2023年、AIの進展によって、もっとも衝撃を受けたのは、写真や絵画などの「画像」を扱う分野にいる人たちではないでしょうか。ある国際的な写真コンテストではAIによって生成された写真がグランプリを受賞し、SNSでは自身の作風そっくりのAI画像が出回ることを嘆くイラストレーターたちの投稿が後を絶ちません。

筆者自身、イラストレーターとしての活動もしており、AIについては今後の動向が気になるところではあります。しかし、商業的なイラストレーターは「今後もっと進展したAIは脅威だが、現時点では人間に優位性がある」とする見解を持つ人が少なくないし、筆者も同様に考えています。

それでは、現代アートの作家として活動する人たちは、AIについてどう考えているのでしょうか。「子どもへの絵画指導」「美術史」を主題に制作する現代アーティストの三杉レンジ先生の絵画教室『ルカノーズ』では、絵画指導にAIを取り入れているといいます。

そこで、ルカノーズでのAI活用法とレンジ先生自身のAIに対する考えを伺いました。

イラストレーターとアーティストの違い

最初に、非常にわかりにくいといわれる「イラストレーター」と「アーティスト」の違いについて、簡単に定義しておきたいと思います。

  • イラストレーター・・・何かの目的(挿絵・ポスター・映像など)のために「依頼されてから、目的に沿った作品を制作する人」のこと。「商業イラストレーター」と呼ぶこともあります。
  • アーティスト・・・「何にも囚われず自由に作品を制作する人。特に現代アーティストというと、今までにない新しい発想で作品を制作している人」のこと。「画家」「美術家」とも呼ばれます。

「イラストレーター」と「アーティスト」の違いは「目的」であり、「作風」は関係ない、とされています。

三杉レンジ先生

1969年山形県生まれ。画家。多摩美術大学絵画科油画専攻卒業 Bゼミスクール修了。グラフィックデザイナー、広告代理店勤務などを経て中学高校の美術教師として15年間勤務。

自らが生業としている「美術教育者」という視点からコンセプチュアルな絵画作品を発表。美術史を軸とした世界標準の美術教育の場を目指して2009年絵画教室ルカノーズ設立。個展・グループ展多数。ユニークな美術教育を提示していく美術集団AO NOSE代表。

「水曜日のダウンタウン」(TBS)、「呼び出し先生 タナカ」(フジ)「うちのガヤがすみません! / 芸人アートオークション」出演(日テレ)などメディア出演・雑誌掲載多数。

三杉レンジ公式サイト https://www.renjijuda.com/
絵画教室ルカノーズ(目黒校・池袋校・立川校) https://lukanose.com/
AO NOSE  https://info40841.wixsite.com/aonose

AIの登場は「写真以来の大事件」

高校時代、油彩の絵画教室に通っていた筆者にとって、ルカノーズのドアを開けた瞬間に感じたのは「ああ、懐かしい」でした。油のにおいと不思議な制作物がところ狭しと並ぶ廊下。初めて来た場所なのに、たちまち「ホッとする空気」に包まれます。

お邪魔したのは絵画教室ルカノーズ目黒校。ルカノーズはほかに、池袋と立川にも教室があります。

出迎えてくれたのは、主宰の三杉レンジ先生と元副主宰の金古真紀先生(と、モモンガのリジちゃん)。

ここで真紀先生についても軽く紹介。絵本作家でもある真紀先生は、絵本の仕事が多忙となり、現在は副主宰を離れていますが、講師として月に数日ルカノーズで教えています。美術検定1級をもつアートナビゲーターでもあります。

ひと通り教室内を案内してもらったあと、レンジ先生に質問開始。

まず単刀直入に「AIは敵か味方か、どちらだと感じますか? おもしろい、それとも恐怖だと感じますか?」とたずねてみました。すると意外な答えが返ってきました。

レンジ先生曰く「アーティストにとって、AIの登場は『写真の登場以来の黒船』」なのだそう。「黒船」とはつまり、敵か味方かは不明だが「脅威ではある」といったところでしょうか。

「写真の登場によって絵画の役割(仕事)は大きく削り取られました。 これからのAIの発達 によってまた一気に絵画の役割、特にイラストレーターの仕事の幅は狭くなっていく…そうした『明らかな変化』は感じます」とレンジ先生。

その上で、アーティストとしては、「時代の転換点に立ち会えていることがおもしろい」ととらえ、新たな絵画制作への一歩を踏み出したいと考えたといいます。自分がまずは使ってみて、次に教室の生徒たちにAIを体験し、使いこなしてもらうことにしました。ちょうどルカノーズでは、2023年9月に渋谷ヒカリエで大規模なグループ展を予定しており、講師陣の話し合いの結果、制作にAIを活用することに決定。

初心者からセミプロまで200名を超える生徒たちの間で、AIについて活発なコミュニケーションが生まれていきました。各自のやり方で思考し、掘り下げていきます。すぐに「答え」は出なくていいし、「嫌いだから使わない」という選択肢があってもいいのだそう。

生徒に教える「対話」から着想を得るのがレンジ先生の作品作りの基本でもあります。そのため、生徒たちとのディスカッションはとても大切にしているといいます。

「現状のAIがやっていることは、過去に描かれた作品の『サンプリング』です。しかし、同様のことは画家自身もおこなっています。世界のトップに位置する巨匠でも、半分パクリではないかと言われるようなことをしているんですよね」

たとえば、ゴッホの作品をマティスが、セザンヌの作品をピカソが取り入れていたり、現代では他人の作品から盗用することをコンセプトとした「シミュレーショニズム」という流れがあったりするのだそう。

しかし、サンプリングの「速度」もおそらく「精度」も、人間はAIにかなわないだろう、とレンジ先生。では、AIに全面降伏したあとにどうすべきか。それを探るためには、過去の「黒船」にどう対峙したかを知ることがヒントになるかもしれません。

絵画の歴史~独自のアイデンティティを求めて

そこで、レンジ先生に、アートとAIの関係を、歴史的観点からひも解いてもらうことにしました。「美術史について語る」のは、レンジ先生の真骨頂。古代ギリシャの彫刻の時代から現代アートまでの7万年もの長い歴史を、なんと2時間半にまとめて話すこともあるといいます。

レンジ先生の美術史講義、おもしろすぎて時がたつのを忘れそうになります、いや完全に忘れていました。

「AIの登場は『写真の登場以来の黒船』…つまり、写真が登場したときにも、現在のような騒動が起きたんです」

たしかに「写真」の登場は衝撃だったでしょう。写真のなかった頃には、記録を残すには「絵に描く」以外に方法がなかったからです。そこに写真が登場すれば、一気にそちらに流れるのは容易に想像できます。

「その衝撃たるや、有名画家たちが当時の政府に『写真は画家を脅かすもの! 即刻廃止せよ!』と署名を出したほどです。1840年の写真の登場で、もともと絵画が持っていた記録、装飾、宣伝、伝達など、幅広い役割の半分を写真に持って行かれました。そして1890年代に登場した映画に、アミューズメント的要素など、また何割か持って行かれた感じです。…映画産業はその後どんどん巨大化していきましたし」

写真に取って代わられた絵画の役割は主に「写実」の分野で、肖像画家から写真家に転向した人は非常に多かったそうです。現代でいえば印刷会社がWeb制作に乗り出すようなものかもしれません。歴史は繰り返します。テクノロジーの進化の波に翻弄されて、生計を立てるために未知の領域に進む人々は、時代を問わず存在します

けれど、写真の登場が絵画の世界にマイナスだけをもたらしたかといえば、そのようなことはない、とレンジ先生。

「写真にはできない、絵画だけにできることを追求した結果、『印象派』『象徴主義』が生まれました」

ダヴィンチ以降、絵画は「写実的に」「立体的に」描くのが「正解」だとされてきました。その絵画に写真とは異なる独理性を持たせるためには、むしろ「写実」「立体的」を捨てる必要があったのだそう。

「印象派」はタッチが表面に現れ、絵具という「素材」に目が行くようになり、「象徴主義」は現実ではありえない、つまり写真撮影できない幻想的な世界を描くようになりました。

ポスト印象派のゴッホが浮世絵を収集し、模写するなど、浮世絵に強い影響を受けたのは有名な話ですが、ゴッホは浮世絵の「平面性」と「輪郭線」を取り入れたのだといいます。だから「浮世絵ブーム」が起きたのか、とものすごく腑に落ちました。

こうした「絵画のアイデンティティは平面である」とする流れは、やがてピカソのキュビスムにたどり着きます。

コンセプチュアル・アートとAI

1920年代にはアーティストたちが映画界へ進出。サルバトール・ダリがシュルレアリスムの映画、マン・レイやマルセル・デュシャンがダダイズムの映画を製作しました。特にシュルレアリスムは写真の世界にも強い影響を与え、ダリやキリコの絵画のような写真が多く残されています。

話を絵画に戻すと、キュビズムからさらに進み、ついに抽象絵画に行き着きます。第二次世界大戦後には、アートの中心はヨーロッパからニューヨークに移り、アメリカの抽象表現主義が世界を席巻しました。代表的な画家はジャクソン・ポロックです。

ポロックといえば「俺がやろうとしたことは、全部先にあいつがやっている! ちくしょう!」とブチ切れたと美術展の解説で読んだことがあります。「あいつ」とは20世紀最大の巨匠・ピカソです。でもちゃんと自分の作風を見つけ、時代の寵児となったのですね、おめでとう、ポロック。

しかし、絵具を垂らすポロック、にじませるロスコ、ストライプのルイス、色面と直線のニューマンなど、いうなれば絵具の表情・1作家1案といった抽象表現主義は、すぐにネタが尽きてしまったのだそう。

「そこでネオダダと呼ばれる流れへと移行し、ビッグバンが起こります。コンセプチュアル・アートの登場です。

ネオダダの代表作家であるロバート・ラウシェンバーグは1953年、抽象表現主義の大スターであるウィレム・デ・クーニングに鉛筆画を描いてもらい、あえてそれを消しゴムで消した『消去されたクーニングの線画』という作品を発表。このあたりから実質的なコンセプチュアル・アートが始まったといってよいでしょう」

コンセプチュアル・アートは、アーティストがイチから作品を作らなくても、「コンセプト」、つまりアーティストの「概念」「発想」が「アート」になるというもの。なので写真でも、映像でも、言葉でもパフォーマンスでもコンセプトがおもしろければ何でもOK、何でもアート。

今まで写真や映画など、さまざまなメディアに脅かされていたアートはこのビッグバンで、まったくの自由を獲得しました。

「ネオダダのジャスパー・ジョーンズなどの活躍により、元祖ダダイズム作家のマルセル・デュシャンが1917年に発表した『泉』が1950年代に再注目されます。これにより、デュシャンがコンセプチュアル・アートの創始者とされています」

デュシャンの「泉」といえば、三角形の「便器」の鎮座する写真を見たことがある人も多いでしょう。いまだ物議をかもすあの作品は、20世紀美術にピカソと並ぶ影響を与えたといっても過言ではない、かもしれません。

何でもありのコンセプチュアル・アートが登場して、アートの表現領域は広がりました。その代わりに、それまでアートの王道だった絵画は主流から外れ、「絵画以外の表現」がアート業界の主流となっていったのだそうです(これは「絵画の劣勢」と呼ばれ、現在も進行中)。

コンセプチュアル・アートの分野については、AIの影響は受けないのではないか、と考えています」とレンジ先生。

「AIに新しいコンセプトは生み出せないし、コンセプトは、人間の頭の中に生まれたからこそ『意味』も『価値』もあると考えられるからです」

たしかに「意志」も「発想」もないAIから、新しいコンセプトは生まれません。だからAIに「コンセプチュアル・アート」は生み出せないでしょう。そして何より「人が考えること」だからこそ「価値」がある。これには納得です。

レンジ先生曰く、現代アートのほとんどがコンセプチュアル・アートといっていい状況なのだといいます。それならば、「アートの分野で人間はAIに勝てる」と考えてよいのでしょうか?

「予定不調和」のもつ「不完全さ」が現状AIの魅力

では、AIで「絵画作品」をつくりだすことについては、レンジ先生はどう考えているのでしょうか。

レンジ先生は、「AIは未成熟である『今』のほうがヤバいです」といいます。「AIがもっと成熟してしまったら、おもしろい作品は生まれないかもしれません」

実際にAIが生成した画像を使って解説してくださいました。使用しているのはLINEが提供している「お絵描きばりぐっどくん」や、WOMBO DreamAI Art Generatorなど。好きな呪文(言葉)を唱えると、呪文のイメージの絵画を生成してくれるお手軽ツールです。

レンジ先生が「ペガサス」「ドラクロア」「馬」「ルネッサンス」と入力すると、このような絵画ができあがりました。

「これ、ヤバいんですよ。テクニック的にはすばらしいものがあって、このペガサスの羽の感じとかを、ここまでクオリティ高く描くにはかなりの技術を要します。それでいて、なぜか足がおかしなところから出ていたりする。これは、人間が思いつくデフォルメを超えた事故、もしくは偶然の産物です。こうやって生成された画像のもつ不完全さ、『予定調和ではない』おもしろみは、現状のAIのもつ強みですね」

なるほど、商業イラストレーターがAIの「不完全さ」ゆえに、人に優位性があると考えるのとは逆に、その不完全さがAIの魅力たりうるのがアートの世界だということ。これは興味深い話です。

筆者も、ルカノーズの生徒になり切って、ばりぐっどくんに描いてもらいました。

左は「ひよこ」「印象派」「ダリ」。右は「ひよこ」「レディ・メイド」「マン・レイ」。

レンジ先生と真紀先生にお見せすると、お2人に「いい感じ」「それっぽい」とお褒めの言葉をいただきました。う、うれしい!!…って、描いたのはばりぐっどくんであり、筆者ではないのですが…。

左はまだ想定内ですが、右は「ふつう『ひよこ』からこのイメージはなかなか人間には発想できないですね」と真紀先生。うーん、悔しいが、たしかにスゴイ、AI。

とはいえ、ルカノーズでは、これが完成形ではないのだそう。おえかきばりぐっどくんの作品は制作の「下敷き」でしかないからです。ここから「何を生み出すのか」が重要だといえるのかもしれません。

真紀先生によると「個人的には、空気を読まずに要素を合成してくる生成AIは、シュルレアリスム(左の『ダリ』はシュルレアリスムの代表的画家)ととくに相性がよいと思っています」とのこと。

教室の授業では、このような会話の中から、シュルレアリスムをよく知らない生徒さんに画集をみせて、デペイズマン(シュルレアリスムの技法)のレクチャーをしたりしているのだそう。

AIが制作に生きている絵画教室。少なくともAIは「何かを生み出そうとする」アーティストに、よい刺激を与えているように見えます。あくまでも人が優位に立ち、AIをうまく使いこなせば、想定外のおもしろい作品が生まれる可能性は高いといえるのではないでしょうか。

ルカノーズの制作の場は、まるでおもちゃ箱! 

通常の絵画教室の「一つのクラス」では、ある特定のジャンルしか学べないことが多いです。しかし、ルカノーズは古代から続く美術史を軸とした絵画教室なので、どの時代・ジャンルの絵画でも学べることが特徴。

たとえば、巨大な石膏像を前に、ルネッサンス風のモナ・リザのような絵画を描く人がいる隣で、カンディンスキーさながらの抽象画を描く人がいてもいいのだそう。まったくの自由なのですね。

また、美術史の中で物議をかもした技法を、授業の中で試すことも多いといいます。ちょうど筆者が取材に訪れた日には、近年、世界的にも評価が急上昇している具体美術協会(以下 具体)に所属した金山明氏が1950年代に発表した「ラジコンカーを使った絵画」を現代的に展開・試作した作品が飾られていました。

「金山氏の所属していた具体は、戦後日本美術史を切り開いたというべき、自由な作風のアーティストの集まりでした。でも不運にも、抽象表現主義の焼き直しのように見られて50年もの間、日の目を見ずに来たんです。ところが、2013年にニューヨークのグッゲンハイム美術館で開催された回顧展で脚光を浴びて、再評価されるようになりました」とレンジ先生。

具体のコンセプトは「今までにないものをつくる」だったといいます。ラジコンカーで絵を描くことで、「人のコントロール下に置かずに描く」ことを目指したといわれる金山氏。

レンジ先生曰く「彼が制作した1950年代と比較して、現在のラジコンは高速で、かなりのコントロールが可能です。それによって、また違った作品づくりのおもしろさがあります」とのこと。

下の写真で、レンジ先生の背後に並ぶ作品が「ラジコン絵画」。右端の糸のような作品は、レンジ先生の作品「Air Line Series」。「子どものおもちゃを絵画材料にするシリーズ」で、子ども用の3Dペンで描く3D絵画。これが「ペンで描いた絵」とは! テクノロジー、スゴすぎる!

また、現代版のベーゴマである、ベイブレードを使った作品作りもおこなわれていました。クルクル回りながら描き出す模様が、まるで点描画のように美しい。

子どもの3Dペンも、ラジコンもベイブレードも、子どものおもちゃであると同時に立派な画材でもあります。ルカノーズ自体が、大きなおもちゃ箱のようだ、と感じました。ここではAIすら「おもちゃ」のひとつにすぎません。

「具体の人々が目指したように、アーティストは誰もが人と違うことをしようと考え、『最初の一歩』を目指します。誰が最初に始めたかで、美術史に名が残るかどうかが決まります」とレンジ先生。

「その考え方は、わたしの場合、絵本づくりの方向にも向かっています。誰もやったことのないことを絵本の上でやってみたいんです。絵本の多様性や可能性を探りたい」と真紀先生。

シュールな持ち味が魅力的な真紀先生の絵本はまさに「真紀先生にしか描けない」作品。個人的には、脈々と続く絵本の世界に風穴を開けたと感じます。

ここまで長々と語って来た「現代アートの分野でアーティストはAIに勝てるのか?」については、「アーティストの『新しい発想』を元にしたアート」に軍配を上げたい、と思います。

おもちゃで遊ぶようにアートを学び、モモンガのリジちゃんに癒され…ルカノーズ、素敵です。

おまけ:歴史を知ると、アートはもっとおもしろくなる

レンジ先生にインタビューしたことで、意外な副産物を得たと感じます。それは「アートの楽しみ方」。

展覧会に足を運んでも、「どう鑑賞するのが正しいのかがわからない」という人は少なくないでしょう。ここで僭越ながら断言したいと思います。「美術史」を学べば、アート鑑賞はがぜんおもしろくなるし、何より「理解する手がかり」がつかめます。過去に軽く西洋美術史を学んだときにもそう感じましたが、今回レンジ先生と対話をして、ますますその想いを強くしました。

筆者は職業柄、美術館にはよく足を運ぶほうで、かなりの美術好きだと自負しています。しかしながら、今まで筆者の頭の中では「印象派」も「キュビズム」も「シュルレアリスム」もそれぞれが独立した一つの「点」でしかありませんでした。それが、レンジ先生の話を伺ったあとには、「写真という『黒船』と戦った結果」という一本の道筋ができあがっていきました。それが、えも言われぬ快感なのです。

レンジ先生にそう伝えると「まさに、短い時間で美術史を伝えることには、そうした『流れを知る』効果がある」のだといいます。最初に書いた通り、レンジ先生は「7万年の美術史を2時間半で伝える」人。

「僕が現在おこなっている『短時間に美術史を教えること』を思いついたのは、『東大生の勉強法』について聞いたときです。たとえば夏休みに1冊の教材を勉強するように言われたら、普通の学生は40日間使って1冊をやり切ろうとします。しかし、東大生は2~3日でサラッとひと通り1冊終えて、同じことを2度3度と繰り返すそうなんです。まず流れをつかんでからじっくり内容に入り込むんですね」

東大生の勉強法だったとは! では、筆者が感じたことは間違ってなかったのか…と安堵。

「おっしゃるように、美術史をゆっくりじっくり教えると、一つひとつが『点』としか見られなくなります。でも最初に枝葉を取り払って骨組みだけ伝えることで、全体の『流れ』がわかるんです」

流れがわかると、今度はその画家が誰のどのような影響を受けて来たかも、作品を見るだけでわかるようになるのだそう。そうなると、美術鑑賞はさらにグッと楽しくなる、とレンジ先生。

「美術好き」としては、この楽しさを「より多くの人と分かち合いたい!」と思うのでした。

(文/取材:陽菜ひよ子、撮影:宮田雄平)

― presented by paiza

 

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