今やお寺もデジタルとは無縁ではいられない。ご先祖様から続くご縁を未来へつなぐ役割を担うお寺。長い歴史と伝統が続くお寺で変化が起こっている。一般家庭に育ち工学部の大学院を修了、エンジニアになったが僧侶へ転身。お寺のDXのエバンジェリストとして、寺院のデジタル化をリードする長野県塩尻市の善立寺 副住職 小路 竜嗣(こうじ りゅうじ)さんに話を聞いた。
小路 竜嗣(こうじ りゅうじ)さん
浄土宗善立寺 副住職/寺院ITアドバイザー
1986年兵庫県伊丹市生まれ。信州大学大学院工学系研究科機械システム工学専攻を修了後、株式会社リコーに勤務。2011年に退職・出家。2014年浄土宗大本山増上寺加行道場成満。2014年浄土宗善立寺に副住職として入山。2016年に寺院のIT啓蒙活動を開始。2021年6月「DX4TEMPLES」開業。
知っているお寺は教科書の清水寺と東大寺。大学院出身のエンジニアが僧侶に
「兵庫県の一般家庭で育ちました。幼いころからロボットが大好きで、将来はエンジニアになるのが夢でした。地元の高校をでたあと、長野県の信州大学工学部に進学し、大学院では人工関節材料を研究。妻となる女性とは大学時代に出会いました。のちに僧侶になりますが、高尚な気持ちはなく、出会った彼女がお寺の一人娘だったからなんです」
大学院を修了し、精密機器メーカー・リコーの機械系エンジニアに。カタログを制作するような大型プリンタのエンジニアだった。僧侶になるきっかけは、学生時代から付き合っていた彼女との結婚。妻の実家は長野県塩尻市にある浄土宗善立寺(じょうどしゅうぜんりゅうじ)。1545年に開山した由緒あるお寺も少子高齢化と都会への人口流出で後継者が見つからず人手不足で困っていた。自分が役に立ちたいと思い、サラリーマンから一転、僧侶になった。PCやマウスを駆使する世界からテクノロジーと対極の和紙と筆の世界へ飛び込んだ。
「今まで清水寺や東大寺しか知らなかった人間が仏教の修行です。まず言葉がわかりません。聞いたことがない仏教用語ばかりなので、自分で辞書を作って必死に覚えました。厳しい修行のため、夜中にすすり泣く同期もいましたね」
後戻りはできない。いざ僧侶になって気づいた大変なこと
京都や鎌倉の大本山での修行道場では歩くときの歩幅まで決められるほどの厳しい修行だった。晴れて僧侶となったが大変なことになった。
「2013年に浄土宗僧侶になりました。妻の実家のお寺の副住職になりましたが、人手が不足し業務効率化の必要性に気づきました。仕事が膨大で24時間365日休みなし。境内の掃除から始まって、檀家さんへの様々な案内の郵送、過去帳の管理や経理事務、子供会などの地域貢献、研修会もあります。紙やファックスが健在で属人的な仕事が極めて多い職場でした。こうした状況は善立寺だけでなく、仏教界としても同様な状況にありました。そもそも人の人生の終わりに関わる葬儀は予期などできません。本来の仕事である法務(お経を読む仕事)以上に事務仕事に追われて、住職と副住職のわたしでこなす必要がありました」
2018年のニューズウイークの記事(*1)には過労死予備軍が多い職業として宗教関係者が載っている。実は過労死の確率は学校の先生や医師よりも高いという。多くの寺は中小企業と同様で、家族での運営が多く家族が病気になったら面倒を見なくてはならない。親の介護もある。けれどもお寺を運営する僧侶は少人数だ。檀家にさまざまな案内を発送したり、書類作成や経理の仕事や研修もある。仕事の半分以上を占める膨大な事務作業をこなさなくてはならない。業務の効率化なくして新しいことなどできない状況だった。
世間のイメージとは裏腹のお寺の危機
世間がもつイメージとは裏腹にお寺を巡る環境は厳しい。地方では少子高齢化と都会への人口流出で、存続の危機に面しているお寺が多くある。お寺を支える地域の人たちの人口は過疎化で減少し、将来的にはお寺の3割はなくなると言われている。顧客、いわゆる檀家が地域に限定され、新しい顧客は望めない。一方、都会のお寺も課題を抱える。人口が多いのにお寺との接点が少なく、認知度が低い。お寺の広報活動が少ないことや、葬式や法事などに接点が限られているからだ。
「『高級車を乗り回し、税金控除で左うちわ』そんな世間のイメージは一部のお寺です。パレートの法則がありますが、全国の2割のお寺が全体の8割の収益を得ている状況ではないでしょうか。残りの8割のお寺は厳しい経営状態に直面していると思います。『経営』とは、もともと『経を営む』といった仏教用語に由来しますが、お寺の経営の実態には厳しいものがあるのです」
東大寺の大仏は奈良時代の最先端プロジェクト。実は最新技術とも親和性があった仏教
「膨大な事務作業や人手不足だけでなく現代のお寺は様々な困難に直面しています。そんな中でもなんとかお寺を守っているお坊さんたちの助けになりたい。この状況をなんとかせねばと思ったことがお寺のDXの始まりです」
小路さん曰く、お寺はもともと最新技術と親和性があったという。飛鳥時代から奈良時代にかけて活躍した僧侶に行基がいた。行基は奈良の大仏建立の責任者といわれている。大仏は745年(天平17年)に製作が開始され7年後の752年に建立された。1200年以上も昔に7年の歳月をかけて作られた大仏は、現代でいえば巨大なゼネコンプロジェクトだ。
「当時の最新技術を用いて、金属を精錬して巨大な建造物をつくるには、複雑なプロジェクトマネジメントや膨大な工程管理が必要だったはずです。加えて巨額の建立費用を集めるために多くの寄進も必要だったと思います。さながら奈良時代のクラウドファンディングです。行基は大仏の建立だけでなく治水・架橋などの社会事業でも活躍し、いわば社会課題解決のリーダーでプロジェクトマネージャだったのではないでしょうか」
ITからスルーされていた現代のお寺
一方、今の仏教は、明治時代の廃仏毀釈と太平洋戦争後の政教分離で役割が変化した。葬式や法事などが中心で、僧侶が新しい技術を学ぶ必要性も薄れていた。
「僧侶になる修行の中にはITの知識や最新のテクノロジーの習得やお寺の経営について学ぶ機会はありません。お経の唱え方は学びますが、Excelを使って生産性を高めたり、広報活動やマーケティング、顧客管理の大切さを学ぶことはないのです。今までのやり方で運営できていればお寺もあえて新しい方法を導入する必要もありませんでした。お寺の効率化を妨げているのはお坊さんにITのスキルがないことが大きいですね」
外の世界からもITとお寺には縁がないと思われていた。
「お寺はテクノロジーから遠い世界と思われています。ITの展示会に出かけたときのことです。坊主頭で袈裟を着て各社のブースを見ていても、まったく声をかけられません。『場違いな人がきたな』と思われてスルーされる(笑)。パンフレットも渡してくれないし、質問すると『これはマウスという機械なんです』って。『マウスくらいわかるわい!』って喉まで出ましたがグッと飲み込みました」
DXで変化するお寺
「もう使うことはないだろう」そう思っていたITスキルの封印を解き、小路さんは危機に直面するお寺のDXに着手した。
「手始めは墓マップです。善立寺にはお墓が300基ほどありますが『何々家のお墓はどこにあるの』と、檀家さんに聞かれて探すだけで10分もかかっていました。大きな紙に手書きで書かれたお墓の地図で探すのに一苦労です。それがExcelで墓マップを作ったら1分で検索できる様になりました。1/10に短縮した時間で檀家さんともしっかりコミュニケーションができるようになりました」
コロナ禍では強制的な変化が必要になった。浄土宗の研修会もオンラインになり、今までITと接する機会がなかったお坊さんの意識も変わった。お寺の事務作業といったバックエンドのデジタル化の需要が生まれたという。
バックエンドが整備された後に続くのがフロントエンド。檀家から見える側のDXだ。小路さんはWebサイトを作ったり、SNSの発信を開始したり、お寺の会報など紙の媒体のPDF化にも取り組んだ。
「大切なのが顧客管理、お寺では檀家さんの管理です。デジタルで住所管理ができるようになり、お寺の会報である寺報を配送することもスムーズになりました。紙で住所録を管理していたら、住所変更の連絡があったところで管理はできません。
一番困るのは、引っ越しされる檀家さんです。水道や電気は引越したら必ず連絡しますが、お寺に引越先の新しい住所を連絡することはまずありません。1年に1回程度のお寺からの郵便物では、転送期間も切れて悪気なく連絡が取れなくなって、ご縁が切れてしまう。デジタルで檀家さんの管理ができるようになるとご縁をつないでいけます」
お寺はモノを売っているわけではない。ご先祖様からのご縁を次の世代に、未来につないでいくことがミッションだ。何十年にもわたって檀家とお付き合いを続けるニッチでロングテールな役割は一般企業とは異なる。お寺にとってCRM(Customer Relational Management)は極めて大切だ。
ご縁をつなぐだけがお寺のDXではない。小路さんは浄土宗のお坊さん向けにニッチなツールもつくった。
「仏教用語のパソコン用変換辞書です。数文字を入力すると、あとに続く文字が予測変換されます。たとえば『あみだにょ』と入力すると『阿弥陀如来根本陀羅尼』と自動変換してくれます。パソコンの辞書機能では仏教用語は変換してくれないので、原稿を書くときに困っていました。浄土宗の仏教用語9700語を変換できます。たかが変換。されど小さな時間もチリも積もればヤマになる。すでに全国で1600回以上もダウンロードされました」
世界初? ChatGPTを活用したお寺の新しい取り組み
お寺のDXを進化すべく、2021年には『DX4TEMPLES』を開業した。書類のデジタル化、ネットワーク、情報セキュリティやデータ管理、WEBサイトやSNSの使い方などお寺のIT化を進める『寺院ITアドバイザー』だ。
小路さんはいち早くChatGPTを利用し、お寺とAIの掛け算にも取り組んでいる。
「浄土宗が寺院向けに出しているマニュアルをChatGPTに読み込ませてチャットをつくりました。たとえば、僧侶の位が上がるために必要な研修や申請方法を教えてくれたり、お寺で子供会を開くときに必要な要件など、分厚い紙のマニュアルを読まなくてもよいのです。自分がやりたいことに対して、ChatGPTがスピーディーに答えてくれます。こちらがデータを入力したことに対してとても賢く答えてくれます」
浄土宗の事務を担当する宗務庁では職員が不足していた。電話で問い合わせを受けたとき、AIはちょっとした調べものに使える。全知全能のAIでなくとも、ある機能に特化したAIを簡単にたくさん作れることがChatGPTの優れた点だ。
お寺のIT化相談チャットボットも、小路さんが今まで書いた記事を読み込ませて作った。小路さんの代わりに答えてくれるそうだ。
急速に進化するAIだが、仏教との関係について小路さんはこう話す。
「産業革命などで産業が発展し、文化的に豊かで時間ができたとき、哲学的な分野が非常に発達するのです。『人間とは何か』を考える余裕が生まれるからです。
AIといった技術が発展して人間が自らを顧みる時間が生まれたとき、もしかしたら仏教や宗教も顧みられる時間が来るのではないでしょうか。AIがおこなった行動が、倫理的に許されるのか、もしかしたら宗教者が回答を求められる時代が来るかもしれません」
仏教は誕生して2500年が経った。悩みや苦しみ、生死に寄り添い人を救うパワフルなコンテンツの伝え方は口伝に始まり、紙となり、デジタルへアップデートされてきている。AIの活用が急激に進む中でも人の苦しみや生死に寄り添ってきた仏教の教えの本質は変わらない。小路さんは伝統的な仏教とデジタル、AIのはざまにあるエッジを進んでいる。
*1:ニューズウイーク日本版 2018年7月25日
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/07/post-10659.php
(撮影・取材・文:蜂巣稔)