近年、メンタルヘルスの問題により休職する人が増えています。厚生労働省のデータでは、心を病む人は約300万人。約40人に1人はメンタルの悩みを抱えている計算になります。とくに過労や人間関係の悩み、ワークライフバランスの悪化などから、うつ病や不安障害などの精神的な健康問題を引き起こすことが増えています。
大手ゲームメーカー勤務の田中正人(まさと・仮名)さんは、15年以上携わった分野から別の分野の担当に代わったことをきっかけに、メンタルを壊してしまいました。
休職から復帰後10年以上が経った今、当時を振り返り「心を病んで完治するまでの10年間」について伺いました。
※本人の特定を防ぐため、意図的に事実を変えている部分があることをご了承ください。
1970年代生まれ・40代後半。男性。九州地方在住。
大学卒業後、大手ゲームメーカーA社で約8年間、エンジニアとして「コンシューマーゲーム(家庭用ゲーム)」の開発に携わる
大手ゲームメーカーB社に転職。約6年間コンシューマーゲーム担当後、10年以上ソーシャルゲーム(主にモバイルのオンラインゲーム)を担当
目次
うつ病発症まで
――最初はどのようなきっかけで、病気に気づいたのでしょうか?
田中正人(以下、田中):
僕は最初の会社に入社したときからずっと「コンシューマーゲーム」の制作を担当してきました。30代半ばを過ぎて、僕の担当していたゲームの分野は自社で開発しなくなり、はじめて「ソーシャルゲーム(以下ソシャゲ)」を担当することになったんです。
今、それがどう違うのって思ったでしょ?同じようでもまったく違うんですよ。
――どう違うんですか?
田中:
中身が違うんです。コンシューマーゲームは作り込みがモノを言います。攻略するための手段や選択肢をいろいろと用意して、それらの一長一短のバランスが取れているものこそ、よいゲームとされます。対して当時のソシャゲでは「選択肢は極力なくしてくれ」と言われました。どれを選んでいいかわからない人が脱落してしまうので。ソシャゲは、コンシューマーゲームと違って最初にお金を出す必要がないこともあり、ちょっと難しそうならすぐやめてしまうものなんです。
当時の僕にとって、ソシャゲは「15年近く培ってきたことが通用しない世界」でした。コンシューマーとは世界が違いすぎて、自分の中の「面白い」が通じないんです。
――それがきっかけでうつに?
田中:
ちょうどそのころに結婚して、時間の使い方が変わったことも一因だったと思います。結婚前はよく夜ふかししていて、たまに深夜2時まで残業すると、朝起きるのがつらいと感じたことがあるくらいでした。でも結婚後は何時に寝ても10時始業が辛くて、午後にならないと調子が出なくなったんです。結婚式の前後2か月くらいから、気持ちが落ちて朝起きられなくなりました。さすがにおかしいなと感じて、会社に週何日か来ていた産業医に相談したんです。
医師には「車でいうと、ガスタンクに穴が開いてガソリンが漏れている状態」だといわれました。寝ても寝ても体力が回復しないし、そもそも眠れなくて。
それまで大好きだったゲームがどうでもよくなったんですよね。典型的なうつ状態だったと今は思います。当時「死にたい」と思ったかどうかは、あんまり覚えていません。「しんどい」「つらい」というよりは「やる気がない」に近かったですね。
――病院には行かれましたか?
田中:
産業医に話を聞いてもらってから、時間を置かずに行きました。家から遠くない場所にある心療内科(メンタルクリニック=以下クリニック)です。軽いテストをして「うつ状態」と診断がつきました。
そのあと年が明けてからも、何もする気が起きなくて。ついに朝、起きられなくなりました。動作の一つひとつを、ゆっくりコマ送りみたいにしかできないんです。目が覚めたら「布団を身体からはがして」「ベッドから右足を下ろして」「左足を下ろして」という感じで。「動こうかな」と考えて30分後にようやく「動こう」と決意できるくらいのスピードです。
一年間の休職、うつの原因を突き止める
――一年間、休職されたそうですが、そのあいだはどのような生活でしたか?
田中:
決まった時間に眠るようにはなりました。睡眠導入剤を飲むと、頭がくらくらして気を失うようにして眠ってしまうんです。
原因を突き止めるために、カウンセラー3~4人にかかりました。人によっていうことがまったく違うんですよ。その中で納得できる一人のカウンセラーをメインに定期的に通いました。
そのカウンセラーの言うことに、思い当たる節があったんです。見立てによれば、原因は「仕事と結婚のダブルパンチ」とのことでした。そこではじめて、結婚生活も原因だったと気づいて、納得できました。
――最近では、うつ病は脳の機能の問題で、薬で治るともいわれますが、実際はどうなのでしょうか?
田中:
うつ病へのアプローチは二つあります。まずは「原因を突き止める」。原因がわかったら、距離を取る。そのためにカウンセリングをします。誤解されやすいのですが、カウンセリングは「癒すモノ」ではないんです。「方法」や「考え方」を教えてくれるものなんですね。
もう一つが「薬」です。症状を緩和する薬、眠り薬、イライラをおさえ気分を上げる薬、抗うつ薬など。うつの原因は、やる気を司るドーパミンの量や、それを受け取るシナプスなどになんらかの異常があり、投薬で体内の物質を正常な量に持っていくことで解消できるといわれています。ただ対症療法なので、うつ病を「引き起こす原因」をどうにかしないと「うつ病そのものを治す」ことはできません。
――休職中に回復を実感できたのは、どのようなときですか?
田中:
休職中に「よくなっているかも」と感じたのは、外に出られるようになったときです。基本的には「したくないことはやらない」と考えて、家の中に引きこもっていました。でもある日、頑張れば外に出られそうだな、と思って、ちょっとだけ無理をして夜中に散歩に出てみたんです。夜空を眺めていたら、つらい気持ちが溶けていくように感じられました。
よく「日中歩くとよい」というけど、時間は気にしなくていいと思います。ちょっと頑張れば外に出られそうだと思えたら、無理ない程度に頑張ってみるとよいのではないかと。少なくとも僕の場合は、そういう気持ちになれたときに一番つらい時期を脱したんだと思います。
職場復帰、「本当の病名」が判明
――職場復帰後の様子を教えてください。
田中:
会社に関しては、本当にありがたいとしか言えなくて。大きなソシャゲの「ソーシャルではない部分」を受け持たせてもらえるようになったんです。
それから、妻も僕の病気にかなり理解を示してくれるようになりました。結婚して2年後程度は環境に慣れず苦労しましたが、担当が変わったころからは徐々に良くなっていき、さらに2年後には薬もかなり減らせるようになりました。
――この時点で発病からほぼ4年ですね。だいぶ完治に近づいてきたイメージでしょうか?
田中:
いや、完治はまだ先ですね。それより、このころ衝撃的なことがあったんですよ。4年ほどうつ病の薬を飲み続けたあとに、実は「うつ病ではない」ことが判明したんです。
――ええっ!?
田中:
結論を先に言うと、僕は「双極性障害【通称:躁うつ病(そううつびょう)】」だとわかったんです。うつ病は、ずっと低空飛行の「抑うつ状態」が続く病気で、躁うつ病は、「抑うつ状態」とハイになる「躁状態」の両方が現れる病気ですね。
躁うつ病には2種類あって、Ⅰ型は「躁が強い」、Ⅱ型は「うつと普通(軽い躁)を繰り返す」つまり、うつが強く、躁はそれほど強くないもの。僕はどうやらⅡ型だったようです。
当然ですが、「うつ病」と「躁うつ病」では処方される薬も違います。「躁うつ病」に合った薬にシフトしたら、急に効き始めて病状がかなりよくなり、薬を減らせました。
――ハイ(躁)な田中さんはあまり想像できませんが、自覚はありましたか?
田中:
普段の性格的な部分ではあまり出ていないかもしれませんね。ただ「仕事でどんどんアイデアが出た」「1日で3日分の仕事ができた」みたいなときもあって、今思えば躁状態だったのでは?と思います。
うつ病の完治、そして現在
――完治したのは発症からどれくらい経ってからですか?
田中:
丸10年経っていました。実は妻とは離婚したのですが、完治のタイミングはそれと同時期です。離婚に向けて別居して話し合いを進めている間に、薬が必要なくなりました。このとき久しぶりに「ゲームが楽しい」と思えたんです。
心を病んだ原因は何だったんだろうと今思うと、やはりカウンセラーの見立て通り「仕事」「結婚生活により、生活リズムが乱れたこと」だったのかなと考えています。
――「生活リズムが乱れた」とは具体的にどのような感じでしょうか?
田中:
僕は性格的に「ひとりの時間」が必要で、気ままなタイプなんですよね。夜中にフラッと出かけたりしますし。今日出かけようかなあと思っても、ちょっとした気まぐれでやっぱり出かけないなんてことは、日常茶飯事で。
友達から「再婚しないの?」みたいなことを言われることはありますが、今の生活リズムが変わったらどうなるかわかりません。もし再婚直後から闘病生活になってしまったら相手の方にも申し訳ないので、もう結婚は難しいのかな、という気がしています。
――闘病にあたり、会社の制度的な面はどうでしたか?
田中:
会社の制度面には助けられたと思います。最初から精神科のクリニックに行くのはハードルが高いですが、会社の産業医に相談できたのはありがたかったです。自分の状態がよくないことを自覚できて、自然にクリニックに足が向かいました。
一年間休職できる制度があったこともありがたかったです。あのまま通勤することは難しかったので、休職制度がなかったら、退職するしかなかったと思います。
――職場復帰にあたっての会社の対応はどうでしたか?
田中:
会社は良心的だったと思います。復帰していきなりフルタイムはダメだと、最初の一週間は毎日、人事部へのあいさつだけ済ませて帰宅させられました。そのあと週ごとに少しずつ勤務時間を伸ばしていき、残業の許可が出たのはだいぶあとになってからでした。
ほかにありがたかったのは、復帰にあたって所属部署に配慮してくれたことです。自分の持っていたスキルを生かせる部署で働けるようになって、かなり気持ちが楽になりました。
ゲーム業界でエンジニアが心を病む理由
――業界的には、精神的に病む人は多いと感じますか?
田中:
ゲーム業界では病む人は多いと思います。契約数や売上といった客観的な指標がなく、自分のつくったものが「いい」かどうかは、評価者である上司しか決めることができません。たとえ同僚みんながいいと言ってくれても、上司一人がダメだと言ったらボツになるんです。
つくりたいもの、つくれるもの、求められるものの折り合いが大事なのですが、業界に入ったばかりだと納得いかないと思う人もいるかもしれません。
また、難しいのが「上司が本当にダメな場合」です。判断を間違えたまま実装して何度もやり直しになったり、気に入っている部下の成果物ばかり採用してしまったりということも、上司も人間なので絶対ないとは言い切れません。
今ふうに言えば「上司ガチャ」に外れると、どんなにいいものをつくれる人でも、まったく評価されないこともあります。反対に自分の感性を認めてくれる上司であれば、楽しく仕事できたり出世できたりするでしょうね。
――なるほど、実力があっても「認められるかどうかは運しだい」な環境なのですね。ほかにキツイと感じることはありますか?
田中:
ソシャゲ特有の問題として、「終わりがない」「終わるときは必ずネガティブ」であることがあると思います。コンシューマーゲームの場合、仮に出来が悪くても必ず「開発終了、お疲れ様でした」と切り替えられるタイミングがやってきます。
しかしソシャゲの場合、いつまでやるかはわかりませんし、終わるときは売上などが振るわなくなったときです。だから、今までつくっていたものをなるべく早く低予算で作ろう、そもそもつくるのをやめよう、という話とセットになるんです。これまで提供できていた質が担保できなくなるとわかっていて提供するのはやはり心苦しく、遊んでくださる方の期待に応えようと無理をしてしまう人もいると思います。
――厳しい世界ですね。現状、会社で働くことや人間関係に対してはどう考えていますか?
田中:
ある程度大人数でつくっていると、モノの考え方や感性の違う同僚は、どうしてもいます。めんどくさいと感じることはありますが、それはどこに行っても同じだと思います。
「ゲーム制作者は、公私すべてにわたってゲームに情熱を傾けるべき」という人もいます。僕も昔はそう思っていましたが、今では関わる人すべてがそうとは限らないと思うようになりました。仕事はキッチリするけど残業はしたくないのが普通だと思います。心を病んでから、こう感じる傾向は強くなりました。
今頑張ればしばらく休み、というような明確な締切のあるコンシューマーゲームから、毎日の運営が大きなウェイトを占めるソシャゲに仕事が変わったことも大きいのだと思います。
自分の中の「黒い自分」を認める
田中さんにはじめて会ったのは大勢での飲み会です。初対面の人に囲まれたわたしを気遣って、同様に初対面にもかかわらず、いろいろ話しかけてくれたのが田中さんでした。「まさか田中さんがうつ病になるなんて驚いた」とわたしが言うと、彼がこんなふうに言ったのが印象的でした。
「僕は、自分のことをずっと『いい人』だと思っていたんです。でも、自分の中に『黒い自分』がいることを認めたら、楽になりました」
「いい人」ほど相手の期待に応えようと無理しがちです。「つらいときは『いい人』の殻を破ってもいいんだ」と、筆者自身、しんどいときには彼の言葉を思い出すようにしています。
(文/取材:陽菜ひよ子)