「昨日も死んでいなかったし、今日もまだ生きている」
生きている限り人生は続き、その人生の主人公は誰もが自分自身である。そのような人生の舞台を母国コスタリカから日本に移した人がいる。
マネーフォワード社のセルジオ・ヌネス(Sergio Núñez)氏だ。
1万3000キロ以上も離れた異国の地、言語も文化も気候も異なる地で働くことはどういった人生経験なのだろうか。今回はセルジオ氏の率直な思いとストーリーを紐解いていく。
目次
セルジオ氏がエンジニアを志したワケ
セルジオ氏は、2022年にマネーフォワードへ入社。現在はエンジニアリングマネージャーをしている。
入社した際は、インディビジュアルコントリビューターという職業。マネジメントではなく、テックリードというポジションからマネーフォワードのキャリアをスタートさせた。
その後配置転換があり、現在はエンジニアリングマネージャーというポジションだ。
セルジオ氏は幼いころ、テレビゲーム・ビデオゲームが好きだった。将来の仕事もその道へ進むか考えたが、結果的には2つ目にしたいこととして興味のあったソフトウェアエンジニア職を目指すこととなった。
「大学に出願して、情報システムエンジニアへの道を歩み始めました。結果として非常に良い選択だったと思っており、今でもソフトウェアエンジニアリングが大好きです。好奇心を失わずに取り組めています。しかも、結果として今でもテレビゲームが大好きですので趣味と仕事を別にできて大変幸運だと思っています」
大学卒業後、セルジオ氏は地元の企業でエンジニアとしてのキャリアをスタートさせた。取引先はラテンアメリカ諸国。コスタリカ国外ではあるもののカルチャーは似ており、非常にローカルで心地よい環境だった。
社員はみんなコスタリカ人、スペイン語で仕事をする環境。日本人が日本の地で、日本語で仕事をするのと同種というわけだ。
しかし、セルジオ氏は英語を習得していたため、英語圏のステージへチャレンジしてみようと思うようになった。
「コスタリカは非常におもしろい位置付けの国で、アメリカの企業が優秀なエンジニアをアメリカよりは安価に獲得できるという利点もあります。AmazonやMicrosoft、その他のグローバル企業の支社もコスタリカにあります。
そのような中でヒューレット・パッカード・エンタープライズ(HPE)のエンジニア職に就けました。その後は、アウトソース開発のゴリラロジックという会社。3社目はトレードステーションという会社で仕事をし、今のキャリアへと繋がってきます」
コスタリカではソフトウェアエンジニアが人気で多くのグローバル企業が支社を作っている。それに加え、近年ではリモートワークが普及してきたことによって、コスタリカに支社のないグローバル企業であっても仕事のチャンスが生まれ始めている。
「コスタリカ人全般とは言いませんけれども、少なくともエンジニアでは英語が話せる人が増えました」
しかし、セルジオ氏がHPEに移った2016年頃は、現在ほど容易にはグローバル企業でのポジション獲得できなかった。
「私がHPEに入った際は、コスタリカで業務を拡大し、新しい部門が設立されたタイミングでした。この拡大に携わった方を知っていたので応募できたんです」
たまたまの縁が転職に繋がり、それがグローバル企業ヒューレット・パッカード・エンタープライズ。その後もグローバル企業を渡り歩き、今は日本の地でエンジニアリングマネージャーをしている。なんてドラマティックな人生なのだろうか。
なお、現在では仕事の探し方も多岐に渡り、LinkedInであったりグローバル企業を扱った求人サイトから仕事を見つけやすくなっている。
日本で、マネーフォワードで、働くことになったきっかけ
グローバル企業で働くことになったきっかけと変遷には納得がいったが、それでも今のマネーフォワードでの仕事との繋がりがどうも見えない。
上記3社のグローバル企業でのキャリアはすべてコスタリカでの仕事だ。マネーフォワードにおいて英語で仕事をできるとしても、来日してまったく異なる環境で働く決断の片鱗は見当たらない。
「グローバル企業で働いていると、チームの半分以上が他国の人たちです。 彼らとのやりとりの中で、価値観の違いなどに触れ、海外で働くことにも興味を持ち始めたのです」
セルジオ氏は幼少期から日本文化に影響を受けていた。アニメやゲームはもちろんのこと、日本企業の製品・商品にも自国で触れる中、日本への興味が増していった。
「2019年に長めの旅行で日本へ行きました。それで日本がより好きになり、どうやったらもう一回訪問できるか、そして長く滞在できるかを考えました。さまざまリサーチをする中で、ソフトウェアエンジニアはかなり需要があるとわかってきました。
実は務めていたトレードステーションという会社の親会社はマネックス証券(日本企業)なのです。社内文化で忘年会があったりと日本の要素があったりもして働く上での親しみも持ち始めていました。
そして日本企業のソフトウェアエンジニアを探す中でマネーフォワードと出会い、働けることとなりました」
家族の賛否と決断
日本で働くチャンスを得たセルジオ氏だが、遠く離れた国で働くことに関して自身や家族の不安はなかったのだろうか。
「言葉の不安はありました。日本語は複雑で難しいものですし、これは今でも感じていることですね。
また、マネーフォワードは全社的に英語が公用語というわけではありませんので、歓迎してくれるのか、カルチャーフィットするのかというのは心配でした。
しかし、心地よく働ける環境を用意してくださいました。今では私を含めたグローバルメンバーもさまざまなチームに入って働くことができています」
なお、日本企業ならではの働き方や文化に関しては入社前に不安を抱いていたようだ。それこそドキュメントに英語でアプローチできるのかや、意思決定のフローなど。この辺りは入社して杞憂に終わったようだ。
マネーフォワード社の制度や文化設計については、グローバル採用責任者を務める保科岳志氏のインタビュー記事を参照いただきたい。
「家族に関してですが、妻は賛成をしてくれました。さきほど申し上げた日本旅行も一緒に来ていており、妻も日本を気に入っていました。また、会社が妻のビザもスポンサーしてくれて非常に感謝をしています」
しかし、他の家族の意見は分かれたようだ。物理的な距離が遠く、時差も15時間とかなり大きいので無理もない。いくらオンラインコミュニケーションが発展した時代とはいえ、時差によるコミュニケーションの壁はどうにもこうにも払拭できない。
「とくに父は反対をしていました。他の家族では、チャンスであるとか、貴重な経験になるというようなことを言ってくれる家族もいました。最終的にはとにかく自分自身にとって良いことだと、逃してはいけないチャンスだと思い決断しました。日本で働くことを考えると心がワクワクしていたのも決断を後押ししました」
そして2022年1月よりセルジオ氏はマネーフォワード社での仕事をスタートさせた。新型コロナウイルスの水際対策の影響で最初の3か月はコスタリカの地でのリモート勤務となったが、その後来日し今日まで日本で暮らし、日本で仕事をしている。
「最終的には父を含めた家族にも納得をしてもらって 仕事を始めることができました」
日本で働くこと・生活すること
日本で働き始めたセルジオ氏だが、実際日本で生活し、働くとなると想定と異なる部分もあったのではないだろうか。
ポジティブな面では、マネーフォワード社のサポートの手厚さがあったようだ。
「引っ越しなどの手続きに限らず、生活に慣れるようにという感覚の部分でもさまざまサポートしてくれました。通勤ラッシュや役所手続きなどで大変な部分はもちろんありますが、これはトレードオフかなと思っています」
生活と仕事をスタートさせる上での必要最低限+αをマネーフォワード社ではサポートしているように見える。それはセルジオ氏のインタビュー中の柔らかな表情からも明らかだ。
「働くことに関しても、非常にフレンドリーな環境ですのでここでの仕事を楽しんでいます。グローバルメンバー同士だけではなく、日本人のメンバーも非常に温かく受け入れてくれてわからないことがあれば手伝ってくれます。想定以上に心地よいと感じるのでポジティブな意味での想定外かもしれませんね」
日本人とのコミュニケーションに関しては、マネーフォワード社のプロダクトが主に日本人向けであるからこそ非常に助かっているとセルジオ氏は語った。
なお、季節の寒暖差はネガティブな想定外であったようだ。旅行で訪れたい場所は多くあるようだがなかなか実現にいたっていない。
「日本で生活し始めたらたくさん旅行するぞ、と思っていたのですが、できていないのが現状です。
というのも夏は暑くて外に出たくない。コスタリカより暑いです。トゥーマッチです…。
そして冬は本当に寒い…。熱帯エリアから来た私としてはどうしても慣れていないですね。ただ、今年はですね、初めてスキーとスノーボードに行きました。当然コスタリカにはありませんので、初めての経験で非常に楽しかったです」
これからのキャリア・人生も日本で
総じて日本での生活・仕事を楽しんでいるように見えるセルジオ氏だが、今後の人生を考えた際に、日本で働き続けるのだろうか。
「なるべく長く日本にいたいです。日本が好きだなと思っていますので、10年後も日本にいられるといいなと思っています。
仕事に関しては、課題あるものに着手してより良くしていくことが好きです。チャレンジを続けて働くことの楽しみを自ら作っていきたいと思っています。
世の中には仕事が楽しくないと思う人も多いと思いますが、私はやはりユーザーのために良いプロダクトを作っていきたいです。モチベーション高く充実した仕事をすることで、それがサービス面にも表れると思っています。ですので、さまざまな改善に組織横断的に取り組んで解決していく。そういったことをこれからもチャレンジし続けたいと思っています」
取材後記
最後に、どうしても伺いたかったFIFAワールドカップ2022でコスタリカが日本に勝った際の気持ちを伺った。
「Very happy. 非常に嬉しかったです。
正直期待をしていなかったんですけれども、かなりの接戦でコスタリカの選手がゴールを決めて本当に信じられない気持ちで。攻め続けても守りきって勝てて良かったです。
日本はコスタリカにしか90分の試合で負けていなかった、という意味でコスタリカ人としては非常に誇らしい機会でした。ありがとうございます」
また、FIFAワールドカップでの対戦を通して、今までコスタリカについて知らなかった日本人も、コスタリカを知る機会となったことが嬉しかったとセルジオ氏は語った。
なお、本記事冒頭の言葉、
「昨日も死んでいなかったし、今日もまだ生きている」
これは、FIFAワールドカップ2022で、コスタリカ代表のルイス・フェルナンド・スアレス監督がワールドカップで日本に勝利した後に発した言葉だ。
日本はコスタリカにワールドカップで負けた。しかし今回の取材を通して、コスタリカという国、そしてコスタリカ人が大好きになった自分がいる。
何を語っても柔らかい表情のセルジオ氏。これからも日本でキャリアを歩まれていく、その未来図が楽しみだ。