いつの頃からか、一番を取ることを諦めるようになりました。諦めたら、自分自身を認められるようになり、キャリアの方向性や仕事との向き合い方がわかるようになりました。

社会人になってから、ある分野で一番を取れなくなっていました。自分の身の回りには自分より “デキる” 人がたくさんいて、歳を重ねてみたら年下のスゴいやつと一緒に仕事をすることも増えました。

そうやって周りばかり見ていると、なんだか自分という人間がちっぽけに思えてきます。何者かになりたいと思っていたのに、実は何者でもないのだと。冷たい現実を突きつけられ、寂しさを感じる日々もありました。

ですが、いまは違います。一番を取れない自分を嫌いになることもありませんし、自分よりも優れた人たちを素直に尊敬できるようになりました。

この記事を読んでいる方の中には、一番を取れない自分を好きになれず、全然ダメだと低く評価してしまっている人もいるかもしれません。ですが「一番が取れない自分」を嫌いにならないでほしいし、一番を取ることが重要なのではないと気付いてもらえたらいいなと思います。

何者かになりたかった新卒時代

話はさかのぼること十数年前。大学生だった私は、何者かになりたくて自己啓発本を読み漁るような男でした。

フランクリン・コヴィーの7つの習慣に出会えたのはよかったのですが、悪い方向に影響を受けた典型みたいな学生だったと思います。ちょっと人より “デキる男” になったような気になって、根拠のない自信と虚勢ばかりを身につけていきました。

学びも経験も積み重ねてこなかった “こじらせた男” に実力などがあるわけもなく、社会人になって「自分は何者でもない」と思い知らされます。新卒で入社した商社の営業では、目立った成績を残すわけでもなく、漫然とルート営業をこなす日々でした。

営業として目立った成績も残せず、くわえて大阪での一人暮らしで孤独感をおぼえた私は、逃げるようにブログをはじめました。大げさな言い方をすれば「こんな自分でも、存在している意味があるのだ」と認められる何かが欲しかったんだと思います。

そしてここで初めて「自分にとっての当たり前が、人にとっての当たり前ではないのだ」と知りました。

当時、私が唯一「人よりちょっと得意だ」と胸を張れたのが、iPhoneやMacの知識と経験でした。
所属していた会社が比較的トラディショナルだったこともよかったのでしょう。ITに明るくない人が周りに多かったので、先輩や上司が自分の知識経験を頼ってくれたのです。「仕事ではあんまりだけど、違う形であれば役に立てるんだ!」と、肌で感じられたのがとても嬉しかったのを覚えています。

その感覚を「書き物」に変えたのが「あなたのスイッチを押すブログ」です。自分が持っているiPhone・Mac・Webツールの知識・経験を、困っている人たちの手に届けたい。そんな気持ちをもって十数年、ここまで更新し続けてきました。

自分よりスゴい人は星の数ほどいると知る

「ブログ」という文化は不思議なもので、ひとりで物書きにふけっているように見えて、実のところ同じ「ブロガー」同士が身を寄せ合ってワイワイやっています。私も、イベントなどを通してさまざまな人と出会いました。

多くの人と出会い、そして、自分よりスゴい人など星の数ほどいるのだと実感しました。

この「実感」というのがよかった。イチローでも、スティーブ・ジョブズでも、世の中にスゴい人はいっぱいいます。ですが「実は身近にもスゴい人は溢れている」と気付けたのは、私にとって宝でした。

ですが、当時は自分が凡であることを認めるのに苦労しました。

ブロガーとしてそこそこの数字を達成しても、自分よりもっと多くの数字を持っている人はたくさんいる。では表現や作品として優れているかといえば、私が憧れたあの人たちの書く文章・表現には、自分は遠く及ばないと理解してしまう。

そこそこの実績を積み重ねても、憧れ、妬み、羨む心を捨てられない。どこまで進んでもきっと、自分が一番になる日はこないのだと知りました。

それでも、心が荒んだり、投げやりになったりせず、ひたむきにブログを書き続けられたのは、読者の人からの「ありがとう」の言葉があったからです。
その一言によって、「一番になる必要はない」と割り切れるようになり、こんな自分でも人のためにできることがあるのだと自信を得られたのです。

点を増やし、面を作る

しかし「自分という存在の唯一性」は必要です。

「その分野において最も優れた人物」という唯一性は不要だとわかりましたが、それ以外の方法で何か「自分だからこそ」というものを作らなければならないと。

それから私が意識をしたのは「点を伸ばす」ことではなく「面を作る」ことでした。

たとえば「ブロガー」という点をひとつ持ったとして、それをどれだけ磨き上げても、自分より輝く人はたくさんいます。しかしもうひとつ「Webディレクター」という点を作ったとしたら、「ブロガー ✕ Webディレクター」という希少性が生まれます。

この両方を持ち合わせている人は、おそらく私だけではないでしょうが、多くはいないでしょう。だからこそ「WebやITの知識や経験を多くの人に文章として届ける」という仕事を、私は請け負えています。
複数の点を持てば、その点を結んだ範囲の中で実力を発揮できます。2点を結んだ線の上であれば、私は活躍できます。

点が2つでは線にしかなりません。しかし3つ以上の点を持てれば、それは面となり、可能性はより多く広がるようになります。

ひとつの分野において100万人にひとりの逸材になることは難しいかもしれません。ですが、より多くの点を作り、それを掛け合わせた結果であれば、100万人にひとりの逸材になれるような気がしませんか?

「仕事を頑張るぞ」と、気持ちだけで努力するのには限界があります。ですが「いま自分はこの点を作るために努力しているのだ」という意識が持てれば、進むべき方向性や目標を定められ、自分が日々前に進んでいることを実感できます。

自分の得意な「点」の作り方

大人になると「得意なこと」を声に出すこともためらうようになりますよね。「自分より得意な人がいるのに、自分なんかが得意だなんて言えない」と。

その気持ちもわかりますが、そんなことを言っていては、いつまでたっても点が作れません。

ではどうしたら「これは得意だ」と言っていいのか。それを「点」だと判断していいのか。
その目安は「100人に1人」としています。

渋谷のスクランブル交差点の真ん中に立って、周辺からランダムに100人を選出したら、自分が一番になれそうである。そういうイメージが持てるようになったら、それはあなたにとっての「得意」であり、「点」であると言っていいと思います。

No.1にならなくてもいい。自分より上だと思える人がいたとしても、得意は得意であると胸を張っていいんだと知ってからは、肩の力が抜けて、だいぶ生きやすくなったように思います。

さいごに

「もし会社がなくなっても、ひとりで生きていける強さを身につけなさい」。これが、私が10年以上務めていた制作会社での方針でした。

社長はいつも「自分の看板を作りなさい」と言っていました。「⚪︎⚪︎といったら高田さん」と人から言われるものをいくつ作れるか。それが大切なんだと。
ですから、会社のメンバーは常に「自分にとっての点」を意識して仕事をしていたと思います。

人からどうやって思われたいか。どういう人になりたいか。これを意識することで、漫然と日々がすぎるのではなく、着実に前に進めているという安心感にもつながりました。

夢や目標という遠い未来を好きになれなかった私にとって、自分の進むべき方向を指し示してくれた教えです。

(文:ばんか(bamka)

― presented by paiza

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