恋愛作家とSE、およそ遠いところにありそうな2つの職業を、両立している人がいます。All About 恋愛ガイドとしても活躍中の島田佳奈さんです。
島田さんは、さまざまな職種を経験ののち、フリーランスのSEとなり、さらに作家に転身。現在はサービス系企業での社内SEと作家業の「二足のわらじ」を履いています。
人生の岐路に立つたびに、多忙なSEと作家業のバランスを取りながら、うまく両立し続けている島田さんに、「自分らしく生きる」兼業のコツを伺いました。
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目次
さまざまな職業・結婚・離婚を経てSEへ
――島田さんは、広告代理店やバイヤー、キャバ嬢など、さまざまな職業を経験されていますね。どのような経緯で、SEを目指されたのでしょうか?
20代半ばで、社内の男性と結婚したんですが、3年で離婚することになり、会社も辞めることになったんです。当時は再婚する気もなかったので、ひとりで生きていくために手に職を付けようと決めて。
パソコンは好きだったので、SEかデザイナーかで迷って、情報処理の学校とAdobe系ソフト(Photoshop・illustrator)やディレクションを学ぶスクールに半年通いました。
――経済的な自立がきっかけだったんですね。二種(現・基本情報技術者試験)もこのころに合格したんですか?
はい、二種合格は、このあと就職するときに何度も効力を発揮しました。二種に合格できたことでSEを本命にしましたが、デザインスキルも後にWeb系の仕事で役立っています。
ただ、学校卒業後、すぐにSEになったわけではないんです。当時(1998年)は今とは感覚が違って、29歳の女性が新しい世界に飛び込むことは、かなりハードルの高いことでした。卒業と離婚と退職が同時に来て、ちょっとメンタル的にハードルを越えられなくて。
そこで1年間、契約社員として広告代理店で働くことにしたんです。でも入ってみてわかったのは、ここで一生働くのは無理だということ。中途採用では正社員にはなれないし、雑用ばかりで、どこまで行っても「女の子扱い」。キャリアが積める場ではないと感じて、1年きりで契約は更新しませんでした。
――今はまた違うのでしょうが、90年代はまだそういう時代でしたよね。
ですよね。でも、IT業界は違ったんです。
代理店のあと大手システム企業の下請けでSEとして働き始めました。担当していたのは、主に官公庁のシステムなどの堅い仕事です。
米国のやり方を踏襲していたIT業界は、外資じゃなくてもシリコンバレーみたいな雰囲気があったんですよね。男女差も年功序列も無かったので、デスマーチで徹夜するなど体力的に大変なことはありました。でも、スキルが評価や収入に直結するのはうれしかったです。。
自分で考えて進んだ道は、間違ってなかったと感じました。
作家になれたのはテクノロジーのお陰?
――そのころから作家になることは考えていたんですか?
小説はあくまでも趣味で、作家になるとは考えていなかったんです。
最初の結婚前の会社員時代から、小説はコッソリ書いていました。本格的に書くようになったのは、22歳の時。ワープロの「書院」を5万円ほどで購入後です。
それで格段に書くペースが上がりました。なんといっても、書き直しが楽で。紙に書いていたころは、書き直すのが嫌になって放置することが多かったのですが、ワープロのお陰で最後まで書き上げられるようになったんです。
――ワープロ効果ですね!作家になったきっかけは、メルマガだったそうですね。
33歳のとき、メルマガがブームになって。最初は読者だったんですが、筆者のプロフィールをよく見ると、みんな素人だと気づいて。「もしかして、わたしでも書けるんじゃない?」と、ブームに乗ってみたんです。
自分としては、それまで友だちにしか見せてなかったものを広く公開したら、どんな反応があるかな?ぐらいの軽い気持ちではじめたんですが。わたしのメルマガは、半年で読者が5,000人を超えたんです。
――それはすごい!最終的に読者は何人まで行ったんですか?
最終的には7,000人まで行きました。
5,000人を超えたあたりから、人気のメルマガを書いている先輩方と交流するようになって。先輩(藤沢あゆみさん)から編集者を紹介されて、本を出すことになったんです。
実際には、これは島田さんの言葉ではなく、私が感じていることなので。「処女作『人のオトコを奪る方法』(大和書房刊・2007年)はその後、文庫化されロングセラーに。刺激的なタイトルだが、サブタイトルの「自己責任恋愛論」の通り、中身は正論。
今にして思うと、わたしがこうして作家になれたのは、ワープロとメルマガ(インターネット)のお陰ですね。
40代でもブランクがあっても、SEなら戻れる
――その後会社を辞めて、フリーランスのSEになったのは、何かきっかけがあったんですか?
会社には4年勤めたんですが、3年目、32歳ごろから独立を考えていました。
外注先でフリーランスのSEと知り合って、彼らがもらっている報酬を聞いて愕然としたんですね。当時は自分のスキルがわからなかったので、フリーの人に「私でもフリーでやって行けるか」と聞いてみたら「十分やって行ける」と太鼓判を押されて。それで1年かけて、33歳で計画的に独立しました。
――フリーランスとしての最高年収はどれくらい?
月60万で年収にして720万が最高です。今はまた、相場が違うかもしれませんが・・・
社員のころは主にVBでしたが、フリーになったころにJavaが登場しました。まだ周りではほとんど誰もやっていなかったので、いち早く覚えたのが、高収入を得られた要因かと。
――すごいですね。作家になるのはもったいないとは思いませんでしたか?
出版するまでは兼業でした。でも、作家としての仕事が順調に増えて行って、結果的にSEの仕事は休業状態になったというか・・・SEを辞めるとか、この先も作家だけでやって行こうとハッキリ決めていたわけではないんです。結果的には、38歳から42歳までの5年間は、専業で作家をしていました。
――また兼業に戻った理由は?5年経ってどうでしたか?
事実婚をしていた相手と別れたことがきっかけで、不安定な作家業だけでは心許なくて。安定のために週3から週4で、SEとして働くようになりました。
5年のブランクは大きかったです。5年前にメインだったJavaが下火で、PHPの時代になっていました。言語ができないと使い物にならないので、2ヶ月で覚えました。ベースがわかっていれば、応用は利きます。
当時43歳です。40代でもブランクがあっても戻れるのがSEの仕事、なんですよね。
50代、わがままに生きるために「スキル」を磨く
――現在はサービス系企業で社内SE(正社員)として勤務されていますが、何かきっかけが?
2019年に再々婚してすぐにコロナになって、作家の仕事が激減したんです。愛犬の死もあって、家に1人でいるのが辛くなって、フルタイム勤務を検討しました。
作家業に影響のない範囲で仕事をしたかったので、残業ゼロの会社を探しました。今の会社は本来土日休みではないんですが、夫と休日を合わせるために土日休みを条件に、最初は紹介予定派遣で入社したんです。
半年間ようすを見て、2021年に52歳で正社員になりました。
――すごいと感じる点が二つありまして、まず一つ目は、50代で正社員になったこと。もう一つは、多忙なフルタイムSEで、兼業が可能ということです。
たしかに、この二つは、周りに話すと驚かれます。正社員になると話したらビックリされたので「今さら?」と聞き返したら「いや、50代の女性で正社員になれるなんてすごい」と。
兼業に関しては、私のような働き方は、かなりレアケースだと思います。「残業ゼロ」「土日休み」などのワガママが通用するのは「スキルがあってのこと」。だから、自分磨きは怠りません。
とくに今の会社は、社内SEが私含めて2人しかおらず、新しいシステムはほぼ一人で作っています。わからないことがあっても、誰にも聞けません。自分でどうにかするしかないのです。それで、否応なしにスキルアップしているかもしれませんね。
ライスワークとライフワーク、両方あって輝ける
――現在は、作家とSE、どちらが本業なのでしょうか?
現在は、フルタイム勤務しているSEが本業です。
わたしは本業・副業関係なく、SEはライスワーク=食べるための仕事、作家はライフワーク=生きがいとなる仕事と捉えています。ライスワークといっても、SEの仕事も好きだし、自分が必要とされる仕事には、やりがいがあります。
作家業は、自分にとっては遊んでる感覚なんです。同じ物書きの方にはわかってもらえると思うけど、楽しく書いてお金がいただけるのはありがたいなと。でも本当に遊び感覚でやっているわけではなく、プロとして本気で書いていますけどね。
――わかるような気がします。物書きはたぶん、頼まれなくても書きますよね。それが仕事として成立すること自体がありがたいですよね。
ホント、そうなんですよね。
――島田さんにとって、SEと作家を兼業することのメリットは何でしょうか?
二つ仕事があることで、バランスがちょうどいいんです。両方が「心の拠りどころ」になるというか。「もしこれがなくなっても、もう一つの仕事がある」と思えるのは、精神的にすごくラクです。
ほとんどのケースで、「自立するため」に、わたしはSEの道を選んできました。自分の食い扶持を稼げるのであれば強くなれます。人生の選択を「お金がないから」とあきらめるのは、絶対に避けたいと考えています。
「自分らしく生きる」ための兼業
島田さんは、20代で人生の岐路に立ったときに、「自立の手段」としてSEの仕事を選びました。会社員からフリーランス、作家兼業など、人生のステージが変わるごとに、働き方を変えつつ、常に自分にとって最善の選択をしてきたと言えるでしょう。
今の自分にとって何が最善かを見極めながら、働き方のバランスを変えていく。それが、「自分らしく」しなやかに生きるためのコツなのかもしれません。
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(取材/文:陽菜ひよ子)