近年の日本における社会的なトレンドになっているのは、新旧の価値観の対立、あるいは転換への問題ではないだろうか。

企業にとってはメンバーシップ型雇用からジョブ型雇用への転換、および旧来の価値観を持った従業員と若手や変革を望む層との軋轢。地域社会では町内会と移住者が対立しているところもある。

しかし、元を辿ってみると、メンバーシップ型雇用は地域社会の組織構造と同時期に構成されたものであり、はるかに長い歴史がある。高度経済成長期には大きな効果をもたらしていたものだが、現在ではそのような成功体験こそが呪縛になっているともいえる。

今、日本の企業、そして従業員が新たな関係性を構築しようとしている中で、変化を阻害する要因について考察していきたい。

現存する「隣組」という制度

「”隣組”の⚫︎⚫︎さんの家はもう茄子の苗植え終わってるんだけど……」

ゴールデンウィークに帰省した際、母が父にこう文句を言っていた。毎年のように聞く、両親の空気がピリつくセリフだ。しかし、今年は冒頭の「隣組」という言葉が強く印象に残った。隣組の考え方など、祖父母の代でなくなったものかと思っていたからだ。

隣組とは、戦時中につくられた地域の互助制度。元は江戸時代の五人組(十人組)という組織であり、今でいう町内会をさらに細分化した、ご近所単位での自治を担う組織だ。隣組には相互監視的な側面もあり、戦時中には思想統制の基礎的な役割を果たしていた。

戦後、GHQにより隣組の制度自体は禁止される。しかし、ルーツの根深さや浸透度合いからいっても完全に禁止するのが難しいため、筆者の地元のような地方のコミュニティで未だに現存しているのだろう。相互監視的な側面があったとはいえ、制度の合理性や利点があるからこそ引き継がれてきたと考えられる。

隣組の利点は、第一にコミュニティとしての結束や協力関係の強さだ。

祖父母が存命だったころ、筆者は名前も知らない老人から「かどんちの⚫︎⚫︎さんの孫」と可愛がられていた。「かどんち」とはつまり筆者の実家が角にあることを意味していて、一族の名字ではなく、「(土地の特徴や営む職業)んち(の家)」でお互いを呼び合っていたのだ。

川島家は角にあるから「かどんち」、幼馴染の家はかつて養豚業を営んでいたから「豚屋んち」。これには理由があって、元が農村部の地域では土地を継ぐか分家する家が多く、名字のバリエーションが非常に少ないのだ。そうなると、名字で呼び合うよりも一族が持つ土地の特徴や職業などで呼び合う方が合理的といえる。

筆者は出生時からおのずと周囲に「かどんち」の一員として認識される。しかも筆者の幼少時は、まだ地方農家の耕運機やトラクターをターゲットとする窃盗団が跋扈していない時期だったので、家の鍵はまずつけない。野良着姿のおばちゃんが、両脇に抱えた野菜を玄関にドカっと置いて一休みしているところにバッタリ出くわしたこともある。もしかすると自分の図々しさや人見知りのなさは、こうした環境から培われたのかもしれない。

プライバシー的なものは希薄だが、裏を返せば地域の人々はそれぞれの家を往来し、話をすることで情報を交換できる。おかげで、各家庭の異変や困りごとに気づけるのだ。

先述の通り、隣組の制度そのものは戦時中に制定されたものではあるが、相互監視の他にも男手が戦死した/出征して留守にしている家庭を支援する意図があった。ある意味、一人ひとりを孤立させない点においてはメリットがあったのだろう。

また、農村部の場合、災害から田畑を守るためには相互的に協力する必要があり、また我田引水という言葉があるように、作物に不可欠な水が不正なく平等に行き渡るよう監視し合う機能も隣組は持っていた。いわば権益の調整弁としての役割だ。

筆者の母の言葉は名残で、機能そのものは既に薄れていると推測するが、戦後から平成に至るまで、地方都市のごく小さな地域を運営する手段として有益だった隣組。だからこそ、システムが継承され続けてきたのだろう。

実は、28年ほど前に筆者の実家が所属する隣組でその有用性を実証する事態が起きた。なにを隠そう、筆者(当時3歳)が起こした「神隠し事件」だ。昼時に突如として失踪した筆者を地域総出で捜索。夕方に2kmほど離れた場所でうろついているところを無事確保された。齢31になった現在でも、このエピソードは帰省時の鉄板ネタになっている。

(なお、本人は「おじいちゃん呼んできて」を「お兄ちゃん呼んできて」と勘違いし、3kmほど離れた小学校まで呼びに行こうとしていたと供述した模様。はやとちりと向こう見ずな性格は幼児期には確立されていることがわかる。道中の記憶はないが、発見してくれた大衆食堂のおばちゃんがくれたおにぎりとともにパトカーデビューしたことは覚えている)

地方移住問題と「価値観の滞留」

現在では隣組や町内会のような制度が、地方創生の足枷になる場合も決して少なくはない。実際、近年活発化した地方移住の中で頻発しているのが、移住者と既存住民とのトラブルだ。多くの話で共通するのが、移住者が地域活動に消極的であること、既存住民が移住者を必ずしも歓迎しない場合があることだろう。
また、過疎化の進んだ地方自治体では行政・地域サービスの維持への個人負担が大きくなる場合がときに見られる。拠出した金額に見合うサービスを享受できるとも限らず、むしろ搾取されているような印象さえ覚えるケースもあるかもしれない。それに加えて移住者にとっては、地域のルールが合理的と感じられないときなどもあり、対立が生まれることは想像に難くない。

つまり、制度やルールそのものが、地域の対立を呼びかねないときがあるのだ。土地に依拠し、代々地域にいた一族によって定められた制度は、言い換えれば新たな人間の流入・受容とは相性が悪い制度になりうるともいえる。さらに、移住者は新たな価値観を地域にもたらす可能性が否めない。場合によっては「改革」という言葉さえ飛び交うようになるだろう。急に現れた土地のことも知らない新参者がだ。

得体のしれない存在によって脅かされる圧力が強ければ強いほど、大きな反発力が生まれる。反発によって発生したエネルギーは新たな反発を作り出し、結果として望ましくない形の相互作用が起こりかねない。

報道では「村社会の悪しき風習絶対悪説」を唱えることが多いが、当事者である既存住民たちの行動は善意によるもの、彼らの同義性に則ったものであることも多い。その背景には現在生きている人間だけでなく、数世代(あるいはそれ以上)にわたり守り続けてきた地域と一族の自負があるのだ。

「おらが村」の価値観であり、脈々と醸成してきた揺るぎない誇り。それを悪であると断罪してしまうのはいささか酷なようにも思える。ただ、それが新しい世代の人間にとっては息苦しさとなりうる場合があるのも事実だ。

前項では実家周辺で現存する隣組制度のメリットを述べているが、現在筆者は東京に住み、実家に戻ることはないだろうと感じている。その理由もやはり、「地域の温もり」は感じるものの、息苦しさが勝ったからだろう。

感覚的な経験則になるが、筆者はこの息苦しさの正体とは、「価値観の滞留」にあるのではないかと考えている。

農村部やアクセスの悪い地域の場合、人間の入れ替わりが起きづらく、逆に人口は流出傾向にある。また町内会や自治会といったコミュニティはその土地に依拠し、策定されるルールはまさにローカル・ルールなため、長年固定され、もはや地盤のようになってしまっている。

本来なら、断続的に若い世代が地域に参画していくことにより価値観は更新されていくものだが、地域外へと流出してしまうため新たな風に刺激されることなく滞留する。

ところで、似たような話は都会でも聞くことがある。会社組織と働き方の問題においても、時代と価値観の変化と組織の問題が発生しているのではないだろうか。

人手不足とは「企業の過疎化」ではないか

周知の通り、現在の日本ではメンバーシップ型雇用からジョブ型雇用へと移行しつつある。メンバーシップ型雇用とは、終身雇用を前提として職務を限定せず、さまざまな職務をローテーションで労働者に配置するような雇用のあり方。対するジョブ型雇用はあらかじめ職務や求められる成果に基づき雇用契約を行うものだ。

実はメンバーシップ型の歴史は、隣組の組織がつくられたのと同じく、戦時中に制定された賃金統制令が端緒となっている。文明開化を果たし、急速に近代化が進んだ明治時代の日本では、職能に基づいた労働契約、つまりジョブ型雇用が中心であった。

しかし、日本が戦禍の中に突入すると状況が一変。多くの人が戦争へと駆り出され、慢性的に労働者が不足する。そこで、労働者の偏りや賃金の高騰、インフレを抑えるために導入されたのが、メンバーシップ型雇用の始まりだ。

ある意味で、挙国一致で行われた戦争や敗戦後の復興、高度経済成長期において、メンバーシップ型雇用は社会を支えていたものであった。人口増加と社会の成熟の相関について筆者は知識を持たないが、こと日本の高度経済成長期を支えたのは、社会の復興。言い換えればマイナスからのスタートだ。

労働者にとっても、自身の労働が会社の成長、ひいては日本の復興・成長に貢献するのが目に見えるように実感できたといえる。その前提がありながらも、当時の労働に身を捧げた労働者、あるいは日本国民の一人ひとりには畏敬の念を禁じ得ない。

高度経済成長からバブル期にかけて、メンバーシップ型雇用により形成された組織体はまさに成功体験の象徴だった。屈辱から力を合わせて這い上がり、世界トップクラスの豊さに返り咲く。途方もないサクセスストーリーだ。

しかし、現代に目を向けると、その成功体験が成長の足枷になっている事例も見られる。
たとえば、職種職能を限定しない総合職採用や、専門性が身につきづらく汎用性の高い人材育成に特化したジョブローテーション制度、年功序列の昇給・昇格制度など。これらが続いた結果、専門性の高い人材が育成されず、人材のグローバル化に後れをとるばかりか、優秀な技術者の海外流出を招いたのではないか。日本企業における人手不足は、言い換えるなら「企業の過疎化」ともいえる。

近年ではジョブ型雇用への移行はもはや自然な流れになっており、社歴の長い大企業の採用でもジョブ型雇用に舵を切るケースが増え、とくに人材の不足するエンジニア採用でも競争力を強化しつつある。このような企業内では、おそらく全社的なジョブ型雇用への意思統一が図られたため、むしろ挑戦への気概が醸成されたのだろう。

一方で、国内の企業によっては、変革が遅れている場合もあるだろう。その要因もやはり「価値観の滞留」があると筆者は考える。例えば従業員が少ない企業では、オーナー社長の方針が反映され続けて、変革がもたらされにくい場合があるだろう。

また、平均年齢が高い会社だと、古参の社員に発展に貢献してきたという自負があるため、変化を嫌う傾向があるかもしれない。そうなると変革どころか、変化する機運さえもなくなってしまう。危機感を覚えた従業員が変革を説いたとしても、馬耳東風となってしまい、優秀な若手から会社を去っていくという事例も多い。

組織変革を阻害する要因は複合的であり、必ずしも定性的な要因に終始するものではない。しかし、このような「価値観の滞留」も大きな一因を占めるのではないか。そして、それは経営者ただ一人で醸成しうるものではなく、無意識的にしろ組織に属するメンバーの総意として存在するときもある。

人手不足や人事制度について、口では「うちの会社は頭が固いから」と言いつつも、その実自分が大きく変化していくとなると抵抗感があるというのが本音。ある意味で正常性バイアスに近い心理状態が全社に蔓延していることが最も大きなリスクといえるだろう。

地域でも企業でも、少子高齢化の現在では「いかに人を集めるか」が生存戦略の一丁目一番地。人材がいなければインフラや生産能力は維持できず、その先にある開発やDX等に投資する原資を集めることはできないためだ。

「オープンマインドから始めよ」と言うと安っぽいが、まずはこれまでの価値観や成功体験という足枷から自らを解き放てるよう考え、議論すべきではないだろうか。

人を受け入れるためには器が必要になる。入ってくる勢いが強すぎればこぼれてしまうかもしれないが、器の中に淀みがあると息苦しく感じてしまい、そこに安心はできない。池の水のごとく、滞留を抜いてから見えてくるものもあるはずだ。

(文:川島大雅

― presented by paiza

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