私はフリーランス17年目のライターです。以前に美術館のポータルサイトで日本の武将について執筆していました。そのうち、日本人の好む「ヒーロー像」には、共通点があることに気づきました。
今回のテーマは徳川家康。ご存じ、江戸幕府を開いた偉大な将軍です。日本一の武将と呼んでもいいはず……それなのに、人気の武将ランキングで、失礼ながら家康公が1位だった記憶がありません。それどころか、10位以内にはいることもまれのような……
なぜ、家康は人気がないのか?さらに、現在放送中の「どうする家康」で、弱々のヘタレに描かれているのは、意図があってのことなのか?
こうした疑問点と共に、家康の人生から学べるキャリア戦略について、検証してみたいと思います。
目次
徳川家康とは

戦国時代から江戸時代にかけての武将・大名で、江戸幕府の初代征夷大将軍。
三河国(現・愛知県)の国人土豪(小豪族)・松平家の嫡男(跡継ぎ)として、岡崎城で誕生。幼少期より尾張(現・愛知県)の織田氏や駿河(現・静岡県)の今川氏の下で人質として過ごした苦労人です。
今川家より独立後は織田信長と同盟を結びました。そして勢力を拡大し、信長亡き後は豊臣秀吉に仕えて大老筆頭となり、虎視眈々と実力をつけて行きました。
秀吉亡き後は「関ケ原の戦い」にて石田三成に勝利。征夷大将軍となり、江戸幕府を開府。大坂の陣(冬・夏の2回)で豊臣氏を滅亡させて、日本全国を支配下に置きました。
【注目ポイント】なぜ家康は愛されにくいのか?
最初に考えてみたいのは、「日本人に愛されるヒーロー像」とはどのような人か?ということ。それにはまず、繰り返しドラマや映画が作られてきた、人気の時代劇を上げるとわかりやすいかもしれません。
1.新選組
2.真田幸村
3.忠臣蔵
1の「新選組」とは、幕末に、尊王攘夷(天皇を尊び、外敵を排除)派や倒幕派の志士が集まる京都の治安維持に活躍した浪士隊。大政奉還で徳川慶喜が政権を返上してもなお、新選組は旧幕府軍として、新政府軍と戊辰戦争で戦います。
2の「真田幸村」は、安土桃山時代の武将。大坂夏の陣では、豊臣方の武将として、家康を追い込みます。敗者ながら、幸村の凄まじいほどの活躍は、徳川方の武将の心をも動かし、「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と評されました。
3の「忠臣蔵」は、最近ではあまりなじみがありませんが、80年代には年末になると毎年のように新作が放映された人気の時代劇でした。
元禄時代、江戸城で浅野内匠頭が高家の吉良上野介を斬りつけたことが発端。刃傷事件は両成敗が鉄則にもかかわらず、内匠頭は切腹の上お家は取り潰し、片や吉良家にはおとがめなし。浅野家の忠臣47浪人が、主君の仇討ちをした結果、全員切腹を命ぜられます。
この3つに共通するのは、「負けるとわかっていても毅然として戦い、潔く散って行った」こと。
新選組が最後に戦ったとき、すでに幕府はこの世から消えていました。真田幸村には家康からの誘いもあったといいます。忠臣蔵の浪人たちには他家に仕える道もあったはずです。
それでも「幕府のため」「豊臣のため」「浅野の家名のため」に戦うと決めたら、その想いを貫く。たとえその先には死しかないとしても。
日本人が求める「ヒーロー像」を例えるなら、桜のような散り際の美しさ。満開に咲き誇る桜の花そのものではない、そう感じます。
同時に「志半ばで散り行く」のも、日本人の好みといえるかもしれません。だからこそ、志半ばで死んだ織田信長や武田信玄、上杉謙信などの名前が人気の武将の上位に上がるのでしょう。
「日本人の好きなヒーロー」とは、つまり「敗者」なのです。だから、戦国時代の勝者として江戸幕府を開いた家康は、その時点で「ヒーローにはなれない」宿命。
鎌倉幕府を開いた源頼朝よりも、頼朝に討伐され、若くして散った弟・義経の方が人気なのも、同じ理由といえるでしょう。
家康にとっては不幸なことに、勝者ゆえの「ある理由」から、ますます愛されにくくなるのです。
【挫折ポイント】勝者ゆえの伝説化
徳川家康は、当時としてはかなり長寿の満73歳まで生きました。健康指向が高かったため、武士の頂点に立っても粗食で、魚や野菜をよく食べ、食べ過ぎる事はなかったといいます。
女性については、未亡人や人妻を好んだといいますが、熟女好きだったわけではなく、経産婦であれば、「子どもが産めるとわかっている」から。女性選びも、すべては徳川のお家のため。非常に合理的です。
忍耐強く、自分を律した立派な人。家康について知るほど、そのような印象しか持てません。これが同じ三英傑でも、短慮で怒りっぽいゆえに身を滅ぼした織田信長や、次から次へと女性に手を出した豊臣秀吉のような、わかりやすい「ダメっぷり」や「人間らしさ」が、家康には見られないのです。
これは、江戸時代に家康が神格化されたことと無関係ではないかもしれません。家康を否定するのはご法度とされていたのですから、実際よりも美化された家康像が独り歩きしていた可能性はあります。
現代の私たちの周りにも、こういう人、いませんか?すばらしい人なのはわかるし、尊敬もできる。だけど、好きかと聞かれると、ちょっと頭を抱えてしまう人。要するに、親しみが持てないんですよね。
親しまれないだけならいいのですが、成功を妬んで足を引っ張る人が出てくるかもしれません。そうなったらやっかいです。
嫉妬の矛先をそらすのに有効なのは、あえて、自分の弱点をさらけ出すこと。
たまに「自分のダメエピソード」を披露してみるのもよいかもしれません。立派な肩書や業績があるほど、「あの先輩にこんな一面が!」と効果てきめんです。
かといって、イメージを崩してしまうような致命的な失敗はNG。たとえば、自分が新入社員の頃の軽い失敗ならば、笑ってもらえるうえ、聞いた人も自分事としてとらえられるでしょう。
ここで、ふと「どうする家康」の家康はなぜ、あんなに弱々しくダメ人間に描かれているんだろう?と思いました。もしかして、あえて情けなく描いて、「家康に親近感を持ってもらう戦略」なのでは?と。
【成功ポイント】実際は臣下に愛されて成功した家康
そのNHKの企み(かどうか定かではありませんが)は、かなり成功しているのではないでしょうか。最初の頃こそ、「ヘタレすぎて共感できない」といった声もありましたが、徐々に少数派になりつつあります。
歴史の中の家康に親しみが持てないのは、「立派過ぎる」以外に、どこか「人間らしい温かみに欠ける」印象があることは否めません。特に信長の命とはいえ、妻の築山殿と嫡男の信康を容赦なく殺したことは、非常に冷酷に映ります。
しかし、「どうする家康」の中の家康は、情けないところはありますが、自分の母の無礼から妻をかばう心優しい男性として描かれています。
史実ではありませんが、側室のひとり・西郡局は同性愛者という設定。「侍女仲間を好きになったから暇が欲しい」と願い出る西郡局。
本来なら手打ちにされてもおかしくない状況です。さらに「殿に触れられると吐き気がする」とまで言われても、家康は西郡局を許します。
また側室を持っても妻想いのところは変わらず、妻の幼馴染・田鶴を身を挺してかばおうとしたり、信玄との会見の寺で、妻の好物の栗を拾おうとしたり。
この殿はダメなところもあるけど、優しさと誠実さはある人。視聴者はそのような信頼感、そして親近感を持って家康を見ます。だからこそ、説得力が生まれるのです。
「優しい家康像」が定着した今では、側室選びの面接で、色っぽい候補者にデレデレするところですら、なんだか憎めなく見えてくるのだから不思議。
「親近感を持たれる」ことでどれだけ人の印象がかわるかが、よくわかるのではないでしょうか。
ここまでは、ドラマの上の話。実際の家康がどのような人だったかは、どれほど資料を紐解いてみても、想像の域を出ることはありません。
家康は、親しい譜代の家臣以外には非常に無口だったとも言われています。これはあくまで想像ですが、親しい家臣には「どうする家康」の主人公のように、本当に心を開いて接していたのではないでしょうか。
家康の成功は、どのような状況でも彼を見捨てず付き従ってくれた家臣団のお陰だとは、よく言われることです。今川氏の支配下にあっても、我が主君は家康と決め、忠義を尽くしてくれた家臣たち。「犬のように忠実だった」とも伝わります。
また家康自身も、一度は自分を裏切った本多正信を「友」と呼ぶなど、懐の大きい主君だったことが伺えます。
家臣に愛されたこと。それが、信長でも秀吉でもなく、家康が天下を取れた、一番の理由。それは家康に、立派なだけでなく、人を引き付ける親しみやすさがあったからではないか、と想像するのです。
「失敗している」ことも共感ポイント
非の打ちどころのない成功者に対して、人は「すごい」とは感じますが、親しみを感じるのは、どこか欠点があったり憎めなかったりする人。わかりやすく「失敗している」ことも、大きな共感ポイントです。
「親しまれなくても共感されなくてもいい、自分は凡人など相手にしない!」と割り切れるならば、無理に自分を下げる必要はないでしょう。
しかし、周りとの距離を感じ、「このままではいけない」、本音を言えば、「もっと愛されたい!」と感じている方。あえて、自分の「ダメな部分」を強調してみてもよいのではないでしょうか。
周りの「好感度」は爆上がり。一気に「ファン化」する可能性もあります。「デキる」上に「愛される」となれば無敵ですよね。
(文:陽菜ひよ子)