子どもの好奇心は国の宝だ。好奇心を持ち続けた大人が増えれば、技術が伸び、文化が発展する。大きくなっても好奇心を持ち続けるためには、幼少期のその気持ちを大人が摘み取らないことが大切だ。
スマートフォンのカメラアプリで撮影するとその植物や昆虫の情報が表示される図鑑補助アプリ「ナニコレンズ」は、そんな子どもたちの好奇心や知識欲を満たすアプリ。2022年に学研がリリースし、2023年8月時点で12万ダウンロード超の大ヒットを記録している。
ナニコレンズの制作意図・図鑑との連携・ビジネス変革について、株式会社学研ホールディングス 執行役員 CMOの福田 晃仁氏に伺った。
目次
想定を越えて使われているナニコレンズ
ーーナニコレンズはどのようなアプリでしょうか?
福田:2021年6月に図鑑の新刊が出るタイミングに合わせてリリースした、植物や昆虫を撮影することでAIがその種別を同定し、学研の図鑑データを表示するアプリです。子どもさんが好奇心を抱いたときに思わず発することば
「何これ?」
と、ふしぎな道具感を感じさせる名前を編集部に考えてもらいました。
識別判定できる生き物は2,400種類におよびます。幼児から小学生のお子様、その保護者、ハイキングなどを趣味とする中高年層、学校・教育関係者に使っていただいています。日本全国で、毎月10万回ほど識別判定されており、日本にとどまらず世界でも使われています。同定した動植物はマイ図鑑としてコレクションされていきます。
リリースから3ヵ月で8万DLを突破しApp Storeの複数のカテゴリでランキング1位になるなど好評で、総合で11位になるという快挙を達成しました。
ーーナニコレンズはどのように使われていますか?
福田:そもそもは、お子さんが対象物を指さして「何これ?」と疑問に思ったときに、本人や親御さんがナニコレンズで調べてみる、そして帰宅して図鑑で詳しく調べていく。そんな流れを考えていました。
このような使われ方も、もちろんしています。さらに、理科系の教員が授業で活用したり、ハイキングに出かける大人の方が虫や野草を調べるのに使ったりと、幅広い使い方でご利用頂いています。
2023年の7月から8月にかけては、東京の高尾山で「高尾山&TAKAO 599 MUSEUM「高尾山に生きる多種多様な甲虫たち」で夏山ずかんをつくろう!」というイベントを開催しました。
高尾山では費用をかけて生態調査もしています。参加者が楽しめるだけでなく、このアプリが生態調査の一助になる側面もあるんですよ。
図鑑を活用してもらう施策として開発
ーーナニコレンズの開発経緯をお教えください。
福田:2021年に図鑑の新刊を発行することになったのですが、その新しい図鑑の販売戦略の一環で、アプリの企画が生まれました。
かつて「図鑑といえば学研」という強い時代もありましたが、今は業界の3番手・4番手に位置しています。そうなると、書店でも来店者の注目が高くなる平積み(テーブルの上に横置きに積まれる状態)になるかならないか、ギリギリの状態なんですね。
その状態から頭一つ抜け出す、ブレイクスルーするための施策をマーケティング戦略室と編集部のメンバーで検討し続けました。編集部の図鑑へ対するこだわりとして、昆虫の標本を撮影して掲載している他社図鑑とは異なり、学研の昆虫図鑑では生きた昆虫を撮影して掲載しています。生物をよりリアルに伝える、という事ひとつとっても並々ならぬ熱量があるわけです。
ただし、単純に優れた図鑑をつくれば売れる時代ではありません。たとえば後発の他社は、ゲームの要素を含めた新しいアプローチの図鑑を作っています。
そのため、よいものを作って本屋さんに置いてもらうことをゴールとするのでは足りません。よいものを提供するだけでなく、購入された方に、どのように使っていただけるのか、どの様につながり続けるのか? について検討を続けました。
そこで、図鑑を購入したエンドユーザーがどのように取り扱うかのシーンを116パターン考えました。
そのパターンには「図鑑を持ち運びやすい手提げ袋を開発する」「おしゃれなブックスタンドに図鑑をおく」といったようなアナログなシーンも含まれています。そうしたさまざまな観点の活用シーンに発生するインサイトから選ばれた施策が、図鑑と連動するアプリ「ナニコレンズ」をリリースすることだったのです。
ーー アプリ開発に際し、苦労されたポイントがありましたらご教示ください。
福田:スマートフォンをはじめとするデジタルデバイスがメインストリームになっている現代、知識の伝達も紙で培ったノウハウを生かして、デジタル化したユーザに対応していかなければなりません。
ただし、紙の図鑑を単にデジタル化・アプリ化してもなかなかうまくいきません。紙の図鑑を単にデジタルに置き換えたコンテンツは、弊社でも数多く失敗を経験しています。
図鑑のシェアを取り戻すためになにをすれば良いか?について、当然売上を伸ばすという事になりますが、ここではなく、フォーカスを図鑑の価値を伝える、ということにシフトしました。このような考え方をメンバーへ浸透させながらプロダクトとして形にしていく、という事が難しいポイントでした。
ーー図鑑との連携はどのような調整がありましたか?
福田:本来、図鑑には、その個体の種別や系統図をきちんと見せて正しく伝える役割があります。アプリを通して個体の情報をみる際には、別の視点に情報を翻訳して伝えなければなりません。利用者の使い方に合わせた情報の提供が必要になります。
実現したいのはDXでなくBX
ーーナニコレンズの開発は御社のビジネス変革上、どのような位置づけだったのでしょうか?
福田:図鑑の編集部は、紙媒体に関する誇りを持っています。思い入れが強いんですね。とはいえ、DVDの付録やAR対応機能の追加の経験はあり、新しいことをしたいという機運もありました。
マーケティング畑の人間が、今どきの技術トレンドがどうだと上から目線で話すようでは、変革は一向に進みません。エンドユーザーにどのように使っていただきたいか、新たなお客さまにどのように届けたいかをていねいに伝え、相互に理解していきながらアプリ開発を進めていきました。
わたしたちはBXを実現するためにDXをおこなうということをまず方針として定めました。デジタルは、ビジネス変革をするための手段のひとつ。まずユーザーありきで、ユーザーとどうつながるかを最優先に実現する手段としてアプリの設計をおこないました。
ーーこれから変革したいと考えている企業へのアドバイスはありますか?
福田:日本ではようやくDXが広がりを見せていますが、DXという言葉の流行でシステムやツールを導入することがDXすることという定義になっていますね。ビジネスを変革する目的が抜けたまま、本来は手段であったDXが目的として捉えられがちなのではないでしょうか?
我々はビジネス変革をどう起こすか?に着眼し、ユーザとプロダクトの関係を再定義しました。何がためのテクノロジー活用なのか?をしっかり固めて変革に取り組むと良いかと思います。
(取材/文/撮影:奥野 大児)