スケジュール帳を見て、何も予定のない日をみると不安になる人はいないだろうか。
私はフリーランスなので、成果主義の仕事である。この10年、予定のない日を探してはスケジュール帳に書き込んでいた。いわゆるワーカホリックだった。そんな生活を10年続けていると、ある日、急に起き上がれなくなった。取材や打ち合わせのある日なら自分を奮い立たせるのだが、原稿を書く日だったので、そのまま寝ていると午後2時になっていた。
身体も怠いし、心も疲弊している。とりあえずメンタルクリニックに行った。
「会社員なら一か月休めるように診断書を出していますよ」
愕然とする。脳が「休め」と言っているのだ。仕方がないので、ずらせる予定を延期して、3日間、休むことにした。直後に気づいた。
「休む」って、どうするんだっけ?
目次
「好きなことを仕事に」の弊害

私は幸いなことに書くことが好きで、「ライター」と名刺に入力してあるのを見たとき、体が震えるほど嬉しかった。
周りも祝ってくれる。
「良かったね」
「ずっと書く仕事をしたいって言ってたもんね」
「ひとつ目の夢、実現したって凄い」
10年間、収入がカツカツの月もありながら、私は書き続けた。漫画家やタレントにインタビューをして、大好きな本の書評を書いて……充実した日々を送っているのだから、なおさら休みをとることに罪悪感をおぼえた。
さて、どんなに好きな仕事でも、慣れるのが人間の性(さが)。身体と脳は危険のサインを発していたのに、「頑張ればどうにかなるさ」と無視した。
そして、倒れて休養を余儀なくされたのである。
「好きなことをすればいい」
そうか、好きなことをしよう。私は再びパソコンに向き合った。好きなこと=仕事、それなら書評やエッセイを優先すればいい。
そしてまた、起き上がれなくなった。ようやく私は気づく。
「私の休み方、間違ってる?」
ワーカホリックは「美徳」なのか?

話は私が社会人になったばかりのころにさかのぼる。大学を卒業して、新卒で入社した企業はメーカーだった。そこで役員秘書業務をまかされた。私の担当した役員は60代、大らかな人だった。彼は元銀行の重役で、ヘッドハンティングで私の企業に入ったらしい。
「銀行時代は、朝から働いて昼にビールを飲んで、それから深夜まで働き続けたよ」
「凄いですね!」と返す。その言葉に偽りはなかった。ちょうど大手不動産会社に勤務していた友人が、同じような働き方をしていたのもある。
「飲みに行こう」
誘われて2時間程度飲んだあと、彼は会社に戻ると言った。時間は夜10時だ。
「仕事を残してきてるから」
そう言ってお酒に酔った状態で、自社のエントランスに入っていく彼を見て、「うちの役員みたい」と思いながら、さすがに「そこまで仕事をしたら過労で倒れるのでは?」と心配になった。
一方、私の勤務先は電機メーカーだったので基本的に残業はしないように言われていた。ところがほとんどの同僚は、パソコンの電源を消したあと、パソコンを使わないで済む仕事を始めた。
「これなら人事部も何も言わないから」
担当役員は大らかだったので、秘書業務をしている私だけ残業なしで帰る。法務の部署だったので、同じ部署の同期でありながら、頭をフル回転させて頑張っている同僚たちに申し訳ないなと思いつつ。
ただうらやましさも感じた。秘書である私と業務が異なるため、遅くまで作業に追われる彼らは、なぜか得意げに見えたのだ。
休めていた自分を思い出せない
あのころ、若かった私は、終業後に毎日のように同期や友人と映画を見たり飲み会に参加したりしていた。楽しかったなあと振り返りつつ、ふとあることに気づく。
「あれ。週末は休みだったのに、何してたっけ?」
フリーランス10年目。医者に休めと言われて、休む方法を模索している。いつから休み方を忘れたのだろう。
だんだんと休むことがストレスになった。社会の役に立っていない自分を振り返り涙が出てくる。
趣味でエッセイや小説を書くのをやめた。
ちがう。それは解決になっていない。心の中の私が叫ぶ。
自分はいま、アッパー系?ダウナー系?
『心療内科医が教える本当の休み方』(鈴木裕介著、アスコム)では、落ち着かず緊張している状態をアッパー系、ぼんやりとしている状態をダウナー系と呼んでいる。これに対応するためのひとつの方法として、いま自分がどちらなのか気づき、逆の方向へアプローチするという方法がある。
たとえば疲れ切って「どう休もう」と考えている私はダウナー系だった。この場合、エキサイトするような音楽を聴く、太陽の光を浴びるというアクティブなストレス解消法をしてみるのだ。なお、自分はアッパー系だと自覚した場合は逆で、たとえばゆっくりした呼吸をする、温かい湯船に浸かるといった方法がある。
ほかにも本書では休息を得る方法が述べられているが、自分がいまどちらの状態にいるのかという気づきは想像以上に大切だった。
そして私は、休息を得る方法ばかり考えていて、自分の状態をかえりみることをしていなかったことにも気づかされた。心の回復は、最初に重視される事柄なのに、それが抜け落ちていたのだ。
そして回復にも方法があった。
うまく休む「BASIC Ph」というアプローチ
1980年代、紛争の絶えないイスラエルで、研究者や医者によってストレスについての研究が行われた。その結果、生まれたのがBASIC Ph(ベーシックピーエイチ)というストレス解消法である。
日本は紛争地域ではない。ただ私を含む多くの人の心身は疲弊していて、自分に合った休み方を知らないでいる。ここで紹介する心身を回復する方法「BASIC Ph」は、そんな私に手を差し伸べてくれるものだった。

まず、BASIC Phとは何を指すのか説明したい。
B(Belief、信念)は、“信念・価値観。(中略)自己達成欲求や自己表現欲求など、信念や価値観に頼る。”
A(Affect、感情)は、“泣く、笑う。自分の感情体験を他の人に話す、感情を感じたり表現するなど。”
S(Social、社会)は、“集団や組織の一員となり、支えを得る。”
I(Imagination、想像)は、“想像によって現実に蓋をしたり、気を紛らわせたりする。”
C(Cognition、認知)は、“情報収集をする、(中略)優先事項を洗い出すなど、問題解決に向けて動く。”
Ph(Physiology、身体)は、“身体を動かすことによってストレスに反応したり、対処したりする。”
さて、私は、BasicPhのうちのどれによって心身を回復させて休息をとることができるだろう。
Iは、クリエイティブな活動も含むので、小説やエッセイを書くことが好きな私に向いている。次に近いのはBかもしれない。自己表現欲求があるからだ。
このAからPhのチャンネルは、どれかを優先しても良いし、2つのチャンネルを優先して、何かのチャンネルをまったく使わない、ということもありうるそうだ。
本書にはこのような一文がある。
“心身が危機的な状況に陥ると、人は世界とのつながり方を見失います。”
世界とのつながり。それは心身の回復につながると、本書は語る。ときには、ふだんは使わないチャンネルを使っても良い。紛争地域ではない日本でも、“生きにくい世界を生きやすくするための「もの差し」となる”のだ。
心身を回復して休む方法は人によって異なる
ほかにも本書には人はストレスに気づきにくいからこそ休みの必要性を理解できないという事実や、緊張感をゆるめるエクササイズなど、休むことの大切さやそのためのHow toが紹介されている。
著者は心療内科医だが、医療者ではない人にもわかりやすい文章でつづられた休み方によって、私はほっと一息つくことができた。休息をとらないことによるストレスはふくれあがる。それによって私はバーンアウトしてしまったのだろう。
心身に疲労を感じたとき、休み方がわからないとき、自分の状態に気づき、最適なストレス解消法を見つけよう。そうすればまた、立ち上がれるときが来る。
(文:若林理央)

