空前の歴史ブームと言われています。今までの歴史ブームと異なるのは「歴女」と呼ばれる女性が中心となって、ブームをけん引していること。また歴女を中心とした女性たちを魅了しているのが、全国各地で結成された「おもてなし武将隊」です。

「名古屋おもてなし武将隊」は、2009年に結成した武将隊のさきがけにして「武将隊ブーム」の火付け役と言われています。名古屋および愛知県は、今年の大河ドラマ『どうする家康』の舞台で「武将の聖地」です。

来年2024年には15周年を迎える名古屋おもてなし武将隊(以下:武将隊)のリーダー・織田信長公に、活動内容や武将隊流「おもてなし」、今後の目標などについて伺いました。



名古屋おもてなし武将隊とは

2009年「名古屋開府400年」の観光PR部隊として結成。
メンバーは、400年前よりよみがえった「愛知県にゆかりのある」武将6人(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、前田利家、加藤清正、前田慶次)と陣笠隊(足軽)4人で構成。
全国的にも知名度の高い6人の武将による、全国の武将隊の先駆け。
3年連続「全国武将隊天下一決定戦」で優勝。“天下一”の称号を持つ。
日本人ならではの“おもてなしの心”とSAMURAIカルチャーを世界に発信するために、名古屋城を拠点にさまざまな活動をおこなっている。
公式サイト

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名古屋おもてなし武将隊の活動と経済効果

――武将隊は「武将の聖地ナゴヤ」をPRするために、どのような活動をしてきましたか?

われらは、年末の数日を除く毎日、名古屋城に出陣しておる。よほど嵐にならぬ限りは、雨でも雪でも「おもてなし」はおこなう。雨でずぶぬれになることもある。(前田)慶次などは雪の中、高下駄をはいておったら、身長2mになっておった。

おもな活動は演武と舞台だな。舞台はすでに武将隊を知った上で来てくれるもの。演武はわれらの活動を知ってもらう活動じゃ。名古屋城だけでなく、ショッピングセンターやアミューズメントパーク、各種式典などでも求められて演武することがある。

現在は、全国旅行支援の一環で、セントレア(中部国際空港)主催で北海道から沖縄まで全国の空港でもおこなっておる。とはいっても、われらは名古屋城の出陣は休めない。半分は名古屋城に出陣するために名古屋に残り、半分が空港へ行く。

空港での演武も新鮮でよいものじゃ。何より、空港に勤める者たちが喜ぶ。あの者たちは、普段は見送るだけだでな。

――経済的には、どのような効果がありましたか?

名古屋城の来場者数は、われら武将隊がよみがえってからは、増加の一途。

結成した2009年から2019年の約10年間で、われらによる経済波及効果は210億円だということじゃ。(三菱UFJリサーチ&コンサルティング調べ)

――それはすごい!演武や舞台以外にはどのような活動をされていますか?

名古屋のプロモーションに出陣することもあるが、中には大変なこともある。

「名古屋めし総選挙」のときには、武将隊がさまざまな名古屋めしを数人ずつで担当して実際に食した。わしの担当が「ベトコンラーメン(※)」と「台湾まぜそば」で、どちらもコッテリでな。しかも2件同日に撮影があり、厳しい一日となった。一緒にいた陣笠隊の十吾は、台湾まぜそば1本しか食べんかった。わしか? わしはもちろん、すべて食した。十吾は驚いとったな。

※「名古屋めし」のひとつ。”ベストコンディション”を略して”ベトコン”。

武将が一人ずつ飲食店を回って、ポスターを貼ってもらうよう願ったこともある。いわゆる「アポなし」であったが、どの店も温かく迎えてくれた。名古屋市内16区すべて回ったと思う。ようやったな、われら。

名古屋おもてなし武将隊は、名古屋の「ゆるキャラ」?

――名古屋市の観光PR部隊として、現在はどのような立ち位置になると考えていますか?

名古屋では、我らの存在そのものが根付いていると感じる。撮影などで街を歩いていても、怪しまれることはない。

これが東京だと、おまわりさんに職務質問をされることもある。腰に刀を差しておるので、危険分子とみなされておるのかもしれぬ。しかし武将隊のリーフレットを見せれば納得してもらえるので、「武将隊」の存在そのものは認知されておるのであろう。

――武将隊をまねたコスプレイヤーと間違えられることもあるのでしょうか?

コスプレイヤーとまちがえられること?それもあるかもな。全国に武将隊らしきものは公式非公式含め100以上あるが、中には「甲冑同好会」もあるでな。しかし、あの者らは、われらとは違って残念ながらよみがえってはおらん。

われら自体が見た目にパンチがあるらしく、表敬訪問で新聞社などに行くと受けがよい。われらはほとんど「ゆるキャラ」のようなものだからの。ゆるキャラに比べれば、自分で考えてしゃべれるし、助けなしで歩ける。使い勝手がよいのじゃ。便利な扱いをされとるともいえるがの。

――名古屋市民から期待されることは何だと思いますか?

われらが名古屋市民に還元できるものは、まず「名古屋城に武将隊がいる」ことそのものであろう。「われら武将隊に会うため、名古屋城に来たい」から名古屋に来る。そこが大事じゃ。

われらに会いに来た者たちが名古屋の街を回り、食べて遊べば、円がまわり経済効果がある。名古屋の街が元気になる。名古屋の民が元気になり喜べば、われらは「民をさらに元気にしよう」と思う。その一連のことじゃな。

伝えたいのは「おもてなし」の心

――武将隊の活動は、どのような経緯で現在の形に落ち着いたのですか?

開府400年で「よみがえらせてみたものの、何をすればよいか?」最初は何も考えておらんかったのじゃな。よみがえらせる側も、まさかここまで盛り上がるとは期待していなかったようじゃ。もっとひっそりやる予定であったらしいでな。取材をしてくれた者たちが次々と発信して話題にしてくれたおかげで、最初から話題になった。

はじめは、演武をするとも決まっていなかった。何もすることがないで「名古屋城のゴミ拾いでもしようか?」くらいのもんじゃ。最初のうちは、客人と握手したり、一緒に写真撮ったりするだけじゃった。

「おもてなし武将隊」というからには、「おもてなし」するにはどうすればいいか? を考えたんじゃな。そこで、演武でもしようと思いついた。

――失礼ながら、武将のみなさまは、400年ぶりの演武や殺陣(たて)で、お身体が鈍っておられたのでは?練習などはされたのでしょうか?

400年前の戦国の世には殺陣(たて)はなかった。形(かた)などもなく、ただ殺しておっただけじゃな。わしらはよみがえって初めて殺陣を学んだのじゃ。

「おもてなし演武」(甲冑ダンス《パパイヤ鈴木氏振付》や寸劇)も当然、昔わしが生きておったころはなかったから、練習したのじゃぞ。

今のわしらはにとっては戦の強さではなく、楽しませることが民にとって大事なことじゃ。そのため腕は常に磨いておる。

武将隊流「SNS活用術」

――SNSなどでは、どのような配信をされておられますか?

公式 YouTubeでは、生配信をおこなっておる。名軍師の犬丸という者が、毎回「トークテーマ」とやらを決めておる。「これを話すと現代の民はお喜びになる」と申してな。
 

▲公式YouTube

LINEは時々開放しておる。開放期間は、武将隊に直接メールができるのじゃ。開放するのは2~3時間なのじゃが、その間にメールが集中して、一気に100通以上飛んで来る。もちろん、すべて目を通して返事をしておる。しかし、本当に手入力で打っておるので、時間内に答えられる分だけじゃけどな。

SNSとは大変なものであるな。名古屋に普通に暮らしておっては知り合うことのない民とも知り合える。中には九州などの遠方から名古屋へ来てくれた者もおる。

――歴史に関する配信も人気だと伺いましたが?

わしや慶次など、歴史について語る者もおるな。われらの場合は、自分で自分のことを語るわけだから、なかなか難しいもんだぞ。そなた(注:筆者のこと)はどうじゃ? 17歳のころ、こうしとったああしとったと、覚えておるか?

しかも、400年後によみがえってみると、まわりの民がみな、自分のことをよう知っとる。驚くべきことじゃ。そなたでいえば自分の書いたもののことを民がみな知っとるということじゃ。想像できるか? そうじゃろう、できぬわな。

――動画配信はどのようなことをされておられますか?

陣笠隊(足軽)の踊舞(とうま)は、TikTokに 10万人フォロワーがおる。踊舞のおかげで、われらTikTokでも有名になった。

足軽のとうまTikTok

踊舞はTikTokではお題を出して戦国時代の言葉につなげていく言葉遊びをやっておるのじゃ。名古屋城の演武でも、子どもらにお題を出されて答えておったわ。踊舞は小中学生にからまれても一生懸命答えるから人気がある。踊舞は不思議な男じゃ。まったく出世欲などがないのじゃ。

子どもはYouTubeへの反応がすごいのじゃぞ。わしらが武将だと言っても「ふ~~ん」ってなもんだが、YouTubeの撮影をしておるというと「YouTubeやってるのー?」と大興奮じゃ。名古屋城でもわしらを見て「そういえば見たことある」「これだ!」と画面と見比べる子どもたちもおる。

YouTubeでもTikTokでも、わしらに興味を持つきっかけとなれば、ありがたいものよ。

目標は「名古屋名物」

――コロナ禍はどのように活動されていましたか?

コロナは大変じゃった。なんといってもわしらにとっての「おもてなし」は演武であるからの。演武ができぬのは、活動ができぬに等しかったのじゃ。もうこのまま、400年前に戻ろうかと考えたこともある。

そのような中でわれらの助けになったのが、SNSだったのじゃな。YouTubeやTikTokでわれらの活動を発信したり、Twitterや公式LINEで離れた民とも交流できたことが大きかった。400年前であれば、このようなことはまず難しかったであろう。

400年前からよみがえった、われらという存在と現代のテクノロジー=SNSというミスマッチも、案外よかったのじゃろうな。

――武将隊にとって、今後の目標は?

われらの目標は、「名古屋の名物になること」じゃな。たとえていうなら、大阪の「吉本新喜劇」や宝塚の「宝塚歌劇団」のような。ジャンルは違えど、どちらも、地元の民の誇りじゃ。そしてどちらも、地元の代名詞となっておる。宝塚などは地名がそのまんまなくらいだからの。

名古屋といえば、わしらのことが自動的に浮かぶような存在を目指しておる。そしてわれらの存在が、脈々とこの地に受け継がれていくことが目標じゃ。

――信長さまは歌もお上手で笑いも取れるので、無敵ではないでしょうか?

そうじゃ、踊舞が子どもたちに「TikTokの人」と呼ばれるように、わしは「歌ってるだけの人」と呼ばれておる。YouTubeで「歌ってみた」を配信しておるが、なかなか好評でな。とくに「うっせえわ」はわしそのものと言われておる。

歌詞もわしが考えた。たしかに共感できた。400年前は、こういう想いだったんじゃな、わし。

▲【織田信長】うっせぇわ/歌ってみた【Oda Nobunaga-Usseewa】(織田信長の下剋上の歌)

(文/取材:陽菜ひよ子、撮影:宮田雄平)

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