ダイハツ工業株式会社のDX推進室で活躍する太古無限さんは、大学卒業後、10年間にわたりエンジンの燃焼効率や出力の限界に挑む「モノづくりの最前線」に身を置いてきました。

物理的な設計の限界を追求し尽くした彼が、なぜ働きながらMBAを取得し、今、企業競争力強化に向けて「3,000人規模のDX人材の育成」という壮大なミッションに挑んでいるのか。

現場の痛みを誰よりも知るエンジニアが、デジタルという武器を手にした時、組織はどう変わるのか。彼の真意と、AI時代を生き抜くための「掛け算のキャリア戦略」に迫りました。

太古無限 プロフィール

ダイハツ工業株式会社コーポレート統括本部DX推進部。2007年ダイハツ工業入社後は開発部にて小型車用エンジンの制御開発を担当。2020年から東京LABOデータサイエンスグループ長、2021年からDX推進室データサイエンスグループ長(兼務)を経て、DX推進室デジタル変革グループ長として、全社のDXを推進する業務に従事。その他、滋賀大学データサイエンス学部インダストリーアドバイザーとして、社外におけるAI活用の普及活動にも努める。経営学修士。「Forbes JAPAN CIO Award 2024-25」にて、次世代のテクノロジーリーダーのひとりとして「チェンジレガシー賞」を受賞。テクノロジー業界のオスカーと呼ばれている「CIO 30 Awards JAPAN 2025」の特別賞を受賞。

限界を知り逆算する。エンジン開発で培った「仮説検証」

太古さんは、現在のデジタル領域からは少し離れた「エンジン開発」からキャリアをスタートさせています。何がきっかけで、技術やモノづくりの面白さにのめり込んでいったのでしょうか。

——まず初めに、太古さんがエンジニアを目指したきっかけと、初期のキャリアについて教えてください。

成り行きといえば成り行きですが、小さい頃からプラモデルやミニ四駆を作るなど、「モノづくり」に抵抗がなかったのは大きいですね。大学は理工学部機械工学科に進み、一人暮らしをしたくて東京に出たものの、「やはり大阪に帰ろう」と思い立ちました。大阪でモノづくりといえばダイハツだと考え、ご縁があって入社しました。

配属先がエンジン開発部門になったのは偶然でしたが、新しいエンジンを作るのは大変でした。とはいえ仲間と出会い、新しいことにチャレンジできた約10年間は、今の私のキャリアの大きな土台になっています。振り返ると、特許出願に100件以上関わり、スペックの決定から性能評価、真冬や酷暑環境での実験など、本当に多様な開発に携わらせてもらいました。

——物理的なエンジン開発の経験は、現在のデジタルやAI推進の業務にどのように活きているのでしょうか?

その経験が、今のデジタル推進にも結びついていると思っています。

実は、デジタルの推進とエンジン開発の根本的なアプローチは全く同じなんです。エンジン開発というのは、「仮説を立てて、それを検証する」というサイクルの繰り返しだからです。相反する要件をどうブレイクスルーさせるか。新しいエンジンを作るために、排出ガスや燃費、実際の車に乗っての乗り心地など、膨大な実験を重ねて0.0数パーセントずつ性能を良くしていく。単一の施策で魔法のように一発ですごいものができるわけではありません。

そして何より重要なのが、「どこまでやったらこのエンジンは壊れるんだろう、という限界値を知ること」です。極寒の地でも、灼熱の環境でもエンジンはかからなければならない。限界値を知った上で安全率をとり、お客様に長く安心してお乗りいただける安全基準(設計値)へと逆算していく。

今のデジタルの取り組みでも、「前例のない壁にぶつかり、失敗から学ぶ」ことも多いのですが、それは「今の組織やシステムの仕組みの限界はどこか」を測り、改善点を見つけるプロセスでもあります。対象が物理的なエンジンから組織の仕組みに変わっただけで、限界を知って逆算し、仮説検証のサイクルを回すという考え方は全く変わっていません。

どこまでやったら壊れるかという「限界値」を知ることも大事です。限界を知った上で、安全率をとって設計値を決めます。デジタルでも「ここまでやったら怒られるな」という限界を測りながらやっています(笑)

睡眠3時間で掴んだMBAと、天才たちの圧倒的な努力

——エンジン開発を10年経験された後、働きながらMBA(Master of Business Administration:経営学修士)を取得されたり、近年でも京都大学主催の社会人向けプログラム「京都大学エグゼクティブ・リーダーシップ・プログラム」で学ばれたりと、常に学び続けていらっしゃいます。そのモチベーションはどこから来るのでしょうか?

エンジン開発を10年やってきて、ある程度の不具合なら「こう直せばいい」と頭の中でシミュレーションして実機で確認する、という状態になってきていました。新しい刺激を求めていたタイミングで、職場の先輩から「社外でこんな学びの場があるよ」とMBAのお試し講座のチラシを見せられ、面白そうだと予備知識ゼロで飛び込んだんです。

実は、周りの同僚にはMBAに通っていることを言わず、卒業してから「取りました!」と報告しました。最初は予備知識ゼロで行ったのでこてんぱんにやられました。周りは経営を学んできた人ばかりで、僕が一番知識がなかった。

働きながらの挑戦だったので、最後の方は平均睡眠時間が3時間くらい。若さと勢い、そして「入学したからには意地でも卒業してやる」という執念で乗り切りましたが、もう一回やりたいかと聞かれたら絶対にやりたくないです(笑)。ただ、あそこで「新しいことを学ぶ際の学び方」を習得できたことは大きな武器になりました。

——その後も、京都大学エグゼクティブ・リーダーシップ・プログラムに通われるなど、学びの歩みを止めていませんね。

キャリアを振り返ると、私自身は運やご縁に恵まれてここまできたという感覚が強いです。ただ、その運を掴むためには、常に知的好奇心を持って学び続ける姿勢が必要だと思っています。

京都大学の社会人向けプログラムでは、ノーベル賞を受賞された先生方や、宇宙飛行士の方など、各分野のトップランナーから直接教えを受ける機会がありました。もともと「天才」と呼ばれるような人たちが、血がにじむような努力をして、寝る間も惜しんで研究を重ねている姿を目の当たりにしたんです。

私自身は周りの環境に恵まれてここまできましたが、本物の天才たちがそこまで努力している姿を見て、「自分はまだまだ甘い。もっとやらなければいけない」と痛感しました。そういった一流の方々に触れ続けることが、学びを止めない原動力になっています。

「遊び心」が組織に火をつける。約100人の勉強会からの出発

——太古さんはMBA取得中に出会った経営者たちのアドバイスもあり、社内でいち早くAIのポテンシャルに着目されました。しかし、歴史ある大企業で新しいことを始めるには反発も大きかったのではないでしょうか。

ここまで発展するとは思っていませんでした。ただ、経営者の方々から言われた「AIはやっておかないといけないよ」というアドバイスに素直に従った結果です。開発をより効率化するには、機械学習やディープラーニングが現実的な選択肢でした。2017年頃に滋賀大学の河本先生(データサイエンス学部・教授)に出会い、データ分析の大事さを知りました。2019年頃から、滋賀大学との産学連携の取り組みなども始まりました。

最初はあまり分かっておらず「また変わったことしてるな」という雰囲気でしたが、周囲からは「やってみたら?」と言ってもらえました。

実は、ダイハツには昭和24年から続く「技術研究会」という、会社公認の業務外団体がありました。もともとは古い車を直したりレースに出たりして、社員同士が横の連携を図りながら技術を高めるための団体です。私がその幹事になったタイミングで、「機械学習の勉強会をやります」と募集をかけたところ、なんと約100人くらい集まったんです。新しい技術に対して興味を持っている人は、社内にしっかり存在していました。

工夫したのは、「ゲーミフィケーション(遊びの要素)」を取り入れることです。社内限定でデータ分析のコンペティション(Kaggleのようなもの)を定期的に開催するようになりました

課題もあえて業務に直結しないものを選んでいます。中古車価格や住宅価格の予測から始まり、最近では生成AIを活用して「漫画の上巻を読み込ませ、下巻の吹き出しのセリフを著者の意図に沿って予測する」といったコンペを行ったり、レゴブロックを組んで強化学習させてレースに出場したりもしました。一緒に楽しみながら泥臭く手を動かすことで、部署を超えた連携が生まれ、組織全体にデジタルの知見が浸透していく実感がありました。

——現在ではDX人材の育成目標が3,000人へとスケールし、現場向けの「AIブートキャンプ」なども実施されています。現場の意識はどのように変わっていきましたか?

「AIブートキャンプ」は2ヶ月間でAIの実装までやり切ってもらうという非常にハードなプログラムです。当時の工場長が強力に後押ししてくれたこともあり、パソコンやプログラミングに全く触れたことのない製造現場の方々が一部参加していましたが、結果として確かな成果につながりました。

当時の様子はドキュメンタリー動画にも残しているのですが、何が一番良かったかというと、「現場の人たちが、生き生きと楽しそうにデジタルを使いこなし、『俺たちでもできるんや!』と実感してくれたこと」です。外部のベンダーに高いお金を払って丸投げするのではなく、自分たちの手を動かして泥臭く実装するからこそ、過度なコストをかけずに楽しく活用できる。そういう「小さな成功事例」を現場にたくさん作っていくことが、変革の最大の突破口になります。

大企業でアイデアを通し、人を動かすための「2つのポイント」

——若いエンジニアが「会社をもっとこうしたい」とアイデアを持ったとき、大きな組織の中でそれをどう通していけばいいのでしょうか?

組織を動かし、周りを巻き込むためのポイントは大きく2つあると思っています。

1つ目は「今の環境で信頼されているか」。当たり前ですが、今与えられている仕事で成果を出していないのに提案しても、誰も耳を貸してくれません。まずは置かれた環境でしっかりと成果を出すことが大前提です。どんな環境でも成果を出せる人はいますし、出せないならそれは組織を変える以前の問題です。

2つ目は「ストーリー性」です。文脈のない中で「やりたい」と言っても人は動きません。例えばダイハツであれば、創業の精神や会社が大切にしてきた歴史や成り立ちがあります。そうした根底にある思いと結びつけて、「今の状況がこうだから、この技術を使ってこう解決しましょう」と、相手が納得できるストーリーを見せることが重要です。

——それでは、アイデアを通した後、実際にプロジェクトを前に進めていくためには何が必要でしょうか?

絶対に欠かせないのが「仲間作り」です。会社を変えるような取り組みは絶対に1人ではできません。私自身、デジタルを一緒にやってくれる仲間作りしかしていないと言っても過言ではありません。小さな成功事例を積み重ねながら、共感してくれる仲間をいろんな部署で見つけ、つなげていく泥臭い活動が必要不可欠です。

——変化に対してネガティブな人たちに対しては、どのようにアプローチしているのでしょうか?

無理に引っ張り上げるようなことはしません。最初は変化に戸惑う方がいるのも自然なことです。私がよくお話しするのは、「Aという土地からBという新しい土地(デジタルの世界)に移らなければならない状況」の例えです。

自発的に新しい環境へ飛び込める人たちには、どんどん先に行ってもらえばいい。一方で、変化に不安を感じる人には「どこでもドア」のような簡単に行き来できる仕組みを用意してあげればいいんです。まずは熱量のあるところから火をつけ、後から誰もが参加できる仕組みを整える。それが組織を変えていく鉄則です。

キャリアに悩む若手へ。己の「強み」を知り、原理原則を学べ

——太古さんご自身は、生成AIの登場によって働き方は変わりましたか?

変わりましたよ。より大変になったという意味で(笑)。AIは「とっても優秀な部下」であり「パートナー」でもあります。ただ、今まで数ヶ月や1年かかっていたことが1日でできてしまう分、それらをレビューする時間が増えました。情報量の密度が全く違うので、ずっと全速力で走り続けないといけません。

——そんなAI時代において、若手エンジニアたちは今後どう立ち向かうべきでしょうか?

AIはなんでも答えてくれますが、彼らは「勝手に走り出す」ことはしません。人間がやるべきことは大きく3つあります。初動の問いを立てる「方向性を示す」、AIの答えのズレに気づく「違和感を持つ」、そして現場に適用する「実行」です。

また、重要なのは自身の「コアスキル(固有の強み)」を見つけることです。私は「ストレングスファインダー」を活用していますが、私にとっては息をするように自然にやっていることでも、他者から見れば特殊な能力に見えることがあります。自分が無意識にできてしまうことこそが、強みなのです。

ストレングスファインダーの結果も関係していて、僕のトップ5は「着想」「アレンジ」「学習欲」「達成欲」「戦略性」なんです。自分としては「脳の筋肉」を使っているだけですが、部下からは「パラレルワールドから来たんですか?」なんて言われます(笑)。

もし「自分にはスキルがあるのに会社が認めてくれない」と嘆いている若手がいるなら、客観的に証明できる実績を早めに作るべきです。単なる資格マニアになる必要はありませんが、資格取得以外にも、競技プログラミングやデータ分析コンペティションに参加し、形になる成果物を世に出して、「自分の価値を証明できる武器」をいくつか持つと世界は一気に広がります。

——よく「エンジニアは技術を極めるスペシャリストになるべきか、ビジネスもわかるジェネラリストになるべきか」という議論がありますが、どう思われますか?

もはや、スペシャリストかジェネラリストか、なんて言っている時代ではない気がします。両方の視点が必要ですし、もっと言えば「経営」の視点も不可欠になってきています。

その流れはすでに始まっており、私が選出していただいた「Forbes JAPAN CIO Award」の顔ぶれを見ても明らかです。CIO(最高情報責任者)のアワードなのに、名だたる大企業のCEO(最高経営責任者)たちがグランプリや受賞者に名を連ねているんです。つまり、デジタルやITの深い知見を持った上で、経営全体を俯瞰して実行できる人でないと、トップランナーになれない。ある意味で、生き抜くのが非常に大変な時代になったと痛感しています。

——学生時代や若手のうちに「もっとこうしておけばよかった」と思うことはありますか?

もっと真面目に勉強しておけばよかったです。学生時代は無限に時間があったはずなのに、すべてにおいて要領よくやりすぎてサボってきたので(笑)。だから実は、学生の時と比べて、今の方が圧倒的に勉強している気がします。

今はわからないことがあれば生成AIに聞きまくりますが、それとは別に、分厚い専門書などの本も泥臭く読んでいます。生成AIに聞けば何でも数秒でそれっぽい答えが返ってくる時代だからこそ、「なぜそういう答えになるのか」という【原理原則】を知っているかどうかが、決定的な差になります。

原理原則を知らずにAIの表面的な答えだけを使っている人と、根本の仕組みを理解した上で使いこなしている人では、生み出せる価値が全く異なります。学生や若手の時間があるうちに実直に、基礎を徹底的に学ぶことは絶対に無駄になりません。変化に順応していくためにも、根幹となる知識を養ってほしいと思います。

私たちが目指すのは「人にやさしい みんなのデジタル」です。現場で働くすべての人たちが「デジタルがあって本当に働きやすくなったね」と笑って言える世界を作りたい。そんな未来に向かって、これからもチャレンジを続けていきます。


かつてのエンジン開発への情熱が、「人を巻き込み、デジタルで組織を豊かにする」という日々の挑戦に昇華されたという太古さん。AIと人間の協調によって日本のモノづくりをアップデートすべく、泥臭く、そしてひたむきに、巨大な組織の変革に挑み続けています。

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