現代は、常に誰かと繋がっている時代だ。片手にスマホを持ち、いくつものSNSをのぞきながら、情報を集めて、発信していく。意識は外へ外へと向かい、自分の内面や感情が置き去りにされ、心が疲れていくーーもしくは心の疲れに気づけないまま、自分がわからなくなる。
「ふとした瞬間に『自分ってなんだろう』とむなしさを感じる。この現象を僕たちは自己の空洞化と呼んでいます」
このように語るのは、ミッドナイトブレックファスト株式会社で代表取締役を務める喜多紀正さんだ。
同社が展開しているアプリのmuute(ミュート)は、ジャーナリングという手法で自分の感情を綴り、その記録をAIが分析していく。ユーザーはその分析結果を参考にしながら、「自分とは何か」という問いへの理解を少しずつ深められる。
10代〜20代の若い世代から支持されたmuuteは、リリースから約2年で100万ダウンロードを突破。「やさしくシンプルで使いやすい」「自分の感情がわかって自己肯定感が下がりにくくなった」と好意的な評判も目立つ。
muuteはどのような経緯で開発され、どのような機能を持つのだろうか。ミッドナイトブレックファストの代表取締役である喜多さんに話をうかがった。
目次
「自己の空洞化」を埋めるために開発
muuteの開発背景には、プロダクトスタジオであるミッドナイトブレックファスト社のデザインリサーチが大きく影響している。
同社では、アプリを開発する前にZ世代の約60人にエスノグラフィーやデプスインタビューを実施。Z世代の悩みとして、「自分らしく生きたいけど、自分についてよくわかっていない」があるとわかった。
「Z世代はオフラインでのコミュニティに加えて、SNSを通じて色々な場所やグループに所属しています。趣味や学校、仕事など細かい属性ごとにSNSのアカウントをわけ、さらに表のアカウントや裏のアカウントも運用しています。
アカウントをわける行為は、他者への気遣いが根底にあるため、すばらしいことです。ただ、一方で、SNSのアカウントが増えると自分だけの時間は持ちにくくなります。常に誰かと繋がり続けた結果、『自分ってなんだろう』と悩む人が多くなっているのだと思います」
自己とも呼べる本来の自分は、その人の中心にあり、自己の外側をコミュニティごとの自分が囲むように存在する。
繋がりが少ない時代では、コミュニティから離れれば、本来の自分に戻れた。ただ、現代はインターネットを通じて、所属するコミュニティやグループの数が増えている。誰かと繋がる時間も増えているため、本来の自分に戻る時間を取れず、自己が希薄化していく。このような現象を、ミッドナイトブレックファスト社では、「自己の空洞化」と呼んでいる。
「現代はレールのない時代ですよね。好きなことを選んで生きていけますが、選択肢が多い分、自分で意思を決めて、判断する必要があります。これだけ情報があふれる中で、自分なりの判断をしていかないといけないのは、つらいですよね」
自身の生き方を決めるには、その人なりの軸が必要だ。そのためには、どのようなことにうれしさを感じるのか、どのようなことにつらさを感じるのか、自分を深掘りしないといけない。
では、自分の深掘りはどのようにおこなえばいいのだろうか。
代表的な方法としては、専門家と一緒に自分の思いを言語化していくコーチングやカウンセリングなどが挙げられる。ただ、これらの方法は、ひとりでは実践できず、サービスを利用するハードルも高い。そこでミッドナイトブレックファスト社は、書く瞑想と呼ばれるジャーナリングに注目した。
「Z世代に見られる『自分らしく生きたいけど自分がわからない』という課題の解決方法を話し合う中で、ジャーナリングが海外で注目されているという意見が出ました。会社のプロダクトデザイナーのひとりが、以前にグループでのジャーナリングを経験していて、日本で瞑想などのマインドフルネスが流行り始めていた時期でもあったため、『ジャーナリングで自分を客観視できたらいいよね』となり、アプリの開発を進めていきました」
ジャーナリングでは、「いまここにある感情」に着目する。スタンダードな手法では、時間を決めてその場で思い浮かんだ心の動きを紙に書き出し、目に見える形で感情をアウトプット。記録を積み重ねていき、心のクセを自覚していく。心のクセは自身の輪郭だ。その輪郭を捉えることで、本来の自分が浮かび上がっていく。
こうして「デジタル上の誰とも繋がらない空間」というコンセプトのもと、muuteが開発された。
優しい世界観を持つUI/UX
時間を作って、その場で思い浮かんだ感情を書き出していくジャーナリング。忙しい日常の中で書く行為はハードルが高く、なかなか実践しにくい。
記録へのハードルを下げるために、「muute」では、さまざまな機能が備えられている。たとえば、ジャーナリングには、以下の3つの方法が用意されている。
- テキストから投稿
- 感情選択から投稿
- 答える
「テキストから投稿」は、自由に気持ちを書いた上で、24個の感情アイコンからその出来事への感情を選ぶシステムだ。具体的な出来事と感情を紐づけて記録できるため、自分への客観視に繋がりやすい。
「感情選択から投稿」はテキストを書く前にまず感情に焦点を当ていまの感情を24個の感情アイコンから選び、選んだ感情に対してテキストで深掘り内省をしていく。
最後の「答える」は、質問に答えるガイドジャーナリングと呼ばれる手法が採用されている。テーマごとに質問が用意されており、回答することで自身の価値観を深掘りできる。
muuteの最大の特徴は、これらの記録からAIが思考と感情をフィードバックしてくれる点にある。入力した情報は、色つきのグラフなど目に見える形でアウトプット。ひと目で結果がわかるため、直感的に自分の心の状態を把握しやすい。
「muuteには、記録継続の補助輪となるような機能をたくさん設けています。たとえば、感情のグラフの記録やAIによるフィードバック、ジャーナリングをした後に表示される名言などです。感情と向き合うことの負担は大きいです。入力した瞬間に大きな効果を得られるわけではなく、効果は時間をかけて徐々に得られるものです。記録のサイクルを作りやすいように、いまも試行錯誤しています」
感情の記録と聞くと、一般的にメンタルヘルスケアに活用されるイメージがある。たとえば、メンタル不調に陥る際に、日記をつけて自身の状態や思考を記録し、メタ認知を高めることはスタンダードな手法と言えるだろう。
一方で、muuteは、落ち込んだ精神を元に戻すだけではなく、普段の日々でも使用し、自身をよりよい方向に進めて欲しいという想いが込められている。
「我々のプロダクトのコンセプトは自己理解がベースになります。メンタルヘルスやウェルビーイングの手前にあるもので、みんなが善く生きていくために使ってほしいと考えています。ジャーナリングの特徴は、『いまここ』の感情に着目する点です。思い浮かぶことを記録していくため、より潜在的なマインドがあらわれると思います。『こんな考え方してるんだ』と自分のことがわかれば、少しだけ前向きに生きられます」
muuteの操作画面は、優しい色や言葉がふんだんに使われていて、圧迫感が少ない。UIも使いやすく、無理なくアプリを使用できる。それは、ユーザからポジティブな意見が多く寄せられていることからもわかる。
「最近、『習慣化できました』という声が多く寄せられています。ジャーナリングによる効果は、習慣化によって体感できると思うので、我々としてもうれしいです。また、ユーザーからは、『嫌な1週間と思っていたけど、振り返ってみたらそんなに悪くなかったと気づけた』と言っていただけたこともあります。ネガティブな感情は自分の外に出すと、その瞬間に頭が少しリフレッシュされます。その小さな積み重ねを続けると気持ちも晴れやすくなるのかもしれませんね」
学校教育の現場でも活用を進める
自己理解を深めるアプリのmuuteは、もともとZ世代をターゲットに開発された。ただ、開発当初からもっと若い世代にも使って欲しいという想いがあり、現在は学校におけるmuuteの導入も進めている。
「学校で先生として働いているmuuteユーザーがSNSで活動していたので、コンタクトを取りました。話を聞いたところ、学校教育では、言語化する力や感情と向き合う力など非認知能力の育成が重要になっているとわかり、『生徒にも使わせたいね』という話になったんです。その後、9つの私立中学校・高校と共同で約2ヶ月のテストを実施。学校関係者からの評判もよく、『muute for school』のサービスを開発し、学校への本格導入を進めました」
思春期における思考や感情の揺れは大きくなりやすい。不安定な年代だからこそmuuteの活用が有効と言えるだろう。
実際に、muuteを活用することで生徒にいい変化も生まれたという。
「生徒がうまく発言できるようになったという声をいただいております。学校では朝の読書時間などのように、5分ほどの時間をまとめて取りやすく、みんなで一斉に取り組めるため、muuteの活用と継続はやりやすいだろうと思っていました。また、不登校の子どもが学校に行けるようになったという声もいただいており、予想以上の効果を実感しています」
自分の心を捉え続けると、自己はより確立していく。情報や選択肢が多くさまざまな可能性を期待できる現代だからこそ、内省しながら自分への理解を深めることで、自分の望んだ道を切り開いていけるのではないだろうか。
最後に、喜多さんは人のあり方について次のように語ってくれた。
「すべての人が持っている力の10%を自分もしくは他者を労わるために使っていけると、社会がよくなるんだろうなと思っています。ただ、そのためには自分の心に余白やエネルギーが必要です。自分の中に余裕をつくるためにも、muuteなどを活用して内省を進めていただければと考えています」