芥川賞受賞『東京都同情塔』九段理江

「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」
旧約聖書「創世記」第11章 バベルの塔 6-7節(新共同訳)

創世という途方もない物語の11番目の挿話は、「建築」と「言葉」がテーマになっている。

バベルの塔では、人々が同じ言葉を話し、団結することで巨塔を建築し、天界へと近づこうと試みた。しかし、それも神の怒りに触れて、「言葉を混乱させ」られたことにより人々は散り散りとなって頓挫した。

『東京都同情塔』。第170回芥川賞受賞作であり、史上初ともいわれる生成AIを活用した純文学作品だ。タイトルの通り、本作を通底するのも「建築」と「言葉」。物語冒頭に記述されているように「バベルの塔の再現」が行われた並行世界の東京を舞台にする。

小説というテキストのみを使うことで世界を創造する営みにおいて、生成AIはどのように活用されたのか。また、今後の創作活動において、生成AIはどのような位置付けとなるのだろうか。著者である九段理江さんに聞いた。

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九段理江さん(QUDAN RIE)

芥川賞受賞『東京都同情塔』九段理江

1990年、埼玉県生まれ。2021年、「悪い音楽」で第126回文學界新人賞を受賞しデビュー。同年発表の「Schoolgirl」が第166回芥川龍之介賞、第35回三島由紀夫賞候補に。2023年3月、同作で第73回芸術選奨新人賞を受賞。11月、「しをかくうま」で第45回野間文芸新人賞を受賞。2024年1月、「東京都同情塔」が第170回芥川龍之介賞を受賞。

「アンビルト」が実現した並行世界の東京が舞台

芥川賞受賞『東京都同情塔』九段理江

「アンビルト」。建築用語で、なんらかの理由でいまだ建てられていない、あるいは建てられることがなく、設計思想や構想のみが存在する建築物を指す。九段さんの芥川賞受賞作『東京都同情塔』の中で大きなテーマとなっているのが、建築でありアンビルトだ。

本作は現実世界ではアンビルトであった、故ザハ・ハディド氏による新国立競技場の設計プランが採用された世界線。東京に佇む新国立競技場が現実と異なるように、生きる人にも若干の違いがある。たとえば生成AIがより日常に溶け込み、AIネイティブな若者もいる。そして、寛容論がより浸透し、犯罪者を「ホモ・ミゼラビリス(同情されるべき人々)」として定義する考え方が支持を集めている世界だ。本作では彼らを尊重し、保護するための施設として都心に建設される収容施設「シンパシータワートーキョー」の建設プロジェクトをめぐり、物語が進んでいく。

「もともとこの小説の最初のキーワードだったのが『アンビルト』という考え方で、これが小説の構造と似ているな、と。小説っていうのも実際にはフィクションで、現実には起こっていないけれども、読んだ人の頭の中にはちゃんと世界観が構築され存在している。そのような点で、すごく親和性が高いテーマなんじゃないかなと思って、今回のテーマを建築にしたんです」(九段さん)

すべての人間を包摂する巨大なタワーとして描かれる東京都同情塔。その姿はある意味で、生成AIを彷彿(ほうふつ)とさせる。膨大なデータを学習し、高度な自然言語処理を可能とするAI自体も、プログラミング言語によって構築された巨大な「アーキテクチャ」にほかならないからだ。そして、生成AIはプログラムの検閲により人種を差別することもなければ、人を傷つけるような言葉を出力することもない。よくも悪くも、出力される言葉は学習した教師データを標準化したものだ。

このような言語の標準化は、現実のコミュニケーションでも見られるように感じる。あえてその言葉を選ぶことによってニュアンスの理解のみに止め、あえて具体化を避けるような表現が多用されている傾向にあるのではないか。九段さんに尋ねると、「そのような言葉の違和感を覚えている人こそ、ぜひこの本を手にとってほしい」という。

「たとえば作中に『コンセンサス』という言葉を使っていますが、『それってわざわざ“コンセンサス”って言わなきゃいけないんだっけ? “同意”と“コンセンサス”って、どう違うんだっけ?』と考えたりもしました。

そういった違和感を覚えながらも『わざわざ口に出して言うまでもないよな』という人に、今回届いたらいいなと思ってるんです。 自分では口に出してわざわざ言語化するほどのことではないと思っていたけど、でも言ってくれてよかったって思う人がいたら、すごくうれしいです」(九段さん)

AIから出力される言葉に覚えた違和感

芥川賞受賞『東京都同情塔』九段理江

「全体の5%は生成AIを利用して書いた」

記者会見時の九段さんの発言は、世間に驚きをもって迎えられた。その反響は一人歩きしているが、九段さん自身も「読んでみればどこで使われているかわかる」という。

「実際のところ、コピー&ペーストはほとんどしていないです。でも、作中にはChatGPTらしき生成AI『AI Built』が出てきて、そこはリアルに描写したかった。小説の流れ、文章の流れがまず小説にとっては一番大事なので、それを損なわないように自分でChatGPTの文体を模倣しながら適宜改変していきましたね」

ただ、このような言説は生成AI自体の普及がまだ途上にあるのもたぶんにあるのではないだろうか。本書はむしろ、日ごろの仕事やプログラミングで生成AIを活用するエンジニアこそ、その活用の巧みさや作中の人間とAIの関係性を感覚的に理解しやすいのではと筆者は考えている。では、九段さんはどのようなきっかけから、小説の題材に生成AIを使おうと思ったのだろうか。

「流行り物や現代に生きている人たちが抱えている問題を小説の中に取り込むというのは、小説をつくる上での一つのテクニックです。同時に、今純文学に必要とされてるものは、そういった新しさみたいなところがあるので、基本的には流行っているものや、多くの人が抱える問題などを常に意識している必要があります。その一環として、ChatGPTを使い始めたのが、小説に利用しようと考えた最初のきっかけでした。質問を投げかけて、向こうからの回答を得て、そこからすごく小説が立ち上がってる感覚はありましたね。

本作を刑務所をめぐる物語にするアイデア自体は私のオリジナルですが、それをまったく新しく、現代的な刑務所の話にしたいと思ったときに、ChatGPTに相談してつくっていきました。

たとえば、最初に『新しいコンセプトの刑務所をつくりたいです。どのような、名称が考えられるでしょうか?』と質問をしたところ、『ポジティブリカバリーセンター』や『セカンドチャンスセンター』といった名称がいくつも返ってくるわけですよね。とにかく本当に刑務所の原型がないカタカナが回答として返ってくる。それに対して思う違和感とかが、この小説全体を貫いている一つのテーマにもなっています」(九段さん)

現在、開発の現場ではコードを書く際のGitHub Copilotの利用は浸透しつつあり、Azure OpenAI Serviceの登場により、企業での生成AI活用のハードルも低くなりつつある。また、ビジネスに限らないでいえば、ChatGPTなどの言語生成AIを相談相手にしたり、思考の整理に活用したりするのは一般的になってきている。

「人間が相手の場合だと、相談の時間を確保するのが難しいこともありますよね。 だから、時短のために使うというのは、活用方法としてあると思います。たとえば編集者との打ち合わせの前に、まず事前の打ち合わせをChatGPTとしておく。そこで整理されたものを、さらに編集者と会ったときに検討できると、より深い議論にもなるし、時間の節約にもなりますよね。その利便性は高いと思いました」

一方で、多くのエンジニアが実感しているのは、「人間の力なしにAIの有益な活用はできない」ということだろう。当然ながら、生成AIは正確な指示を出さなければ適切な出力は返ってこず、また出力されたコードや情報の善し悪しを見定めるには、人間の審美眼が求められるためだ。

「AIは誰も傷つけない言葉で模範的かつ優等生的な回答をしてくれます。ほとんどの人が納得でき、正解のような回答をくれるから満足できるし安心すると思うんです。しかし、『AIが言うから正解だ』とか、『データが言ってることなんだから間違いないだろう』と そのまま鵜呑みにしてしまうのも、私はあんまりいいことじゃないなっていうふうに感じました。

本作では主人公の一人であり、東京都同情塔の設計者である牧名沙羅が、少しずつAIが出力するような言葉に思考が侵されていく描写があります。 そういった牧名の口から出てくる東京都同情塔のイメージが、もう一人の主人公である東上拓人の目からみると、創造ではなく破壊に見えてしまう。ポジティブな面とネガティブな面が、両面あるんだなと思いましたね」(九段さん)

デウス・エクス・マキナ(deus ex māchinā)、本作の主人公牧名の由来となっているラテン語だ。生成AIにより思考が侵され、社会を混乱せしめる建築物の設計者の名が「機械仕掛けの神」を意味するのは興味深い。バベルの塔が再現された世界において、「言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬように」させるものは何か。

多くの人が、純文学という迷宮のような世界、あるいは沼に入ってくれたら

芥川賞受賞『東京都同情塔』九段理江

本作の「混乱」は、作中の世界だけに留まらなかった。前述のように、「小説における生成AIの活用」という部分のみが切り抜かれ、言説は一人歩きしている。著者としては、このような現状をどのように捉えているのだろうか。

「そうですね。私としては、これをきっかけに小説を読んでくださる方が一人でも増えたら、すごいうれしいなとは思っています。今回、生成AIに過剰に反応している方はおそらく、芥川賞と直木賞の違いもわからない人だと思うんですよ。たぶん皆さんドキッとされると思うんですが、 よほど文学が好きな人以外は説明しろと言われてもできないものなので(笑)。そもそも多くの方が『純文学ってなんですか?』と思われているんじゃないでしょうか。でも、これをきっかけに、純文学という迷宮のような世界、あるいは沼に入り込んでくれたらうれしいですね」(九段さん)

AIと創作に関しては、現在も非常に多くの議論が交わされている。今回の芥川賞受賞作を紹介する『文藝春秋』三月特別号には、小説家の小川哲氏の論説『小説家 vs AI』も同時掲載されていた。本稿ではChat GPT3.5によって出力された「小説家の立場から書くAI論」がそのまま引用され、その文章に対して小川氏は「このままでは他人に読ませる価値のある文章だとは思えない」と指摘する。しかし、現状の急速な技術発展のスピードを踏まえながら、「小説家の価値がなくなる時代が来る可能性を排除できない」と言及している。

純文学として初めて生成AIを活用した九段さんは、今後の創作にも活用していく予定はあるのだろうか。

「今後生成AIを活用していくというのは、現在は考えていません。小説の中に生成AIを登場させる必要があれば、また取材として使うことはあるかもしれないけれど、具体的にはまだ考えていません。もう少し革新的な技術の発達があり、洗練された答えが返ってくるようになれば、使えることもあると思います。ただ、今のChatGPTの無料版(GPT3.5)だと、小説の創作についてはこれ以上、助けにならないと思いますね」

実際、作中で生成AIが書いてくる言葉に対して、主人公の牧名が皮肉を効かせた言葉を投げかけている場面が散見される。

「牧名の性格だったり生き方をしている人が生成AIを使う場面を考えたら、自然と出てきた言葉でした。牧名は自分の使う言葉に対しても、他人が使う言葉に対しても、とても意識的に監視している人物。言葉とずっと向き合い続けてきて、言葉に苦しめられてきた人が、もし生成AIから返ってくる回答の文章を読んだら、きっとこういうふうに感じるだろうなってことを想像していましたね」

言葉、そして創作に向き合い続ける人にとって、生成AIの存在感や影響には今後も向き合い続けなければならない。その存在はクリエイティビティを高めるものか、あるいは仕事を奪うものになるのかは、未知数であるだろう。一方で、この原稿を執筆している時点でも、OpenAIは新たな映像生成AI「Sora」を発表した。言語、音声、画像および映像と、生成AIは研究者の予想すら超えた発達を見せている。

創作におけるAI活用はまだ始まったばかり。純文学というジャンルでそれを切り拓いたのが九段さんであり、『東京都同情塔』は文学史に残る作品となるだろう。最後に、創作とAI活用のあり方について、現状の考えを九段さんに聞いた。

「創作の分野によりけりだと思いますが、クリエイティブ活動でいえば、さっきも話した通り、編集者と打ち合わせをする前段階として、一つ自分の思考を整理するサポートをしてもらう役割がありますね。そのような活用であれば時間短縮にもなるし、議論の深まり方も全然変わってくると思うので、そういう使い方をしていけば、よりクリエイティビティも保証されていくと思います。

ただ、クリエイティブそのものをAIに全部委ねることはまだできない段階だと思います。『東京都同情塔』でも、生成AIは小道具程度に活用したのに留まり、本質的な創作は人間である私自身によって生まれています。私としては今後何十年経ってもそうなんじゃないかと思います。サポートにはなるけども、クリエイティブそのものを代替することはできないような気がしますね」

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書籍紹介

東京都同情塔 九段理江/著

あらすじ:ザハの国立競技場が完成し、寛容論が浸透したもう一つの日本で、新しい刑務所「シンパシータワートーキョー」が建てられることに。犯罪者に寛容になれない建築家・牧名は、仕事と信条の乖離に苦悩しながら、パワフルに未来を追求する。ゆるふわな言葉と実のない正義の関係を豊かなフロウで暴く、生成AI時代の預言の書。

(取材/文:川島大雅、撮影:渡会春加

― presented by paiza

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