リスキリングが注目を集める現在。副業(複業)や転職、自身の人材価値を高めるなど、その理由はさまざまだ。そのようななか、リスキリングによってエンジニアとしてデビューし、独立・起業を果たしたエンジニアがいる。フロントエンドに特化した受託制作をおこなう制作会社、株式会社FLAT(以下、FLAT)のサトウハルミさんだ。

就職氷河期であった2000年代前半での異業種転職と挫折、女性エンジニアとしての悩みや独立・起業にいたる経緯を聞いた。

サトウ ハルミさん
FLAT 代表取締役
受託制作会社でマークアップエンジニアとして勤務後、2016年に株式会社FLAT(以下、FLAT)を設立。フロントエンドやバックエンドのエンジニアが在籍し、Webアプリケーションや Webサイトの制作をおこなう。
FLAT ではプロジェクトマネジメントとチームマネジメントを担当。エンジニア経験を活かして若手エンジニアの育成にも力を入れている。
実践的なマークアップ技術全般が得意分野。夫とミニチュアシュナウザーのスパン・コロンと仲よく暮らす。

エンジニアデビューへの壁は今より高かった


「実は、もともと『起業したい』といった志はもっていなくて。これまでのキャリアの中で自分のやりたいことができて、それを実現するためにアクションを起こしてきました。それを積み重ねるうちに会社を設立していました。若いころの自分からは想像もつかないと思いますね」

フロントエンドに特化し、Webサイトやアプリケーションの受託開発をおこなうFLATを率いるサトウさんは、そういって朗らかな笑みを浮かべる。自身が述懐するように、サトウさんのキャリアの始まりは、エンジニアとはまったく関係のないものだった。

「最初の仕事は、賃貸物件の仲介をおこなう不動産会社の営業です。当時は2000年代前半で、不動産業の現場はまだ紙とFAXの時代。Webはおろか、PCとも無縁の仕事でした」

しかし、時代の流れは着実にWebへと移行していた。サトウさんも将来のキャリアについて考える時期を迎える。「まったく新しいことがしてみたい」そんな衝動が芽生えていた。

「世間的にはまだインターネット黎明期と呼ばれている時期で、Web制作という仕事もまだ新しいものでした。そこがなにかかっこよく感じて(笑)。今でいうとリスキリングでWebデザインとコーディングを学んで、Web業界に飛び込もうと思いました」

しかし、2000年代前半はインターネット黎明期であるとともに、就職氷河期とも呼ばれる時代だ。そして、当時は今ほど労働環境も整備されていない。業界未経験で、しかも女性であるサトウさんは、IT人材としての市場競争力は低かった。

「そもそものパイも少なかったんです。当時のエンジニアの就職先といえばWeb制作会社がほとんどで、インハウスでエンジニアを抱えている事業会社は今ほど多くありません。しかも働き方の概念もなく無尽蔵に残業をする時代で、未経験の女性を雇うことは企業としてもリスクが高かったのでしょう」

それでも、諦めるという選択肢はなかった。いったんは事務の仕事に就き、定時で仕事を終わらせると、Webサイトの制作とプロデューサーを兼ねる個人事業主のもとでアルバイトを始めた。熱意に圧されてか、制作に関わるスキルだけでなく、仕事の進め方やコミュニケーション力の高め方まで教えてくれたという。

「そうやって仕事のやり方を教わりつつ、少しずつ実績をつくっていきました。その結果、2005年に再チャレンジした転職活動で、無事にWeb制作会社に入ることができたんです。副業でも着実に実績を積んでいたことが評価いただけたんですね。そのこともありがたかったのですが、そのプロデューサーの方がいなければ私のエンジニアの道はなかったかもしれない。本当に今のキャリアに至る恩人ですね」

女性エンジニアがキャリアを諦めるとき


結果的に、サトウさんはエンジニアとして約7年働いた。途中会社を移り2社で勤めていたが、人間関係は充実していたという。

「当時のWeb制作会社なので、もちろん拘束時間は長かったのですが、いずれの会社でもエンジニア同士の仲がよかったので苦になりませんでした。それこそ終電近くまで働いて、その後に飲みに行くほどでした。一緒にいる時間が長い分、結束力が生まれていたんです。しかも、そのときはより多く実績を積んでスキルをつけたいと思って、土日も複業で仕事をしていました。今思うと、本当にすごい体力ですよね(笑)」

そうした制作会社時代のエンジニア仲間には、同年代の女性エンジニアもいた。しかし、ときがたつにつれてその人数は徐々に減っていった。結婚や出産を機に、エンジニアを辞める女性エンジニアが多かったのだ。

「やはり、以前は働き方もそうですが、働く場所についても制約が多かったと思います。今でこそリモートワークは当たり前になっていますが、当時はエンジニアでも原則出社で、同じ場所で仕事をすることが前提。たとえば結婚し、パートナーの転勤で東京を離れざるえないために辞めてしまう。または出産や育児で一度職場を離れてしまうと、技術の変化や長時間労働についていけず復職を諦めてしまう方も多かったです。事情はさまざまですが、そういったライフイベントが起こると、それぞれに困難があるというのが女性エンジニアの現実です」

サトウさん自身も他人事ではない。自分の人生と今後のキャリア、いずれかを選ばなければならないのか。思い悩む時期もあった。サトウさんはより自由で裁量のある働き方がしたいと思い、2012年にフリーランスとして独立する。

「やはり、他の女性エンジニアがキャリアを諦める姿を見て、私も将来を考えることもありました。当時の私の選択肢として、自宅で裁量のある仕事をするためにはフリーランスになるしかないと思っていました。会社員として働くことも楽しかったので、もしも自分が今同じ境遇にいたら、リモート勤務ができる会社に転職しようと思ったかもしれませんね。

ただ、実際にフリーランスになってからもキャリアと人生の選択肢はいくつもあります。私は一時期妊活もしていたので、もし今後子どもを授かったとき、自分はどうすべきかよく悩んでいました。この忙しさは到底維持できず、専業主婦になることも考えましたが、やはり経済的にも精神的にも独立していたい。自分自身の今後を考えると、決して一筋縄ではいかないんです。

結果として、私は子どもには恵まれませんでしたが、女性の選択肢の多さやそこにある不安は肌で感じています」

着実に強く、チームとしての「FLAT」で遠くに行きたい


2016年、サトウさんはFLATを設立する。フリーランスでも安定して仕事は入ってきていたが、個人でできる仕事にはやがて限界が見え始めた。

大規模プロジェクトの一員としてアサインされることや、横のつながりで仕事を分担して仕事をすることも多かった。しかし、それでも依頼されるのは「個人事業主」の範囲であり、より大きな案件の獲得には、自身でチームをつくる必要があると思ったためだ。

「8期目となった今では、いわゆる大企業と直接取引をさせていただけるほどになりましたが、最初は個人事業主の延長のようなかたちで、マネジメントや採用がうまくいかない時期もありました。現在ではチームも確立されてきていて、私がフリーランスの時期はコーディング専門を謳っていましたが、現在ではフロントエンド全般を専門領域にしています。

FLATのエンジニアは20代後半から30歳前後の若手が中心となって活躍しているのが特徴です。なかには未経験入社から着実に技術を身につけて、今ではリードエンジニアになっている人材もいます。チームで仕事をしながら、互いに成長できるエンジニアファーストな組織づくりがようやく結実してきていると思っています」

サトウさんを含めて、現在ではメンバー3名の女性エンジニアがFLATで働く。求人への応募状況を見ても、女性がエンジニアとして働くことへの関心は増えていると実感するという。

「経験の有無にかかわらず、私たちに関心を持ってくれる女性の人材は増えています。とくにコロナ禍以降でテレワークが普及してから増加していると思います。働き方の変化やリスキリングへの関心が、エンジニアになることの障壁を下げているとも思っていて、これはとてもよい傾向です。

FLATでもテレワークは継続しておこなっていくつもりで、週に2回は在宅での勤務が可能です。また出産や育児、親の介護などの事情に合わせて、フルタイムで働くのではなく、継続的に一緒に働くことを前提とした業務委託への移行などもおこなっています。こちらでは現在も継続して仕事をしている事例もありますので、そのときどきの事情に合わせて、柔軟に対応できる体制も整いつつあります」

FLATは業務委託のメンバーも合わせて、10名ほどのチーム。組織としては大きくないが、フロントエンドに特化し、その技術力の高さは顧客からの信頼を勝ち得ている。顧客継続率の高さもさることながら、顧客からの紹介や問い合わせも増えている。サトウさんにとって、組織づくりで重視するのはどのような点なのだろうか。

「私としてはやはり、FLATに入ってくれたメンバーとは長く一緒に働きたいと考えています。そのためには一人ひとりのエンジニアがスペシャリストであってほしいと思っていて、同時にお互いがスキルを高め合いながら、働き方も含めて互いにサポートし合える組織でありたいです。

私の仕事も、今ではよりマネジメントやプロジェクト全体のディレクションのほうにシフトしています。これも少しずつメンバーが成長してきて、私が中途半端に手を動かしたり教えたりするよりも、みんながより働きやすいやり方を考えることに専念できるようになったためです。

私としては急速な成長よりも、着実に強いチームをつくっていきたいです。FLATの成長とともに、みんなでまだ見たことのない場所へ、遠くまでいけるような組織になりたいと思っています」

(取材/文/撮影:川島大雅

― presented by paiza

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