週末の「Tech Team Journal」では、「エンターテイメントを通した学びや気づき」のきっかけとして<Weekend Cinema>をお届けします。
昨今、国内外問わずLGBTQ+を描いた映像作品が多く見受けられるようになりました。LGBTQ+の映画、いわゆる「クィア映画」は、世のなかでさまざまな見方をされています。作品そのものはもちろん、とりまく動向から得られるのは「自分らしさとは何か」「人を思う気持ちに優劣はない」といったエッセンスと私は思います。
固定観念に縛られることは、決して悪いこととは言い切れません。育ってきた環境、受けてきた教育などから、誰もが自分だけの常識や世界観に守られているはず。
しかし、視野を広げ、考え方に柔軟性を持たせることは、ときには自分だけではなく周囲の人のためにもなります。今回は、自分らしさを再考し、さまざまな価値観を考えるきっかけとなるクィア作品を3つご紹介します。
映画『エゴイスト』の求心力
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親が子に向ける愛情やパートナー同士で注ぎ合う愛情は、見返りを求めない無償のものであることが多いのではないでしょうか。少なくとも、そうであることが美しいとする見方が大半を占めるはずです。
たとえば、久々に実家に帰ってきた子のために、たくさんの好物を作ってあげる親の図を想像することは容易でしょう。帰っていく子にたくさんの食品やお土産を持たせてあげるのもよくある光景です。このとき「次に帰ってくるときはお返しを持ってきなさい」と子に告げる親はいないのではないでしょうか。
大切な人に注ぐ愛は唯一無二のもの。等価交換を期待するものではありません。ただ、それは前提のうえで、与えられたほうは気後れしてしまうケースもあります。「これだけ尽くしてくれているのだから」とお返しをする本能は、とくに日本人にとっては覚えのある感覚のはずです。
しかし、最初に与えた側は返礼を求めてはいません。相手へ抱いている愛情が強いぶん「してあげている」のではなく「させてもらっている」感覚のほうが強いためです。2023年2月に公開された映画『エゴイスト』では、そんな愛情の強さゆえのエゴ、バランス感覚が危うく揺れる様が生々しく描き出されています。
コラムニスト・ 高山真の自伝的小説を原作とした本作は、鈴木亮平演じる浩輔と宮沢氷魚演じる龍太の出会いから始まる物語。病気の母を抱えながら生活のために身を売る龍太を案じ、「できることをしたい」と金銭的援助を申し出る浩輔の葛藤は、決して「エゴ」の一言で括れるものではありません。
この物語に明確な終わりは設けられていない映画ですが、観る人によって異なる“唯一の”メッセージを受け取れる映画となっています。作中で浩輔が受ける偏見、どんなときでも「ブランド服の鎧」で自己を律する姿は、セクシュアリティに関わらない、多くの人の生きる指針になるはずです。
『美しい彼』シリーズがクィア界に一石を投じた理由
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本屋大賞を受賞した「流浪の月」や、第168回直木三十五賞候補となった「汝、星のごとく」などの小説で知られる作家・凪良ゆうによる、ボーイズラブ小説シリーズを実写ドラマ化した『美しい彼』シリーズ。
2014年に出版された原作を元に制作されたシーズン1、ならびに2023年放送中のシーズン2は、第59回ギャラクシー賞やソウルドラマアワードなどを受賞し、海を越える人気ぶりとなっています。
主な登場人物はふたり。幼い頃から吃音症に悩まされ、スクールカーストの最底辺にいる高校生・平良(萩原利久)と、生まれ持った美しい容姿と完全無欠な性格でトップに君臨する同級生の清居(八木勇征)。決して交わることのない二人のやりとり、セリフやモノローグの美しさ、郷愁を誘う鮮やかな映像などが、多くのファンの心をわし掴んだ。2023年4月には、ドラマシーズン2の展開を受けた劇場版の公開も決まっています。
ボーイズラブ界隈においても、漫画や小説が映像化される展開は珍しくはない。そのなかで、なぜ『美しい彼』シリーズの人気は日本にとどまらず国外にも飛び火し、ファンを湧かせ続けているのでしょうか。その理由のひとつとして、あえて「セクシュアルマイノリティ」を全面に押し出していない点が新たな評価と繋がったのではないかと考えられます。
タイトルの通り、外見も中身も美しい彼=清居に惹かれる平良は、王に仕える騎士のごとく、少々行き過ぎた忠誠心を見せます。物語の主軸に置かれているのは、平良が清居に向ける真っ直ぐな羨望、それを受ける清居の心情の変化、そして行き違う二人の切なさなのです。この作品において、「男性同士の恋愛に向けられる差別や偏見」が表立って描かれることはありません。
清居自身がゲイであることを自覚している描写は、原作にはあるものの、ドラマでは明言はされません。平良に関しても、あくまで「清居という人間」に惹かれただけであり、男性が好きという言及はされません。恋をした相手が同性だから、という理由で怖気付く心理描写が一切ない点は、この作品がクィア界のエンタメに一石を投じた証となるのではないでしょうか。
人と人が出会い、思いを交換し、時にすれ違ってぶつかり合う、その過程に「性別」が入る余地はないと感じさせられる物語には、なかなか出会えないはず。熱狂的なファンが増え続けているのも頷けます。
本来、人が人を思い、恋愛感情を持つのに性別は関係ないはず。しかし私たちが生きる日本では、まだ同性同士の婚姻は認められていません。ジェンダーに対する考え方をアップデートしていく境目において、遅れをとってしまっていると言えるでしょう。
私自身は非当事者ですが、性別に関係なく、セクシャルマイノリティをオープンにできる風潮を望んでいます。「自分らしく生きる」は手垢のついた言葉かもしれませんが、誰もが自身のパーソナリティを偽ることなく生きられる世の中になってほしい、そう願うのは私だけではないはずです。
韓国レズビアン映画の金字塔『ユンヒへ』
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2019年に公開された韓国映画『ユンヒへ』は、キム・ヒエ演じるユンヒと、中村優子演じるジュンの秘密の恋を主題にしています。父親の死をきっかけに、ジュンからユンヒへ手紙が送られる展開から始まる物語です。この連絡が、二人にとって20年以上ぶりのやりとりになります。
韓国で出会い、半年間だけ付き合っていたユンヒとジュン。離婚を機に父親に連れられ日本へ行くことになったジュンと、韓国に残るユンヒは離れ離れとなります。20年の時を経て、ユンヒの娘・セボム(キム・ソヘ)の計らいにより出会い直す二人。終盤30分に凝縮された再会のシーンは、ユンヒとジュンの真っ直ぐな気持ちが突き刺さってくるようです。
本作は、前に挙げた『エゴイスト』ならびに『美しい彼』と比較すると、想いを寄せ合う二人の身体的な接触は極端に少ない。というより、皆無です。代わりに浮き彫りとなるのは、距離と時間が遠ざけていた二人の隔たりが、一瞬の邂逅で縮まったことによる恋情の強さ。そして、同性愛に対する生々しい偏見の存在です。
最後の最後で、ユンヒ自身が家族から受けた差別の一端が詳らかにされます。病気だと思われ、精神病院に通わされた心の傷が癒えることはないでしょう。この描写に対しては賛否両論かもしれないが、LGBTQ+を作品テーマとして扱うにあたり、避けては通れない表現のひとつであるように感じます。綺麗事だけではない、現実に目を向けるといった点においては。
ジュンと久々に会ったユンヒは、就職活動に勤しみます。お金を貯め、食堂を始めるという新たな夢を抱いたのです。家族から向けられる偏見の目が和らぐことはありません。それでも、彼女自身が「私たちは間違ってないから」と力強く口にしたように、誰も彼女たちの生き方を断定することはできません。
人を思う気持ちが、未来に目を向けさせ、生きる力にも繋がるシンプルな事実を再発見させてくれます。
エンターテイメントを通して
LGBTQ+に対する見方や制度整備にはさまざまな意見があり、活動もさまざまです。
エンターテイメントを通すことで、自然と受け取る側の意識を変えていくということもあるのではないでしょうか。「クィア映画」という垣根を超えた『自分らしさ』を考える、気づきの映画として是非鑑賞してみてください。
(文:北村有)