限られたスケジュールのなかで、毎日たった1つしか作れない薄膜をひたすら作り続ける。そんな地道な材料研究の日々が、高原 渉さんの原点になっています。
社会人になるまでプログラミングとは無縁だった高原さんが、なぜ「マテリアルズ・インフォマティクス(以下、MI)」という新領域を切り拓き、専門職のトップランナーへと歩みを進めたのでしょうか。
「データの一つひとつを大切にする姿勢は、実験室で身体に染み込んだもの」と語る高原さんに、キャリアの築き方やAI時代の人材育成などについてうかがいました。

高原 渉さん プロフィール
株式会社日立製作所 フロントサービス事業統括本部 サービス事業創生本部 Service Production & Delivery Studio データサイエンスエキスパート/日立認定データサイエンティスト(プラチナ)。
AIを活用した材料開発業務を経験し、現在はデータサイエンティストチームのテックリードとして、材料開発をはじめとした製造業向けAI活用の推進業務に従事。並行して、講演・執筆活動や学会活動を通じた同分野の理解増進・普及啓発にも取り組む。博士(工学)、Kaggle Competitions Master。また、京都大学および奈良先端科学技術大学院大学にてクロスアポイントメント教員、東京理科大学にて客員研究員として研究活動を推進。目次
「机の上で実験ができる」という衝撃
——高原さんは学生時代、どのような材料の研究をされていたのですか?
高原さん(以下、高原): 名古屋大学大学院時代に、窒化物薄膜の材料を毎日作っていました。在籍していた時期に、天野 浩先生が高効率青色発光ダイオードの発明でノーベル物理学賞を受賞されて、材料研究がとてもにぎわっていたのを覚えています。
——当時、実験室で一番大変だった作業は何でしたか?
高原:まずはデータがないと何も始まらないため、毎日実験するしかありません。しかし、私の研究対象はどんなに頑張っても1日に1つしか作れない材料でした。そのうえ研究装置の利用時間も限られていたので、学生時代からデータ取得の苦労が身に染みていましたね。
ただ、当時は「この作業をデジタルで効率化できないか」とは思っていませんでした。そもそも情報系の出身でもありませんでしたし、いまほどAIが進化していない時代でしたからね。
——初めてMIという手法に触れたのは、いつごろですか?
高原:社会人になってからです。2011年にアメリカのオバマ大統領(当時)が「マテリアルズ・ゲノム・イニシアチブ(MGI)」を開始したことがきっかけで、MIが注目されるようになりました。日本でも2010年代後半くらいから、MIに取り組む企業が増えてきました。私も前職では材料開発に関わる部門にいた際に、そこでMIに携わり始めました。
MIが登場したころ、「机の上で実験ができる」という言葉を耳にして衝撃を受けました。連日、実験を繰り返してきた身としては、「なんて画期的なんだ!」と感動し、すぐに学会や勉強会に足を運んで学び始めました。

現場経験をしてきたからこそ見えるもの
——高原さんは社会人になってからプログラミングを始められたとのことですが、非情報系出身者として一番難しさを感じたポイントはどこでしょうか?
高原:ありとあらゆるところでつまずきました。環境構築はまったくできなかったですし、非常に苦労しました。いまは生成AIに聞けばいろいろとできる時代ですけど、当時は情報も少なかったので、テックブログや公式ドキュメント、セミナーまで、あらゆるものを頼りました。
なぜ続けられたかというと、単純に楽しかったからです。プログラミング自体が楽しかったというよりは、パソコン1台で、机の上でこんなことができるんだ、と目の当たりにして、これは絶対に多くの人にとって有益になると直感したのがきっかけでした。膨大なエラーに直面し、試行錯誤を重ねましたが、最後に動作したときの感動とおもしろさに魅了されて、そのまま走り続けてきた感覚ですね。
——実験室での現場経験は、データ分析において具体的にどう活きていますか?
高原:現場での経験はとても役に立っています。まず前提として、ものづくりの現場では得られるデータが限られています。だからこそ、背後にある物理化学的な知識や、データ取得の背景への理解が非常に重要になります。その際、自分自身で経験してきた感覚がないと、どうしても本質的な理解は難しいと考えています。
現場経験がないと、『使えない』と判断してデータを削除してしまうケースもあるのですが、私は現場でデータを取得する苦労を身をもって知っています。だからこそ、簡単に『このデータは不要だ』と切り捨てることはできないんです。
あと、現場を経験していると、計測データを見たときに「この装置で測ったなら、このパラメーターだとあれが足りないのでは」と気づけることもあります。単に数値を見るだけでなく、現場の解像度を高く持って議論できることは自身の強みだと思っています。
——そうした現場のリアリティや積み重ねてきた知見を、高原さんは書籍の執筆や学会誌での連載、講演会などを通して精力的に発信されています。こうした発信活動をされる背景や、書籍でこだわった「実験現場の人たちへの伝え方の工夫」を教えてください。
高原:発信活動はライフワークだと思っています。MIの黎明期には、私自身も非常に苦労しました。当時は生成AIもなく、プログラミングの知識も十分ではなく、組織内にAIに詳しい人もいませんでした。
時間が経てば当時の自分のように大変な思いをする人は減るかと思ったら、必ずしもそうではありませんでした。当時の経験を踏まえ、自身が書ける内容として同僚の福岡 誠之さんにも協力してもらい『マテリアルズ・インフォマティクス 実践ハンドブック』を書きました。
本を書くときにこだわった点は3つあります。1つ目は、そのまま使えるサンプルコードを整理し、公開したことです(書籍公式GitHubリポジトリを参照)。テーブルデータだけでなく、画像データ、テキストデータ、有機材料と無機材料のスペクトル、時系列データまで網羅しました。あとは、生成AIやLLM(大規模言語モデル)、RAG(検索拡張生成 )の内容まで入れて、この本を見たら材料開発をはじめとした製造業におけるAI活用の勘所・お作法がわかるようにしました。
2つ目は、Kaggleで培ってきた知見を入れたことです。さまざまなコンペに出て学んできたことや、こうすればベースラインとして走り出せるだろうという知見を盛り込みました。
3つ目は、データの整形です。AI活用などのテックブログや参考図書などは、大体綺麗に整形されたデータから始まるんですよ。でも現場には「私の考えた最強のExcel」のように、それぞれが独自に作ったものがたくさんあります。そのデータをAIフレンドリーに整形することが実務では非常に重要となるため、AIフレンドリーなデータへの整形についてステップ・バイ・ステップでその整形過程を解説しました。

データの一つひとつを大切にし、最後まで考え抜く
——そうした実務の悩みに寄り添った著書を執筆された高原さんから見て、企業でデータやAIの導入が進みにくい一番の壁はどこにあると思いますか?
高原:大きく2点あると思います。1つ目は、AI活用のハードルの高さです。全員がAIを使いこなせればハードルは高くないと思いますが、そうした組織はなかなかありません。2つ目はドメイン知識です。開発現場を経験して、よく知っている人は自分事として分析に取り組み、次のアクションまで提示できます。
一方、現場経験がない場合はAIのモデルを作ること自体がゴールになりがちで、現場の課題解決につながりにくいんです。組織としては、そこをうまく整えて風土醸成していくことがカギになると思います。
——データサイエンティストが現場の課題に寄り添う姿勢が不可欠だということですね。しかし現実には、データ活用に前向きでなかったり懐疑的だったりする現場の方々も少なくありません。そうした現場と向き合い、信頼してもらうために、まず高原さんが起こすアクションは何ですか?
高原:駆け出しのころは、1日のほとんどを人と話す時間に使っていました。仲良くなって信頼関係を結ばないと、データ分析への協力は得られにくいからです。相手の目線に立って悩みを共有し、一緒に考える。そのために時間を割き、誠実に取り組みます。いまでもこのスタンスは変わりません。
『マテリアルズ・インフォマティクス 実践ハンドブック』にも、「材料開発者とタッグを組むデータ分析者はサービス業である」というコラムを書いています。データの一つひとつを大切にして、いまあるデータでできることを最後まで考え抜くことを大事にしています。

自分の「軸」を持ち、アップデートしていくことが重要
——「データや現場と向き合う重要性」をお話しいただきましたが、生成AIの普及により、若い世代の学習やスキルの身につけ方にも変化が起きていると感じます。これからの日本のものづくり現場において、若手が意識すべきことは何でしょうか?
高原:まず前段の話として、「生成AI活用に注意が必要だ」と思っています。招待講演やセミナーなどで、公に質疑・意見交換をさせていただく中で、生成AIをめぐるリアルな課題に触れる機会が増えてきました。例えば、大学関係者からは、「従来型のレポート課題だけでは、評価が難しくなってきている」という声を聞きます。学生が生成AIにレポートを書かせてそのまま提出してしまい、後から内容の意図を聞いても自分の言葉で答えられない、というケースが増えているんです。
企業側でも同じような話を聞くことがあります。資料の修正やまとめをお願いされると、それをそのまま生成AIに入力して、出てきた出力をそのまま提出する方が増えているそうです。AIは素早く回答を出すので、指摘を受けてもすぐに再提出してくるという状況です。自分の頭で考えていないという点では大学のレポートと全く同じ構造です。スキルやドメイン知識、ビジネスの基礎力といった本来の土台がないまま、生成AIの活用ばかりが過剰に先行している現状に違和感を持っています。
テキスト出力であれば例えばやたらとMarkdown形式になっている長大な文章であったり、PowerPointなどの資料であればやたらとカラフルで番号や枠が多いものであったりと、いわゆる生成AI臭さが残るポン出しのものは、それらの確認をお願いされる側としては非常にストレスフルだと思います。もちろん、業務効率が格段に上がるため私自身も生成AIを積極的に活用していますが、生成AIの出力を自身で精査し、ポン出しではなく使いこなすということが重要であると思います。
——テクノロジーが急速に進化するなかで、AIに代替されない自分自身の価値をどう作っていくべきか。最後に、キャリアに悩む若者へメッセージをお願いします。
高原:自分の「軸」を持つことが大事です。私の場合は、材料開発が軸にあります。そこにAIというビッグウェーブが来たときに、軸をずらさずにアップデートしてきました。ここが自分の領域だという自分の軸を1つ作ることができれば、時代がどう変わっても自分をアップデートし続けていけるはずです。
