2019年に設立され、ESG情報開示クラウドSmartESGの開発・提供に取り組むシェルパ・アンド・カンパニー株式会社。2023年には累計3.2億円の資金調達をし、現在さらなるサービスの開発に向け、組織を拡大しています。
そんなシェルパ・アンド・カンパニー株式会社でVPoEを務める小川達さんにインタビューを実施。
エンジニアとしてのキャリアを歩み、CTOとVPoEを経験している小川さんは実は文系大学出身
なぜ、文系の大学生がエンジニアになったのか、今まで歩んできたキャリアと人生の考え方について、小川さんの言葉から紐解いていきます。
目次
「楽しくてしかたがなかった」。文系大学からエンジニアへ人生の大きな路線変更
──小川さんは文系大学を卒業後、エンジニアになるというかなりイレギュラーなキャリアを選択されたと思うのですが、そもそもなぜ大学は文系だったのでしょうか?
小川:
大学は単純に偏差値で決めました。僕、社会人になるまではめちゃくちゃ適当な人生だったんですよ(笑)。本来大学は、「これから何を学んでいきたいか」とか、「どういうことをやっていきたいのか」を軸に選択するべきだと思うんですけど、当時はただなんとなく決めていました。
──そこからなぜ、エンジニアに?
小川:
大学時代、ホッケー部に所属していたんです。そのつながりで知り合ったのが、僕が最初に入社した会社・フューチャーアーキテクトに勤めている方でした。そこで会社の存在を知り、初めて“エンジニア”という選択肢が自分の中で生まれたんです。それまではエンジニアになるなんて、考えてもなかったですね。
──エンジニアになろうと決断した理由は、なんだったのでしょうか。
小川:
1つは、ものづくりが昔から好きだったからです。文系方面からもものづくり系の就職先は検討していたのですが、そういったところは、仕入れて工場管理をして出荷する、というような仕事がほとんどでした。僕がしたかったものづくりは、自分で研究をして生み出していくという、どちらかというと“理系”のものづくりだったので、エンジニアという仕事はその点がマッチしているように感じました。あと、ITをやっておけばこの先なんとかなるだろうという打算的な考えも少しありましたね(笑)。
──なるほど。文系からエンジニアになるという道にハンデは感じなかったのでしょうか?
小川:
ほとんど感じていなかったです。なぜかというと、フューチャーの新入社員の採用比率が、文系と理系で五分五分だったからです。自分以外にも同じようなスタートラインに立っている仲間がいたので、あまり気になりませんでした。また、入社後の研修期間がしっかり3か月間用意されていたんです。そこでエンジニアとしての知識を叩き込みました。
──いくら3か月の研修期間があるとはいえ、1からエンジニアとしての知識を覚えるのはかなり大変じゃないですか……?
小川:
今ではもうできませんね(笑)。当時は9時から17時まで出社して研修があり、帰ってまた20時から4時まで勉強する、という生活を送っていました。でも辛さはまったく感じていなかったんです。むしろ、新しい知識を覚えてそれがどう動いていくのかを知るのが楽しくてしかたなかったです。
社会人としてのベースは、最初の1社目で決まる
──小川さんは、就職のタイミングで大きく路線変更をされましたが、今振り返ってみて「就職活動」をどう捉えますか?
小川:
就職活動は自分がどのような仕事をやりたいのかを考えるいいタイミングではあると思うんですけど、あまり考え込みすぎても仕方がないし、それがすべてではないと僕は思います。それよりも僕が就職活動をした経験から大事だと思っているのは、最初に入社した会社で、自分の社会人としてのベースが決まるということです。
──社会人としてのベース、ですか。
小川:
どういう意味かというと、1社目に入った会社で、その会社の文化とか働き方がベースに染み付きます。たとえば、まったり働ける会社で育ったあとに、スタートアップ企業のような変化の大きい環境に転職した場合、大抵すぐに順応はできないんですよ。そういうことも含めて、社会人としてのベースが1社目で決まるということを、就職活動のときに意識することが大事かなと思います。それ以外は自由に考えていいと思いますね。今の時代、転職するのが当たり前のような流れもあるので。
──と言っても、職場は実際に働いてみるまではどのようなところなのかわからない、というのが正直なところですよね。自分に合った組織を選ぶためには、具体的にどのようなことをするべきだと考えますか?
小川:
カジュアル面談をたくさん受けておくのは、いい方法だと思います。合同説明会や就職活動イベントで説明している方のお話を聞いて判断するのもいいと思いますが、同じ1社を受けるにしても、いろいろな立場の方に会ってから決めるのがいいのではないかと思いますね。今はもう採用する側になりましたが、逆にカジュアル面談を通らないで本選考に来られると少し不安になります(笑)。お互いのことを1回も説明しないままの状態で本格的な選考が始まってしまうので。
──たしかに、ある程度お互いが理解しあってから所属する組織を判断できると安心ですよね。ちなみに、小川さんの社会人としてのベースはどのように出来上がっていったのでしょうか。
小川:
僕はフューチャーに入社して、ある“お師匠さん”に出会ったんです。その方にはエンジニアとしての技術はもちろん、社会人としてのすべてを教えてもらいました。僕の社会人としてのベースは、間違いなくその方が大きく影響していますし、心の底から尊敬する人は誰ですかと聞かれたら、僕は必ずその方の名前を挙げます。
今の自分を形成する、“師匠”との出会い
──それは運命的な出会いですね。いったいどのような方だったのでしょうか。
小川:
そうですね……、尖っている人でした(笑)。何にでも興味関心を強く持っていて、自分をしっかり持っている人です。たとえば、男性ですが興味があるからネイルをしてみたり(笑)。自分が気になることや興味があることにまっすぐ進んでいる姿がかっこいいと感じていました。あと、エンジニアとしてもハイレベルな技術を持っている人でしたね。普通エンジニアはある一部分の分野に特化しているタイプが多いのですが、その人はすべての範囲で技術力があるエンジニアだったので、まさに“最強のエンジニア”でした。
──その方が、今の小川さんを形成しているんですね。
小川:
影響はかなり大きかったです。僕が今でも仕事をするうえで意識していることがあるんですけど、それもその師匠の影響を受けていますね。
──どのようなことを意識しているのでしょうか?
小川:
頭の中の引き出しを増やすことです。師匠と会話をすると、話の引き出しがすごいなと感じることが多かったんですよ。仕事のことやそれ以外のことでも、話題を振ったらだいたい返ってくる。何かしら言ったことに打ち返してくれるので、『なんか相談したいな』と思ったときに、真っ先に頭に浮かんでくるような存在だったんです。
──ほかにも、現在まで何か影響していることはありますか?
小川:
自分の考えとかやり方は、あまり人に押し付けないようにしています。これは師匠に限らずほかの上司の方もそうだったのですが、きちんと個人を尊重しながら僕のことを育ててくれたんです。当時の僕は、そんなことにまったく気づいていなかったので、ノンストレスで働いていました(笑)。このように、社会人になって最初に入った会社で出会った方たちの影響は、今思うとけっこう大きかったように感じます。
偶然でしか起きない瞬間を掴む
──最後に今後の展望についてお伺いしたいのですが、文系大学からエンジニアを選択したように、今後大きなキャリアチェンジをする可能性はありますか?
小川:
今後の展望は自分でもわかりません。なぜかというと、たとえば就職活動の面接で、「3年後、5年後の自分はどうなっていると思いますか?」という質問ってよくありますよね。正直、「わかるわけないだろ!」って思いませんか?(笑) ある程度将来の大枠のイメージを持つのは大事だと思うのですが、キャリアが動く瞬間って何かの偶然でしかないと思うんです。そういうときのために、瞬間的にやってきたチャンスを掴めるように実力をつけておくのが大切だと思っています。
──なるほど。具体的にその準備をするには、何をしたらいいのでしょうか。
小川:
今目の前にある課題に全力を注ぐことではないですかね。今、僕は組織を拡大して、今以上に社会的なインパクトを起こせるように努力しています。まず足元のことをしっかりとして、“今を生きる”のが大切かなと思います。
(撮影:渡会春加/取材・文:はるまきもえ)