平均寿命が長く少子高齢化の「課題先進国」日本。行政だけでなく、ITでも大きな課題があり、解決策が求められています。その一つが医療関係のITの進化です。とくに医療AIや創薬AIの世界では、高齢者の比率が高くなる今後を見据え、大きな進化を期待したいところ。しかし、欧米や中国、韓国に大きく水をあけられているのが現状です。日本の医療AI/創薬AI分野は、ここから巻き返しを図れるのでしょうか。
『Developer eXperience Day 2024』(主催:日本CTO協会)において、キーマンとなる気鋭の医療AI研究者/エンジニアが起死回生となる次の一手を語った講演「院内に眠る日本の医用画像データを活用し、医療AI/創薬AI革新を起こす」の模様をレポートします。
スピーカー紹介
韓 昌熙(カリス)カリスト株式会社 CEO
16歳で東京大学に合格。博士(情報理工学)。エルピクセル株式会社 CEO補佐を経て、医療AI/創薬AI研究開発に向けた医用画像データプラットフォームを手がけるカリスト株式会社を創業。大阪大学 招へい准教授・長崎大学 特任准教授・日本デジタルパソロジー研究会 理事を兼任。
日本は少子高齢化・人口減少・医療崩壊などの課題が多く、課題先進国といわれています。しかし、そういった世界に先駆ける社会的課題を経済成長のエンジンに転換しない限り、単なる「課題だらけの国」になってしまいます。そこで、世界一の高齢社会/国民皆保険ゆえの、世界トップレベルの良質かつ多様なCT・MRI・病理画像といった医用画像データを、医療AI/創薬AI研究開発に生かす事業をしています。

具体的には、日本中のいろんな病院やクリニックから、医用画像データ・臨床情報・分子診断結果などをご提供いただき、匿名加工~取捨選択~標準化・アノテーションを施して、医療AIや創薬AI向けにデータセット化して、医療機器メーカー・AI企業・製薬企業などへ販売する事業をしています。業務委託などを合わせると、20名少々の会社です。
目次
医療AI/創業AIが当たり前の未来

医療AIや創薬AIの産業は今、世界的にものすごい勢いで伸びています。たとえば米国では、この9か月で150以上も新しいAI医療機器が出ています。
日本では、AIが臨床現場で使われるイメージがあまり湧かないかもしれません。しかし、欧米や韓国、中国では、ほとんどの大きい病院でAIが積極的に使われています。米国のAI医療機器が日本の30倍以上多いように、日本の皆さんが5年後・10年後だと思っている未来が、海外ではすでに現実になっています。
個別化医療の実現に向けては、早期診断・薬効評価・予後予測などへのAI応用が欠かせません。というのも、人間には限界があり、診断においては見逃しが一定比率必ず発生してしまいますし、治療方針(手術・投薬・放射線治療など)も「これが一番メジャーだから」といった理由で決まることが多いからです。
「みんな健康かつ笑顔で暮らせる社会を実現する」ためには、診断も治療も、より個別化医療の方へシフトしていく必要があります。世界はそういった方向に、ものすごい勢いで向かっているのです。シンギュラリティーはおよそ10年後に起きるといわれていますが、そのころには医師が診断と治療をするような時代が終わるのではないかと思っています。
医用画像データセットの重要性
「データ駆動型AI」とよくいわれるように、医療AIや創薬AIもデータセットありきです。100人のデータを元に作られたAIよりも、1,000人のデータで学習されたAIの方が、そしてそれより10,000人のデータで学習したAIの方が、はるかに予測精度が高いからです。別の言い方をすれば、それだけ多くの命を救えるので、医療AIや創薬AIの「インフラ」となるデータセットの規模はとても大事だと考えています。
医療AIにおけるメインのデータセットは、診断や治療に直結する医用画像データセットです。たとえば、小さくてわかりにくいですが、スライドの赤い四角にあるような画像です。上の2行は、肺がんが赤く塗られた肺CTと、脳腫瘍が赤く塗られた脳MRIといった放射線画像で、下の1行はがんが塗られた病理画像です。
こういったデータセットが重要なのですが、入手難易度はとても高いです。理由としては、データの収集・加工・流通の3つの観点があります。

日本が世界に後れをとっている「データ収集」
医用画像データ収集における最大の課題は、個人情報リスクが理由で、医療施設がデータ提供したがらないことです。データ流出や不十分な匿名加工で個人情報が残ってしまうことを心配し過ぎる、そうした気持ちから提供が面倒くさいと考えてしまうことが多く、なかなかデータ提供に結び付きません。世界トップレベルで医用画像データがある日本は、世界トップレベルで医用画像データの提供を渋っている状況です。
一般のデータセットより複雑な「データ加工」
さらに、データ加工に膨大な時間がかかるという課題もあります。データ加工は、匿名加工~取捨選択~標準化・アノテーションの工程から構成され、1つのデータセットを作成するだけで数百時間もかかります。生の医療データがあるからといって、すぐにAIの学習や評価に使えるわけではありません。それぞれの工程も、一般のデータセットより専門性が必要で複雑です。
たとえばアノテーション1つとっても、実際に放射線科医などの専門医が病変を塗って正解データを作成する必要があります。1つのデータセット、つまり数百症例のデータセットをつくるだけで、専門医の作業だけで数十時間から数百時間もかかるのです。
日本にビジネスチャンスがある「データ流通」
データ流通においては、日本、ひいては東アジアのデータがなかなか流通していない現状もあります。韓国や中国ではものすごく医療AIが進んでいますが、医療データの国際提供に規制があり提供できません。
実は日本には、欧米と同じく、こうした規制はありません。疾患には人種差が存在するので、医用画像データ利活用が遅れてしまっている日本ですが、これから医用画像データ利活用を推進すればまだまだ大きなビジネスチャンスがあるのではないかと思います。
医療AI/創薬AIインフラ構築に向けたCallistoの提案

当社は、これらの課題を解決すべく、医療AIや創薬AIの研究開発にすぐ使えるデータセットを作成し販売する事業を行っています。CT・MRI・WSIのような医用画像に、臨床情報や分子診断結果を紐づけてきれいに加工し、安全かつ使いやすい形で販売しています。現在の顧客としては、AI医療機器を開発する医療機器メーカーや医療AIを研究する大学の研究者などがあります。
せっかくデータセットがあるので、こうしたデータセットも使いつつ、創薬AI/医療AIの受託開発やコンサルも請け負っています。とくに製薬企業からは、「データだけあっても使えないのでAIも作ってくれ」と言われることが多いです。
日本でビジネス展開する理由

日本は世界一の高齢社会で、国民皆保険制度おあります。世界的にも類を見ない状況なんですよね。そういった理由で日本の人口比のMRIとCTの台数は、群を抜いて世界一です。
さらに、日本人は真面目な性格で、海外と違って患者さんを固定してていねいに撮影し、臨床情報も多く入力するため、データの質もとても高いのです。ただし、そのデータを、日本では有効に活用していません。データ保存にコストだけかけて、何にも活用していないのはもったいないでしょう。せっかく「宝の山」があるのに、個人情報リスクを心配し過ぎて、課題先進国ならではの強みをうまく活かせていないと思うんです。
そこで、医用画像データの保管と加工に圧倒的な専門性を持つ、医療施設としても信用できる人たちが事業をやればムーブメントを起こせるだろうと考え、当社を立ち上げました。
Callistoのチーム

当社では、AIエンジニアやソフトウェアエンジニアだけでなく、放射線診断専門医、放射線治療専門医、病理専門医、データセット管理者も集まって、医工連携で事業を進めています。
私は日本一の若手医療AI研究者として、第一著者の医療AI論文が1,500回以上引用されています。また、当社は放射線と病理データを利活用しますが、放射線分野では大阪大学の招へい准教授、病理分野では長崎大学の特任准教授とデジタルパソロジー研究会の理事も兼任しています。
前職もAI医療機器や創薬AIを手がける会社だったので、どんな医用画像データセットが必要なのかは知り尽くしています。他にも、AIスタートアップを10年以上経営した人や、医療ビッグデータ研究センターの先生などと一緒に事業を進めています。

ビジネスモデルはかなりシンプルで、医療施設から提供されたデータに、匿名加工・取捨選択・標準化・アノテーションを施して、AI企業・製薬企業・医療機器メーカーなどに販売する事業をしています。また、そういった企業向けにAI受託開発やコンサルも行っています。医療施設が安心してデータ提供していただけるように、弁護士から匿名加工に関する意見書ももらっていますし、生成AIを活用して患者情報(顔面含む)を安全に匿名加工するツールも無償提供しています。
爆発的に成長している医用画像データ市場

医用画像データ市場は、年間3~4割の成長を見せています。医療AIと創薬AIはとくにデータが重要な分野です。モダリティ(画像の種類)だけでも、CT・MRI・内視鏡・超音波・病理など、20種類近くあります。疾患の種類も、がんを含め無数にあります。さらに医療機器メーカー・人種・年齢・性別などによる違いもあり、望みのデータを入手するのは難易度が高いです。
このような状況なので、1社単位で医用画像データの収集や加工を行うには限界があります。そこで、当社は医療AI/創薬AIに特化した「オールインワン・プラットフォーム」として、必要なデータ収集~加工~流通をすべて行い、AI研究開発にすぐ使えるデータセットを作成し販売しています。対象データとしても、放射線画像だけでなく、病理画像・臨床情報・分子診断結果までカバーします。また、当社にはAI専門家が集まっているので、データセットを提供するだけではなく、可能ならそれも活かしつつ、受託開発やコンサルティングも行っています。
とくに医療データの場合、改ざんや流出が生じた場合大きな問題になりますが、東京大学との安全なブロックチェーン技術に関する共同研究が無事完了しているので(ジャーナル論文が採択済み)、来年にはプラットフォームにブロックチェーンも導入しようとしています。
医用画像データセットの作成プロセス

ここまで医用画像データセットをつくることが大変だと述べてきましたが、具体的にどう大変なのかを、データ収集・取捨選択・アノテーション・標準化のそれぞれの観点から説明します。
データ収集に関しては、まず医療施設と関係構築するところから始まります。日本では収益性だけでドライにデータ提供しない場合が多く、ここだけで1〜2年かかることが多いです。その後、院内で倫理審査を行い、点在するデータを抽出して統合し、匿名加工も行います。ここでは本人が特定できないように、臨床情報に含まれる患者の氏名や患者IDなどを消すだけではなく、頭部MRIやCT上の顔面も消す必要があります。
その後もさまざまな加工が必要で、まずは取捨選択を行う必要があります。同じ疾患にも細かい種類やステージなど、さまざまなパターンがあるので、望みのものだけを選ぶ必要があります。とくに合併症が含まれると、AIが「肺がんなのか、肺炎なのか」などが区別できず混乱してしまうので、基本的には除外しなければなりません。さらにさまざまな撮影条件で撮影したデータの中から、使えそうなデータだけを残す必要があります。こういう取捨選択はなかなか大変です。
また、画像の中の病変を塗りつぶすアノテーションという作業を専門医が行う必要があります。専門医の間でも見解が分かれるケースが多いため、必ずダブルチェックも行わなければなりません。画像だけでなく、読影レポートもダブルチェックが必要ですね。
さらに、画像や臨床情報や読影レポートなどはすべて、使いやすいようにするために標準化を行います。時系列データ、CT/MRIのペアデータなどの場合は、位置合わせも必要です。これらの加工は、細かいプロセスに分ければ、数十から数百ステップはありますので、正直「やってられない」と思えるくらい大変です。だからこそ、データセットを巡って競い争う「競争」ではなく、ともにつくる「共創」をすべきだと考えました。
データセットの具体例
当社では、匿名加工~取捨選択~標準化〜アノテーションを施したデータセットを分かりやすくイメージしてもらうために、「Callisto DataHub」という販売サイトを運営しています。提供できるデータセット(の一部)が載っていて、問い合わせもできるカタログのようなサイトですね。

モダリティや身体部位、医療機器メーカー、診断名、アノテーション、スライス厚などの条件を指定すると、該当するデータセットのリストが表示されます。
「Details」をクリックすると、特定のデータセットの詳細も確認できます。そのためには会員登録が必要ですが、30秒で済みます。

この5個以上の結節/腫瘤を含む肺CTデータセットの場合、該当データセットのアノテーションあり/なしの画像例だけでなく、身体部位やモダリティ、造影有無、シーケンス、診断名、スライス厚、場所、医療機器メーカー、症例数、シリーズ数、アノテーション種類、臨床情報、アノテーション、データセット作成方針を含むさまざまな詳細情報が確認できます。
「Representative Case」をクリックすると代表症例の情報も確認できます。

たとえば、75歳の女性の非造影CT画像で、2ミリのスライス厚で撮影されており、診断名には「右下葉肺癌、多発肺内転移、骨転移の疑い」などが書かれていて、読影レポートも付いています。

同じく結節/腫瘤の肺CTデータセットですが、AIが見逃しやすいため、AI開発に重要な「境界不明瞭の病変」だけを集めたデータセットもあります。「胸水・胸膜・無気肺・血管影・気管支・リンパ節転移などと結節/腫瘤が重なっている症例」または「すりガラス状の結節を含む症例」が含まれています。

たとえば、この気管支と重なっている小さな結節なんかがそうです。小さい丸のようなところが、肺がんになりうる肺結節ですが、見てもわからないですよね。こうした場合、AIの予測精度が大幅に落ちます。「Callisto DataHub」には、肺がんだけではなくて、脳腫瘍や乳がんなど、さまざまなデータセットが載っていますし、ここにないデータセットでも問い合わせていただければ、だいたい提供できると思います。

頭部のCTやMRIのデータセットも検索できます。これは脳腫瘍のデータセットですが、MRIだと、T1w・造影T1w・T2w・MRA・FLAIR・DWI・ADCといったさまざまなシーケンス(MRIの撮影条件)のデータを一緒に提供できます。お医者さんは、見た目の違うさまざまなシーケンスの画像を同時に見ながら普段診断をしているのです。

代表症例の情報を確認すれば、たとえば、91歳の男性の3DのMRIのデータがあり、その人にはこんな診断名と読影レポートが付いていることがわかります。
このように当社のデータセットについてイメージを持っていただいたうえで、お問い合わせできます。問い合わせていただければ、サンプルデータも提供します。もちろん、掲載されたデータセットのうち一部だけほしいのであればカスタマイズもできますし、ここに載っていないものでも医療施設に確認してデータがあれば、新しくデータセットを作ったり、アノテーションはせず生データを提供したりすることもできます。
日本の医療AIや創薬AI分野は世界に5年、10年遅れている状況ですが、こうした医用画像データセットを活用することで、日本からも、とくにスタートアップを中心に新しい医療AIや創薬AI製品をつくるような会社さんがどんどん出てくると思います。我々は、医療AIインフラ企業として、そういったデータ革新を起こそうとしています。
医療データを安全に匿名加工するツール

当社で作った匿名加工ツール「Triton」を使えば、医用画像と臨床情報の安全な匿名加工を一気に実施できます。フォルダーを指定するだけで、匿名加工が可能です。DICOMタグなどにある患者の氏名、患者IDなどは、ソフトウェアが自動削除してくれます。
頭部MRIやCTに含まれる顔面についても、生成AIを使ってAI学習/評価に与える影響を最小限に抑えつつ、別人の顔に差し替えて安全に匿名加工できます。この手法については、RSNA2024(北米放射線学会)に演題が採択されたので、今年12月にシカゴで発表します。
開発の失敗談

せっかく開発者の方々が集まった場ですので、開発の失敗談についても語りたいと思います。大きな失敗として、この3つがありました。
要件定義
1つ目は要件定義です。チームメンバー間で、医療データや医療AIの専門性にばらつきが大きいんです。医療データを5年、10年もずっと扱っている人もいれば、他の分野から転職してきたエンジニアもいるので、背景がさまざまなんです。
そうして議論が不十分なままでプロジェクトが進んでしまったため、わかっている人からみると20点、30点ぐらいのクオリティで完成してしまい、後から大幅な修正を延々と繰り返した経験は残念ながらものすごく多いです。とくに初期のころは7~8割ぐらいのプロジェクトで、想定より2~3倍も時間がかかってしまいました。
医療データ、とくに医用画像データは特殊なので、他の業界から来た方は半年から1年くらいは慣れるのに時間がかかります。それを楽観視してしまったため、大変な経験をしてしまいました。対策としては、各プロジェクトごとに必ず専門性が高い人を入れたうえで、プロジェクトマネージメントも徹底させました。要件定義をきちんとしつつ、途中の段階でも違和感があればフィードバックして直していくようにしました。
軌道修正
エンジニアには、比較的おとなしい人が多いかと思います。困っても、自分が声を上げるのは迷惑なのではと思って、フィードバックを求めず一人でそのまま進めてしまいがちです。とくにジュニアのエンジニアはそうですね。そのため、問題が深刻化して、軌道修正どころではなくてやり直し、ということもありました。
対策としては、昼会を設けました。そこでは前回の昼会からできたこと、できなかったこと、次にやること、困っていることなどを共有するようにしました。特定プロジェクトに関わっていない人でも、みんなで集まって気軽に相談できる場を儲けましたね。
プログラミング言語
初期のころは早さを重視していたので、それぞれのメンバーが得意なプログラミング言語で開発を進めました。ただし、メンバー間で得意な言語のばらつきが大きかったので、コードレビューするにも改修するにも困難が生じ、人材を採用する際にもどの言語スキルを持ったエンジニアを採用すればよいのか難しくなってしまいました。そこで、できる限りJavaScript・MySQL・Pythonに言語を統一することにしました。
これから進めたいこと

現在進行中の開発プロジェクトは複数ありますが、たとえば放射線科医のアノテーション作業の量を大幅に減らすために、生成AIを用いたアノテーションツールの開発も進めています。それが落ち着いたら、ブロックチェーン周りの開発も進める予定です。研究は終わっていて論文も採択済みなのですが、高速化したりさまざまなデータに対応させて、現実的に使えるものにしていきたいですね。
また、希少疾患や境界不明瞭な病変といった入手困難な医用画像データについては、生成AIを用いてデータ拡張できないか検討しています。そういった研究は、私の博論テーマでもありますし、私が世界で最も行ってきたので。
取材後記:後手を踏む日本の医療AI。逆転の布石とは
個人情報の漏洩を恐れるあまり、そもそものデータの共有にうしろ向きになる。なんとも日本らしさを感じるエピソードではありますが、医療AI関係で日本が後手を踏んできた要因をずばりと指摘されたように思います。
医療AI先進国からやってきた風雲児のアドバイスに耳を傾け、日本が抱える課題を一つひとつクリアできる状況になってほしいですね。
(取材/文:奥野大児)
