筆者は農家の次男坊として生を受け、畑と野菜によって大学を卒業させてもらった身。時間に都合がつけば実家の農作業を手伝うこともあるが、三十路を過ぎ両親の老化も目につくようになると、いよいよ実家の将来について真剣に考えねばならないと頭に浮かぶようになってきた。家督は兄が継ぐといってはいるものの、具体的な相続や事業承継について話し合ったことは一度もない。なるべく早いすり合わせが求められるだろう。ただし、筆者としては農業自体の事業承継については今後、多くの障壁があると考えている。
本稿では、主観的ではあるが筆者の実家という個別的なケースから、今後の農業のあり方と後継者側の難しさ、その解決策たるアグリテックの活用ひいては農業DXの実現に対する小規模農業従事者の課題についてまとめたい。
なお、本稿の前にあらかじめ述べておきたいが、現在日本中で農業を継承し、次世代を見据えた農業のあり方を模索する農業従事者は多くいる。また、日本の農業の成長や食料自給率の向上という大志を抱くアグリテック企業も多い。そのような方々に比べれば筆者は生半可で、このような話は後継者自身が問題を他人事としてみていると思われるかもしれない。どうかご容赦いただきたい。
目次
再現性のない仕事だからこそ、企業的な経営視点が必要
2月14日、筆者は地元の群馬県某市にある実家で農作業を手伝うことになった。本来なら週末に行うはずであったキュウリの苗植えだ。暖冬の影響により苗が予想より早く育ったため、種苗業者からの発送が前倒しになったためだ。
キュウリやナスの苗は一つひとつがポリエチレン製のポットに入った状態で運ばれてくる。ある程度ポットで育った苗は早めに土壌に植え替えなければ葉が傷んでしまうため、納品後は人海戦術で速やかに植えていく。2月とはいえ、ビニールハウスの中は30度ほどになる。日が昇り換気を忘れるとあっという間に35度を超えるので、久々の暑さは体にこたえる。
例年であれば親戚が大勢手伝いに来て作業をするのだが、今年は平日なこともあり手伝いに来たのは筆者以外に2人、11人もいる祖母の兄妹の最後の一人である大叔父、近所に住む(名前は知らないが自分のことは認知している、こちらから見れば謎の)おじさんだけだった。二人とも齢80を超えるが健在で、筆者よりもはるかに手際よく仕事をこなす姿は年の功を感じた。同時に、農業従事者の現状が垣間見えた。
農林水産省が公表する『農業の経営継承に関する手引き』では、現在の農業経営者の状況について二つのデータを公表している。一つは帝国データバンクが行った調査、もう一つは同省が行った農林業センサスからの引用だ。現在の農業経営者の年齢層について、前者では60代以上の割合を52%(平均年齢:60.3歳)とし、後者では78.5%(平均年齢:67.3歳)としている。
後者のデータは農業法人化していない個人事業主も含めた調査であるため、農業従事者全体の実態としては後者の方が解像度が高いデータであり、まさしく実家はボリューム層に近い。実際、農業法人化している親戚の年齢はちょうど60前後なので、前者のデータも実感として正しいと思う。同時に、この7歳の乖離は有益な示唆を示していると筆者は考える。
端的にいえば、個人事業主の農家に比べて、法人化している農家の方が事業承継がうまくいっているのだ。ただし、その因果関係は逆かもしれない。実家を継ぐことを決め、ビジネスとしての農業を拡大していきたいと思って法人化した人もいれば、事業規模としての節税対策として元から法人化している場合もある。もちろん、親族間での事業承継ではなく、別な法人へのM&Aも含んでいるからではあるものの、法人化した農家の方が次世代への承継への意識は高い。

筆者や兄は、物心ついたときから農業の手伝いをしてきた。それでも、完全なノウハウを受け継ぐためには少なくとも数年は必要だと思う。農業従事者が身近にいない方には伝わりにくいかもしれないが、農業は手作業だけでなく非常に幅広い知の集合体でもある。とくに現代の農業は、上述のような経営的な視点もあるが、実務上では農薬や肥料、農業機械類も取り扱う必要がある。決して農業は「知性のない」者ができる職業ではないのだ。
理想論で作物や畜産物が育つわけではないし、気象条件に大きな影響も受ける。加えて後述するが、農業は非常にリアルタイム性の高い職業であり、つどそれに対応する必要がある。手法には再現性があるが、現場においては再現性のない仕事といってもいい。だからこそ、ノウハウを引き継ぐという意味でも、農業の事業承継は現時点でのプレーヤーが現役であるに越したことはないのだ。しかし、そのような農業の難しさや今後の見通しをイメージすることの難しさもあり、躊躇してしまっているのが本音だ。
ただし、いくつか親子間事業承継をした企業を取材した筆者は、(肉親には言わないが)親の気持ちもわかる。農業はいくらテクノロジーが介在し効率化が実現できたとしても、結局はマンパワーが絶対的に必要なのだ。しかし、親族のつながりで経営を保っていた農家にとって、マンパワーの維持が非常に難しいことは、少子高齢化社会に生きるすべての年齢層で実感できる事実だ。
人手不足と地方都市の人口流出が起きている今、農業に求められているのは、企業的な経営へのシフトだといっても過言ではない。より賢く、スケールできるビジネスモデルの構築が不可欠となりつつある。
肌感覚として「できそうなこと」と「無理そうなこと」

事業承継や農業法人化は手続きとして時間がかかり、本格的に世代交代を行うタイミングで進めていく必要がある。一方で、現時点で実務的なノウハウの継承を進めていくとしたとき、いくつかは自動化・効率化が図れそうな点はあり、同時にそれを実現するための課題も存在する。
まず、自動化・効率化が図れそうな点については、「最低限のアグリテックの導入」と「事務作業の自動化」だ。筆者の実家は比較的規模が小さく、収量などの関係から大規模な設備投資は難しい。そのため、農業の生産工程を自動化させるほどのインパクトはもたらされないものの、作物の生育過程をサポートし、かつ運用が容易なIoTデバイスであれば導入が可能だと考えている。
先述の通り、筆者の実家ではビニールハウスで作物を栽培することが多い。ビニールハウスの利点は路地に比べて季節を選ばずに温度を保てる点だ。それでも植物は温度・湿度に敏感であるので、こまめに確認し、つど調整する必要がある。このような作業であればセンサーを搭載したIoTデバイスを導入すればアプリ経由で確認でき、導入コストも安価で済むため比較的簡単に導入できるだろう。実際に調べてみると、すでにそのようなサービスを提供しているアグリテック企業はあり、ビニールハウス内の温度と湿度、さらには土壌の状態も確認できるサービスも存在する。費用も最大で20万円程度で、すぐに回収できるだろう。
また、事務作業の自動化については、単純に会計ソフトの導入は必要だろうと考えている。現状は父が会計処理を手書きで行い、チェックと申告作業の代行は税理士に丸投げしている状態だ。現状では実家に婿入りする前に経理畑にいた父が会計処理を担っているが、非常に煩雑で手間がかかる。ここに関しては今後効率化しなければ引き継ぎもままならないため、事業承継の段階になった際にはいち早く導入すべきだ。
一方で、比較的簡単なテクノロジーの導入であっても、懸念事項は存在する。農業の現場ではおそらく、今後も高齢者との協働が不可欠になるだろう。その際に直面するのは、世代間のITリテラシーのギャップだ。若手世代として比較的簡単なデバイスやソフトの導入であっても、年齢が上がるごとに使いこなせるかどうかが怪しくなる。農業DXの実現以前に、農業の現場にITやデジタル技術を浸透させること自体が、最も大きなハードルになる。
今後はよりプレーヤーが不足していく中で、現状維持での農業経営は不可能だろう。目下の課題として、人口が減少する地方都市では省人化、省力化を行っていく必要がある。しかし、ジレンマとなるのはやはり設備投資と投資対効果の関係だろう。つまり、小規模で個人事業主の農家の場合、生産量を高めるのは限界があるため、当然収入も頭打ちになってしまう。設備投資を行うにも事業をスケールしていくことが求められる。
設備投資に対しての補助金があるものの、たとえばドローンのような「イケてる」農業DXをやろうとしても、耕作面積が小さければそれほど意味をなさないものとなってしまう。そうなると、次世代の農業経営はやはり農業法人となり、家族経営から脱却していくことが重要となるだろう。補助金を得るにしろ、銀行からの借入を利用するにしろ、法人格である方が動きやすい。また、スケールをしていくとなれば収益構造の見直しも図る必要があるだろう。そうなると農協と直売所頼りではなく、自身で新たな販路を持つ必要もある。対企業の取引をするとなれば、当然法人格の方が話を進めやすい。
農業DXの可能性は「農業以外のスキル、ノウハウ」の活用にある

このような点を勘案するに、現状の日本の農業はDXより前に事業承継と次世代の農業経営のあり方を整理する必要があると思う。他の業種がそうであるように、農業を継承するとしたら中長期的な事業計画を策定し、決まった方針に沿って設備投資を行っていくべきだ。実際、農業法人の中でも事業をスケールさせ、本当の意味での「農業DX」を推進している先進事例もあるだろう。
上記のような農業DXの前に事業承継(事業計画策定)の傾向は、少なからず多くの農家で共通していると思う。そのため、アグリテック企業にとっても今後はプロダクトを販売する以前の部分が重要になってくるのではないか。つまり、事業承継や法人化、M&Aや設備投資に向けた資金調達の方法など、農業経営者が農業DXに取り組むまでのロードマップを策定するコンサルティングには高い需要があると考えている。そのためプロダクトを販売するだけでなく、農業経営のパートナーとして伴走するようなビジネスモデルを構築し、農家に支持される企業が大きくシェアを伸ばしていくのではないかと考えている。
農業従事者の減少と食料自給率の低下は日本にとって深刻な課題であり、現在の国際的な情勢不安もあって日本の食糧安全保障のリスクは高まっている。しかし、ミクロな視点から見れば農業の事業承継は非常に難しく、悩ましい問題であるといわざるをえない。ただし、前向きに考えれば、今後農業経営者が若返りしていくごとに、バックグラウンドの多様化も起こってくるだろう。とくに、ITエンジニア出身の農家がプレーヤー側からDXを起こす可能性もある。
たとえば先述のIoTデバイスは、エンジニアであればある程度自作することも可能であり、自身でプロトタイプを制作することでプロダクト化していく未来も見える。農業ではない例であるが、昨年筆者が取材した西堀酒造では、ITエンジニアとして活躍した6代目蔵元の西堀哲也さんが自身でIoTデバイスを開発し、遠隔操作で醪(もろみ)の温度調整を可能にしている。
このように、農業に参画する以前のスキルやノウハウを活用した新しい農業経営のあり方が登場することによって、業界全体に新しい風が吹けば、事業承継への見方も変わってくる。そのようなプレーヤーの若返りと機運の醸成は、農業DXの可能性を高めていくものになるだろう。将来的にどのような道に進むにしろ、今後はITに関するスキルやリテラシーは不可欠になる。今後の事業承継を考えるとともに、ITに関連するリスキリングにも着手していきたい。
