クラウド会計ソフト・クラウド人事労務ソフトでシェアNo. 1を誇る、freee株式会社。2012年の創業以来、急成長を続ける同社のエンジニア組織はどのような変化を遂げてきたのでしょうか。企業規模ごとの課題とその解決策、採用について、そして独自文化を重視している理由など、創業期からエンジニアとしてサービス開発に携わり、現在はCTOを務める横路隆氏にお話を伺いました。
前半ではfreee創業期から50人規模だったころのお話をご紹介します。横路氏がはじめてマネジメント業務に取り組んだときのエピソードなどを通して、当時のエンジニア組織について語っていただきました。さらにユニークな社内用語など、freeeの独自文化の醸成についても伺いました。
目次
「なにもない」創業期にエンジニアを集められたワケ
――今回は、エンジニア組織にフォーカスして、創業から約9年間の歩みの中で企業フェーズごとの課題とそれをどう解決して次のフェーズを迎えたか、また採用についても順を追ってお聞きできればと思っています。まずは、創業期について伺ってもよろしいですか。
横路隆氏(以下、「横路」):最初は本当に何もない状態からのスタートでした。我々は創業時から「プロダクトで世の中を変える」というビジョンを掲げていたので、プロダクトをいち早くリリースすることが当時一番の課題でしたね。
まだ10名以下のころ、最初の1年ぐらいでしょうか。とにかく早くお客さまから「これいいね」「これなら買うよ」と言っていただけるような機能を見つけることが重要でした。
――スタートアップの初期は人を集めるのが難しく、外部のリソースを利用して開発部隊を作ることもあると思います。御社の場合、立ち上げ時はどのように運用されていましたか?
横路:立ち上げのときのメンバーは正社員が基本でした。今でこそ副業や業務委託でレベルの高い方がWeb界隈にもたくさんいらっしゃいますけど、当時はそこまでまだ市場がなかったと認識しています。そのためどちらかというと、最初から業務委託ありきでやるというよりは、「何でもやります!」というガッツがある方、今後ジョインしてくれそうな方に声をかけていました。
すぐには転職できないと言われても、夜や週末だけ手伝ってほしいとお願いしていたメンバーも結構いましたね。
――創業間もないスタートアップがエンジニア、特に正社員を確保するのはかなり難しいと思うのですが、どのようなアプローチをされていたのでしょうか。
横路:やはり知名度がなかったので、「ぜひうちに来てください」と言っても簡単に来てもらえるわけではありませんでした。
そんな中で最初に人が来てくれるようになったなと感じたのは、TechCrunchの「スタートアップバトル」に出場し、freeeに関する記事が掲載されてからですね。当時、TechCrunchを見ているエンジニアはかなり多くて、「なんか面白そうなことをやっている会社だな」と思った人が自己応募してきてくれました。
そのときに入ったメンバーが2、3人目のエンジニアとなって、今開発の中心メンバーとしてチームを取りまとめてくれています。ともにここまで成長してきたメンバーでもあります。
――なるほど。直接のお知り合いというよりは、おっしゃったようにメディアへの露出から人が集まったという感じですか?
横路:そうですね。私も当時まだ新卒2、3年目ぐらいで、しかも組込みエンジニアだったこともあって、Web界隈できちんとコードが書ける人のネットワークみたいなものも持っていなかったんです。TechCrunchの影響は大きかったと思います。
あと、今だとB2Bのスタートアップもたくさんあるので同じことができるとは思わないですけど、当時は市場がよかったというのもありますね。時期的にはソーシャルゲームのブームにエンジニアがたくさん集まった、そのちょっとあとくらいでした。ソーシャルゲームからはいったん離れて、次はもう少し「自分が世の中をよくしていると思えることをしたい」といった人たちが生まれたころです。
B2Bのスタートアップはそんなになかったとはいえ、SIerやベンダーに所属するエンジニアは多くいました。そのころ「受託開発ではなくて、お客さまに直接届くプロダクトを、手触り感を持って作りたい」という方も結構多かった印象です。
そのふたつの層にしっかりアプローチできた効果は大きかったかなと思います。
手探りで始めたマネジメントは周囲に支えられ続けてきた
――では、次はもう少し組織が大きくなって、だいたい30名ぐらいになったあたりの話を聞かせてください。おそらく課題としては、だんだん開発組織として独立色が出てきて、スタートアップのころと比べるとビジネスサイドとの距離も出てくるころかなと思うのですが。
横路:実は、30名になるまでチーム化はしていなかったんです。当然マネジャーもいませんでした。そろそろチーム化しないと、きめ細やかにメンバーをサポートしたりメンバーのパフォーマンスを最大限発揮させたりといったことが難しくなってきたころでしたね。
なぜそこまで大きな問題なくやれていたかというと、ひとつはCEOの佐々木がプロダクトオーナーとして開発チーム全体を細かく一緒に見てくれていたというのがあります。
もうひとつは、社員全員がビジョンに共感して、それに基づいて行動することを徹底できていたからですね。もし足りていないことがあったら自分で埋めにいくし、前向きに議論することができるメンバーが多いんです。だから現場に任せても回っていたんだろうなって、今振り返ると思います。
最近の業界の状況的には、おそらくそれくらいのフェーズに業務委託を利用せず、正社員だけで30人集めるのは結構難しいと思います。今だと30名のうち半分ぐらいは業務委託にお任せして、うまくワークさせていくにはマネジメント機能をもっと早めに整える必要があるでしょう。
我々は運よくメンバーを集められていたので、30人ぐらいのときにちょうどマネジメントの問題が顕在化して、私と今VPoEをやっている平栗のふたりが初めてインフラ側とアプリ開発側のマネジャーに就きました。
――マネジメントをそのタイミングで始めてみて、やってみたからこそ見えてきた課題はありましたか?
横路:もちろんありました。ちょっと表現が難しいんですが……私はわりと自分に厳しいタイプなんですけど、人にも同じくらい厳しく接してしまったんですよね。かなりレベルの高いものを求めるというか。それで人がついてこなくて(笑)。
「マネジメント向いてないな」と思うこともありました。あとはやっぱりコードを書くのが好きですし得意でもあったので、そっちに時間を使いすぎてメンバーの十分なサポートができてなかったというのもありました。あるあるかもしれませんが、エンジニアからマネジャーへの壁みたいなのは感じていました。
――ちなみにおふたりがマネジャーとして入ると決まったのは、それまでの貢献度を考慮してですか? それとも自ら手を挙げたのか、もしくは他薦があったのか。
横路:コミット具合ですかね。最初からいたメンバーで、会社やプロダクトについても広く知っていたっていうのはやっぱり大きいですね。当時、私はマネジャー経験はなかったんですけど、蓋を開けると全員なくて(笑)、前職まででもやったことあるっていうメンバーが誰もいなかったんです。
――では本当にマネジャーとしては、そのときがスタートということですよね。今振り返ってみて、慣れてきたな、マネジャーとして板についてきたなと自分で思えるまでどのぐらいかかりましたか?
横路:どれぐらいだろう……。7、8年ぐらいかな。
――もう、ほぼ現在ということですか。
横路:ほぼ今くらいですね。やっとです。当初と比べると随分と丸くなったなというか。メンバーから率直なフィードバックをもらえるカルチャーのおかげで変われましたね。
驚かれるかもしれませんが、メンバーから不満があがった当時、「明日からしばらくマネジャーやらなくていいよ」とストップをかけられたこともありました。そこで少し冷却期間を置いてまた挑戦して、というのを経ています。1回失敗してもまたチャレンジさせてもらえるので、その中でだんだん分かってきたというのはあります。
初期から一緒にやってきた平栗をはじめ、メンバーには本当に助けられましたね。みんな私よりは大人だったので……(笑)。
早くからfreee独自文化を根付かせたことの功績
――そのさきのフェーズについて伺う前に、メンバーにビジョンが浸透しているというお話が出たのでお聞きしたいのですが、どのぐらいのタイミングで社内の文化をはっきりさせていこうと決められたんでしょうか。freeeさんといえば、独自の社内用語をはじめ、かなり個性のあるカルチャーをお持ちですよね。
横路:2、3年目ぐらいです。結構早いですよ。まだ3、40人くらいのころですね。
――それは将来企業として大きくなっていくためには、どうしても文化の醸成が必要だという認識が社内の中であったんでしょうか?
横路:ありましたね。当時、CEOの佐々木が「会社が普通にうまくいくって、普通の会計ソフトになって終わるだけでは失敗だ」というふうに言っていて。僕もその考えに同感だったんです。
なにか世の中を変えるような、それもプロダクトでもって変えていきたかったんですね。それを実現するためには、非連続的な成長や並の人ができないことをやっていく胆力が必要だという強い信念を2、3年目には持っていました。慧眼と言えばいいですかね。
――会社の規模がある程度大きくなったあとに決める企業が多い中、かなり早い段階で決められたということですよね。大きくなってからだと異なる意見が対立する場合もあると思うんですが、そういったこともなかったと。
横路:なかったと思います。カルチャーもそうですけど、ミッション・ビジョンを浸透させることで、自分たちが一緒に働きたいと思える人の像を言語化できたり、困ったときは、たとえば「こっちがお客さんのためになる」と信じられる方を選んだりとか判断軸ができました。
世の中にないプロダクトを作ろうとしているので、迷うとか答えがないとかは結構あるんです。今まではCEOが全部決めていたんですが、それだとスケールしないと感じていました。そこはメンバー自身が信じられるほうをきちんと選択していこうと。そのためにはユーザーを理解して、普段から考えを巡らせておかないと決められません。
そうやって徐々に今まではCEOが全部決めていたもの……たとえるなら、山の登り方みたいなところをみんなにインストールできるようになりました。そこが一番大きかったかなと思ってますね。
――当然採用にも関係がある部分だと思うのですが、決めたあと採用にいい影響を感じる場面はありましたか?
横路:そうですね。今またちょっと当時とは違う点もありますが、仕事でも遊び心を重視している部分はあったので、会社としてはみんなでワイワイしている雰囲気が出せていたかなと。
――なるほど。新しく入社された方は違う文化で生きてきたわけですよね。その方が順応していくために会社として、もしくはチームとして、何か機会を提供することはあるんでしょうか?
横路:昔と今でだいぶ違いますね。昔は定期的に飲み会や一緒にランチに行っていたので、そういう機会が一番のオンボーディングでした。ただ、今はほとんどの社員がリモートワークですしそうはいきません。
そこでオンボーディングプロセスとして、啓蒙するのはもちろんのことながら、自分たちの価値基準を業務やライフワークに照らし合わせて言語化するといったイベントを開催したりはしてますね。みんなが自分の頭で考える機会を非常に大切にしてます。
それはイベントみたいな粒度の大きいものもそうですし、もうちょっと日常的なところでいうと、Slackに価値基準に関するアイコンがあるんですが、誰かが発言したときにそれに対して「『マジ価値』じゃん」(※)ってポチッと押すわけです。そうすると「なるほど、こういうのがfreeeではよいおこないとして共有されているんだな」みたいなことを感じてもらえます。いかに日々の生活の中にその価値を感じられるきっかけを作れるかはとても重要です。
※詳しくはfreee株式会社の採用情報サイト内「職場環境と制度」をご参照ください
昔はオフィスへ出社していたこともあって、みんなの目につくところにとにかく価値基準を貼っておくといったことも意識してやっていました。
あとは私が今日着ているこのTシャツ、別に「帰属意識を高めるために着ましょう」と言ったことはないんですけど、普段からメンバーみんな着てるんですよね。そういう点でも、自然に文化が浸透していると言ってもいいかもしれません。
後編では、現在に至るまでのお話と、CTOとして横路さんが目指す組織像に迫ります。
「会社の成長に合わせて組織の仕組みも変えていく」freeeのエンジニア組織の歴史をCTOに聞く