頼したりしながら開発を続けた。そして、調査開始から3年、開発開始から2年後の2022年8月、8回の試作を経てついにアップダウングリルが完成。2023年6月から一般販売を開始した。

「たくさん失敗もしました。でも、そのたびに人と出会い、助けてもらって、どうにかここまで来ることができました。自分を開くことで気づくことって、たくさんあるんですね。やってみたからこそ、わかりました。そして、職人さんはやっぱりすごい…」

アップダウングリルは、2022年8月27日に開催されたビジネスコンテスト「マクアケ挑戦権獲得アトツギピッチ」で、完成度の高さとリゾートホテルなどのBtoB事業も狙える可能性を高く評価され見事グランプリを受賞。

また、この間に「スライドゴトク」「ヨコナガメッシュタキビダイ」という2つのキャンプ用品を開発、先行販売していた。すると、キャンプファンの間で人気となり、地元のテレビや新聞、Webメディアなどで取り上げられるようになった。

伸縮自在の「スライドゴトク(右)」と、横からも火が見える「ヨコナガメッシュタキビダイ(左)」

「メディアに取り上げられるようになって、最初は新規事業に懐疑的だった社員も『これも乗富鉄工所に必要な事業だ』と言ってくれるようになりました。鉄工所の仕事に誇りを持って取り組める組織に変わってきています」

技術は人とのつながりによって新しい価値を生む


乗富鉄工所では、職人のことを「メタルクリエイター」と呼んでいる。

「ノリノリプロジェクト」の勢いは止まらない。地元のクラフトビール醸造所やゲストハウスと共同開催したイベント「たきBEERガーデン」。観光名所の川下りとアップダウングリルを掛け合わせたイベント「お舟でグランピング」など、プロダクト開発にとどまらず、モノからコトへと活動の場がどんどん広がっている。


毎月開催しているフリー焚き火イベント「焚き火部やながわ」の様子。乗富鉄工所の社員だけでなく、地域のみなさんが自由に参加できる。

「開発を通じて、さまざまな人と出会いました。そこで気づいたのは、技術は人とのつながりによって新しい価値を生むということ。技術があるだけでは意味がなくて、それをきちんと必要なところに届けなければいけない。行動したことで、視野が広がりました」

今後は、海外展開も考えているという乘冨さん。精力的に活動を続ける原動力はどこにあるのだろうか?

「前職の造船業で、モノづくりの面白さを学びました。そして、いい意味でのコンプレックスを持って帰ってきました。『製造業は、こんなに優秀な人がいるのに、スポットライトが当たらない。製造業が無くなったら、誰がモノをつくるんだ』と。だから、職人さんたちのすごさを世の中に伝えたいという思いでやっています。これまでのキャリアを捨てて帰ってきたので、全力でやるしかありません」

組織が変わっていくなかで、採用にも変化が出てきた。退職者が減り、遠方からの応募が増加。平均年齢も2歳ほど下がった。

「退職理由が会社への不満から個人の事情へと変わり、女性の新入社員も増えてきました。『ノリノリプロジェクト』を手伝ってくれていた大学生2名は、そのまま入社してくれたんですよ。これから定年退職者も出てくるので、まだ安心とまではいきませんが、人材不足は改善傾向にあります。なにより、会社の空気が変わってきました」

入社前にビジョンを共有することで、それに共感した人たちが入社してきてくれるようになった。そして、古参社員も新入社員に感化されて、会社全体の空気がよくなっているという。

「経営者の役割は、未来を示すこと。時代にあったビジョンを共有して、みんなにやる気になってもらうのが、わたしの1番の仕事です」

社員には、常日頃から「クリエイティブであれ」と言い続けているという乘冨氏。そこには「自分で考えて動くことで、仕事を楽しんでほしい」というメッセージが込められている。

株式会社乗富鉄工所
https://www.optimind.tech/

(取材/文/撮影:コクブサトシ

presented by paiza

Share

Tech Team Journalをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む